5 対決

 そこはかつてこの国を治めた人物が生活し政務を執り行っていたところで、その人物の一族が権力を失ったその後も、新たに国主となった者が、実権を持ちはしないものの、永らく住居として利用していた場所だ。その主の姿は、ラント国の侵攻を受け、避難をしたためか今はない。残されているのは、所在なさげな建物たちだけだ。

 その地に為政者がやってきてのち、数百年もの永きに渡り、国家の中心であったことから、周囲は城壁と水堀に囲まれて防御は固い。仮にラント軍の攻撃を受けたとしても、容易に落ちることはないだろう。ラント軍はそこからさほど遠くない場所に陣を張ってはいるが、森のように生い茂る木々が視界を遮るので、木を隠すなら森の中、ではないが、敵軍からはいい目隠しになるはずだ。そして、彼らの存在は、灯台下暗し、という言葉があるように、ラント軍にとっては、まさに瓢箪から駒となるだろう。

「ふむ。初めて見る場所だな」

 ヤナ王はぐるりと周囲を見渡して言った。同じようにして、カミラが目を丸くさせていた。トナミは先発の各部隊の様子を確めて回っている。遠くの空が朱色に焼けていた。

「王様があちらの世界に行ってから造られたものですので、知らないのも当然です。ただ、これを造った人物は良く知っていると思いますよ」

 雄星が隣に並んで答えた。

「ほう」

 ヤナ王は眉を吊り上げた。それは誰だ、と言っているのだ。雄星はその人物の名を告げた。

「で、あるか」

 どのような思いが去来していたかは知るべくもないが、王は遠くの方を見つめてそう言った。

「陛下」トナミがやってきて王の前に立った。「準備は間もなく完了します」

「うむ。ご苦労。終わったら、兵たちには夕食を取らせ、休息させよ」

「かしこまりました」

「道具や機材は建物の中のものが使えます」雄星が補足する。「電気も通っていると思います」

「電気? 電気とはなんだ?」

 ヤナ王が興味を覗かせた。

「こちらの世界の動力源です。それで明かりを灯したり、火を点けたりします。生活には欠かせないものですね」

「なるほど。面白い」

「ただ、これから夜になるので、明かりは最小限にした方がいいと思います」雄星はぐるっと周囲を見渡して「これだけ木々が生い茂っているので、敵に見つかることはまずないと思いますが、用心のために」

「ふむ。良かろう」

「では、そのようにしましょう」トナミは頷いて、部下を呼んで助言を実行に移す。命令を伝え終えると「あちらに部屋を用意していますので、ひとまずはお休みください」

「うむ。のちほど、今後について協議を行う。どこか良い場所はないか」

「それなら丁度よいところがあります。二時間後、ということで宜しいでしょうか」

「良かろう。では、案内を頼む」

「かしこまりました。こちらへ」

 面々はトナミに従って後をついて行く。道はそこそこに広くきちんと舗装されていて歩きやすい。日は急速に傾いて、辺りは既に暗くなりかけており、灯火の明かりがぼんやりとテントを浮かび上がらせていた。

 暫く歩いて行くと、平らな屋根の、かつての住人が居住していたと思しき、平屋の近代的な様子の建物へとやってきた。この国の主が住まう場所としてはとても質素な造りで、どちらかといえば、一般庶民向けの住宅といった印象だ。そこはこれからの数日、あるいは数か月になるかもしれないが、彼らの活動の中心となる場所だ。生活に不自由することはないだろうが、その期間ができる限り短くなることを願う。彼らはしばし休息をとったのち、今後についての協議を行ってから、翌日以降に備えて、その日は早めに就寝した。

 東の空が朝焼けに染まり始めようかという頃、ヤナ軍は部隊を四つに分け、進軍を開始した。事前の索敵によって、敵軍の多くは地方へと展開しており、敵の本拠地周辺には敵影は少ない、と言うことだ。それで、彼らは街路を風の如く北上し、敵本陣を四方から取り囲んで、一気に攻略しよう、という計画だ。敵も、本拠地が落ちたとなれば威勢を失うだろう。戦いを早期に終わらせるには、先に”頭”を取ってしまうのが効果的だ。

 街はここがこの国の首都とは思えないほどに荒れ果てており、突然の襲撃に慌てて逃げだしたのだろう、街路には、バスやタクシーなどがドアを開け放たれたまま乗り捨てられ、自転車なども横ざまに倒されて置き去りにされていた。行き交う人の影もなく、普段なら、仕事に向かう人やショッピングを楽しむ人の往来で騒々しいその場所も、吹き荒ぶ風だけがびゅうびゅと通り過ぎ、寂寞感の漂う、ゴーストタウンと化していた。

「みんな、どこに行っちゃったのかしら」

 馬上から、周囲をぐるりと眺めながらカミラが言った。

「囚われたか、どこか地下にでも逃げ込んだか、そんなところでしょう」

 同じように辺りを見回しながら、トナミが答えた。

「しかし、こうもあっさりとやられてしまうとは、情けない」

 ため息を漏らしてヤナ王が感想を述べた。

「もう、長い間戦争をしたことがないんです」雄星が答える「平和国家ですから」

「で、あるか」

 そう言ったヤナ王の表情は、安堵に胸を撫で下ろしたように見えたが、一方で、どこか不満そうでもあり、複雑そうでもあった。

「とはいえ」トナミが言った。「やはり、技術力の差は否めないようですね。どこもかしこも残骸だらけです」

 彼が言ったように、戦車などの車両や、戦闘機までもが黒こげになってあちこちに転がっていた。どれもが、こちらの世界での、最先端技術が導入された最新の兵器だが、それらが、跡形もなく破壊されているのだから、力の差は推して知るべし、と言うことだろう。

「ふむ。ラント王がこの国を支配してしまうのもそう遠くはなさそうだ。そしてここを皮切りに、世界を征服するつもりなのだろう」

「それは既に始まっているのかもしれません」

 雄星はそう言って顔をしかめた。

「かもしれんな」

 ヤナ王は同意して渋面を作った。

 その時「陛下!」と部隊の中から声が飛んだ。皆が一斉に声の方を振り返り、次にその兵士の視線の先へと目を向けた。小さな男の子が、建物の陰から飛び出して、飛び跳ねるように隊列の方へと走ってくるところだった。何事かと子供の行く先に目を向けると、白黒の五角形のパッチ模様のボールが、ぽんぽんと跳ねながら転がっていた。子供はヤナ王の目前でそのボールをうまいこと捕まえて、それが嬉しかったのかにこやかに微笑んだが、見たこともない男性が馬上から自分を見下ろしているので、恐ろしくなってその顔からみるみると血の気が引いて行った。その数秒後、子供の母親と思しき女性が、悲鳴のような声を上げながらすごい勢いで駆けてきて、ヤナ王から隠すようにがっしと息子を抱きしめると、震える声で言った。

「申し訳ありません。この子は遊んでいただけなんです。どうか、どうか。殺さないで下さい!」

 ヤナ王の配下の面々は、びっくりしたように目を見開いて、互いの顔を見合った。兵士の一人が駆け寄ろうとするのを、トナミが制した。

 ヤナ王がすとんと馬から降りた。母親がびくっとして身を引いた。王は親子のもとに歩み寄ると、腰を落として片膝立てになり、落ち着きのある静かな声で言った。

「安心せよ。そなたらを殺したりはせぬ。子は国の宝であるからな」

「ほ、本当ですか?」

 母親は、疑いの眼差しでヤナ王を見つめた。

「無論だ。我々は、そなたらが最初に見た者等とは違うのだ」

 それで安心したのか、母親は少しだけ腕を緩めた。息子が、母親の腕の中から、興味深げにヤナ王を見つめている。ヤナ王はにこやかに微笑んで言った。

「その手に持っているのはなにかな?」

 答えていいものやらと戸惑ったのだろう。母親を見上げて指示を仰いだ。母親が頷くと彼は答えた。

「サッカーボール。これでみんなとサッカーするんだ」

「サッカー?」

 雄星が答える。

「正確な例えではないですが、蹴鞠を思い出してもらえれば」

「ほほう。なるほど、蹴鞠か。面白い。わしの知っているものとは少し違うようだが、よし。少し、やって見せてはくれぬかな?」

「いいよ」

 子供は嬉々とした様子で答えると、リフティングを披露して見せた。

「うむ。小さいながらも見込みがある。どれ、次はわしがやろう。こう見えても得意だったのだ」

 ヤナ王はボールを受け取ると同じようにその技を披露した。得意、と自らが言うだけあって、それはなかなかのパフォーマンスだった。

「なかなか楽しかったぞ。坊主」

 ボールを返してヤナ王は言った。

「うん。おじさんも上手だね」

 カミラの、くすくすっと笑う声が聞こえた。それに合わせるように、子供の腹が鳴った。

「腹が減ったか?」

「しばらくなにも口にしていないのです」

 母親が答えた。よく見てみると、彼女の頬は少し痩せこけていた。子供の方は、健康体とまではいわないものの、少しだけふっくらとしている。自分の分も子供に与えているのだろう。

「トナミ」

 ヤナ王は振り向いて言った。

「かしこまりました」

 トナミが答え、配下に命じる。配下は後方へと駆け走っていき、暫くして包みを二つ持って戻ってきた。ラント王はそれをトナミから受け取って、親子に差し出して言った。

「さあ、これを食うがよい。ひとまずは、腹が満たせるだろう」

 親子が包みを開くと、パンに似た食べ物が二切れと、甘くて酸っぱい匂いのする果物が一つ、黄色い芳醇な香りのするチーズに似た食べ物が一切れ入っていた。母親が爛々と輝く眼差しで王を見つめ、王が頷き返すと、彼女はパンを頬張った。その様子をじっと見つめていた息子が、母親の食べろと言う合図を受けて、がっつくように食べ始めた。二人とも、だいぶ腹が減っていたようで、あっという間に完食した。

 腹も満たされ、落ち着きを取り戻したところで、雄星が母親に聞いた。

「一つ聞きたいことがあるんですが、あなた方のような人は、他にもいるんでしょうか」

「はい。みんな地下に逃げて、そこでなんとか暮らしています。他の場所にもたくさん、そう言う人がいると聞いています」

「陛下」雄星は馬を降り、王の前に進み出て「なんとか助けられないでしょうか」

「我らの目的はあくまでラント王を止めることだ。故に彼らを護るために、必要以上に人員を割くわけにはいかん」そこで王は親子を見つめ「とはいえ、飢え苦しむ者達を放っておくわけにもいかんだろう」と振り向いて「各部隊に、彼らに食糧を配分し、保護するように伝えよ。必要なら、あちらから補給せよ。人員は必要最小限で良い」

「かしこまりました」

 トナミが応じ、通信機を手に取った。

「なにからなにまで、本当にありがとうございます」

 母親は深くお辞儀をした。

「なに。困っている者をただ見過ごせんと言うだけだ。礼ならそこの者に言ってくれ。その者も、そなたらと同じ世界の人間だからな」

 母親が怪訝な顔を向けて、雄星を見つめた。

「今のは気にしないでください」

 雄星は苦笑を浮かべて言った。

 母親は戸惑つつも、なんとか了解したと言うように頷いて、王に向かって問いかけた。

「あの……」

「なにかな?」

「私たちの住んでいるところに来ていただけませんか? みんなに紹介したいですし、それに、あなた方のような人がいると知れば、みんな勇気づけられるでしょうから」

 ヤナ王は少し思案して、頷いた。彼女たちのような人々を救うためにも、一刻も早く進軍するべきだが、懇願するような眼差しの母親と、輝くその息子の瞳に見つめられ、断ることができなかった。

「良かろう。しかし、それほど長居はできん。それで構わなければ、招待にあずかろう」

「ええ、もちろんです。ありがとうございます」

 母親はぺこりとお辞儀をし、にこやかにほほ笑んだ。息子もうれしそうに笑っていた。

「では雄星。共に参れ」

 言い終わるやカミラが言った。

「父上、私も行きますよ! だめと言われても!」

 ヤナ王はため息をついて「言ってもだめなら言わん。トナミ、そなたらはここで待機せよ」

「承知しました」

 トナミは通信機から顔を上げて答え、のち、再び装置と向き合った。

「では、案内してくれ」

「はい。こちらへ」

 母親は歩き出す。息子が、ヤナ王の手を取ると、こっちだよと引いて歩いた。ずいぶんと気に入られたようだ。雄星とカミラは、それを微笑ましく見つめながら、彼らの後をついて行った。

 彼らはある建物へと入った。何かの商業施設のようだが、当然のごとく人の姿はなくがらんとしていて、足音が反響して響いた。玄関口のすぐ近くに下り階段と、止まったままのエスカレーターがあって、彼らはそこから地下へと降りて行った。階段は深くまで続いていて、降りて通路を少し歩いたその先に、頑丈そうなバリケードが何重にも設置されていた。その両脇には警備の男が立っていて、彼らが近づいてくるのを見て取ると、素早く銃を構えて言った。

「おい! なんだそいつらはっ! 二人とも、早くこっちへ来い!」

「待って!」母親は立ち止まり、来訪者を背にして「この人たちは敵じゃないわ。私にも詳しいことはわからないのだけど、でも、あの人たちとは違うのは確かよ!」

「そうだよ!」息子が加勢する。「僕と遊んでくれたんだ。あの人たちはそんなことしないよ!」

「油断させといてその裏を掻こうっていう腹かもしれない。こいつらのことなんて信用しないぞ!」

 男は狙いを定めた。母親は困惑の表情を滲ませた。

 ヤナ王が割って入る。

「まあ、待たないか」彼は母親の肩に手を置いた。母親が振り向くと、王はゆっくりと頷いて見せた。「まずはこの親子をそちらに入れてはどうだ? そのあとで、ゆっくりと我らを吟味すればよい。どうかな?」

 男は見定めるように侵入者を見つめてから、親子に中に入るようにと促した。母親は不安げな表情を見せたが、ヤナ王に背中を押されて、息子の手を引いてバリケードの向こうへと歩いて行った。

 その様子を見送ってのち、男は言った。

「お前たちはいったい、何者なんだ?」

「説明するのは簡単ではないな。まずは、そなたらの指揮官と話をするのが良かろう」

「会わせると思うか? 隙を見て殺すつもりかもしれない」

「そのつもりなら、わざわざこんな手の込んだことをする必要はない。この場所ごと薙ぎ払ってしまえばよいのだからな」

「なんだとっ!!」

 男はかっと目を見開いて、銃の狙いを定めた。カミラが進み出ようとするのを、ヤナ王は腕を広げて制した。

「しかし、そうしようと思えばできることをせずに、こうしてやってきているのだから、味方とは言えなくとも、少なくとも敵ではないとは、思えんかな?」

「無理だな。言っただろう。信用できないと」

 男はヤナ王を睨み据えた。

 王は顔をくしゃっとさせて「で、あるか。ふむ。困ったな」とため息を漏らした。

 相手を信用のできない相手と決めつけて、端から話を聞こうとしないのだから如何ともしがたい。もっとも、彼らの目の前にいる人物は、どこからともなくやってきて、あっという間に世界を蹂躙し、辛酸をなめさせられた相手と同じ姿をしているのだから、信用しろというのは無理があるだろう。それをわかっているから、ヤナ王としても困惑するよりほかなかった。

 そうして、両陣営の睨み合いはしばらく続いた。するとそこに、先ほどの子供に連れられて、通路の奥の方から男性が二人やってきた。事態を重く見た母親が呼びにやったのだろう。二人とも迷彩柄の軍服を身に纏い、肩からは銃を下げていた。おそらくは軍人であろうが、一人は三十代の半ばくらいで、もう一人はそれよりもずっと若いので、彼の部下と言ったところだろう。ともかくも、話の分かる相手ならよいが。

「どうかしたのか?」

 上官と思しき男性が言った。

「こいつらです」侵入者からは目を離さず男は答えた。「そこの二人をたぶらかして、中へ入ろうとしてるんですよ。いい機会です。こいつらを捕まえて、いろいろと吐かせましょう」

「違います!」母親がすぐさま反論した。「この人たちはそんなことはしません。それどころか、私たちに食糧を分けてくださったんです!」

「そうだよ! 初めて食べたけど、すごくおいしかったよ!」

 息子がすぐに賛同した。母親は続けた。

「それに、他の地域の人たちにも、食糧を分けてくださるそうです。そんな人たちが、悪い人の訳がありません!」

「なんだって!?」

 警備の男は目を剥いて、母親の方を振り向いた。

 上官と思しき男性は、三人の闖入者を、探るように眺めまわして、やがて言った。

「彼女の言ったことは本当か?」

「確かめてみるがよい。連絡手段くらいはあるのだろう?」

 ヤナ王が答えた。

 男性が、背後に控える部下に合図すると、彼はポケットから携帯端末を取り出して電話を掛けた。何箇所かに電話をかけたのち、彼は上官に耳打ちした。

「どうやら、彼女の言ったことは本当のようだな」

 警備の男がまた目を剥いた。彼は、一度振り上げた拳を、どうすればよいかわからないと言った様子で、くるくると目を回していたが、上官が命じたことでようやく矛を収めた。彼が言った。

「しかし、目的はなんだ? どこから来た? 見たところ、連中と同じようななりをしているが」

「それに答えるのはやぶさかではないが、ひとまず、そちらに通してはもらえんかな?」

「おっと、これは失礼。おい」

 警備の男はもう一人の見張りと共にバリケードを開くと、脇へと退いて、ややばつが悪そうな様子で客人が過ぎていくのを見送った。

「あっちで話を聞こう。ついてきてくれ」

 三人は上官の後について行く。

 しばらく進んだところでヤナ王が言った。

「彼には気にせんように言ってもらえるかな。むしろああでなくては警備は務まらん」

「わかった」上官は軽く笑って「伝えておこう」

 親子は途中で別れ、彼らの”家”へと戻っていった。三人は、子供の、また遊びに来てね、という言葉に笑顔で答え、それを見送った。

 地下街と言うのはやはり迷路のようで、どう進んだのかわからなくなるくらいにくねくねと道を折れて、やがてとある場所までやってきた。そこは元々、食事を行う場所だったらしく、入り口前にはメニューの看板が、そのすぐ横のショーケースには食品サンプルが、それらを食す者もいないのに、美味であることを主張するように並んでいた。

 店内にあったテーブルや椅子はそのまま残されており、つい先ほどまで営業していたのではないかとさえ思えるほどだった。

「適当にかけてくれ」

 上官が言った。彼の部下は外で見張りをしている。上官は扉を閉め、近くの柱に寄り掛かり、腕を組んで続けた。

「その身なりで歩き回られると困るのでね。わかっていると思うが、誰もあんたらを良くは思っていない。家族を殺された者も多いからな。さっきの親子も父親を失ってる」

「それについては弁解の余地もない。しかし……」

 ヤナ王が言い終えるのを、上官は遮った。

「わかってる。あんたらがやったわけじゃないんだろう? さあ、聞かせてもらおうか。連中は何者で、あんたらは何者なのか。そして目的はなんなのか」

「ふむ」ヤナ王はそう言って、どう説明しようかとしばし思案したのち話し始めた。「まず、我々が、この世界の人間ではないことを知っておいてもらおう」

「それはわかっている。その身なりを見ればな。しかし、俺も世界中いろんな場所で任務にあたったが、そんな格好の連中など見たこともない」

「いやいや、わしが言っておる世界というのはそれではない。わしが言っておるのはだな……どう説明すればよいのかな」

 ヤナ王は困った様子で顔をしかめた。

 そこで雄星が助け舟を出した。

「いわゆる異世界からやってきた、と言うことです。この世界とは異なる時空に別の世界があって、僕たちはそこからやってきたんです。そんなことはファンタジー小説だけの話だろう、とそう思うかもしれません。でも、これは本当の事です。この僕が言うのですから間違いありません」

「異世界だって? そんなものが本当にあるというのか?」上官は訝しむ目で雄星を見つめた。「それに、どうしてお前の言うことなら間違いがないと、そんな自信たっぷりに言えるんだ?」

「僕がこの世界の人間で、あちらの世界に行ったことがあるからです。住所や両親の名前も言えますよ。ちなみに、僕は阿良田 雄星。父は雄一と言います。時空移動の研究をしていました。ご存じではありませんか?」

「ああ、その名前なら聞いたことがある。ちょっと待て」

 上官はそう言うと、ポケットから携帯端末を取り出して調べ始めた。しばらく画面に目を向けて、のち、端末と雄星をなん度か交互に見遣ったのち、端末を閉まって言った。

「たしかに本人のようだな。父親は確か、実験中に姿を消したのだったな」

「ええ、そうです。でも、あちらで再会できましたよ。僕たちがこうしてここに来れているのも、父のお蔭なんです」

「父親があちらの世界に?」

「そうです。その事故の時に飛ばされたみたいです。ちなみに、見間違えなんかじゃありませんよ」

 男性は目をつむって、うーんと唸った。のち、目を開けて続けた。

「で、その研究が実を結んだと?」

「こちらでは無理だったでしょう。でも、あちらだからできたんです。わかるでしょう?」

「信じられん」上官は首を振った。「が、受け入れるしかないのだろうな」

「それが事実ですから」

「やれやれだな」上官はため息交じりに首を振る。ほどなく、雄星に目を向けて「お前の母親は無事だそうだ。会いたいだろう」

 雄星は、驚いたように目を見開いてのち「それはもちろんです」と安堵の色に顔を染めたが、改めて表情を引き締めると「でも、今はやるべきことがありますから」

「そうか」と上官は椅子を引き出して、こんどはそれに腰かけた。「とりあえず、あんたらが異世界の人間だと言うのはわかった。で、連中もあんたらも何者なんだ。異世界の人間がわざわざなにをしに来た?」

「連中はラント王の率いる部隊で、この世界の征服が目的だ。私はヤナ国の王で、軍を率いてそれを止めるためにやってきた」

 ヤナ王が答えた。

「征服?」上官は目を丸くさせた。「冗談だろう?」

「冗談なら良かったがな」

 上官は大きく首を左右に振って「しかし、たしかに連中にならそれも可能かもしれない。事実、我々は手も足も出なかったわけだからな」

「ラント軍の支配はどの程度まで広がってるんです?」

 雄星が聞いた。

「ほぼ、全域、だ。まだ支配下に入っていない地域もあるが、時間の問題だろう」

 上官は答えて顔をしかめ、続けて言った。

「連中もいずれは海を越えていくはずだ。彼らも容易に屈することはないだろうが、かといって、長くは持たないだろう」

「ふむ。であろうな」

 ヤナ王はそう言って頷いた。

「しかし、普通なら、そちらの世界を征服しようと考えるだろう。なのになぜ、わざわざこちらの世界を征服しようとする?」

「それは私にもわからん」ヤナ王は渋面を作って「奴の考えていることは理解不能だ」と頭を振って戸惑いを覗かせた。

 遊星が言った。

「リベンジだと思います」

「リベンジ?」

 上官は怪訝な顔つきで、片方の眉を吊り上げた。

「ラント王は元々、こちらの世界の人間なんです。稀に、こちらからあちらへ飛ばされることがあるそうなんです。僕がそうだったように……。生存説って、聞いたことありませんか?」

「生存説? 死んだはずの人間が実はどこかで生きている、とかいうあれか?」

「はい。みんながみんなそう言うわけじゃないと思いますけど、以外と、それが真実だった、と言うわけです」

「つまり、死んだと思われていた人間が、あちらの世界で王様になって、で、果たすことのできなかった世界征服の夢を、今やろうとしている、と?」

「はい」

「やれやれだな」上官はため息をついて「ラント王と言ったか? よほどの強欲持ちか強情っ張りのようだ。いずれにしても、そんな大それたことを思いつくのは……いや、よしておこう。考えたくもない」と首を振って、次にヤナ王に目を向け「そう言えば、あんたもどこかで見た覚えがあるな」とじっとその顔を見つめたのち、再び首を横に振りながら「知らない方が良さそうだ」

「で、あるか」ヤナ王は無表情で応じ、続けて「ところで、見たところそなたらは軍人のようだが、他にもいるのかな?」

「いるにはいるが、大勢というわけでもない。ほとんどは連中の支配下に置かれてしまっているからな。俺たちはなんとかそこから逃れて、地下に逃げ込んで、こうして活動をしているのさ」

「レジスタンス、と言うことですね」

 雄星が言った。

「そのとおり」

「レジスタンス、とは?」

 ヤナ王が尋ねた。

「侵略者などに対する抵抗運動の事ですね。自由や権利を求めて侵略者と戦う。彼らはその組織、ということです」

 雄星が答えた。

「なるほど。して、そなたがその指導者、ということでいいのかな?」

「ここでの、ね。各地にリーダーはいる」

「ふむ。しかし、多勢に無勢であろう。戦力差が大きすぎる」

「だからと言って、なにもしないわけにはいかない。あんたならどうだ?」

「無論、同じようにするだろう」

「だろう? で、あんたらは連中を止めに来た?」

「そうだ。この暴挙を許したのは我々にも責任がある。ならば、我々の手で止めねばなるまい」

「できるのか?」男性はそう言って懸念を覗かせたが、すぐに言い直した。「いや、訂正しよう。できると思うからこそ、わざわざ来たわけだよな?」

「どこまでできるかはわからぬが、成さねばなるまいと、そう覚悟は決めている」

 ヤナ王は答えて表情を引き締めた。

 上官はじっとヤナ王を見つめて、やがて言った。

「よし。俺たちも手を貸そう。数は少ないが、それなりに経験は積んでいる。少なくとも、そういう自負はある。多少の力にはなれるだろう」

「構わんのか? 皆が納得して、と言うわけにはいくまい」

「それは俺がなんとかする。そもそも、このままでは埒が明かない。この状況を打開できる可能性が少しでもあるなら、そちらに掛けるべきだろう」

「うむ。そなたがその覚悟ならよい。歓迎しよう」

 男性は感謝を込めて頷き「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は真名井 純平。階級は少佐だ。で、あんたが王様でそっちが阿良田 雄星」

「雄星でいいです」

「わかった。で、そっちの嬢ちゃんは?」

 言い終わるやカミラがすぐに反応した。

「嬢ちゃんと呼ばれるのはあまり好きじゃないわね。でもいいわ。許してあげる。カミラよ」

「じゃじゃ馬でな」ヤナ王が苦笑いを浮かべて補足した。「手を焼くかもしれん」

 真名井はカラカラと笑って「じゃじゃ馬で結構。さほど珍しくもない」

 カミラは怪訝な顔つきで目をくるくると回した。

「さて」と真名井は立ち上がる。「そうと決まったら、さっそく行動に移った方がいいだろう。面子を集めるから、ちょっとだけ待ってくれ」

「時間はあまりないぞ」

「わかってる。それほど待たせるつもりはない。こんな絶好の機会を、みすみす逃すわけにはいかないからな」

 部隊に加わったレジスタンスの人数は十五人ほどだった。真名井が言ったように、元々数が少ないからと言うのもあるが、この場所を護るために何人かは残さなければならず、それでこの数が限度と言うことだった。それでもいないよりはまし、と言うのは良くない言い方だが、少なくとも、部隊の中にこの世界の人間がいて、協力していると知れば、そこに加わろうとする者も現れるはずで、また、人々の理解も得やすいはずだ。

 その予想の通り、敵拠点へと向かう各部隊には、各方面からレジスタンスや民兵などが集まって、その規模はだんだんと膨らんでいった。その動きは、敵にも覚られているはずで、何らかの抵抗があるだろうと予測していたのだが、単に無視しているだけなのか、それとも来るなら来いと待ち構えているからなのか、ともかくも、不気味なほどに静かで、彼らは特段の抵抗を受けることもなく進むことができた。そして敵陣も目と鼻の先というところで、彼らは停止し、天幕を張り、戦いに備えた。決戦は間近だ。


 ヤナ軍が陣を設営して間もなく、ラント軍から使者が送られてきた。やはり、彼等の進軍に気づいていなかった、というわけではないようだ。この地は既に、ラント軍の支配下にあり、ヤナ軍は猛獣の群れの中に紛れ込んだ草食動物のようであり、また、その真っただ中に突っ込んでいくわけで、それは自ら火に飛んで入る虫のようでもあって、ラント軍としては、座してそれを待っていれば良い、ということなのだろう。ともかくも、その使者が誰かを聞いて、雄星は驚いた。彼の弟、道正だったからだ。ラント王と行動を共にしていることは知っていたが、このような重要な任務を任されるとは、かなり信頼されている証拠なのだろう。とはいえ、弟が敵のその企みに加担していると言うのは見過ごせない。なんとか彼と話をして抜けさせたい。雄星はそう考えていた。

 道正は張りつめた面持ちで天幕へと向かって歩いていた。これから敵国の王に謁見しようと言うのだから無理もない。しかし、その顔色は青白く、暑くもないのに額にはうっすらと汗さえ浮かんでいるので、どちらかと言えば具合が悪そうに見える。彼は額の汗を拭って、天幕の入り口に立つ二人の兵士に軽く微笑んだ。その様子がぎこちなく見えたのか、兵士がじろりと視線を向けてきて、彼は一瞬、身も心も凍り付いた。が、兵士は軽く一礼をしただけで、彼の身を改めるとか、何らかの問いかけをしてくるとか、そういうこともなく、簾のような垂れ幕をたぐり寄せ、中へどうぞと促した。道正は安堵に胸を撫で下ろして、会釈を返すと垂れ幕の中へと目を向けた。ヤナ王は、椅子に腰かけて、隣の者とにこやかに談笑していた。道正は、心臓の鼓動がバクバクと聞こえるのを感じながら、目標へとじっと視線を向けたまま、天幕内へと足を踏み入れた。現れた来訪者に、皆の視線が向けられて、彼の心音は否が応でも大きくなって、膨れ上がった緊張感に、彼の思考は停止した。

 その後起きたことは、彼もよく覚えていない。道正は背に腕を回して裾を手繰り上げ、腰ベルトに差し込んだ堅い物を引き抜くと、それを両手で握りしめ、ターゲットに向けて突き出した。悲鳴のような、引きつったような声が上がる中、彼は引き金に掛けた人差し指を引いた。乾いた爆発音が響いて、銃身から放たれた銃弾はヤナ王めがけて一直線に飛んでいった。誰の目にも、王の命は無いものと思えた。ところが、それは思わぬ妨害によって阻まれた。

「うっ!!」

 雄星が左肩を手で押さえ、ヤナ王の前で腰を折って屈みこんでいた。その指の隙間から血がぽたぽたと流れ落ち、点々と床に染みを作っていた。

「貴様っ!」

 怒号と共に兵士二人が駆け込んできて、道正を羽交い絞めにするとその手から銃を奪い取り、両手を背中の方に捻るようにして床にねじ伏せ倒した。

「大丈夫かっ!」

 トナミが雄星の下へ駆け寄った。

「肩を撃たれただけです。リアルで撃たれるなんて初めてですよ。ゲームでなら何度でもありますけど……。こんなに痛いんですね」

 雄星はそう答えて笑って見せた。血はどくどくと流れだし、傷口は鮮血に染まっている。かなり痛むはずだ。ゆがんだ顔を見ればそれは明らかだ。強がっているだけに過ぎない。

「殿下」トナミはカミラに向かって言った。「軍医を呼んできていただけますか」

 カミラは初めこそ唖然と立ち尽くしていたが、数々の戦場での経験が瞬時に冷静さを取り戻させたのだろう。彼女は「わかったわ」と答えると天幕を飛び出した。

「あのキチガイめ!」とヤナ王は唾を飛ばした。彼は本当に苦虫を噛み潰しているみたいな顔で「わしを殺しに人を送ってよこしたか! あの男の考えそうなことだ!」と奥歯をガリゴリと擦り合わせた。

「なに者か吐かせろ!」

 トナミが兵士に命じた。

「弟なんです」

 すぐに雄星が答えた。

「弟?」トナミは目を丸くして、雄星を見て、次に床に組み伏せられている男に目を向けた。「お前のか?」

「はい」

「お前の弟とはいえ、陛下を殺そうとしたのだ。それを見過ごすわけにはいかん」

「わかってます。でも、その前に、せめて話だけでもさせてもらえませんか?」

 トナミは主に判断を仰いだ。ヤナ王は暫し思案してから言った。

「よかろう。話をするがよい。たとえそれが最後になるとしても、機会を与えるのが情けと言うものだろう。だがその前に、まずは怪我を治せ。話をするのはそれからだ。よいな?」

「はい」

 雄星はコクリと頷いた。

「よし。その者は営巣に入れておけ」

 兵士が道正を引き起こして連れて行く。入れ替わりにカミラが軍医を伴って入ってきて、彼は応急措置を施したのち、カミラに患者を連れてくるよう指示して、共に外へと出て行った。

 雄星は怪我の治療のため、後方へ下げられ、拠点へと戻ってきていた。そして道正も同様に拠点へと送られ、厳しい監視の下、軍の司令部となっている建物の、小さな一室に幽閉されていた。命令とはいえ、一国の国王の命を狙ったのだから当然の措置だ。むしろ、いまだ裁判さえ行われることもなく、こうして留め置かれるというのは、ヤナ王の、雄星に対する配慮だろう。約束した通り、十分に話し合う機会を与えてくれているのだ。

「入ってもいいかな」

 雄星は、戸口を護る兵士に言った。

「ええ、構いません。あなたが来たら通すように言われていますから」兵士は鍵を開け、扉を少しだけ開いて中の様子を窺ってから「どうぞ。終わったら声を掛けてください」

「ありがとう」

 雄星が中に入ると扉が閉まり、再び鍵がかけられた。

 部屋にはベッドとテレビと冷蔵庫が置いてあった。幽閉されているとはいえ、思いのほか快適そうだ。道正はベッドの脇、壁に寄り掛かるようにして座り、膝の間に顔をうずめていた。皺ひとつないベッドを見遣って雄星は言った。

「眠れないのか?」

「目をつぶると父さんが出てくるんだ」

 道正はゆっくりと顔を上げ、そう答えた。どれほど自問自答を繰り返し、そして苦しんだのだろう。頬はこけ、目の下には隈が浮かんで、酷くやつれた顔をしていた。遊星は、弟のそんな姿に胸が痛んだ。喧嘩もしたし、対立もしたが、それでも、たった一人の、血を分けた兄弟のこのような姿を見るのは辛い。なんとか、その胸からトゲを取り去ってやりたい、そう思った。彼は弟の近く、ベッドに腰を下ろした。道正は兄を見上げて、肩から吊り下げられた左腕を見つめた。

 遊星は言った。

「じきに包帯も取れるって」そして明るい口振りで「本物の銃で撃たれるなんてまずないから、いい経験ができたよ」とにいっと笑った。

「兄さんらしいや」

 道正は苦笑して言った。

 遊星は向かいの壁に視線を移して言った。

「父さんのことはもう気にするな。母さんもそう言ってたぞ。お前が悪い訳じゃないって」

「母さんに会ったんだ」

「うん。少しやつれてたよ。僕たちのこと、ずっと探してたみたい。思いっきりひっぱたかれた」

「痛かった?」

「かなりね」と雄星は思い出して頬を撫でた。

「僕のことも怒っているだろうね」

「そりゃあ、親だからね。でも、心配の方が大きいと思うよ」

「母さんは無事なのかな」

 道正はそう言って目を伏せた。

「大丈夫。避難してる。僕たちが無事だってこと伝えてもらったよ。すごく喜んでたって」

「そうか。よかった」

 道正は顔を上げ、安堵のため息を漏らした。

「あそこにいるって、メアリ王女に教えただろう?」

「うん。そうする方がいいと思って。彼女がなにをしようとしているか、なんとなくわかったから」

「どうしてそのことを、ラント王に話さなかったんだ?」

「言うべきじゃないって、そう思ったんだ」

「それで正解だよ。おかげで僕はあちらに戻ることができて、ラント王がしようとしていることを伝えることができた。お前は正しいことをしたんだ」

「そうかな」

「そうさ。母さんも褒めてくれるよ」

「だといいけど……」

「母さんな。俺たちに、父さんみたいな目に遭ってほしくなかったんだ。だから、お前が、俺たちが、父さんの後を継ぐのを認めなかったんだ」

「僕だけじゃなく、兄さんも?」

 道正は驚いた顔で雄星を見つめた。

 雄星は頷いて「もう誰も失いたくなかったんだ」

 道正は首を左右に振り「僕は馬鹿だ。母さんの気持ちも知らないで」と項垂れた。

「だけど、こうも言っていたよ。僕たちが、こうと決めたことがあるなら、見守ることにするって。だから、今度会ったら、しっかりと話してみるといいよ」

「僕があとを継ぎたいと思ってること?」

 遊星は首肯して「全部話した方がいい。そうすれば、きっと伝わるから」

「でも、兄さんは……?」

「僕は元々そのつもりはないから。知ってるだろう?」

「知ってるよ。僕のことを気遣って、そうしていたんだってこと」

 雄星は目を丸くさせて「気づいてたのか?」

「わかるよ。弟だもん」

「そうか。そうだよな。兄弟、だもんな」

 遊星は嬉しそうに目をほころばせた。

 道正は立ち上がると、雄星の隣に腰を下ろした。ベッドはしっかりと、二人の重みを受け止めた。

「馬鹿な兄弟だね」

「だね」と遊星は苦笑を漏らして「だけど、これからはもっとうまくやれるさ」と弟の肩に腕を回した。

「そうだね。きっとそうだ」

 道正も兄の肩に腕を回した。安心と温もりを感じたことで、急に眠気が襲ってきたらしく、彼は大きな欠伸をした。

「どのくらい寝てないんだ?」

「わからない。数えてないや……。僕はどうなるのかな」

「大丈夫だと思うよ。あの王様なら。きっと、例の言葉で締めくくってくれると思う」

「例の言葉?」

 道正は怪訝な目を兄に向けた。

「そう。ヤナ王とラント王って、どこかで見たことない?」

 道正は考え込み、やがてはっとした顔で「あの二人って……マジで?」

「そう、そのマジって奴。だからたぶん、心配いらないと思う」

「そうか……」道正はそう言ってから、あることに気がついて「だからラント王は……」

「そう、だから止めなくちゃいけない」

 うん、と道正は頷いて、雄星を見つめた。その表情には、これまでとは異なる種類の、強い意志が込められていた。雄星は続けて言った。

「だけどその前に、まずは睡眠をとらなきゃ。そんな疲れた体じゃ、なにもできないぞ」

「わかった」

 雄星は立ち上がり、出口へ向かった。振り向くと、道正は既にベッドに横になり、あっという間に眠りに落ちていた。ノックすると、開錠される音に続いて扉が開いた。彼はもう一度振り向いて、弟の寝顔を確かめてから部屋を後にした。

 一週間後、包帯も完全に取れて、肩を回すのは多少違和感が残るものの、それでも十分に問題ない程度にまで回復した。治療に当たっている間に、ヤナ国とラント国の戦いは既に始まっており、当初は押し気味に進行していたものの、戦況は次第にヤナ国の不利な状況へと推移していった。というのも、敵地の真っ只中に、ポツンと点のようにヤナ国の部隊がいる状況……これはそもそも覚悟の上だが……もあるが、こちらの世界の軍がラント国に加勢していて、彼らが常に前線にあるために攻撃することがためらわれ、それ故になかなか攻勢に出ることができずにいた。ヤナ王は、状況を打開すべく、彼らに対して、同調を呼びかけて内部からの切り崩しを狙うが、厳しい監視下にあって彼らも行動を起こすのは難しく、残念ながらそれも叶わなかった。故に、自分たちでなんとかするしかなかったのだが、有効な手段を講じることができず、ヤナ軍の中からは、この世界のことなど放っておこう、などという声さえ聞こえ始めていた。

「雄星殿」

 凝り固まった肩の筋肉を揉みほぐしながら、訓練に励む兵士の姿を眺めていると、名を呼ぶ声がして振り向いた。兵士が立っており、彼はビシッと背筋を伸ばすと礼儀正しく敬礼した。遊星は軍人ではないから、その相手にそこまでする必要は無いのだが、彼らの中では既に、それも同然と言ったところなのだろう。遊星は軽く敬礼を返すと、兵士は言った。

「弟君がお呼びです」

「道正が? わかりました」

 部屋に入ると扉には鍵が掛けられた。彼はまだ犯罪者であって、罪が許されているわけではないのだ。

「僕になにか話?」

「うん。座って」

 雄星はベッドに腰かけた。道正は立ったまま、考え事をするように、右へ左へと歩いていた。テレビからは、戦況を伝えるニュースが流れていた。もちろん、メディアはラント国のプロパガンダと化している。

「それで、話って?」

 道正は立ち止まると言った。

「戦争は今、不利な状況なんだよね?」

「うん。攻勢に出ようにも、なかなか出にくい状況になってるんだ」

「こっちの軍隊が敵に加わっているからだよね」

「そう」雄星は憂いを覗かせて「こっちの世界を救うために来たのに、彼らを攻撃するのはそれに反した行為になるからね」

「王様もジレンマを感じているだろうね」

「きっとね。でも、仕方のないことだよ。力の差は大きいし、監視の目もあるからね。家族だって人質同然だから、そう簡単には動けないよ」

「そうだね。でも、もし、ラント軍を無力化させることができたら、どうかな?」

「そうれなら話は変わるだろうね。なにか考えがあるの?」

「あちらの世界の動力源のことは知ってる?」

「もちろん。こちらにも発生装置を持ってきてるよ。こちらでもあれが使えるようになれば、かなり便利になるし、災害にも強くなると思うんだけど……。でも、それがどうだというの? もしかして、破壊するつもり?」

 道正は首肯して「そうすれば、ラント軍は動力源を失って、行動不能になる。そうなったら、形勢逆転だよ」

「だけど、僕たちが持ってきた発生装置があるよ。そのエネルギーを彼らも使えるんじゃない?」

 道正は頭を振って「仕様が異なるんだ。ヤナ国で作ったエネルギーをラント国は使えない。その逆もそう。だから双方で使おうと思ったら、エネルギーを変換する必要がある。僕たちの国でもそうだよね。で、ヤナ国の馬車や馬などにはその変換器がついてるけど、ラント国のにはついてない。ああいうお国柄だからね」

「なるほどね。だから装置を壊してさえしまえば、彼らは何もできなくなるって訳だね。で、そうなれば、こちらの軍隊も彼らの言うことを聞く必要もなくなる」

「そういうこと」

「それはどこにあるの?」

「タワーにあるよ」

「なるほど。タワーか」

 タワーは三百メートルを超える高さの鉄塔で、一昔前まで、情報伝達には欠かせない、重要な施設だった。しかし、現在はより新しく高機能なものに取って代わられて、今ではランドマークとしての役目の方が大きくなっていた。

「だけど、警備も厳重なんだろ? 破壊するって言ったって、簡単にはいかなそうだけど」

「だから兄さんに来てもらったんだ。得意分野でしょ? うまい方法を考えてよ。僕にはそう言うのはよく分からないから」

「わかったよ。でもそうだな。たしかに、ちょっと面白そうだ」

「ゲームじゃないんだよ」

 道正は兄をたしなめた。

「わかってるよ、もちろん」雄星は、冗談だ、と言うように肩をすくめて「陛下に話してみるよ。提案は受け入れられると思う。他には方法もなさそうだから」

 善は急げ、とばかりに雄星は立ち上がり、部屋をあとにした。道正はベッドに腰かけて、テレビに目を向けた。そこには、ラント王がかつて、群衆を前に演説をしたことを報じる、モノクロのニュース映像が流れていた。彼はそれを、深々と眉間にしわを寄せて見つめた。

 雄星からの提案をヤナ王は快く受け入れて、必要な人員を送ってくれることになった。そればかりか、この提案への糸口となる情報をもたらしたと言うことで、道正は罪が許されて無事に釈放された。

「それでは我々はこれで、元の任務に戻ります」

 警備の兵士はそう言って屹立した。

「すみませんでした。いろいろとご迷惑おかけして」

 雄星はぺこりと頭を下げた。

「いいえ、では」

 兵士は敬礼をして、部隊の仲間の下へと戻って行った。

「これで本当に、無罪放免、だね」

 雄星が道正に言った。

「こんなことはもう二度とないだろうね」久しぶりの”しゃば”に背筋を伸ばして「いい経験をしたと思うことにするよ」と道正は答えた。

「お互いにね」

 二人はカラカラと笑って、肩を並べて廊下を歩き出した。

 外に出ると、ヤナ王が手配してくれた兵士が三人、待っていた。モラナにライルとロイルの兄弟だ。

「よく来てくれたね」

 親友に会うような笑顔で、遊星は三人を迎えた。

「面白いこと考えてるみたいね」

 モラナが、いかにも愉快そうな笑みを浮かべて言った。二人の兄弟は互いの顔を見合って笑顔で頷いた。

「弟の発案なんだ。無茶に思えるかもしれないけど、悪くはないだろう?」

「ええ、そうね。奴らの慌てふためく様子を早く見たいわ。彼が弟さんね?」

「道正と言います」道正は自ら名乗り「今度の事ではご迷惑おかけしました」と頭を下げた。

「気にしなくていいわ。陛下が許すと言ってるんだから。それよりも、タワーに装置があるっていうのは確か? 疑ってるわけじゃないけど、行ってみて、はい、ありませんでした、じゃすまないから」

「もちろん、確かです。もし間違っていたら、僕を殴ってもらって構いません」

「言ったわね」とモラナはにやりとして、キラリと光る目を向けて「わかった。信じるわ」

「それじゃ、あっちで話をしよう」

 雄星は言って、先に立って歩き始めた。

 彼らがやってきたのは、司令部のある建物の小さな一室だ。モニターと長テーブルと椅子が数脚あるだけの質素な部屋で、機密性も高いので秘め事を話すには丁度いい。

「今回、僕たちが潜入するのはこの建物だ」

 雄星はそう言って、壁に設置された大きなモニターに映像を映した。

「古そうね」

 モラナが感想を述べた。

「僕が生まれるよりずっと前に建てられたものだからね。でも、構造はしっかりしてるよ。少々の地震にもびくともしない」

「地震て、地面が揺れるっていうやつ?」

 ロイルが聞いた。

「そう。そっちの世界じゃないんだったね」

「どんなものか、一度経験してみたいね」

 ライルが言った。

「あまりいいものじゃないよ。恐怖しかない」

「それは嫌だな」

 ライルとロイルは顔を歪めて互いを見合った。

「それで、装置はその建物のどこに?」

 モラナが聞いた。

 道正は立ち上がり、モニターのその場所を指さした。天辺近くにある、特別展望台と呼ばれる場所だ。

「ここ。ここからなら、遠くまで届くから」

「警備は?」

 道正はその場所を指さしながら説明した。

「地上と展望台に四人づつ。展望台から装置のある特別展望台にはエレベーターでしか行けない。特別展望台には人はいないよ」

 良し、と言うようにモラナは頷いて「それならなんとかできそうね」

 それを受けて、ライルが腕を組み鼻息荒く言った。

「訓練の成果を見せるときだね」

 雄星は頷いて「まずは下の四人を片づけてからだね。展望台にはエレベーターか階段で行けるけど、エレベーターは待ち伏せされる可能性があるから、階段の方がいいね」

「相当上るんだよね」

 ロイルが不安げに顔をしかめた。

「いやね。意気地なし」

 モラナはそう言って、あたしは平気よ、というように胸を張った。

「確めただけだろ」ロイルは口を尖らせた。「事前に知ってるのと、そうじゃないのとじゃ違う。かなりの階数を登るんなら、ペース配分は考える必要があるぞ。知らないで登ったら大変なことになるからな」

「そう、確かにかなり上るよ」雄星が補足する。「一番高い建物だったからね。その階段を使って、競争をしようなんてのもあるくらいだ」

「物好きね」

 モラナは呆れたように言いながら、興味深げな顔で続けた。

「でも、今度出てみようかしら」

「是非そうするといいよ。君なら一位になれるかもね」と雄星は笑う。「それじゃ、ブリーフィングはこんなものかな。なにか質問は?」

「メンバーはこの五人?」

 ライルが面々を眺めながら言った。

「そう。装置の破壊は道正に任せようと思う。みんな、そう言う機械類にはあまり明るい方ではないでしょう?」

「それは確かにそうだね」

 道正は仲間の方へ向き直って言った。

「僕にもなにか手伝わせてほしいんだ。それくらいの事しかできないから」彼は顔を引き締めて「足手まといにはならないようにするよ」

「僕からも頼むよ」雄星が後押しする。「弟のことは僕が面倒を見るから」

「もちろん、俺たちに異存はないよ。むしろ、心強いくらいさ」

「その通りよ。ねえ」

 モラナが同意を求めると、ロイルは頷き返した。

「ありがとう。みんな」

 雄星がお辞儀をすると、それに合わせて道正も頭を下げた。雄星は続けて言った。

「明朝、陽の登る前に出発する。門の前に集合ね」

「オーケー」ライルが親指を立てた「こっちではこんな風にするんだっけ?」

「うん。だいたいそんな感じ」

 雄星は笑って頷く。ロイルは何も言わなかったが、兄と同じしぐさをして見せた。

「腕が鳴るわね。誰が一番うまくやれたか、勝負しましょ」

 モラナがライルとロイルを交互に見て言った。合意を求めているのだ。

「いいぜ。なあ」

 ライルが弟に同意を求めると、彼はうんと頷いた。

「だけど、誰が判定するんだ?」

「それはもちろん、雄星よ。私たちの先生なんだから」

「確かにそうだ。頼める?」

「それは構わないけど」雄星は首筋を掻きながら苦笑いを浮かべて「任務の方が疎かにならないようにね」

「もちろんよ。そのための勝負だもの。採点は厳しくお願いね」

「わかった」雄星は頷いて、最後に言った。「明日の作戦は必ず成功させよう。その成否に僕たちの、この世界の命運がかかってるんだ」

 まだ夜も明けやらぬ頃、五人は物陰からタワーを見上げていた。群青色の闇の中、ゆっくりと明滅する赤色灯が、タワーの輪郭を浮かび上がらせている。それはどこか寂しげなクリスマスツリーを思い起こさせるが、一方で、タワーの上方で輝く光は、天辺に煌めく星のようでもあった。その麓に目を転じると、淡い黄色の光が、暗闇の中を右へ左へと移動しながら、海原を照らす漁船のスポットライトのように、様々な方向へと向けられていた。

「それじゃ、手筈通りに」

 雄星が小声で言うと、モラナとライル、ロイルの兄弟は頷いて、静かに持ち場へと移動を始めた。数分後、他の三人から配置が完了したと連絡が入った。雄星は時計を見て、作戦開始までの時間を確認した。そして、弟に、ここで待つようにと指示した上で、時計の秒を示す二ケタの数字が共にゼロを並べたとき、彼は動き出した。身を屈めてタワーへとそろりそろりと歩いていき、時折向けられる黄色い光を身を伏せて交わしながら進んで、警備の兵士の背後へと静かに近づいた。そして、完全に間合いに入ったところで、カマキリが獲物を捉えるときのような素早さで、兵士の顎の下に腕を捻じ込むと一気に締め上げた。兵士は声にもならない嗚咽を漏らしつつ、なんとか拘束から逃れようと必死の抵抗を見せるが、十分に訓練を積んできた者の軛からは逃れることも叶わず、ついには意識を失って、両腕はだらりと力なく垂れ落ちた。雄星はそのまま兵士をタワーの下へと引きずっていった。同様にして、他の三人も兵士を引っ張ってきた。

「この勝負は引き分けみたいね」

 モラナが言った。

「この程度のこと、勝負にもならないね」

 ライルが得意そうに答えた。

「みんな、すごかったね」

 道正が駆けてきて言った。

「君の兄さんの教え方が良かったのさ」

 ライルが答え、ロイルが二度頷いた。暗がりのため良くは見えなかったが、鼻腔がぷくっと膨らんでいるようだった。

「本番はここからだよ」雄星はそう言って上を見上げた。他の面々も同様に顔を上向けた。高々と天へと延びる鉄塔の黒い影が見える。「あそこまで登らなきゃ」

 ライルがここへきて、うへぇと言うような顔をしたが、幸いなことに誰も見ていなかった。雄星は言った。

「階段を登るときは足元に気を付けて。それと、音をたてないように注意して」

 全員がわかったと首肯した。

「それじゃ、行こう」

 彼らは建物へと入り、階段を上って屋上のような場所へと出てから、観光客向けに設置されたゲートを抜けて、展望台へと通じる鉄骨の階段へと足を踏み入れた。

 いくら訓練を積んだ兵士とはいえ、何百段もの階段を登っていくのは中々に骨の折れる重労働だった。だから半分も登らないうちに、誰もが肩で息をするようになってきて、しかも、辺りは夜の闇に覆われて、見えるものと言えば鉄骨と点々と光る街灯の明かりばかりで、その変り映えしない景色では気分転換にもならず、精神的にもかなりの疲労が蓄積して来ていた。

「これは……思った以上ね」

 モラナが息を切らしながら言った。

「なんだよ。先に音を上げたのはお前の方じゃないか」

 ライルが後ろを振り向いて、少し茶化し気味に、そして勝ち誇った様子で言った。

 そのにやけた顔に腹が立って「感想を言ったまでよ。ギブアップなんかしないわ!」と声を荒げた。

「静かに!」

 雄星がその些末なる戦いに割って入った。両陣営は互いの顔を見て、お前が悪いんだぞと言う顔をしたのち、口を閉じ、それ以降は黙って階段を登った。

 そうしてようやく、階段を登り切ったその左手に、展望台の入り口が見えてきた。雄星は、踊り場で待つよう仲間に指示して、自身は入り口の脇に身を隠して、細い通路の先に見える、展望フロアの様子を確かめた。照明は落とされ、小さな間接灯だけがぼんやりと明かりを灯していた。外窓の向こうの空は微かに青みを帯び始めているがまだ十分に暗く、街の明かりがぽつりぽつりと浮かんでいた。

 奥から兵士が現れて、銃を手にゆっくりとこちらへと歩いてきた。雄星は振り向いて、人差し指を口に当て、静かにするようにと仲間に合図を送った。彼らは頷いて、入口の方を警戒した。兵士は手前までやってくると立ち止まり、外階段の方を覗き込んだ。雄星は壁にピタリと体を押し付けて、踊り場の三人は、亀が首をひっこめるみたいにして身を低くさせた。そうして兵士はしばらく様子を確かめたのち、去っていった。雄星は静かに階段を下り、仲間の元へと戻った。

「兵士が巡回してるみたいだね。まずはあれをなんとかしないと」雄星は声を落として言った。「僕とモラナ。ライルとロイルで二手に分かれよう。僕たちは左。君たちは右へ。道正はここで待っていて」

 わかったとそれぞれが頷いた。

 雄星とモラナ、ライルとロイルの四人は階段を上って、入り口から中の様子を確かめてから通路を進み、展望フロアへの出口で左右に分かれ、更に奥へと進んでいった。

 雄星とモラナは、足音を立てないよう注意しつつ、足早に歩いた。暫く進んで行くと、兵士の背中が見えてきた。そのまま一気に近づいて、背後から締め上げてしまえば、気付かれることなく倒すことができるだろう。と、そう考えていた矢先、何かをぶちまけたような派手な音がフロア中に響き渡った。雄星もモラナも、ハッとして立ち止まったが、同様にして、前を歩いていた兵士も歩みを止めた。奥の方から怒号と共に侵入者を知らせる声が飛んで、その兵士は後ろを振り向いた。そして、見慣れぬ二人の人物がすぐそばにいるのを見て、あっと声を上げつつ、すぐさま腰のホルスターへと手を伸ばした。雄星は素早くそれに反応し、風のように駆け寄って、相手が銃を構えようとするのに先んじて、それを蹴り上げた。銃は弧を描くように宙を舞って床に落ち、くるくると回転しながら滑って行った。兵士は一瞬、驚いた様子を見せたものの、すぐに不敵に笑うと体を斜にして拳を構えた。

 雄星が言った。

「彼は僕が! 君は向こうをお願い!」

「わかったわ!」

 モラナは言って、二人の横を駆け抜けていく。

 雄星も格闘ゲームは不得手ではないが、それはあくまでコンピューターの中でのことであり、格闘術についてはあちらの世界でレクチャーを受けはしたものの、実戦はこれが初めてだ。しかも、訓練とは異なり、相手は殺すつもりでくるのだから、生半可な気持ちでは命を落としかねない。

 敵はニヤッと笑うと、その場で小さくジャンプしながら、少しぎこちないながらも両拳を交互に突き出した。どうやらボクシングをしようということらしい。あちらにはこのようなスポーツはないので、こちらに来た際にテレビか何かでそれを見て、この場で試してみようというのだろう。雄星も、その試合を見たことがあるというだけで、実際に試したことはないから、うまくやれる自信はない。が、やるだけやってみるしかない。彼は拳を上げて構えをとった。

 兵士は細かなステップを繰り返して、十分に体が温まってくると、さあ行くぞとばかりに、右、左とジャブを繰り出してきた。雄星は、テレビで見たのを思い出しながら、見よう見真似で体を後ろに反らし、或いは横に傾けるなどしてそれを回避した。次に今度は雄星がパンチを飛ばした。が、敵もさるものながら、同様に躱されてしまう。そうして、攻撃と防御は交互に繰り返され、二人の対決はワルツを踊るみたいに続いた。

 しかし、時間の経過とともに、失われていく体力が次第に防御力にも影響して、互いの拳が顔や腹部を捉えるようになってきた。唇は切れ、血が流れ、そこかしこに青あざが浮かんだ。それは彼らのスタミナを尚も奪っていって、やがて戦いは限界を迎えようとしていた。

 そんな折、兵士は拳を降ろすと体制を低くして、雄星めがけて突進してきた。ボクシングをやめて、今度はレスリングをしようというのだ。彼は、両腕をクワガタムシの大あごみたいにして雄星を挟み込むと、そのまま二、三十センチほど持ち上げてから、叩きつけるようにして床に押し倒した。雄星は、咄嗟のことでうまく受け身を取ることができず、うっと息が詰まって、瞬間気が緩んだが、こうした場合に備えた訓練も行ってはいたから、両足を敵の体に回し足首を絡めて固定させ、更に右腕を相手の脇にねじ込んで、左腕を首に回して両手を組み合わせ、しっかりとホールドした。兵士は、蜘蛛の巣に捕まって、糸で簀巻きにされた獲物のように、身動きが取れなくなって、なんとか逃れようと暴れもがいたが、その拘束を破ることはできなかった。それでも、雄星よりも膂力に優れた彼は、力任せに腕輪のくびきを解くと、上体を起こして、鬼のような形相で雄星を見下ろした。そして、その怒りをぶつけるように、拳を打ち下ろしてきた。雄星は、顔の前で両腕を交差させてなんとかそれを防ごうとした。しかし、兵士のパンチはその隙間をついて、雄星の顔面を幾度も捉え、青あざはさらに増え、うっ血してどす黒く変色していった。

 兵士はにやりと笑った。勝ったと確信したのだろう。が、それが油断と隙を生んだ。雄星が体をひねると、彼はバランスを崩して横ざまにごろりと倒れた。彼はすぐさま起き上がり、うまく体制を入れ替えて兵士の背後に回ると、その体に足を絡めて腕をあごの下にねじ込んだ。こうなると、形勢は一気に逆転だ。雄星は残った力でもって締め上げた。兵士も初めこそ抵抗を見せてはいたが、次第に顔は真っ赤に染まっていき、徐々に力を失って、最後には完全に力尽きた。

 雄星は、彼の体を脇へと押しやって、体を起こしてモラナを探した。彼女は少し離れた場所で、敵と格闘中だった。が、見るからに、彼女の方が優勢だった。パンチは軽いが、素早い動きで的確に敵を捕らえるので、相手は顔中が青あざだらけだった。これが本物の試合なら、セコンドは間違いなくタオルを投げていただろう。しかし、ここにルールはない。どちらか一方が倒れるまで戦いは続く。とはいえ、敵の足は酔っ払いのようにふらふらで、いつゴングが鳴っても不思議はなかった。

 スローモーションにも見える敵の大ぶりのパンチを、モラナはいとも容易く躱すと、ばねのように右パンチを繰り出した。拳は難なく敵の顔面を捉えて、頭部がぐんと後ろに反り返ったかと思うと、そのまま仰向けに倒れた。敵は大の字になって動かなくなった。

「もう! やっと倒れたわ!」

 肩で息をしつつ、モラナは言った。

「二人ともすごいね!」

 道正が興奮気味に言った。目がキラキラと輝いている。待っていろと言われたが、どうにも我慢ができなくなって、二人の仕合を近くで観戦していたようだ。彼は兄に手を貸して助け起こした。

「ひどい顔ね」

 モラナは振り向いて顔をしかめた。

「君もね。僕ほどじゃないけど」雄星は答えて、付け加えた。「きれいな顔が台無しだ」

 モラナは肩をすくめて「褒めてもらえるのはうれしいけど、私は兵士だからそんなのは気にしないわ。むしろ勲章よ。男どもへの自慢になるわ」

 雄星は苦笑を漏らして「その男どもの方はどうなってるかな。まだ続いているようだけど」

「行ってみましょう。まさかってことはないと思うけど」

 モラナの心配した通り、まさか、ということにはなっていなかったが、戦いは膠着状態で、ややもすれば、兄弟の敗北、ということにもなりかねないような状況だった。このまま任せてもよかったが、もうじき夜も明けようかという頃合いで、じきに、交代の兵士がやってくるだろう。あまりのんびりしている時間はない。雄星とモラナはそれぞれ加勢に加わった。両陣営共に、十分に体力も消耗していたが、二対一ではさすがに敵に勝ち目はない。彼らは一気に敵を片付けた。

「ずいぶん手間取ったわね」

 モラナが言った。

「そっちのより強かったんだよ」

 ライルが言い返す。ロイルが頷いた。二人とも顔には汗と青あざが浮かんでいた。

「私たちの顔見てもそう言える?」

 モラナは顔が良く見えるように傾けて、厭味ったらしく応じた。

 すると、ライルが更に言い返して、また口喧嘩が始まった。

「君たちは本当によく喧嘩をするね」雄星が割って入った。「こっちではそういうの、喧嘩をするほど仲がいい、っていうんだよ」

「誰が!」

 二人が同時に、そして慌てたように叫んだ。雄星は苦笑を浮かべて言った。

「ともかく、喧嘩はそのくらいにして、僕と道正で上に行く。君たちはここの見張りを頼むよ」

「わかったわ」

「わかった」

 ロイルは何も言わなかったが、頷いて同意を示した。

 雄星と道正は、展望台奥のゲートを抜けて通路を進み、エレベーターへと乗り込んで、特別展望台へと向かった。道正の事前の報告通り、そこには誰もいなかったが、フロア全体が煌々として明るく、遮光眼鏡をしていなかったら、間違いなく目をやられていただろう。その光の発生源はこの中心にあり、一メートルほどの大きさの球体で、熱を発してはいなかったが、低い耳障りな音と共に、ピリピリとした静電気のようなものを発生させていた。そのせいかくすぐったくも感じるが、針に指されたように肌がチクチクとしているので、長居するのはあまり賢明ではなさそうだ。

「さっさと済ませよう」

 雄星が言った。

 丸いこの球体を間近で見るのはこれが初めてだが、いわゆる裸電球というものにその姿が似ていた。球体は大きな箱型の装置と繋がっており、その装置に操作パネルがついていて、ランプがいくつか点滅を繰り返していた。近づくと、ピリピリがビリビリに変わって、内臓や骨までがその影響で細かく振動しているように感じた。

 道正はパネルの前に立ってそれを操作した。装置を停止するためには、いくつかの、ある規則に沿った、パズルのように複雑な操作をしなければならないらしい。いっそのこと、爆破してしまえばよい、とも思うが、装置自体が莫大なエネルギーを持っているので、それを安易に爆破するのは賢明ではないという。だから、爆破をする場合は、完全に装置を停止させてからの方が良いということだ。

「誰に教わったんだ?」

 道正の手元を覗き込みながら、雄星は聞いた。ビリビリのおかげで声まで少し震えていた。

「父さんさ」

「父さんが?」

 道正は頷いて「この装置がこっちでも使えるようになったら、すごく便利になるから覚えておこうって。平和利用を考えてたみたいだね。そうはならなかったけど」

「そんなことはないと思うよ。近い将来、そういうときも来ると思う」

「みんな許すかな。こんなことをしておいて」

 道正は顔を上げ、兄を見つめた。

「簡単にはいかないかもしれないね。だけど、互いに理解しあいさえすれば、きっと大丈夫だよ。僕たちみたいにね」

「そうだね。きっと」

 道正は首肯して、再び作業に戻った。

 雄星には、弟が何をどう操作しているのかさっぱりわからなかったが、ただ確かなのは、パズルを一つ解き終えると、パネルのランプが一つ消え、装置の停止へと向けて、着実に、作業が進んでいるということだ。彼はパズルゲームは得意ではないので、弟を連れてきて本当に良かったと心底思った。

 そうして、パズルもあと二つというところまで来たとき、無線から声が聞こえてきた。電波が装置の影響を受けているために少々聞き取りずらいが、声の主はこう言っていた。

「向こうから車が来る。早くしないとまずいぞ」

 声の主はライルだ。

「わかった。状況に変化があったらまた連絡して」

「了解」

 ザっという雑音とともに通信は終わり、雄星は道正に向かって「聞こえた?」

「聞こえた」道正は頷いて「あともう少し。大丈夫。間に合うよ」

 道正は焦りも見せず、驚くような素早さと正確さでパネルを操作した。

 そうして、ランプも残すところ一つとなって、最後に、ぽん、とパネルにタッチすると、ランプは数回ちかちかと点滅したのち、ろうそくの火を吹き消すように消えた。装置から放たれていた光は一気に弱まって、空間を支配していたビリビリも消え、耳障りだった音も消えて静寂が広がる中、遠くの空を登ろうとしている太陽の明かりが差し込んで、フロアはうっすらと赤みを帯びた光に包まれた。

「さすがっ!」

 雄星は弟の肩を叩いた。

「なかなか手ごたえがあったよ」

 道正は笑って胸を張った。

 雄星も笑みを返して「それじゃ、爆弾をセットして降りよう」とバッグから掌に乗るほどの小さな金属製の装置を取り出した。そしてそれをパネルに貼り付けた。

「それが爆弾? ずいぶん小さいね」

 道正が目を丸くして言った。

「作ってもらったんだ。こっちの技術じゃこれは無理だからね」

「時限式?」

「いや。これで起爆する」

 雄星はそう言って、やはり掌にすっぽり収まるほどのスティック型の装置をバッグから取り出した。先端には赤いボタンのようなものがついている。

 無線機から雑音が聞こえ、声が言った。

「まだなのか? すぐそこまで来てるぞ!」

「いま行く」雄星は答えて「行こう」と道正とともにエレベーターに乗り込んだ。


「うまくいったの?」

 エレベータを降りるとモラナが聞いてきた。

「もちろん。あとは爆破するだけだよ」

 雄星は答えて外窓に歩み寄り、下を見下ろした。交代要員を乗せた車だろう。ちょうど、広場へと入ってくるところだった。夜は明け、上空には薄っすらと青空が広がっていた。

 装置を爆破すればその影響でエレベーターは使えなくなるから、先にエレベーターで降りてから起爆するつもりだったが、このタイミングで降りていけば間違いなく敵と鉢合わせになるだろう。雄星は振り向いて言った。

「エレベーターで降りるのは無理そうだね。階段で行こう」

 ライルも今度ばかりは文句は言わず、すぐに行動に移った。彼らは外階段に飛び出すと、一気に駆け下りた。カツン、カツン、あるいはカン、カンと、ステップを打つ音が早朝の空に響き渡った。

 車がスキール音を上げて停止した。兵士が飛び降りて、タワーの上方を指さした。眩い光が消えているわけだから、装置が停止されていることにはすぐに気がついただろう。そのタワーの外階段を下りてくる何者かの存在についても。そして、その何者かが、装置に細工をしたであろうことは容易に想像がついたはずだ。リーダーと思しき人物が、声を張り上げて指示した。何名かはそこに留まり、数名が銃を手に駆け出して館内へと飛び込んだ。

 雄星たちは外階段を降りたのち、屋上から階段を駆け下りて、エントランスに繋がる通路に飛び込んだ。そこで、待ち伏せていた敵の迎撃に合い、慌てて物陰に身を隠した。ほどなく攻撃が止むと、雄星は顔を覗かせて様子を確かめた。通路の先、左右に二名ずつが分かれ、彼らもまた物陰に身を隠して、こちらの様子を窺っていた。

 外へ出るためには、彼らと一戦交える必要があるだろう。が、のんびりと相手をしている余裕はない。今頃、彼らの仲間が装置を復活させようと、展望台へと向かっているはずだ。それはなんとしても阻止しなければならない。遊星は手を開いて起爆スイッチを見つめた。いまスイッチを押せば、彼らも爆発の影響を受けるだろう。が、だとしても、装置を復活させられることの方が問題だ。躊躇している場合ではない。

 雄星は起爆スイッチに指をかけ、仲間たちを見まわした。了解、と彼らは頷いた。彼はもう一度、通路の先、敵の様子を確かめてから、スイッチを押した。その刹那、激しい爆音が轟き、建物が身震いして、ガラスの破片が雨のごとく外に降り注いだ。間もなく、上の方から、キーとかギーとかいう耳障りな音が聞こえてきて、それがだんだんと近づいて、耳を塞ぎたくなるほどの大音量となったその時、ドシャン、という凄まじい音と共に、火山が噴火を起こしたときみたいにフロアが激しく揺れた。もうもうと粉塵が沸き起こり、山肌を駆け下りる火砕流のように、それは辺り一帯を飲み込んだ。

 暫くして、轟音が収まりを見せ始めると、遊星は目を細めて辺りを見回した。立ちこめる粉塵が光を遮って、宵闇のように薄暗く、一メートル先も見えない。かろうじて、出口の方向はわかるが、この中を移動するのは難しいだろう。が、だからこそ、かえって好都合だ。状況は敵も同じはずだから、上手くすれば、この機に乗じて逃げおおせるかもしれない。彼は振り向いて、通路の先を指さして、仲間に合図を送った。彼らは頷いて了解を示す。遊星はもう一度、通路の向こうを確かめてから、そこに飛び込んだ。仲間がその後を追って、彼らは煙の中に消えた。

 足下は降り積もった塵で滑りやすく、瓦礫の山に足を取られて歩きづらい。その中を、彼らは壁伝いに歩いて行く。やがて、視界の先に白くぼんやりと浮かぶ領域が現れて、出口が近いことを知らせてきた。すると、自然と歩みが早まって、目が痛むのも忘れて、彼らは競うようにして先を急いだ。そしてそこに飛び込むと、視界が一気に開けて、色づいた景色が目に飛び込んできた。深く深呼吸をして、新鮮な空気で肺が満たされて、生きた心地にほっと胸を撫で下ろす。息を吐き、涙を拭って、遠くを見つめた。登り始めた朝日の照らす中、林立するビルの群れが、視界の先には広がっていた。

 振り向いて見上げると、特別展望台の割れた窓ガラスから、煙が青い空へと吸い込まれていくのが見えた。彼らは作戦の成功を確信して、安堵に胸を撫で下ろした。と、安心したのも束の間、建物の入り口から、煙が吐き出されるのに合わせて、敵兵が慌てたように飛び出してきた。彼らは暫し、腰を折り苦しそうにむせ返っていたが、雄星たちの姿に気が付くと、あっと声を上げて駆け出した。雄星たちもハッとして、くるりと向きを変えて広場の外へと走った。兵士たちは、なんとか捕まえてやろうと後を追いかけたが、そのままでは追いつけないと悟ったらしく、途中で走るのをやめて、停めておいた車に乗り込むと、タイヤを軋ませて急発進させた。そして車をUターンさせて、猛然と追跡を始めた。

 雄星たちは広場を抜け、小さな森に飛び込んで、獣道のような細い道を走った。空は十分に明るくなっているが、生い茂る木々に囲まれているために少し薄暗く、地面は朝露に濡れていて滑りやすい。こうした場所に入り込めば、さすがに敵も諦めるだろうと思ったが、彼らも然る者で、強引に森の中へと車ごと突っ込むと、いろいろなものをなぎ倒しながら追いかけてきた。残念ながら、見逃すつもりはないらしい。

 雄星たちは、野生動物が突然、茂みから現れるみたいに森から飛び出すと、今では行き交う者の居なくなった道路を一直線に走って、路肩に止めてあった車に急ぎ乗り込んだ。エンジンをかけたところで、敵の車が茂みからジャンプするように飛び出して、車道上でドリフトして向きを変え、そのまま滑っていき横ざまにガードレールにぶつかって、一時的に停止したものの、すぐさまおしりを左右に振りながら猛追を再開した。ロイルはバックのまま車を走らせて、十分に加速したところで百八十度車を反転させ、ローギヤに入れ直してアクセルを踏み込み、エンジンに鞭を入れた。ロイルも、床が抜けそうなくらいにアクセルを踏み込んでいるが、敵車の方が性能が良いらしく、ぐんぐんと後ろに迫ってきた。

 射程圏内に近づくと、兵士が窓から身を乗り出して銃を撃ってきた。ロイルは車を蛇行させて回避行動を取る。放たれた光線は脇腹や頭上を掠めて追い越していった。

「私に任せて!」

 モラナはそう言って、後部座席の窓を降ろし、身を乗り出して銃を撃った。左右に揺れる車内からの銃撃は容易でなく、彼女の放った光線は敵車を大きく逸れた。一方で、敵の放った光線はリアウィンドウを打ち抜いて、ガラスが粉々に砕け散った。モラナは僅かに身をすくめたが、すぐに気を取り直して、深い呼吸を繰り返し、あえてゆっくりと敵車に狙いを定めた。そして、タイミングを見極めて、その時が訪れた瞬間に、息を止めて引き金を引いた。放たれた光線は敵車の右前輪に命中して、パンクを喫した車は姿勢を乱し、左右に激しく車体前部を振ったのち、右方向へと急転換して、歩道を乗り越えてとある店舗の窓ガラスを打ち破って中へと突っ込んだ。敵車のドライバーは、ギヤをバックに入れてアクセルを踏み込むが、エンジンは無駄に唸り声をあげて、タイヤは虚しく空転するだけだった。

「わおっ! すごい!」

 後部座席の真ん中で、モラナとライルに挟まれて、亀のように縮こまっていた道正が、首を伸ばして後ろを振り向き、遠ざかっていく敵車を見送りながら、感激ひとしおといった様子で言った。

「朝飯前よ、このくらい」

 モラナは胸を張った。

「俺なら一発で仕留められたぜ」

 ライルがまた憎まれ口を叩いた。

「終わった後でなら何とでも言えるわね。展望台では手こずってたくせに」

「お前はたまたま相手が良かったんだよ」

 ライルは口を尖らせた。

 この後しばらく、この口喧嘩は続いたが、雄星は口を挟まなかった。その代わり、道正と顔を見あって苦笑を浮かべ、本当に仲がいいんだな、とそんな風に思った。


 装置の破壊により、ラント軍が弱体化したことで、戦況はヤナ軍へと一気に傾いて、ほぼ無力と化したラント軍は敗退を重ねて、敵軍の中枢が落ちるのも時間の問題、という状況となった。こうなると、それまで、ラント国の力の前に屈していたこの世界の人々も、この機を逃してなるものかと反旗を翻し、ヤナ軍に合流して、膨れ上がった連合軍を前にして、ラント軍は意気が挫かれ士気は著しく低下した。中には武器を捨て自ら投降する者もあり、もはや勝負は決したといってよかった。

 敵の中枢を制圧したヤナ軍は、ラント王を探して議事堂内を隈なく捜索した。彼を捕まえなければ、この戦いに、真に勝利したとは言えないからだ。ところが、その姿は、まさに雲散霧消のごとく掻き消えて、彼らは、よもや逃したか、と臍をかむような思いを感じていた。そんな中、とある兵士が、なんの変哲もない小部屋の本棚の裏に、人が一人、屈んで通れるほどの小さな四角い穴があるのを見つけた。何だろう、と彼は怪訝に思いながら中を覗いた。すると、細い通路が伸びているのが見えた。彼は銃を構えて、腰を僅かに屈め蟹歩きをするようにして奥へと進んだ。そして、突き当たった先の小部屋の中で、椅子に腰掛けて項垂れているラント王を見つけた。兵士は警告を発しながらそろりと近づいた。しかし、ラント王は何の反応も示さない。怪訝に思った兵士は、銃の先端でその右肩を突いた。すると、ラント王は転げるようにして椅子から滑り落ち、頭から突っ伏すようにして床に倒れ込んでしまった。兵士は瞬間、驚いて飛び退いたが、ラント王が微動だにしないので、彼は訝しく思い、恐る恐る近づいて、少々強めに、つま先で二度、三度と小突いてみた。普通なら、それで目を覚ますはずだ。しかし、ラント王はうんともすんとも言わない。兵士はしゃがみ込んでラント王の顔を覗き込んだ。彼の顔は青白く、口の端には白いものがこびり付いており、鼻を近づけて匂い嗅ぐと、つんとした刺激臭がした。それでようやく、兵士は事態を理解して、ラント王の首筋に指先を当て、脈拍を確かめた。鼓動は感じなかった。彼はため息と共に顔を上げ、改めて室内を眺めた。部屋の片隅に”ドア”を開けるための装置が置かれていた。天辺の宝石のようなものが光を放っていたが、何も起きてはいなかった。兵士は立ち上がり、来た道を戻って、上官に報告した。

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