白鳥のぼうや 🦢

上月くるを

白鳥のぼうや 🦢



 

 

 

 🍃 秋


 

 北の国のなかでも、もっとも果ての大地で、白鳥のぼうやが生まれました。

 よその子より遅く生まれたので、父さんと母さんは気が気ではありません。

 

 ――おねがい、ぼうや。早く大きくなってね。

 

 ひとつ上の姉さんも、祈るような気持ちで見守っています。

 どうしてって、白鳥の一家にはとにかく時間がないのです。


 北の大地の夏はとてもみじかくて、もうすぐそこまで秋が迫っています。

 冷たい風が吹く前に、南の大地へ向けて出発しなければならないのです。

 

 ――そのとき、まだぼうやの羽が十分に育っていなかったら……。

 

 父さんと母さんと姉さんは、ぼうやを置いて出発しなければなりません。

 恐ろしいことですが、それが渡り鳥に科せられた自然のおきてなのです。


 

 日一日と秋が深まります。

 ご近所の白鳥家族たちは、

 

 ――おさきに~。

 

 つぎつぎに出発して行きますが、まだ十分に羽が生え揃っていないぼうやの一家だけは、もう一日、せめてもう一日、じりじりと旅立ちの日を遅らせていました。


 そして。

 明日はいよいよ霜が降りそうだという朝、父さんの白鳥はついに決意しました。

 

 ――もう限界だ、きょう飛び立つしかない。

 

 でないと、おきてに逆らった罰として、家族全員の命が危険にさらされます。

 ぼうやがまだどんなに幼くても、いちかばちか、やってみるしかありません。

 

 ――お姉ちゃん、ぼうやをサポートしてやってね。

 

 大きな危険を覚悟した母さんの声はかすれています。

 姉さんの白鳥は、けなげにこくんとうなずきました。

 ほんとうは、自分だってまだ子どもなのですが……。


 

 父さんと母さんにしっかり両側を守られた姉弟の白鳥が、南を向いてスタンバイしているところへ、ちょうどいい感じの風が吹いてきました。

 

 ――さあ、いまだ! うまく気流に乗るんだよ。

 

 父さんが号令をかけると、母さんと姉さんは大きく羽を広げました。

 ぼうやの白鳥も見よう見まね、いっしょうけんめいにやってみます。

 

 ――うわ、やったあ!

 

 ふわっと、家族全員が風に乗ることができました。

 

 ――そうそう、じょうず、じょうず。

 

 父さんと母さんと姉さんが、かわるがわる、ぼうやを励ましてくれています。


 はじめて大空を飛んだぼうやは、少しグラグラしてバランスをくずしそうになりましたが、もともとが活発な子なので、すぐにコツをつかむことができました。


 こうして気流に乗ることができれば、むやみに羽をバタバタさせなくても、飛行で熱くなった身体を冷やしながら、どこまでも飛びつづけることができるのです。


 

 シベリアのツンドラ地帯を飛び立った一家は、天山山脈をながめながらゴビ砂漠を越え、シルクロードに添っていくつかの都市の上空を通過すると海へ出ました。


 暴風に流されないよう気をつけながらオホーツク海峡を越え、日本列島の最北端にあたる北海道のクッチャロ湖に降り立つと、ここでようやくひと休みです。


 何万羽もの水鳥たちとともに羽を休めた白鳥一家は、ふたたび飛び立ちました。

 石狩川にそって太平洋岸を南下して行くと、やがて陸のまんなかに真っ青な鏡がキラキラ光っているのが見えてきました。父さん母さんやほかの大人の白鳥たちが「南のふるさと」と呼んでいるこの湖で、これからの半年間を暮らすのです。

 

 

 

 

 🌠 冬


 

 穏やかなさざ波を立てている湖水に降り立ち、ひと息ついた父さんと母さんは、沖あいにある小さな島に姉さんとぼうやの白鳥を連れて行きました。岸辺からはなれた小島なら、陸の動物におそわれる危険がないので、安心して過ごせるのです。

 

 ――よくがんばって飛んできたね。

   はじめての渡り、おめでとう!

 

 家族みんなにほめてもらい、美味しい水草をたくさん食べさせてもらったぼうやは、これ以上は無理というほど眠ったので、たちまち元気をとりもどしました。


 はじめての渡りの経験が、白鳥のぼうやをずっくんと成長させたのでしょうか。

 父さん母さん姉さんのように純白の羽ではなく、幼鳥の印しとしてポヨポヨした灰色の柔毛(にこげ)でおおわれている身体が少し大きくなったように見えます。

 

 ひとたび元気を取りもどすと、ぼうやは少しでもじっとしていられません。

 あっちの岸辺、こっちの岸辺と泳ぎまわって水鳥たちとあそび、ときには、湖を一周する遊覧船のエンジンに近づいたりするので、あぶなくて目がはなせません。


 もちろん、母さんに言われた姉さんの白鳥がいつもつきそってはいるのですが、いたずら好きのぼうやときたら、すきを見ては姉さんからはなれ、ひとりで冒険がしてみたくてならないのです。


 

 一家が湖に到着したときは秋の終わりでしたが、すぐ冬がやって来ました。

 北風が吹き、曇り空に粉雪が舞うある日の朝、一家に事件が起こりました。


 いつも真っ先に水草を食べるぼうやが、うずくまってしょんぼりしています。

 

 ――どうしたの、ぼうや、どこか痛いの?

 

 父さん母さん姉さんにかわるがわるきかれたぼうやは、ついに白状しました。

 

 ――あのね、ぼくね、きのうね、姉さんからはなれてひとりであそんでいるときにね、水草のあいだにあった丸くて固いものをね、パクッて食べちゃったんだよ。

 

 母さんの白鳥は、さっと顔色を変えました。

 

 ――たいへん、なまり中毒かもしれないわ。

 

 人間のなかには自然のマナーを守らない人たちがいて、この湖にも、釣りおもりや猟につかう散弾銃の弾などが捨てられていると白鳥仲間から聞いていたのです。


 岸辺の水草のなかに隠れているそれをあやまって飲みこんでしまうと、胃のなかでなまりの毒が溶け出し、やがては身体中にまわって死んでしまうのだと……。


 そのことをぼうやに話し忘れた自分を悔いた母さんは、黒い目を三角に尖らせ、黄色いくちばしをパクパクさせ、羽をバタバタさせて大慌てに慌て出しました。

 

 ――母さん、少し落ち着きなさい。

 

 父さんの声も耳に入らないようすで、母さんのパニックは治まりません。

 そうしているあいだにも、口から泡をふいたぼうやの容体は弱っていく一方。

 苦しそうにあえぐ小さな身体から、いまにも命の灯が消えてしまいそうです。

 

 とそこへ、一艘のモーターボートがエンジン音を立てながら近づいてきました。

 ボートにはいく人か人が乗っているようでしたが、そのうちのリーダーらしい、古びた野球帽をかぶり、首から双眼鏡をさげたおじさんが小島に降りてきました。


 そして、用意してきた毛布でぐったりしたぼうやをやさしく包み、

 

 ――大丈夫だ、心配いらないよ。すぐに先生に診てもらうからな。

 

 すがるような目を向けている父さん母さん姉さんに告げると、ふたたびエンジン音をひびかせて、湖岸に広がるにぎやかな温泉街のほうへともどって行きました。

 

 

 

 

 🌺 春


 

 冬のあいだ、ぐっと間近に迫っていた山並みが遠のき、春がやってきました。

 渡りを定められている水鳥たちは、「北のふるさと」へ帰らねばなりません。

 

 家族ごとに湖上を飛び立った白鳥は、半年間お世話になった湖の上空をまわって別れを惜しんだあと、真っ白なかたまりになって、北の空へと吸われていきます。


 家族を大切にする白鳥は、どの家も子どもを真ん中にし、両側を父さんと母さんが守っているのですが、そのなかに、われらがぼうや一家のすがたもありました。

 

 水鳥の保護活動をしているボランティアのおじさんに運んでもらった動物病院できれいに胃を洗ってもらったぼうやは、しばらく入院して体力をつけてから、ふたたび野球帽の胸から双眼鏡をさげたおじさんのモーターボートに乗せられ、いまや遅しと、長い首をさらになが~くして待っている家族のもとへ帰されてきました。


 

  コー、コー、コー、コー!!!!  

  コー、コー、コー、コー!!!!

  コー、コー、コー、コー!!!!


 

 父さん母さん姉さん、家族全員が大きく羽を広げ、海のように広い湖中にひびきわたるような大声を張り上げてぼうやを迎えた一家の喜びようは、いっとき、水鳥たちの語り草になりました。


 

 来たときと同じように、父さん母さん姉さんにはさまれ、二本の脚をまっすぐに伸ばしてじょうずに気流に乗れたぼうやは、ちょっと得意な気分になっています。


 そして、冬のあいだに、ほかの白鳥の子どもらが経験したことのない一大冒険を果たしてきた自分が、ぼうやから少年に変わってきているように感じていました。


 ですが。

 幼鳥のしるしである、うすい灰色をしたやわらかな産毛は、ぼうやの頭の上にやっぱりまだ残っていて、南からのあたたかな風にポヨポヨとそよいでいます。

                                【完】

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白鳥のぼうや 🦢 上月くるを @kurutan

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