12. いつも決断は突然に

 


 森閑な空気がリビングを覆う中、俺はL字ソファー(一辺が長い方)の中央に腰を下ろしていた。

 入り口付近に立っていたやよいも、遅れて俺の右隣に腰をえた。

 スカートに皺がつかないように気遣う彼女の座り方は、上品かつ綺麗な所作だった。

 もし俺の性別が女だったとしても到底真似できそうにない。

 そんな尊敬に満ちた俺の眼差しを機敏に感じ取ったやよいは、小さく笑い声を上げたのだった。


「……なんだよ」


 訝しげな視線を交えて抗議の声を上げる。


「いいえ、なんでも。ただ先ほど、美代さんの促し方が誰かさんにそっくりなものだからつい思い出し笑いを」


 どうやらやよいさんはその光景たるものをもう一度思い出したようだ。ほら、言い終えた今でもころころ楽しそうに笑いているじゃない。


「……そりゃどうも」


 逆に笑われた俺には、そんな場面があったのかすらわからないだけどね。そいうところが目敏めざといですよ?

 まぁでも、少しでも彼女の心境に余裕を与えられたのならばもう何も言うまい。

 そんな俺達のもとへ、嬉々として近づいて来る者がいた。大まかな予測を踏まえ、ちらりと視線を見遣れば、案の定、我が親父だった。

 ダイングテーブルとソファーの間に立つ検事さんの隣からひょひょいとした足取りで、俺達のもと──厳密にはやよいの隣へと迫り来る。

 先ほどまで気落ちしていたようにも見えたが、今やその吹っ切りれた顔を見る限り、現段階をもって完全復活遂げたようだ。

 ……ゴブリンのリポップスピードと同じじゃん。


 そして、

「では僭越せんえつながら、不肖この小田原壱馬、やよいちゃんの右側を失礼して──」

 などと言いながら器用に背もたれを跳び越そうとした。

 しかしその直前、襟元に一本の腕が伸びた。と、同時に視界の端では紺色のエプロンがひらりと翻る。


「ぐうぇ!?」


 直後、ウシガエルのような呻き声がリビングに響き渡る。

 一瞬だった。親父がソファーの背もたれを越えたとき、襟元に伸びる細腕。掴んだのは青と黒のボーダー柄のネクタイだった。


「ぬぐぅぅぅッ〜!?」


 抵抗する親父。しかし、体重がプラスされたことにより締め付けたられたネクタイがぎちぎちと悲鳴を上げる。それに起因して親父の顔はみるみる青く染まっていき、もはや白くなりつつまである。

 そろそろやばいんじゃないの?と視線を上げると、そこにはトレーを右手に、反対の左手で親父の首根っこを掴む母さんの姿があった。

 そうだよね、こんなことできるのあなたしかいないよね!


「ふふふふふふふ」


 字面的に微笑みを浮かべていそうだが、現実は似て異なり目が笑っていなかった。


「か、母さん、そろそろ……」


 俺は、一息子として一応親父の保身や体裁を気にして母さんに待ったの声を掛ける。

 だが心配する必要はなかった。いや、さすがは親父といったところか、今にも息絶えそうになりながらも、オーク並みの生存本能から両足をソファーに付き、脚力だけで後方へジャンプを果たす。すると、張っていたネクタイが緩む。後は簡単、ソファー裏のフローディングの後ろでゼェゼェハァハァ悶絶する親父の完成。以上、親父クッキングでした!

 ちなみに、哀れな男の末路を唯一やよいだけが案ずる瞳を向けていた。俺を含めたその他三名は一応に肩を竦めるのだった。


 そうして、L字ソファーに俺とやよい、ローテーブルを挟んだ向かい側に右手から小田原夫妻と音無夫妻が各々腰を据えることができたのは五分後のことだった。


「それでは皆さん揃ったわけですし、早速始めるとしましょうか」


 穏やかな口調で開催の音頭を告げたのは、学生の頃に放送部の部長を務めた経験を持つかなえさんだった。

 そんなかなえさんは、どこからか持って来たのだろう座布団の上にきちんと正座している。どうやら今回は、よく通る声を活かし司会役進行役を務めてくれるようだ。

 ともあれやっとである。

 俺とやよいは、登校していたときから気になっていた事柄の全貌がとうとう白日の元に晒されることにそわそわどきどきしていた。


「ふふん、駿くんもやよいちゃんもそんなにまごまごしなくても、今からちゃ〜んと説明しますからね〜」


 胸の前で両手を合わせたかなえさんは、相変わらずのマイペースぶりを遺憾無く発揮している。いつもならほんわかした口調と漸進的ぜんしんてきなペースに和む場面なのだが、今回ばかりはもどかしさが勝ってしまう。

 ムズムズとした感情を抱くあまり、俺が口を開こうしたとき、その言葉は不意にかなえさんの口から放たれた。


「単刀直入に言います。小田原駿くん、音無やよいちゃん、この度はお付き合いおめでとうございま〜す!」


 ……………………………………………………ん?



「あれれ、反応薄いなー、あっ、もしかして上手く伝わらなかったのかな〜。うん、では別な言い方を改めましょう。駿くん、やよいちゃん、本日から、交際決定!本当におめでとうぉ〜!!」


 そう言い終わるやいなや、もう辛抱たまらんとかなえさんはローテーブルを飛び越え俺たち目掛けて抱き付いて来た。追って、むにゅんとした衝撃とバフッとした効果音が鼓膜に響く。


「「〜〜!?」」


 あまりの衝撃的な言葉の応酬に俺たちは二人は、揃って声にならない悲鳴を上げた。加えて、話が飛躍しすぎてそもそもの現状すら掴めていないのに、事情を知るかなえさん一人だけのボルテージが一方的に上昇してしまうという最悪のパターンに陥り、よもや俺たちに残されたキャパシティーでは収集がつきそうもなくて。

 そして極め付きは『付き合う』とか、『交際』とかの全く身に覚えのない単語達の宴会。

 誰かとりあえず国語辞典持って来てくれ!


しかしここで一つ、俺は大切なことを忘れていたことに気が付く。

 そう、俺は一人じゃない、俺には付いているではないか、あの冷静沈着を字で書いたような幼馴染みが!

 それに、彼女は今、舞い上がっちゃってる女性の娘さんだ。いける!鬼に金棒、弁慶に薙刀、竜に翼を得るが如し!……あれ、全部致命的にズレてねぇか?まあ、今はもうなんでもいいやか!とりあえず一旦落ち着きたいからこの人どうにかしてよ、やよえもん!


 藁にもすがる思いを抱き、現在進行形で同じく隣で被害に遭っているやよえもん、もとい──やよいに目を向ける。

 しかし、一歩遅かった。

 俺が目にしたのは、みんなが知っている怜悧れいりな雰囲気を持つ音無やよいではなかった。そこに居たのは、亜麻色の頭から湯気を出した朱き乙女の姿だった。


 ────やよえもーーん!!


 くそっ、どうする。最後の助けの綱が摩耗してしまっていた以上、もはや絶望的だ!特にフレグランスな香りと柔らかな双丘の感触に包まれた俺がやばいすぎる……。

 当然俺には暴走機関車並にキャッキャウフフしているかなえさんは止める手段はない、くっそ!なんて俺は無力なんだ!やましい気持ちとか抜きで!ほんと、やましい気持ち抜きで!ほ、ほんとだよ?

 そして、誰にともなく信じてもらうために、今から俺が自我を放棄してやろうとした時だった。


 俺たちの前に救世主が顕現けんげんしたのは。


 その声は、かなえさんのような甘ったるさはないが、一本芯の通った力強い男性の声色だった。そう、かなえさんの夫にして、やよいの父親である検事さんだ。


 検事さんは、幸福に身を委ねる妻の肩に手を置くと、

「コラ、かなえ、いい加減になさい。物事には順序というものがあるだろう」

 と、一行に抱きついて離れてくれないかなえさんを一喝。

 すると、先ほどまで騎虎きこの勢いと化したかなえさんは、「あら、つい私としたことが……」なんて呟いた後に、俺達を命辛々解放してくれたのだった。


 一難去り胸を撫で下ろす。

 そんな俺の耳に検事さんの叱責が飛ぶ。


「まったく、昔からお前は早とちりが過ぎるぞ。見てみろ、駿くんも、それにやよいだって、お前が段階を吹っ飛ばして結論だけ述べるものだから今や放心状態ではないか」

「ごめんなさい、正直嬉しすぎてもう耐えられなかったの」


 ちらりと視線を上げると、今や自分の座布団の上で申し訳なさそうに肩を落とすかなえさんの姿があった。ふぅ、どうやら所定の位置に戻してくれたようだ。

 そして、その隙を俺は見逃さなかった。

紛乱する精神を呼吸一つで整える。以前、脳内情報量大渋滞真定中だが、しかしだからといっていつまでも後手に回るわけにもいくまい。

 仕掛けるんのだ、今度はこっちから。不意に差し伸べられた好機を逃す手はないのだから。


 俺は高鳴る鼓動を訓練された理性でむりくり抑え込み、ここぞとばかり自分のペースへと話を展開させることにした。ターゲットは、もちろん検事さんだ。


「検事さん、どうもいろいろと不明な点が多くてですね、現状も、先ほどかなえさんがおっしゃっていた言葉の意味も、俺達は全然理解出来てなくて……。だから、それらを含めた全ての説明を検事さんにお願いしてもらってもいいすっか?」


 言いながら、検事さんの名前の部分にアクセントをつける。

 この四人の大人達の中で検事をも務める彼が、最も説明に長けていることは明白なことだし、何より先ほどの彼と親父の言い争いの様子を見聞きしていた限り、首謀者の最たる人物は白銀のメタルフレームを鈍く輝かせているこの人以外に考えられない。

 生徒が先生に助力を請うように提唱した言葉を、腕組みした検事さんはうんうん頷きながらやぶさかではないと言わんばかりに口を開いた。


「かなえが──いや、妻が起こした不祥事をその夫たる私に引き継がせ、説明を乞う……ふむ、実に理に適った選択肢だ。駿くん、やるね。君は検事向きだ」


 ニヤリと不適な笑みを浮かべて見せる検事さん。

 別に、俺自身、検事さんの見立て通りに考えて、言葉を尽くした訳ではなかったが、どうやら検事さんは都合の良い解釈をしてくれようだ。俺としてはこの状況で職業適性検査を実行してきた方に驚きを覚えたけど。

 だが生憎と知っているのだ。大概、漫画やアニメでこういう思考の読み合いを行う場面に遭遇した場合には、とりあえずしたり顔で笑っていればなんとかなると相場は決まっていることを。……まぁ、そんな相場なんて存在しないんだけどね!


閑話休題。


「それで、どうなんですか?」


 気を取り直し、再度問い掛ける。と、今度は検事さんの双眸がレンズ越しに怪しく光り、威圧的な面持ちに軽く身構える。

 そして、検事さんは言った。


「ふむ。しかし急ぎ過ぎる結論はときに破滅をうむ事もある。そこは減点させたもらうよ」


 ──めんどくせぇ、この人、酷くめんどくせぇーよ!何、なんか俺悪いことでもしたぁ?ねぇ、お願いだからさっさと了見話してくださいよ、とりあえず頭下げるからそろそろ求めている回答をくださいよ!

 くそっ、どうなってんだお前の家族──と、内心毒づく俺の視線は左隣へ。

しかし──。


 ……やっぱダメかぁー。


 視線の先では、なぜか朱色に染まった顔を両手で覆い、「え?付き合う、誰が?交際?誰と誰が?」などと、くぐもった声で何やらぶつぶつ呟いく幼馴染みはもうダメだった。


「……万事休す」


 たった今、唯一の味方を失ってしまったようだ。

 ここまで焦らされに焦らされ焦らされたのをさらに焦らされて、もはや悶々とする俺だったが、次の瞬間、厳密にはうわ言のように何やら呟く幼馴染みから、再度その父へと視線を戻したとき、娘を愛し、慈しむ父親の顔を捉えたのだった。


 ふと蘇るは幼い頃の記憶。

 やよいは言っていた。

「私ね、お父さんが笑ったとこ見たことがないの……。勉強も運動だってたくさん頑張っているのに、好き嫌いだってないんだよ。この間だって算数のテストで百点取ったのに、結局笑ってくれなかったし……。ねぇ、駿、わたし、お父さんに愛されてないのかな?」──と。

 これまでの十七年間、基本仏頂面しか見たことがなかったはず(おそらくそれは、娘であるやよいも同意見だろう)の父親の顔にその感情を今、俺は垣間見たのだ。微苦笑を浮かべていたあの日から、それなりの月日が経過したこの瞬間に。


 現在、互いに成長してその審議は定かではなくなってしまったが、確かに今、厳格な父親が見せているのは、何者にも覆さないほど尊く、されど厳粛な男が滅多に見せようとしない確かな親愛の形だった。


 そしてその事実が、自分ごとのように嬉しくなった。


 俺は知っている。

 検事さんは誰よりもやよいのことを思っていて、愛していて、しかしそれを面に表現することが不得意なだけの不器用な父親だということを。

 ゆえにそんな彼の不得意な一面を補い、また同量の愛を娘に注いできたその妻、かなえさんの存在があったからこそ、音無やよいは今日まで立派に成長を遂げてきたということを。


 そのことを感慨深く思考しながら検事さんを見ていると、ふとその視線が右横に逸れた。

 つられるようその後を追っていく。すると、すぐにその横に座っていた母さんと衝突した。

 何事かと思い顔を上げると、意味深な視線を受信した母さんはコクリと頷いていた。

 それを視認した検事さんの視線がさらにその奥へ、つまり親父へと移動する。すると母さん同様、親父は口を開かず頷いて見せた。

 大詰めに、自分の左隣に正座するかなえさんに視線を落とす。しかしそこにはすでにうんうんと鷹揚に頷くかなえさんの姿があった。

 その視線が意味したものなど到底わからないが、それが意味したものが満場一致だったということは外面的に捉えて理解することができた。


「…………」


 いわれのない緊張感に思わず固唾を吞む。

猫背になりがちな背中も真っ直ぐ伸び、両足の指に力が入る。

 ………今から何が始まるというのだろうか?それ以前に何を始めようというのか、いや、もう始まっているのか?それともすでに終わっているのかもしれない。憶測が憶測を呼び、マインドマップのように思考が広がり続ける。

 ならば──と、せめて俺は、いかに意表をつくような問い掛けがこようが動じることがないメンタリティーを準備することにした。


 そして三人の同意を得た検事さんの口から、意外にもやよいの名前が飛び出してきたのはそんなときだった。


「ところでやよい、今日も駿くんとゲーム対決してきたのかい?」


 唐突の質問。

 LEDライトの冷光がレンズに反射して、その奥の瞳から感情を読み取る事はできない。

 一方、先ほどまでぶつぶつと口ずさむように呟いていたやよいは、突然話の矛先が自分に向けたれたことに気づき、慌てて居住まいを正した。

 話半分になっていないだろうか、という疑念が浮かんでいたがさすがは優等生、投げかけられた質問には慌てる様子もなく淡々と、しかし訝しがるような視線を向けて事実を述べていく。


「はい。確かに今日の正午過ぎ、彼とゲーム対決を行いました」

「対決という事は、もちろん雌雄決する方の対決だね?」

「……はい」

「なるほど」


 検事さんそれだけ言うと何やら思案顔をう浮かべ出した。おろらく、今のやり取りでやよいの声色、表情、仕草、雰囲気、はたまた俺の反応を見ていたのだろう。そこから思考を派生させ、先の事情を知る。

 なるほど、さすがは検事を職に持つ人間というべきか、相変わらず恐るべき観察眼の持ち主だ。ならば、そこまで理解を示していた検事さんならば、次に一体どんな言い分を口にするだろうか。

 と、俺がその動向を探っていると、眼光炯々とした視線がじろりとこちらを向いた。

 射抜くような視線に、俺は一瞬たじろぎながらも必死に動揺を宥め、腹に力を込める。


「では次に駿くんに問おう」


 案の定、検事さんは身構える俺に水を向けてきた。


「君とやよい、どちらに軍配が上がったのかな?」


 そう問うてきた検事さんの重くひりつくような声色は学生に向けるそれではなかった。どちらかと言えば被疑者に向けられるような厳格さと剣呑けんのんさが入り混じっているようなそんな気がした。

 そして、今、胃がきりきりと痛むのは気のせいではないのだろう。てか怖すぎでしょ、現役検察官半端ねぇー、この人が裁判所にいるんだからその内日本の犯罪率も低下の一途を辿ること請け合い。よかったね、日本の未来は明るいぞ☆


 なんて。極度のプレッシャーによる自己防衛現実逃避もほどほどに、俺は今日の対戦という対戦を絞り出し、質問に対しての答えを提示する。


「……一応引き分けといことになっています」


 わかっていると思うが、そうであって欲しいと思うが、一応これは別に誤魔化したわけではないのだ。脳裏をよぎるのは玄関前でのリベンジ戦。

 あのとき、結局やよいの解答を訊きそびれ、明確な勝敗が決まったわけではないが、先に発言した俺は確実に負けていたということだけはわかる。例え、そこに偶然という何かが舞い込んだとしても、やよいの言葉通り、運も実力のうちの一言に尽きてしまうのだ。

 そんなやよいは、無効試合で手を打つと言っていたが、俺の中ではいわれのない不燃焼さが渦巻いていた。


「ふむ……」


 一方、俺の発言を訊いた検事さんは顎に右手を当て思案顔を浮かべ出す。その姿がどっかの誰かさんと重なるとこがあって、呑気に「やっぱ親子だな〜」なんて思っていると、一思案終えた検事さんはブリッジを持ち上げながらゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「なるほど、勝敗はわかった。しかし、このご時世、勝者には賞典なるものが与えられるのが世の理というものだ。例えそれが社会人だろうが学生だろうが一重に平等でなければならい。そしてそれは、両者同率だとしても変わらないこと。世の中には同立一位という言葉も実例も存在するのだから。その点君らのことだ、その辺は抜かりないと思うが……実のところどうなんだろうか。そう、これはちなみになんだが……、今回、その賞典とやらはどのようなものなっているのか?その辺も含めて差し支えなければ父さん達にも教えてもらえないだろうか?」


 この際、なぜ検事さん達がゲーム対決のことを知っているのか、なんていう疑問は疑問に思わないことにする。

 簡単なことだった。

 すでに彼らにとって俺達の勝負事は腐るほど目にしているはずだし、させてきているはずなのだから。ゆえに、俺達が凝り性も無く勝負事を行ったという事実も察しられて然るべきことだと思うし、そしてその対決には必ずと言っていいほど十字架が付き纏ってくるものだと既知していてもおかしくはない。

 問題は賞典しょうてんだ。

 今回は『敗者が勝者の言うことをなんでも一つ聞かなければならない』というパワーワードなものとなっている。

 過去にもこの手の賞典は何度もあったが、ものの見事にすべてやよいが獲得し、俺はその命令に従ってきただけ。今回検事さんの言い分通りならば、俺もやよいも互いに命令権を獲得することになる。


 珍しく言い淀む検事さんの問いかけに、俺はちらりとやよいを見る。この質問に答えるには彼女の意思も必須だと思ったからだ。それはやよいも同様だったようですぐに視線はぶつかった。アイコンタクトを挟んだ末に、こちらが一回、縦に首肯して見せる。もちろん差し支えはないという意味を含めて。


「…………」


 やよいはこちらの意を確認すると、太腿の上で重なるように組んだ手背しゅはいに視線を落とす。

 リスクとリターン、損得、投擲性とうてきせい、言い方は多様に存在するが、今、おそらく彼女の中では数々の打算が生み出されは消えてを繰り返しているのだろう。なんといっても、あの父親が珍しくい言い淀んでまで傾聴してきた事柄なのだから裏があると考えてもおかしくない。

 一秒、二秒、三秒と時間が過ぎた後、彼女は視線を持ち上げた。だがその面持ちは暗かった。


「待ってお父さん、先ほどの勝負の勝敗についてだけど……あれ、今日は私が負けたの」

「お、おい、ちょっと待て、お前はあれを忘れているぞ。あの——」

「もちろん、覚えてるわよ」


 そう微笑んだ当人によって『あの——』からの続く先の言葉は完膚なきまでに遮られしまった。それでも食い下がろうとする俺を見て、やよいは続けて重ねて言葉を並べる。


「それにあの勝負は私の負け惜しみから始まったことでしょ?もしもあのとき、私が勝利したとしても、駿、あなたならわかるでしょ?幼馴染みのあなたが一番わかっているはずでしょう?ずっと一緒に過ごしてきたあなたなら知っているはずだわ。情けをかけられてまで私があなたとの勝負事に勝ちたいと思わないことぐらい、ね」


 そう言って俺を捉える山吹色の瞳には確固たる意志があった。譲れない一線が存在していた。

 確かに、昔から音無やよいという女の子は生粋きっすいの負けず嫌いだった。故にプライドが高く、勝利に貪欲で、そして誰よりも俺に負けることを嫌っていた。

しかし、だからこそわかってしまうのだ。皮肉なことに理解してしまうのだ。

 普段、高飛車たかびしゃで居丈高(居丈高)な嫌いを持つ幼馴染みが真剣勝負に敗れただけでも忸怩じくじたる思いのはずだったなのに、恥を偲んでリベンジマッチなるものを挑んできたその事実だけで、たたそれだけで十分思いの丈は伝わってきた。

 なにより──。

 俺は、彼女の微笑に頷いて見せる。


「検事さん、一つお話があるのですが良いですか?」


 ならば、今度は俺自身が運命のトリガーを引き抜く番だ。

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