11. いつも当惑は突然に
夕暮れ。
残照に残るアスファルトの上を俺とやよいを乗せた自転車が風を切って進む。
早くも初夏の香りを運ぶ
後部座席と化している荷台には、両足を揃えながら横向きに座る幼馴染みが居て、つい十分ほど前まで二人乗りを渋ってゴニョゴニョボヤいていたのだが、今では帰る場所に近づくにつれて借りて来た猫のように静まりかえっている。
それでも離さないように、離れないように俺のYシャツの裾はぎゅっと握られていて、幼い頃をつい思い出してしまい慌てて頬を引き締め直す——という行為を先ほどから繰り返している現在の俺だった。
二人乗りをするという前提を踏まえて通学路から逸れた脇道を走行しているのだが、土曜日といえど、部活帰りの学生やスーツ姿の社会人達がチラホラと見受けられるので、変な目で見られないように振る舞うのに精一杯だったりする。加えて、俺の後ろに座る女子高校生はこの辺ではちょっとした有名人だったりするからなお大変。
普段から日陰者として有名な男子高校生にとっては些か心臓に悪すぎる。……って、日陰者として有名ってなんだよ、日陰者は有名じゃないから日陰者なのに。哀れ通り越してもはや死にたくなるレベル……。
——とまぁ、ここ数分自らにツッコミを入れてしまうほど俺の心中は穏やかではなかった。
それでも勝手気ままに明日が訪れるように、ペダリングを繰り返す我が愛すべき両足も確実に進んで行くのだ。
脇道に入って十分ほど経過すると、程なくして見慣れた住宅街に出た。後方から照らしてくれる落陽が、今日という一日の終了を告げようとしている。
そうして、白、黒、ときにはピンク色の外壁塗装を施した家々の中を走行していると、三十メートル前方に一際仲良く肩を並べるように建設された二戸を捉えた。
杏色の瓦で覆われた切妻屋根に、白色をベースとした外壁、採光と通気を目的とした幾つもの窓、シンプルかつ有能性に優れた長方形型の二戸は現代のライフスタイルに準じた造りとなっている。
そして、そんな二戸が我らが小田原家と音無家が暮らす住まいなのだ。
普段ならそれぞれの自宅前で解散となるところだが、先ほど呼び出しを受けているためそうともいかない。
リズムよくペダリングに準じる足を止め、ブレーキバーを引くと、俺達を乗せた自転車は玄関前で無事停車した。
ペダルを踏むもう一方の左足を地につき、肩越しに振り返りながら「着いたぞ」と一声。
「…………」
返答はなかった。荷台に座る彼女は、俺のYシャツを掴んで降りようとしない。……気付いていないのだろうか?
ならばもう一度。
「おーい、お嬢さん、到着しましたよー」
「……え?ああ、ほんとね、気がつかなかったわ、ありがとう」
珍しく言い淀みながら、やよいは荷台から腰を浮かす。
遅れて引っ張られるような感覚も徐々に薄れ、次第に背中越しに感じていた気配も車体にかかる重力も消えていく。
再度確認を込めて振り返れば、三歩下がった位置にやよいが立っていた。それを認識してようやく俺も自転車から降車する。
「こいつをガレージの中に駐車してくっから先に上がっててくれ」
ハンドルを握りながら肩越しにそう促すと、
「ええ……いえ、やっぱりここで待っていることにするわ」
わずかな逡巡の末に微笑む幼馴染みを背後に、俺はそそくさ自宅のガレージに向かったのだった。
簡素な設計のガレージ内には、既に二台の乗用車が駐車されていた。
母さんが愛用している車体は黒ベースに塗装されたコンパクトカー。可愛らしいデザインが多くの女心を掴んでいるとか。
翻って、その隣にはスタイリッシュなデザインが今売りで、フロント部分からはどこかスバメを連想させられるセダン車が駐車されている。ボディーは母さんとは対照的な白をベースに彩られており、納車されて早くも一年経過した今でもあの厳つい父さんが乗車しているとは思えない。
そんなことを頭の片隅に、白いサイドボディを気遣いながら我が愛車もちゃっかり駐車させる。
日頃から防犯意識が高い俺は、ガレージの中だからといって一切の油断をしない。しっかりとボタン式リング錠をはめ込んだ後、やよいの待つ玄関前まで足早に戻る。
宣言通り、玄関前の道路の端には亜麻色の背中をこちらに向けた幼馴染みが佇んでいた。
「わり、待たせた」
「いいえ、問題ないわ。ここで待つと言いだしたのは私の方だもの」
俺の謝礼の言葉に反応したやよいは、体ごと振り返りなんでもないと首を横に振った。
「そう言えばそうだったかもな。……まあ、そんなことはどうでもいいからさ、とりあえず中に入ろうぜ」
「ええ、そうね。そうしましょう」
手短なやり取りを交わし、俺を先頭に歩き出す。
我が家ながらアルファベットで記載されたちょっとおしゃれな表札を尻目に、少し傾斜がかった大小様々な敷石の道を征く。隣にも似たような玄関アプローチが施されているため、やよいにとっても自宅みたいな感覚なのだろう。
実際俺自身、何度も幼い頃に音無家の玄関を叩いたものだ。お隣さんが勝手知ったる幼馴染みの住まいだったから幸運だったものの、見知らぬ他人であるならば軽く怒鳴られているレベル。
しかし現実は俺を見捨ててはいなかった。
誤ってリアルオタクの晩御飯を決行した俺を出迎えてくれのは、当時から専業主婦として自宅に
当時、あまりの不甲斐なさに苦しむ小田原少年を暖かく出向けてくれて、お茶やら何やら提供してくれたことは今でも感謝している。
さりとて、今は今。過去の過ちを悔いているときではないのだ。大切なのはいつだって今生きるているこの瞬間なのである。
そんな都合のいい思考回路もそこそこに、俺は縦長のプッシュプル錠に手を掛ける。 アルミ独特のツルツルした感触を右手に、よっこらせと扉を引く。
スムーズに開閉した先には、見慣れた橙色のタイル、我が自宅のエントランスだ。忙しなく過ぎていった今日という一日もここから始まったのだ。
中へ入る。遅れて扉が閉まる音がした。
「た、ただいまー」
「お、お邪魔します」
適当に帰宅したことを告げた俺の横で、やよいは丁寧にお辞儀をしてから敷居を跨いだ。
そんな彼女の真面目さに、俺はふと思ったセリフを口にしていた。
「なぁ、廬山の
「……いいえ、わからないわ。それでその言葉は一体、どういう意味なのかしら?」
軽い気持ちで放った言葉だったのが、ギロリと聞こえてきそうなほど鋭利な視線を注がれてしまった。
一瞬たじろぎながらも俺はなけなしのプライドで平常心を保つ。そして、折り目正しく答えるのだった。
「ま、真面目って意味らしいぞ?」
「ふうん」
間違ったことは言っていないが、彼女の視線には刺があった。世間では、美人が怒ると怖いというけれど、あれには少々齟齬があると俺は思う。
生来、美人ひいては美少女と呼ばれる人種は、周囲からちやほやされる機会に恵まれやすい傾向にある。しかし全ての美人がそういう訳ではない。だいたい、そういう美人は普段から甘やかされ、可愛がられ、褒められてきた人種なのだ。だから、一度怒りをかってしまえばその反動からか、柳眉を逆立て激しく激昂してしまう傾向にある。
だが、今、目の前にいる音無やよいという美少女はそのカテゴリーに当てはまらない存在なのだ。
どちらかと言えば、彼女は検事を務める父親のもと、厳格な指導を受けて育ってきた方だ。
もとい結論から言えば、甘やかされて育ってきた美人の剣幕よりも、謹厳に育てられた美少女の剣幕の方が遥かに恐ろしいということだ。……てか、そもそもなんで俺が睨まれてんの?おかしくね?いつからこの世界の真面目という言葉は神経逆なでするような苦言にジョブチェンジしてしまったのだろうか。断じて遺憾である。……ほらみて?俺の足も震えているからね……。
恐怖に怯える情けなくも愛らしい我が両足を断腸の思いで叱責した俺は、誤魔化すようにキョロキョロと見慣れた玄関内を見渡す。そしてふと気が付いた。
確かやよいの話では、検事さんとかなえさんが来訪しているはずなのだが、それらしい靴は一足も見当たらない、どころか親父達の靴すら確認できないほど整然としていた。靴箱を開いてみてもそれらしい靴はなかった。
今、話しかけることは躊躇われるが、気になってしまったものは仕方がない。俺はあくまでも自然に、背後に立つ幼馴染みに問いかける。
「なぁ、確かに検事さんたちは
「ええ、そのはずだったのだけれど……。それにリビングに明かりすら点灯していないのも不自然じゃないかしら」
「あ、マジだ」
不甲斐ない限りだが、別の感情に支配せれていた俺は、指摘されて今更ながらその事実に気がついた。引っ越し祝いもとい、食事会が行われるのならもうじき支度を整えられていてもおかしくない時間帯のだが、しかしこれは一体……。
「私達が帰ってくるのを待ちかねて、どこかに行ってしまったのかしら」
「まさか。さすがにその可能性は低いと思うぞ。それに俺達だって連絡を受けてから最短最速で帰って来たんだぜ?」
「まあ、それには異論はないけれど……。なら一体、駿はこの状況をどう説明してくれるのかしら?」
挑発的な笑みを浮かべて、肩と肩がぶつかりそうな距離まで近づいて来たやよいがそう問いかけてくる。なるほど、どうやら我が幼馴染みの本調子がようやく戻って来たようだ。
だが、それとこれとは話が別である。
「まさかお前、さっきのリベンジでもしようって魂胆じゃないだろうな?」
それはボードゲーム研究部で行われたゲーム勝負のこと。最後に俺が勝ち越して、ペナルティーを言いつけようとしたその途中、両家の親父達か連絡が入り、中断を余儀なくされたあの一幕でのゲーム勝負のことである。
何度も言うように俺が二対一で勝ち越したのだが、我が幼馴染みは
「ふふ、ご名答。実は私、負けず嫌いなの。それにしてもよく見抜いたわね。あなたの前ではあのシャーロック・ホームズでも形無しね」
冗談めかしたやよいの言葉に、俺は待ったをかける。
「冗談はよせ。こんなのはただの予測の範疇だ。推理なんてご大層なものじゃない。俺なんかとあの有名な名探偵様を比べるのもおこがましいってもんだ。ファンに殺されたくないからそんなこと二度と言うんじゃない」
「あら、気に障ったのなら謝るわ。悪気があった訳じゃないの。けれど、そこまで自分を卑下する必要もないでしょうに。可哀想だわ、私が」
「──ってお前かよ⁉︎」
思わずツッコミを入れる俺に対して、しかしやよいはごく平然と、さも当たり前のようにこう言ってのけるのだった。
「ええ、当たり前じゃない。だって私にとっては貴台の名探偵様よりも、あなたの方がよっぽどかっこいいと、そう思っているのだから」
「──なっ!」
心臓が跳ねた。心が揺れた。体が悲鳴を上げた。果たしてこれは、何だ?夢か、夢なのか?それともこれが噂に聞く夢のオチというやつなのか!? はっ、しかしどちらにしても狡いことには変わりない、なんだよそれ……急な不意打ちすぎる、ダメだろ卑怯だろそれ!きっと今、俺を構成する色面は朱色になっているに違いない、あっ、なに自分で自分のこと考察してんだ俺は……、よし、一先ず落ち着こう!
一人深呼吸を繰り返す。
そんな俺をよそに、知ってか知らずか(恐らく前者)、やよいは何事もなかったかのように話を戻し始める。
「ふふっ、いい反応も頂いたことだしこの辺で推理勝負と洒落込みましょう」
「お、…おのれぇ…これが狙いだったかぁ」
「狙い?一体なんのことかしら?」
男の純情を弄んだ美少女は、頭上にクエスチョンマークを浮かべる演技までして見せる大根役者だった。ともすれば、今では何でも安請け合いしそうなほど舞い上がっている俺はせいぜい大根おろしに違いないけど……。
しかし、俺も男だ。一方的な試合は相応にして好きじゃない。ここは一つバシッと言っとかんといかんな!
覚悟も決まったところで、俺は意気揚々と言ってのけるのだった。
「だが断る、そんな口車に乗ってやらん、勝負にものってやらん……と、そう言いたい、
我ながら本当に現金な性格をしていると思う。いや、この場合、両成敗ということで俺は俺を納得させているのだから何も問題あるまい。人はこれを現実逃避と呼んでいるらしいのだが、現実から逃避して何が悪い。俺は悪くない、逃避させようと一考させる現実が悪い!
とまぁ、俺の醜くも愛らしい
しかし、しかしなのだ。だからといって、勝負を引き受けてしまった以上、そう易々と負けてやるわけなにもいかない。それはそれ、これはこれ案件である。
「うん、そうと決まれば善は急げだ。して、その勝負内容は?」
上から目線でちらりと横目に問いかけると、やよいはシャープな顎の下に左手を添えて、「そうね……」と呟きながら、いかにもというような思考ポーズをとって見せた。
……てか、俺達家の玄関で高校生二人は何やっているのだろうか? ──という至極真っ当な考えが浮かんできたのだが、気づかなかったフリをしたのは数少ない俺の美徳だろう。……そろそろ誰か俺を褒めてくれてもいいと思う。
そんな益体のないことを俺が考えている間に、優秀な彼女の頭脳が先に仕事を終えたらしい。
やよいは、ちらりと横目に俺という敵を、その山吹色に染まった瞳に捉え、ゆっくりと口を開いたのだった。
「題して、小田原家、音無家の両夫婦の行方を言い当てろ、ってとこかしら」
「……ま、まぁ、そんなんでいいんじゃねぇの、知らんけど……」
色々と突っ込みどころが見え隠れしていたが、あえて触れないでおこう。
だが問題ない。需要なのはいつだって中身の方なのだから。そして、この状況ならばお
可能なのは、というよりも確率的に言い当てれそうなのは俺の母さんと親父である小田原夫妻であり、十七年間家族をやってきた身としてはある程度の予測をつくのだが、音無夫妻も一枚噛んでいるとなると、その限りではない——はずだった。
そう今回、俺には既に及第点とも呼べる背景が浮かんでいるのだ。
つまり——。
「とりあえず俺から先に答えさせてもらってもいいか?」
「ええ」
「では僭越ながら」と前置きも程々に、俺は意気揚々に自分の憶測を口上する。
「シンプル・イズ・ベスト、俺は至極単純明快に買い出しと見た」
何の捻りもない面白くのない回答だが、真実とはだいたい肩透かし程度だったりする。だからこそ深読みするなかれ。親父あたりが言い出しそうなことだ。
「そう睨んだ訳をお伺いしても?シュームズさん」
「誰だよ、シュームズさんって。あれか?まださっきの流れ引きずってんのか?……ワトソンくん」
「ふふ、さあ、どうでしょうね。私にはあなたが何をおっしゃっているのかわかりませんな」
少し声を低くして、やよいはそんなことを言ってのける。……って、めちゃくちゃノリノリじゃねぇか。何だよこいつ……しかし、ふむ、なかなかどうして悪くはないな、うん。むしろありがとうございます。
そうやって、俺が満ち足りた気持ちにふむふむ頷いていると、それを目敏く見ていたやよいが腕組みしながら問いかけてきた。
「何よ、何か言いたいことでもあるのかしら?」
「べ、別に……何でもございませんが」
「うそね、にやけ面が気持ち悪いもの」
「な、なによぉ!?こっちが下手に出てるからっていい気になりやがって、お前こそちょっと見てくれがいいからって何でも好き勝手発言していいとは思うなよ?」
「ふん、私も馬鹿にされたものね。ちゃんと弁えているわ、私、あなた以外の誰かを卑下するような言葉を今まで使ったなんてないんだから」
我が幼馴染みは自信ありげにとんでもない爆弾発言を言いやがった。そして、当然の如く、その落下地点は我が心中でありまして……。
「……何それ初耳なんだけど、挫けそうなんだけど、軽く泣けるレベルなんですけど」
と、早くも俺の戦意が喪失しかけたときだった。
——ガコン!
一枚のスライドドアを隔てた向こう側、つまりリビングの中から鈍い衝撃音のような、言葉にすれば「絶対あれ痛いだろうなぁ」と、ついつい口を噤んでしまうようなそんな衝撃音が耳朶を打ったのだった。
「……」
「……」
さりとて、それだけで十分だった。充分に理解するに事足りるだけの情報量が揃っていた。
だから——。
「なぁ、これって無効試合ってやつじゃね?」
と、図らずもそんな言葉が躍り出るのも仕方がないことだった。しかしその一方で、問い掛けられた当の本人は憮然とした態度を崩さず、さも当然のような表情で思いがけない言葉を口にする。
「何を言っているのかしら。知らないの?世の中には『運も実力のうち』という故事が存在していることを」
「……ぐぅっ、ま、まぁ、それは存じておりますが……」
確かに、勝負事然り、運も実力の一部なのだろう。実際問題、やよいの場合、日頃の行いが良いせいかその信憑性は相応にして高い。その努力に免じて見過ごしてやることもやぶさかでない……のだが、ならばこのやるせない感情はどこへ開放してやればいいのだろう。この喪失感にも似た脱力感、肩透かし感、不完全燃焼さ、その他諸々掛け合わされたいわれのない感情の行方は
「はぁ、わかったわよ。この勝負は無効試合ってことにしておいてあげる。これで一勝できたとしても一生出来るとは思えないから」
「……?」
前半部分は理解できる言い分だったが、後半部分の妙な言い回しに思わずクエスチョンマーク。問い掛け直そうと口を開きかけるも、放った言葉は聞き覚えのある衝撃音の前に霧散していった。
──ガコン!
──ガコン!
厳密に言えば、今回は一衝撃音ではなく、二衝撃音だった。
「……デジャブ」
「……デジャブね」
どちらとなく呟いて、顔を見合わせ、一応家主の息子である俺が続きの言葉を音に変換することにした。
「まぁ、ほら、立ち話も何だし、とりあえず上がろうぜ」
「ええ、そうね。そうしましょう」
皮靴を脱ぎ、右足から上がり框に足を掛ける。やよいも丁寧に靴を脱ぎ、綺麗に揃えた上で(ついでに誰かさんのも揃えてくれた)、その後をてとてと追ってくる。
ドア枠を木製であしらったスライドドアの埋込取手に右手を掛ける。ガラス越しに見えるリビング内は、やはり暗闇に満ちていた。
スライドドア自体も特に抵抗することもなくスムーズの開いた。
リビングに足を踏み入れると、やはりカーテンも閉じられたリビング内は真っ暗で、しんと張り詰めた空気、時計の秒針音、木造建築ならではの独特のヒノキの香りを全身で感じる。
俺は光源求めてリビング内を記憶頼りに移動する。もちろん目指すは、アドバンスシリーズの照明スイッチ。
幸い、小田原家のリビングの広さは二十畳ほどで、加えて母さんが綺麗好きな性格も幸してか容易に照明スイッチがある壁際まで辿り着くことができた。あとは、スイッチを押しさえすれば電気回線を経由した電流が、フィラメントに発熱と発光を発生させ、シーリングライトに光源が生まれる——はずだった。
しかし現に発生したのは、シーリングライトの明かりではなく、「パン!パン!」と、不規則に耳朶を打つ乾いた破裂音だった。
「うぇ⁉︎」
「きゃぁっ⁉︎」
追って、俺のカエルのような呻き声と、やよいの悲鳴に近い驚き声がリビング内に響き渡り、驚愕した拍子に照明ボタンをワンプッシュ。すると、瞬間的にリビング内を冷ややかな光が覆った。
「……あ、あんたら、何やってんの?」
遍く照らされたリビング内に広がる光景を見て、思わずそんな言葉が漏れた。
まず、リビングに配置された家具・インテリア類にはさしたる問題は……あるにはあるが、一先ず不問としよう。
しかし、色とりどりの水玉やボーダー、あるいは星柄に至るまで、円錐形のパーティーハットを被り、それぞれ発砲済みのクラッカー片手にニコニコしてる大の大人四人を見逃すわけにはいかないだろう。
「……お母さん、それにお父さんまで……」
やよいも俺と同じ心境なのだろう。さすがの彼女も、目の前に広がる現実に、思わず口元に手を当てがい驚いている。
幼馴染みから視線を再び戻し、片膝立ちで俺達を見上げてくる、知りに知り尽くした四人の大人達を右から順に確認していく。
エントリナンバー 一番、小田原壱馬。
我が親父にして、光沢が煩わしい水玉模様のパーティーハットを被り、なぜかスーツに身を包んだ屈強な中年男。職業はサラリーマン。……パーティーハットが死ぬほど似合ってねぇな。
続いて、エントリナンバー 二番、小田原美代。
我が母親にして、フリンジ付きの星柄パーティーハットを被り、紺色のエプロンに身を包んだ見た目以上に怖いちゅうね……もとい美魔女!。職業はパート員。……あっぶねぇ、一瞬睨まれた、読心使いなの?
エントリナンバー 三番、音無検事。
やよいの父親にして、親父と同じパーティーハットを被っている、がしかし、細めのメタルフレーム眼鏡と未だ若々しいスタイリッシュな顔立ちおかげか、むしろなんだか似合っていたりする。そして、仕事終わりからなのかは定かではないが、この人もまたスーツを身に纏っている。職業は名前と同じく検事。……ご苦労様です、あとあなたまでなんて格好してんすか……。
最後に、エントリナンバー 四番、音無かなえ。
やよいの母親にして、全体をピンク色で彩り、金色の三本ボーダーであしらわれたパーティーハットを被っている。母さんとお揃いのエプロンを着こなすおっとりタイプの淑女。
職業は元医師、現在は専業主婦。
……それにしても相変わらずお若い。後十年若かったら個人的に診察して欲しかったです。
まぁ、こんな感じで一通り目を通したが、以前置かれた状況に今も全力で置いて行かれていることには変わりない。F1カーに自らの足で食ってかかるようなもんだ。
そんな右方左往戸惑う俺の表情から察してくれたのは、やおいの父親であり検事を務めるほどの観察眼を持つ検事さんその人だった。
そして、
そんなややこしい検事さんは、俺たち二人の訝しげな視線を受信すると、銀色に光るブリッジを左薬でスチャリと押し上げる。そして、母さんを挟んだ先で同じく片膝立ちを取る我が親父にひそひそと声を掛けだしたのだった。
「おい、カズ。子供達が戸惑っているではないか。早くお前から説明しろ」
「何?それはこっちのセリフだ、作戦考案者のお前から説明しろ。それにお前も知っているだろうが、俺は生粋の口下手なんだ。ちゃんとした説明できんぞ」
……あの、ひそひそ話、全部聞こえちゃっているんですが。それに親父が口にした自負は胸を張りながら口上するほどの内容ではないと思う。
ガヤガヤ言い争いもとい──責任転嫁を続ける二人の大黒柱。そんな二人の間に割って入る声が二つ。我が母さんとかなえさんだ。
「壱馬、あなたは黙ってなさいっ!」
「検事さん、貴方もですよ」
それぞれ口調は異なるものも、その奥に宿した凄みは一切の遜色がなかった。その証拠に、一家の大黒柱である二人は借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
どちらの家庭も尻敷かれるていることがひと目でわかってしまう場面を目撃した瞬間である。付随すれば、かなえさんが注意したときの顔、やよいのそれとそっくりだったなぁ……。
ちらりとその娘の顔を一瞥する。
全体的なパーツはかなえさん似だろうか。性格は検事さん似か?うーん、わからん。だが、将来やよいもかなえさんのような肌を刺すような微笑みを会得する日が来るのだろうか。今からでも想像できるから末恐ろしい限りである。くわばらくわばら……。
それでも状況が一変したのもまた事実。
いがみ合い全く話が進まなかった親父達の代わりに、俺の母さんが嘆息一つを吐き出すと、一瞬にして場の空気が一転した。……我が母親が怖すぎる件。祝アニメ化決定!
……てっ、待て待て俺、思わず現実逃避をしている場合ではないだろう!
現に、その間に母さんは立ち上がっており、追ってかなえさん、検事さん、親父の順と立ち上がっていた。
どこか儀式然とした親父達の振る舞いに、意図せずとも身構えてしまう。
四人を代表した母さんは、俺とやよいを交互に視線を通わせた後、ゆっくりと口を開いた。
「とりあいず、立ち話もなんだからこの騒ぎの説明は、あのソファーの上でゆっくりとさせてもらえかしら?」
「……俺は別に構わないけど」
「私も大丈夫です」
「そ。ありがとね。今からお茶を出すから駿とやよいちゃんは先に座っててちょうだい」
母さんはそう言って、軽く目配せをして見せると、パタパタとスリッパを鳴らしながらダイニングキッチンの方へと姿を消し、その背中をにこにこと微笑みを浮かべたかなえさんが追随する。
まるで嵐のような展開だった。
さながら俺とやよいは荒れ狂う海上に漂う一隻の小舟のようだ。このままでは思考が転覆するのも時間の問題だろう。
しかしだからといって、現在受動態を着込んだような俺たちには対応できる手段もなくて。結局、一抹の不安を抱えながら、俺とやよいはどちらとなく指定されたL字型のソファーまで足を運ぶのだった。
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