10. 決着
ブルーLEDマウスに添えた右手の人差しから響く、か細いクリック音。
赤外線を通じてデバイス処理された電気信号はPC本体に伝送され、プログラムを反して即座に画面内のアバターがトリガーを引く動作を取る。
引かれたトリガーによってハンマーが落ち、ストライカーが叩かれ、弾薬の後部にレイアウトされた雷管に衝突することで瞬間的撃発を起こし、弾薬内の火薬に引火して高温高圧ガスを誘発。発生したガスによって押し出された弾がバレル内を加速。
刹那、「——ボツッ!ボツッ!ボツッ!」と、毎分六百発以上の速度で放たれた弾丸がスパンの短い低音を空気中に共鳴させる。と、同時に、薬室に三十発装填された7・62㎜弾が一定のリズムを刻み銃口から発射され、弾薬は高速回転を伴い、空間を震わせ、空気を切り裂いき、そして深紅のエフェクトが宙を舞った。
「……か、勝った……のか」
確かに、目の前の画面上に映し出されるは『Congratulations !』一四文字。
しかし、肌をひりかすようなあの緊張感が今なおこの全身を絶え間なく苛み続けているせいなのか、全くもって『勝った』という実感が沸いてこなかった。
キーボードに添えた両手を離したその瞬間に、たった十四文字の英単語が消え去ってしまわないだろうか。
そんな益体のない思考が思わず浮かんできてしまうほど、先ほどの戦闘は濃密で、かつ息を呑んでしまうような切迫した緊張感、されど心の底から楽しめた至高のひと時だった。
結果的には今回、俺の勝利をという結果で形でこの三本勝負は終結を迎えたものの、きっとこの感情は勝敗など関係なかった──そう思えたのではないだろうか。
黄金色の斜陽の中、キーボードに両手を添えたまま、隣で俯くやよいの姿を目に映すまでは──。
神秘的で儚げな姿だった。
触れた瞬間に消えてしまうのではないかと思ってしまうほどに。
でも、どこか感傷めいた幼馴染みの姿に思わず言葉が詰まってしまう。
煌々とした陽光に照らされた亜麻色の前髪で表情こそ伺えないが、漂わせる雰囲気は共に過ごしてきた十七年間という月日の中で、見たことがないほどショッキングなもの感情を匂わせている。
「……」
ズキリと胸中が疼いた。見ていられない、いや、素直に見ていたくなかったのだ。
彼女が今日、どんな思惑で、何の意図があって、突然ゲーム勝負なるものを仕掛けてきたのか分からない。けれど、少なくとも俺は彼女の悲壮な姿を見るために勝負に乗ったわけじゃない。
彼女は音無やよいだ。
幼い頃から肩を並べ、共に成長し、笑ったり泣いたり喧嘩して、十七年間一緒に過ごしてきた幼馴染みだ。他人の前では冷静沈着で、完全無欠を字で書いたような女の子だ。誰しもから切望と尊敬の眼差しを向けられる信仰的な存在。
でも、そのみんなが思い描く彼女の姿は、音無やよいという少女のほんの一部でしかないのだ。
──俺は知っている。
一見、落ち着き払った性格をしているが実は勝負事になると熱くなり、相当な負けず嫌いを発揮して見せる。さらに、負けるとなると直ぐに機嫌を損ねて拗ねてしまう子供らしい内面が存在していることを。
そのくせ、こちらから気を遣って励ましの言葉を投げ掛ければ、「同情するならもう一回」と、どこかで耳にしたことがあるフレーズを宣い、ならばと、逆にほっぽっていたらはいたで、無言の圧力を宿した瞳で睨み付けてくる始末。……理不尽すぎる。
まあ、下記の通り、音無やよいという少女は意外と面倒臭い女の子なのだ。だいたい、完璧な人間など存在するはずがない。それは第三者が思い描き、押し付けにも似た架空の存在であり、憧憬から生み出されたの幻想に過ぎない。
どんなに優秀な人間でも欠点の一つや二つなど存在して当たり前であるべきだし、そんなこと言い出したら欠点に満ち溢れている俺なんか目も当てられないどころか排除代償請け合い。
それでも欠点がないと言い張る人間がいるならば、欠点がないことが欠点と言って然るべきなのだろう。
「……結局、俺も一緒かぁ」
今なお心中に渦巻く感情を、つり合っていないからと、十七年間取り繕い、誤魔化し、目を逸らし、言い訳をこまねいて、偽って、そうやって逃げてきたのだから。
だけど、それはもう終わりだ。今日をもって幕切れとなる。
俺は、俯く幼馴染みの背もたれの両端に両手を添える。その瞬間、びくりと華奢な両肩が震える。それでも構わず、椅子をやよいの体ごと左へ九十度回転させる。
普段と異なる俯く幼馴染を正面に、俺は下から覗き込むような姿勢のままゆっくりと言葉を紡いでいく。
「実はさ、やよい。お前に一つ、言わなければならいことがあるんだ」
「……」
俺がそう前置きすると、俯きながらも、やよいは聞きたくない首を横に振る。
その仕草がどこか懐かしくて、愛おしくて、表情筋が仕事をしてくれない。気がつけば絹のようにさらさらとした亜麻色の頭に右腕が伸びていて、慌てて引っ込める始末。
……くそ、やられた。思わずしゅんとした塩らしさに負けてしまうところだった。
短く呼吸をして、気を取り直すように問い掛ける。
「……聞きたくない、と?」
「……」
やはり俯きながらしかし今度はこくりと頷いたてみせた。
なるほど、これは困ったものだ。
了見もろくに話していないうちに、聞かれずして拒否られてはどうしようもできない。
もちろん、強引に、あくまでも一方的に話して聞かせる手法も手段もあるのだが、だからと言って、今から話す内容には適切な方法とも思えないし、何より根本的に間違っている気がする。
そしてそれは、どう説得しようかと頭を捻らせているときだった。
突如、ズボンが振動し、教室内には二つ音に満たされた。一つの音源は俺の右ズボンの中から、もう一つの音源は目の前、つまりやよいの持つスマホから鳴り響いている。
(いったい誰だよ、これからってタイミングだってのに……)
あまりに間が悪いタイミング、それも二人同時とは珍しいこともあるものだ。と、内心毒付きながら、皮肉にもなかなか顔を上げてくれなかったやよいと初めて視線を交わし、俺が席を立つ形でお互いにスマホを取り出した。
見慣れた液晶画面上には、『親父』と表示されていた。
一瞬、「スルーしよう」という考えが浮かんだが、背後から聞こえてくる応答を小耳に挟み、仕方がなく画面をタップ。……てか、今日仕事じゃなかったのな。
そうして、一拍おいてから聞こえてきた知って然るべき存在と思しき声を鼓膜に、電波の優秀さを知る。
「……なんだよ親父」
『愛しの父親からの電話だと言うのに第一声が「なんだよ」とは随分と辛辣だな』
「……いや、別に普通だろ」
『いいや、昔のお前と比べりゃぁ雲泥の差だぞ。あの頃はそりゃぁ可愛かったんだぞ。そうだなぁ、あれはまだお前が——ってイダッ!』
スマホ越しにパコーンとポップな音が聞こえてきた。親父が脇道に逸れようとするのは平常運転だが、それを
そんな二人は昨日、本日の俺の行動範囲を既知済みなのだ。さすがに時間指定までは言っていなかったが、何か急用でもできたのだろうか?
名の知れぬ一抹の不安を胸に、俺は足早に途切れた話の続きを促すことにした。
「それで、用件は?」
『あ、あぁ、実は今すぐお前に大事に話があってだな』
「大事な話?」
『そうだ。お前の人生にも大きく関わる話になるとても大事な話だ』
「だから……なんだ?一旦帰って来いってかぁ?」
『そうだ』
「しかし親父、今、俺は昨日説明した通り、くだんの件をやよいに伝えるために学校にいるんだけど」
『ああ、もちろんそれも承知済みだ』
「ってことは、やよいも込みで帰って来いと、そう言っているのか?」
『我が愚息ながら察しが良くて助かる』
貶しているのか褒めているのか、この際の判断は一時保留として……。それはそれ、これはこれと、なお俺は親父に問い掛ける。
「だが親父、俺達も今それなりに大事な場面なんだ。それは本当にこっちをほっぽりだして向かうような話なのか?」
『言っただろう、お前の人生にも大きく関わる話だと』
果たしてそれが本当ならばまるで予想が付かないが、親父の声色から判断するに嘘は言っていなそうだ。
ともすれば俺に人生に関わる話ということは一体どれほどの内容なのか。俺は至急これまで過ごしてきた十七年間という月日を振り返ってみれど、自分の人生を左右する選択肢など片手で数えられるほどなのに、これからの人生となれば皆目検討もつかない。
裏を返せば、当の本人でさえ予測もつかない人生のターニングポイントを親父は知り得ていのかということ。そして解決方法確かめる方法はたった一つ。
先ほどの三本戦で酷使した脳を懸命に巡らせる。
だが、そんなことを考えているうちに、親父は、『待っているぞ』と、満足そうな声色を乗せた言葉を最後に、一方的に通話を切ってしまった。
「おい、もうちょっと説明を──って、もう遅えか……」
コールバックを試してみたが、無慈悲なビジートーンが代弁してくれるだけ。肝心なところで役に立たないところが我が親父が親父たる所以である。
「はぁ……」
しかし、親父も厄介な物言いをしてくれたものだ。
親父いわく、事は俺の人生において、多大なる影響を及ぼしかねない重大な話であり、それ以下でもそれ以上でもない独特のニュアンスが含まれていた。
だとすれば、自分の眼で確認する以外の選択肢はない、ということなのだろう。
「なぁー、もう、どうすりゃぁいんだよこの状況……」
すっかり大人しくなったスマホをズボンの中に戻し、嘆息一つ。
先ほどから喉奥に突っかかり取り外し損なった言葉のタイミングも完全に逃しまたというのに……。
諦念蔓延る思考の中、ひとりで考えて仕方なしと俺はゆっくり振り返る。すると、やよいの方の用件も済んだいたのだろう、ぎゅっと両手でスマホを握り締め、どこか伺うような目線をこちらに向けて立っていた。
さて、どうしよう。
正直どこまで話せばいいのか。引っ越しの件か、親父の帰宅要請の件か、勝利報酬の件か、それとも……。
逡巡に逡巡を重ねた結果、当初の目的通り引越しの件を伝えようと、口を開こうとした——まさに直前だった。
意外にも、先に沈黙を切ったのはやよいの不安げな声色だった。
「駿、さっきの電話の件で一ついいかしら?」
どこか浮かない顔だった。
「先ほどの通話の相手は私の父さんからだったのだけれど、その……今、うちのお母さんとお父さんが小田原家にお邪魔していて、理由はまだ把握していないけれどあなたの両親と共に私達の帰宅を待っているらしいのよ。それで、あなたと一緒に帰って来なさいって……今、そう言われたわ」
「……マジか」
先ほど交わした親父と会話と、今し方、やよいが交わした親父さんとの会話、同じタイミングで似通った話の内容……、偶然と呼ぶには些か出来すぎている。加えて、うちの両親と音無家の両家が小田原家に揃いも揃っているという情報から加味して、何か企んでいるとしか思えない。ともすれば、大まかな予測を立てることもできる。
俺の両親とやよいの両親は幼馴染み同士だ。俺に引っ越しの話題が出たその日、音無家にも件の話を告げていた可能性は十二分に高い。親父達の中では、その話題が俺達二人の間では、すでに共有した問題だと思い込んでいるのではないだろうか。要するに早とちり。恐らく気落ちしている俺達のことも視野に入れて、今日、両家揃って引越し祝いという名目で食事会となる催しを実行するのだろう。
しかしそれでは、『人生に大きく関わる話』とは引越しの件とは異なる特色を放つことになる。
「……とりあえず、戻ってみるか」
世の中には、百聞は一見に如かずという
呟くように放った俺の言葉に、やよいも「わかったわ」と首肯した。
胸裏にわだかまる一抹に不安を残しながら、部室の清掃を行い、俺達が荷物を持って学校を後にしたのは十分後のことだった。
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