第2話

 それからの私達が距離を埋めていくのに、時間は掛からなかった。

「どうだった?」

 出会ってから二ヶ月でここまで心を開けたのは、鹿子が持つ穏和なオーラのおかげだろう。

 この日も二人で映画館へ赴き、小洒落たカフェでコーヒーとカフェモカを挟み感想を交わし合う。

「真嶺さんが仰っていたように、アクションがとっても派手で……ずっと楽しかったですっ」

「それは良かった。それじゃ今度は前作も観てみない? 今観たやつの前日譚なんだけど、きっと鹿子も気に入ると思うわ」

 チヤホヤされたいという私の欲求を、鹿子は巧みに満たしてくれた。これまでの仕事で溜まった愚痴を何も言わずに聞いてくれたし、忍ばせた自慢話も目敏くキャッチして大げさに褒めてくれる。

「はい、是非!」

 そして私が抱いていた誰かとどこかに行きたい・何かをしたいという妄想、使うあてもなく貯まった金、更には私以外誰も乗せたことのなかった寂しい車が全て噛み合い、鹿子が休みの日には二人で出掛けるようになっていた。

「ちょっと話過ぎちゃったかしら。そろそろ出ましょうか」

「……あの、もう少しだけ……」

「嬉しいけど明日もお仕事でしょう? 遊びにはいつでも行けるんだから。ほら、帰るわよ」

「……はい」

 鹿子はアパレルショップで働いており休みは基本平日、そして連休は少ない。私は完全にフリーとなったので時間に追われることはあまりないから、彼女の体調を一番に考えなくては。


×


「小腹空いちゃった。ちょっと寄ってもいい?」

 実家暮らしである鹿子の家へと車を走らせ、好きな音楽を掛けてドライブを楽しんでいれば、あっという間に高速を降りて一般道へ。

 ハンバーガー屋が何気なく目に入り、急激に空腹が加速した。

「もちろんです」

 オシャレなカフェにあるデザイン重視のお菓子ばかり食べていたからだろうか、とにかく体がジャンキーな濃い味を求めている。

 駐車場に車を停め、注文を済まして車内に戻り紙袋を広げた。

 ごちゃごちゃした店内で食べるより、こうして鹿子と二人きりの空間を楽しみたい。

「付いてますよ」

「あら、ありがとう」

 濃い味を求めてテリヤキバーガーなんて頼んだものだから、口元にソースが付いてしまったらしい。それを指で拭い、そのまま自身の口元に運んだ鹿子。

「っ」

 その艶めかしい動作と、その動作に跳ねた鼓動を見て見ぬ振りして咀嚼を続ける。

「「ごちそうさまでした」」

 ゴミをまとめて食後のコーヒーを堪能。ささやかながら最高のひと時を過ごした。

「寄り道しちゃってごめんね、それじゃあ行きましょうか」

「待ってください」

 キーを回そうとした私の手を制止すると、鹿子は今までにない強い瞳で見やる。

「真嶺さん、私……期待してもいいんですか?」

「…………」

 遂に、遂にこの時が来てしまったか。この二ヶ月間、同様の雰囲気を鹿子が醸し出した事は何度かあった。それでもこうして直接的な言葉を言われるのは初めてだ。

「えっと……期待っていうのは……」

 そして日和る私。年上なのに何やってんだ……。

「お気づきかもしれませんが、私は真嶺さんのことが好きです。その……恋人になりたいという意味で、好きなんです」

「……うん」

 もちろん知っていた。そもそも出会った場所が場所だ。それに、鹿子はその感情を隠そうとはしていなかった。

「年とか……結構離れてるよ?」

「気にしません」

「女子力とか、全然無いと思う」

「そんなものなくたって真嶺さんは素敵です」

 口頭弁論が終わり沈黙に支配された車内。

 鹿子は重い空気を振り払うように小さな声で「嫌だったら本気で拒んでくださいね」と呟くと、両手で私の頬を包んだ。

「っ……」

 怯む心が、これから彼女が何をしようとしているのかをすぐに察して、察した通りの行動をする鹿子。

「ちょ、ちょっと待って」

「……ダメ、ですか?」

「そうじゃなくて」

 ああ、これまで必死に塗りたくっていたメッキが剥がれてしまう。この子の前ではなるべく格好良い、出来る女でいたかったんだけどなぁ。

「私さ、今日までいろいろ格好つけてきたんだけど……こういう経験、一切ないんだよね。だから緊張しちゃって……」

「それは、真嶺さんは今まで……男の人とお付き合いされていたんですから、当然だと思います」

「いや……そうでもなくて……」

「えっ? まさか――」

 今まで強く凛と張っていた鹿子の瞳が、潤むように輝いた。

「――まさか今まで、恋人がいたことが……ない、とか?」

 ……はい、そのまさかです。二十六にもなって一度もございません。

 部活、勉強、仕事……とにかく今までは恋人を作る以上に打ち込みたいことがあったわけでして……。

「……うん」

「き、キスも、ですか?」

「…………うん」

「じゃあ私、真嶺さんの体に初めて触れる、初めてキス出来る人間ってこと、ですか……?」

「そう、なる、ね」

「~~っ!」

「………………ダサくてごめん」

「そんなことありません! 私……」

 鹿子は私の頬から手を離し、ハンカチで瞳を抑えて言った。

「ちょ、泣くことないじゃない」

 どういう? どういう涙? あんまりにダサすぎて引いちゃった!?

「ごめんなさい、あまりにも嬉しくて、幸せ過ぎて……。私、そういうことは気にしないタイプだって思ってました。実際、真嶺さんに経験があっても変わらず愛していたと思います。だけど……その、やっぱり、どうしても……嬉しくて……!」

「そ、そう」

 今、サラッと愛してって言ってた……最近の子のアプローチってこんなにすごいわけ……?

 でもこの反応に嘘はなさそうだ。……良かった。

「でしたら真嶺さんが怖くなくなるよう、ちょっとずつ慣らしていきましょう? 無理になんて、絶対にしませんから」

「……ん、そうね。そうしてくれると助かるわ」

 デートのエスコートに関しては、ネットの口コミと金に物言わせるだけだったから心配はなかっただけに、夜のエスコートも期待されていたらどうしようという私の不安は、こうしてあっさりと解消される。

「それじゃあ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 家の近くで鹿子を降ろして帰り道、また新しく勉強しなくちゃいけないことが増えたことで、一抹の不安と、それを塗りつぶす期待に胸が高鳴った。

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