【初恋と失恋】~とある女官~


 「夜条風華家侍衛、結婚するみたいよ」


 「――――え」


 私にとってそれは、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃だった。


 女官達の噂によれば家の格が低い、麗優淑との縁談が決まったらしい。

 名前は耳にしている。彼女は確か第一皇太子を助け、陛下の褒美で陽敬宮に仕え始めたばかりの女官だ。


 しかし彼女は平民、夜条風華侍衛は格の高い伯爵家の息子だ。彼は今までどんな令嬢の縁談も断ってきた。なのに何故、よりにもよって身分に格差がある女性を選んだのだろう?


 彼の結婚相手に一番近いと囁かれていたのは、はん杏林きょうりんだ。内閣学士・はんぎょくの娘で包衣ボーイ出身、皇族に劣るものの名の知れた令嬢である。彼に近付く女子おなごがいても鼻で笑うくらいの余裕と自信があり、周囲で彼に想いを寄せる者は表向きの付き合いとは裏腹に妬んでいたに違いない。


 「何で……」


 私も祖父が大学士なだけに、僅かな希望は抱いていた。彼がこのまま縁談を断り続けていれば、いつか自分に縁談が舞い込むのではと淡い夢を抱いていた。


 けれど彼は、突如として現れた平民を選んだ。


 「私の方が」


 「いいえ私だって」


 徐々に女官達の語気が荒ぶる。そこへ丁度、話題の人物が通りかかった。夜条風華煌侃とフォンネス・クライトンだ。


 「――なあ煌侃、もう決まった?」


 「なにがだ?」


 眉目秀麗で身長が高い彼は一際目立つ存在だ。女官達はすぐ釘付けになる。


 「なにってさ、優淑ちゃんの花嫁衣裳」


 フォンネス侍衛の発言で女官達は一瞬に硬直した。


 「昨日の今日で決まるも何もないだろう」


 認めたも同然の返しに心臓が締め付けられる。私達は女官が居所きょしょする忠宮ちゅうきゅうの前で横一列に並び、彼らに敬意を払いお辞儀した。


 彼はフォンネス侍衛と無言の会釈をする。薄い茶色の瞳に私は映っていない。


 「駄目だぞ煌侃、積極性に欠けた男は嫌われる」


 「煩いぞ、フォン」


 夜条風華侍衛が鬱陶しそうにフォンネス侍衛を睨んだ矢先、刹那に双眸が揺らめき普段は見せない笑みを口角に宿した。私がみる初めての彼の表情だ。


 「いったい――」


 彼の目線を辿ると白生地に桜の刺繍が施された女房装束を纏う女官がこちらに歩いてきていた。私は彼女が誰かすぐに察しがつき、てのひらの汗を握る。


 「どうした優淑」


 ――麗優淑だ。


 彼が、彼自ら、彼女の名を下で呼び、駆け寄った。


 「煌侃様、漢方に使う薬草を摘みに鈴華園にいくところです」


 彼女も又、自然と彼の名を下で呼んだ。容姿端麗な彼女の雰囲気は儚く、欲が一切ない無垢な笑顔を彼に向けている。


 「優淑ちゃんおめでとう、煌侃と結婚するんでしょ」


 フォンネス侍衛はこちらを尻目に、わざと――わかっていて、ここにいる女官がいま最も知りたく、最も聞きたくない質問をした。本当に腹立たしい性格の殿方だ。


 「あ、の……、はい。ありがとうございます。フォンネス侍衛」


 彼女は素直に礼を告げ、照れた様子で夜条風華侍衛を見上げる。彼は彼女に小さく微笑み、踵を返した。


 「フォン、見回りを頼んだ。私は優淑を鈴華園に届け合流する」


 「休憩時間だしお好きに~」


 軽い返事をしフォンネス侍衛がひらひら手を振る。


 「え、や、でも、煌侃様」


 「いくぞ」


 彼は戸惑う彼女の背に手を添え、来た道を戻って行った。他の女性とまるで扱いが異なり、隣を窺えば皆一様に悔し気な面持ちで下唇を噛んでいる。突き付けられた現実と唐突な失恋に誰もが動けない。


 そんな私達にフォンネス侍衛がとどめを刺した。


 「もしかして自分は特別になれるって期待してた? 仲良しなフリして皆を出し抜いてさ、自分が煌侃の妻に相応しい、自分は皆と違うんだって、烏滸おこがましくて笑えるよね。お前ら全員一緒の勘違いだよ。勝手に失恋すんのはいいけど、藩杏林は嫉妬で優淑ちゃんを殺めかけて酷背舎送りだ。まあ二の舞を踏むのは自由だよ。煌侃の逆鱗に触れる勇気、君達にあるのかな」


 冷笑を浮かべ忠告するフォンネス侍衛は、図星で反論できない私達を置いて何事もなく立ち去る。彼の傷口に塩を塗る刺々しい言葉の数々に傷ついた、それが正論だからだ。


 彼に恋した理由はない。気づけば目で追っていた。

 会えた日は嬉しい、会えなかった日は想いを募らせる。

 私の世界の中心は彼になっていた。


 格好よくて強くて正義感に溢れていて、ただただ好きで仕方がない。


 「…………ッ」


 彼女のどこに惹かれたのだろう?

 彼女のどこが好きになったのだろう?


 嬉しくて、切なくて、苦しくて、痛くて、やっぱり好きで、堂々巡りな恋心だ。


 彼女が羨ましい。彼に望まれた彼女になりたい。


 彼の愛を独り占めする彼女が憎い。


 「人は欲の塊よ……」


 他人を騙し欺き蹴落としてでも手に入れたかった人だ。綺麗な蓋をした箱の奥底にある醜い泥の感情が涙となり零れ落ちる。


 「……理屈じゃないのっ」


 行き場のない怒りと悲しみが歯痒い。私の前触れなく始まった初恋がいま、音もなく静かに終わりを告げた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初恋初愛 福(ぷく) @pukupukupu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ