第五話:陽敬宮
「――
「
優淑の見送りに力強く頷いた煌侃が陽敬宮を後にして、かれこれ
「……かわいい」
無論、
彼女の肌を際立たせる上質な生地は、理想を求めた良好な白だ。髪は
「……大丈夫」
きっと慣れるはずだ。優淑は自分を励ましていた。
「――よし」
そして最後に藤の花の耳飾りをする。これは優淑の父が母に贈った、優淑にとっては亡き母の形見でありお守り代わりだ。
「ねえ~、私手伝うわよ~?」
準備を終えて優淑が気合いを入れたとき、タイミングよく間仕切りのカーテン越しに声が掛かった。優淑は慌てて返事をする。
「すみません! いま終わりました!」
「なんだ、終わってたのね……」
至極残念な語調でカーテンを開けたのは、陽敬宮の上位階級の侍女、
「さすが皇后様がお選びになった装束ね。似合ってるわよ」
上下、前後、じっくり確認し、葉華が緊張気味に反応を覗う優淑を褒めた。
「ありがとうございます」
葉華の高評価を受け、優淑はほっと安堵する。
葉華は稀にみる美形の女性だ。目鼻立ちが通った中性的な顔立ちで、しっかりした顎の骨格に余計な丸みはない。深い彫りが各パーツの主張を強めていて、化粧っ気がない彼女の元々の美しさを印象付けた。
彼女の女房装束も又、優淑同様ワンピースの形だ。明るい緑味の青生地に雪輪が描かれている。高い位置にある二つ結びのお団子頭にはかすみ草と紫陽花の髪飾りをしていた。履物はもちろん黒の三枚歯下駄だ。174㎝と高身長な葉華は、下駄の厚みを含めると180㎝に等しい。
「じゃあ今日は花壇の手入れを教えるわ」
「よろしくお願いします」
優淑は葉華の後ろをたどたどしく歩き、すれ違う女官に挨拶しながら移動した。陽敬宮は昌映が好んだ花がたくさん植えてある。
優淑は石畳の
「昌映様がいま一番気に入っていらっしゃる、ジニアよ。暑い夏から秋まで咲き続けるの。100日以上のあいだ咲き続けるから百日草と呼ぶ他国もあるみたい」
葉華が丁寧に解説してくれるジニアは、耐久性に優れていそうな鉄製のアイアンフェンスに囲われる。赤、白、橙、黄、と花の色が豊富で、形も大輪、小輪とこんもり咲いていた。
「ジニアは株が蒸れると病気になりやすいの。朝夕の水やりは株元を意識してあげるのよ」
「はい。株元ですね」
「
「はい。注視します」
「夜条風華侍衛とは仲が良いの?」
「は――、え?」
突然、煌侃の質問が飛んでくる。危うく流れのまま優淑は肯定しかけた。聞き間違いか瞬きをする。
「だって、
そこはかとなく、葉華の口振りには棘が刺さっていた。再度問い、首を傾け催促する。優淑に逃げ場はない。
「煌侃様はお優しく、崇爛城に不慣れな私を何かと心配して下さって……。仲が良いと断言するにはいささか付き合いが浅い気が……」
優淑は煌侃と知り合ってまだ数日足らずだ。仲が良いも悪いもない。ただ否定も極端すぎる。優淑は角が立たないよう言葉を選んだ。
「お優しい……心配……、確かに誠実な方で女性蔑視しない殿方だけど、女性と個人的に親しくする姿は初めて見たわ。夜条風華煌侃、容姿端麗で才色兼備、軍将官で前途洋々、おまけに名門貴族で右に出る者がいない伯爵家の息子、女官の憧れの的なのよ?」
葉華はどこか鈍い優淑に興奮気味に熱弁した。だが上手く通じず、優淑は的外れな解釈をする。
「――三拍子揃った素晴らしい煌侃様に、葉華さんも好意を抱かれているのですね」
「いいえまったく微塵と毛程もないわ。じゃなくて、ああ、……こんなに可愛くて純粋な子が宮中に……、夜条風華侍衛は
優淑の考えをぴしゃり打ち消し、葉華は頭を抱えぶつぶつ
息をひとつ吐く葉華は、優淑に届かない囁き声で呟いた。
「
「葉華さん?」
「陛下が即位なされて数年、法律も改正されたわ。優淑、後宮は知識も必要不可欠よ。学はあるの?」
ころり再び、唐突に話題が変わる。優淑は貧乏でないにしろ、勉学に励める環境におらず、字の読み書きや礼儀作法は父親に教わった程度の最低限だ。
恥に思ってないものの、あるに越したことはない。優淑は申し訳なく謝った。
「すみません」
「優淑、貴女を
「はい、葉華さんを信用しております」
「賢明よ。いい? 優淑、ここ数年で秀女選抜試験の廃止、貴族の側室廃止、崇爛城や後宮の在り方がめまぐるしく変転してるの。無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり、他国の学者の名言ね。女性も学んで、知識を得て、行動や経験が大事な時代になるわ。私と折を見て勉強しましょう。私は貴女を指導する立場だもの、ね?」
まるで異国の言語だ。矢継ぎ早に呪文を唱えられ、途中、優淑は意識が遠退きかける。語尾の「勉強」「指導」が耳で拾えた精一杯の単語だった。
果たして葉華の手ほどきに耐えれるか不安が募る。片や令嬢、片や平民だ。
「…………」
暫しの間を置き、優淑は喉奥に溜まった唾液を飲み込むと、意を決して
「……ご厚意有難く、ご教授願います」
「ええ、こちらこそ。じゃあ裏手に周りましょうか、続きは夜ゆっくり話しましょう。質のいい茶葉があるの、美味しいわよ楽しみにしてて」
「わ、わ、葉華さん! ま、待って、転びます!」
優淑の手をぐいぐい引く葉華の機嫌は最高に良い。優淑は足が縺れ転倒しそうになるのを必死に耐えながら、満面の笑みを湛える葉華につられて小さく微笑んだのだった。
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