第六話:漢方薬
細かい葉の隙間をキラキラ零れる葉漏れ日が美しいとある日の午後、陽敬宮に
「――先生、ありがとうございました」
「
「はい。心得ております」
「うむ」
侍医は
しかし
「
ケイヒ、シャクヤク、トウキ、ツアイシンなど、十六種類、一定時間煮だした生薬だ。昌映の体質に合わせた配合の漢方薬になる。
長年季節を問わない
「ありがとう。
「陽敬宮の
陽敬宮の敷地に小ぢんまりと建つ薬室は、棚一面が薬棚になっている。引き出しに薬草の名前が書かれているけれど、幾分、数が多すぎて優淑はさすがにまだ薬草全部の場所を覚えられていない。
「ふふ、そうでしょう?」
「はい。
「勉強熱心ね優淑、他の侍女も感心していたわ。でも徹夜は褒めてあげられないわね、体を壊しては本末転倒よ」
「微力で恐縮ですが昌映様のお役に立ちたく……」
昌映は指摘をするものの眼差しは優しい。心情を吐露した優淑は俯き、消えゆく語尾に反省の色を滲ませた。「気づけば朝だった」の言い訳は通用しない。
「無理をしない約束を守れるのなら、今度、貴女が煎じたものを飲みたいわ」
「……はいっ!」
昌映の人情の厚い申し出に、顔を上げた優淑は満面の笑みだ。優淑は素直で純粋、一心一意の姿勢に豊かな感受性を持ち、謙虚で慎ましく笑顔が絶えない、観察力も備わっており加えて後宮の
身分差婚が許されない時代――、の仕来りが現在も根強く残る貴族育ちの多くの女性は身も蓋もないが男性の富、地位、名誉が何より大切だ。嫁いだ後も相手の性格云々の良し悪しは二の次で、夫の出世が生き甲斐となる。
もちろん名門貴族出身の昌映も例外ではない。その中でも良き夫に嫁ぎ二人の子供に恵まれ、大事にすべき女の徳を学んだ数十年、夫は冥土に旅立ち二人の子供は自立、何時しかあとは陽敬宮にてどのように余生を送るかだった。
正しくそんなときだ。孫の煌侃の縁談が増え、昌映の心配の種となったのは――。
獅龍帝が即位後――結婚相手が曲がりなりにも自分で選べる現代、煌侃は「生涯を共にする人は愛する者がいい」ときた縁談をすべて断り続けている。
昔の昌映なら煌侃の意思など関係なく品位ある貴族の令嬢と祝言を挙げさせていただろうが、彼女も人生であらゆる経験をし、今となっては煌侃を尊重し希望に沿う相手を娶らせてあげたい
しかれども彼自ら慕う女性が近い将来現れるかどうか、最良の縁を天が運んでくれるかどうか、夜条風華家の行く末を不安視していた。
煌侃は頑固者で自分で決めたことは譲らない。長引くだろうと夜条風華家の誰もが諦めかけていた問題に、いま、突如として解決の兆しがみえる。目の前にいる優淑が唯一の希望かもしれないのだ。
新しい世を担う先駆ける若者の力になりたい。
「優淑、
年老いの最後の務めだ。昌映は御節介な話題を振った。
「あ――いえ、機会がなく」
働き詰めの毎日だ。色恋に費やす時間は微塵とない。
唐突な質問に疑問を抱かず優淑は答えた。望んだ返答に深く息を吸う昌映は優雅で華奢な刺繍の入った
扇子に染み込ませた香りがふんわり空気に溶けていく。
「
昌映は
「肝に銘じます」
「そうそう、失念していたわ。優淑にお願いがあるの」
語調を荒立てず芝居臭さを消す昌映は演技が上手い。
「何なりとお申し付け下さい」
「煌侃に手拭いを縫ってあげられないかしら?」
「煌侃様に手拭いを、ですか?」
「ええ。来週に控えた武道演武大会の演習が本格化すると数枚は不便でしょう? 自主練を怠らない子が家に帰らず
「武道演武大会……! 謹んでお受けしたいと存じます!」
手拭いの謎が解け、優淑が嬉々として引き受ける。武道演武大会は崇爛城の盛大な行事だ。鑑賞許可が貰えない平民と縁遠い催しのため、優淑もすっかり忘れていた。宮中女官となったいま、優淑は無条件で大会を観れる。
昌映は扇子を前後に揺らし、
「
「はい昌映様、こちらに」
音なくスッと出現した淡淡が扉のない部屋の境目で膝を突いた。宮中衣服や軍服を
「手拭いを縫いたいの。生地を持ってきてちょうだい」
「――
「肌触りの良い晒し生地に、そうね、色合いは数種類。相手は殿方よ、粗雑で派手な柄は避けて」
昌映の指示に淡淡が首肯する。まるで侍衛や宦官の立ち居振る舞いだ。
「――
要求に応じる判断が素早い。淡淡はほんの数分で退出した。
「私も手先の痺れがなかった頃はよく縫物をしていたわ」
「後宮随一であったに相違ございません」
優淑の弁舌に昌映は頬に皺を寄せ苦笑する。
「ふふ、まったく優淑ったら大袈裟ね。陽敬宮外で言ってはなりませんよ」
「
「優淑、
「……はい」
苦言を呈され甘受した。優淑が唇を尖らせて子供染みた仕草をする。
「煌侃が気に入るよう、お願いよ優淑」
「全力を尽くします」
昌映の期待を超えたい。瞬時に気持ちを切り替えた優淑は、意気込んで
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