第2話 覚悟

「し、失礼しました、こちらへ」


咳払いの後、小さな椅子を引いて、先生は放心状態のリカを座らせた。


ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい。


そうだ、先生の名前、確か『加藤悟』って……。完全にサトルだ!


リカの頭は、そのことだけで支配される。

思考がまるで整理出来ない。教師?保護者?ありとあらゆる所から変な汗が吹き出る。逃げる?あやまる?何で?何を?


「それでえっと、今日はお母さんの代理で?」


その言葉を聞いてリカははっとする。

何やってんの、そうだ、しっかりしないと。


「いえ、代理ではなく、親として来ました」

「え?」


先生は驚いたように聞き返す。


「私の姉であるタクミの母親は、一週間前に家を出ました。タクミはしばらく岡山の実家にいたんですが、私が引き取る準備が出来ましたので」


「それでしばらくお休みしてたんですか。で、タクミ君のお母さんが戻るまで預かる、と」

「いいえ」

「というと?」

「母親は戻りません。タクミは私の養子にしたいと思ってます。今はまだ里親という形ですが、近い将来に。」


「はあ……」


先生の気の抜けた声。

キャパオーバーなんだろう。すでに複雑な事態が重なっているし。


「姉とも、そういう約束ですので」


先生は少し考えた後、はぁ、と大きく息を吐いた。


「今日、知ってて来たの?」


先生が急にタメ口になる。


「え?」


意味が解らず、リカは思わず聞き返した。


「俺が担任だって、知ってて来たの?」


今までとちがって少しイラついた声。

先生が、サトルに変わった。


「は?何言って……」

「無理にでも、実は教師と保護者でした!ってことにしたいの?」


リカは呆れて何も言えなくなった。

いやいや、それ私に何の得があるの……。


「まさか脅迫?」

「……最低」


かろうじて反発したが、リカは怒りで言葉が続かない。


「とにかく、中山さん」


サトルがまた、急に先生に戻る。


「しばらく待ってお母さんが帰ったら、タクミ君の進路についてお伺いしたい、とお伝えください。」


「私ではダメなんですか?」


「……確かタクミ君、お父さんとは死別でしたよね?」


「そうですが」


「お母さん、行事もいつも参加で、母親一人でがんばってましたよ。すぐに戻って来られるのでは?」


「……姉は、そういうのが上手いだけです。本当はタクミの事なんかどうでもいいくせに」


がまんしていたつもりが、思わず強い口調になる。


「自分の自由のためにタクミを捨てた姉に、あの子を返すつもりはありません!」


「ちょ、ちょっと落ち着けよ」


今にも騒ぎ出しそうなリカを、悟は慌てて牽制する。


「子どもの気持ちを優先しろよ。ちょっとケンカして出て行ったからって、帰るの待ってるに決まってるだろ」

「……そんなことない」

「え?」

「あの子、母親が自分を捨てたってこと、わかってるから」


そう口に出すと、リカは少し冷静になった。

そう、タクミは私の味方だ。


「私もタクミも納得しています。私と親子になるのが一番幸せだって」


悟は何も言わない。


「先生、だからタクミの学校での様子、私に教えてください。進路もあの子の話聞いて、ちゃんと考えますから」


まだ悟は何も言わない。


「いい母親になんて、すぐにはなれないこと解ってます、でも、私もう覚悟決めたんです!」


しばらく沈黙が続いた。


「……ダメだ」

悟はボソッとそう言って、横を向いた。


リカはカッとなった。


「ダメってなに? 私が親になるって、そんなにダメな事?」


言葉にすると涙がこみ上げた。

くやしい、いやだ、こんな所で……。


「ちがう」


そういうと、悟はリカの手を握った。


「保護者じゃダメだろ。俺ら付き合うのに」

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