51.魔法学院についての話

 三日後の昼下がりの事。エリアは滞在していた月の輪亭を退去する事になった。

 スレイは降伏化したロイドを連れて月の輪亭まで迎えに訪れている。


「……マーロックさん、長らくお世話になりました」

「こちらこそ。ジュリアが居ないようだがお別れは済ませてあるかね」

「はい。昼前、ジュリアさんが部屋の掃除に来た時に」


 エリアは二〇日近く、スレイに至っては食事による来訪を含めると二カ月以上のお客さんである。

 スレイとエリアが立て続けに滞在していた二階の離れの部屋は、翌月から別の客の長期滞在が予定されているらしく、今後、宿泊客として月の輪亭を訪れる事はなくなるかもしれない。

 

「またいつでも来てくれ。ここまでは少し遠いとは思うが」

「マーロックさん、片道たった三〇分だ。そんな大変な距離じゃないよ」

「そうかね。私なんかは結構な距離に感じるが」

「冒険者を辞めてから長距離の移動がなくなったからな。俺としては今後も一日一回くらいは来てもいいと思ってる。……まあ、天気さえ悪くなければな」


 冒険者の頃は、日に三〇キロメートル以上の長距離移動は日常的に行っていた。

 スレイのアトリエから月の輪亭までは、距離にしておおよそ二キロメートル先。往復で四キロメートルである。それと比べればどうという事はない。

 日々の運動としては悪くないし、今後、自ら素材を調達するためにルーンサイドを離れる事もあるかもしれない。身体は動かしておきたかった。


(……そういや、しばらく剣を振ってなかったな)


 スレイは魔術や変成術のトレーニングは日常的に行っていたが、武器の鍛錬をする機会がなかったのを思い出した。出来れば剣の鍛錬相手を見つけ、腕が鈍らないようにしておきたい処である。


 自己完結。スレイの目指す錬金術師の形の一つであった。最終目標は不便な辺境での生活であり、そこにはルーンサイドのような利便性はない。時には自分で錬金術の素材を調達する必要がある。

 その時にこそ五年間の冒険者としての知見、そしてスレイが多くの技能を器用にこなしてきた事が生きてくるはずだった。


     ◇


 マーロックとの挨拶を終え、月の輪亭を発ったスレイはエリアと共に、ルーンサイドの喧噪にまみれた市街地を歩いていた。


「エリア、真っすぐアトリエに向かってもいいが、どうする」

「スレイさん、しばらく散歩しませんか? こうやって一緒に歩くのは久しぶりですね」


 ロイドを含めた三人で街を歩く事は久々な事で、五年間『爆ぜる疾風ブラストウィンド』に所属していた頃も、そういった記憶はあまりない。エリアと行動する時は、『爆ぜる疾風ブラストウィンド』のメンバーの誰かが一緒に同伴している事が多かった。


 エリアは降伏化したロイドを嬉しそうに抱きかかえている。愛用している聖杖はスレイが亜空間部屋サブスペースルームに預かっていた。

 ルーンサイドに滞在してから今日が一番体調が良さそうに見えた。機嫌も良さそうである。つい降伏化したロイドを愛でて怒らせてしまわないか、スレイは心配そうに見ていた。


「スレイさん、あれからお仕事はどうですか」

「相変わらずだが昨日ヘンリーが来た。明日の朝、依頼人を連れてくると言っていたよ。魔法学院関係の知り合いが出来たと言ってたな」

「……魔法学院ですか」


 その名前にエリアが反応した。

 少し怪訝な、といった風にも取れる声色である。何か魔法学院に心当たりがあるのだろうか。


 ルーンサイド魔法学院。二大魔法の一つである魔術に重きを置く、魔法都市ルーンサイドを象徴する教育機関の一つだった。神聖術についても必修科目ではないが学科として存在している。

 もちろん魔法だけではなく、魔法以外の各教養分野の学問にも力を注ぎ、教官を招き熱心に指導を行っているようで、

 学院生は貴族出身者が多かった。身分による制限はないものの学費は高く、裕福な商家でもなければ通うのは難しく、結果そうなるのである。

 教官として招かれていると、この間の近況報告の時にヘンリーが言っていた。魔術と神聖術、両の魔法に長けた彼は打ってつけといえる存在だろう。


「エリア、どうした? 魔法学院に何かあるのか」

「いえ、この間、散歩していた時に魔法学院生の方に声をかけられたので。……二人組の若者で酔っぱらっていたみたいですね。昼過ぎの事でしたが」

「そうか。大丈夫だったか」


 彼女が見知らぬ男に声をかけられるというのは珍しい事ではない。

 そういった話を聞くのは初めてではないし、実際目の当たりにした事も一度ではなかった。

 スレイが心配そうに問いかけると、エリアは頷いた。

 

「大丈夫ですよ。ちょうど親切な女性の方が割って入ってくれて。魔法学院生は真面目なイメージがあったので、少し戸惑いましたが……彼らは魔術を学んでいるのですよね」

「……まあ、魔術師ったって色々だからな。俺、ヘンリー、ローザ、同じ性格の奴なんていないだろう。俺みたいな粗野な魔術師が居るくらいだ。ナンパな魔術師だっているさ」

「それはそうですね。……あ、スレイさんが粗野なんて事はないと思います。むしろ繊細で優しい方です」


 エリアが笑顔を向けると、スレイは何とも言えない表情を浮かべ、目を逸らした。

 繊細と言うのは誉め言葉とも言えるし、気にしている事でもあったからである。

 

「ヘンリーさんの紹介なら大丈夫そうですね」

「ああ、抜けた処があるが、その辺りはしっかりしていると思う。女学生と言っていたから、エリアにちょっかいを出してきたその二人組ではないだろうな」


 それを聞くとエリアは、ほっとしたような表情を浮かべた。

 あの事件からまだ二〇日である。余計なトラウマを掘り返さないよう十分に気を付けなくてはいけない。

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