48.聖女の街歩き-前編<エリア視点>
「エリアが滞在できるように準備するよ。もう少しだけ待ってくれ」
「はい。スレイさん、楽しみにしています」
「そんな期待するなよ。本当にみすぼらしい建物だからなあ。……っと、マーロックさんに紹介して貰った手前、あまり悪く言うのも良くないか」
翌朝。遅い朝食を終えると、スレイはロイドを部屋に残し、アトリエの方に出かけていった。
エリアも普段と同じように二階の部屋に戻る。
扉を開けるとロイドが駆け寄ってきた。エリアは満面の笑顔を浮かべた。
「ロイド。スレイさんがお店に呼んでくれました。……ありがとう。貴方のお陰です」
「ワゥ」
エリアは腰を屈めると、嬉しそうにロイドを抱きしめた。
今の表情は誰にも見せられないくらい緩んでいるに違いない。
ロイドは命を救った事の恩義をずっと忘れずに接してくれている。
もしかしたら、ここ数日の間、悩みを打ちあけていた事を察してくれたのかもしれない。
同じ言葉はかわせないが、何となく心が通じあっている気がした。エリアはそう思いたかったし、そう思わせるくらいロイドは賢い狼だった。
ロイドとの抱擁を終えたエリアは、スレイの寝ていた方のベッドに腰を掛けると、続けて彼が使っていた毛布を抱きしめた。
こんな事をしているとばれたら軽蔑されるかもしれない。そう思いつつも、エリアはぼんやりとスレイの事を思い浮かべた。
昔から聖女様だ天使様だ、そう多くの人間に言われてきた。
だが、そういった呼び名は全くふさわしくないとエリアは思っている。
何の因果か聖痕をもって生まれただけの存在。そして、その力によって少しだけ神聖術が優れただけの人間。
それ以上でもそれ以下でもない。こんな卑しい聖女が他に居るのだろうか。そうエリアは考えていた。
かつて王都最強の冒険者集団と謳われたSSランクパーティー『
優れた神聖術の使い手であり、それでいて強く、勇ましく、美しく、慈悲深い清廉な女性。エリアが理想とする何もかもを持っていた。
自分は彼女とは違うと思う。俗な人間だし恋だってする。少なくとも知らない人に手放しで讃えられるような存在ではないのは間違いない。
「エリアさん、失礼しまーす」
「わわっ! ジュリアさん……こんにちは」
エリアは慌てて抱きしめていた毛布を手放し、ゆっくりと振り向くと、部屋の入り口にジュリアが立っていた。挨拶代わりに無言で頭を下げる。
ジュリアは部屋に入るとロイドの頭を撫でた。見知らぬ人が部屋に近づくと警戒心を露わにするロイドも、二カ月に渡り交流がある彼女の事は全く警戒しない。
「……すみません。扉が少し開いていたので。掃除とベッドメイキングに来ました。……エリアさん、今日は表情が明るいですね。いい事があったみたいです」
エリアは昨夜スレイが寝ていたベッドから下り、赤面しながら目を閉じて頷いた。
月の輪亭に滞在し半月が経つ。宿屋の看板娘のジュリアは数少ない話相手という事もあって、すっかり仲良くなっていた。
彼女の休憩時間に会話をしたり、お互いの髪の手入れをしたり、買い出しに付き添ったり。半月前の事件については、スレイから事情を聞いているようで、会話には十分な配慮をしてくれている。
そして、冒険者の頃の話はなるべく避けていたが、スレイに関する悩み事については隠さず打ち明けてしまっていた。
「エリアさん、
「あの……ジュリアさん、そういう事は全くないですよ」
ジュリアは色恋の話を期待していたのか、少しがっかりした様子だった。
「そうなんですか? 二人ともいい大人なのに。本当は何かあったんですよね」
「スレイさんの方から私の身体に触れる事は、余程の事がない限りないですから」
「ええ……。逆はあるんですね」
「勢いに任せてなら何度か。……反応は乏しいですけど」
何ともいえない表情のジュリアを横目に、エリアは深呼吸をすると、意を決したように言葉を紡ぎ出す。
彼女に言わなくてはいけない事がある。それはエリアにとっても少し寂しい事だった。
「あの……ジュリアさん、この部屋を退去する事になるかもしれません」
「食堂の方で、そんな流れになりそうな話をしてましたね。……少し寂しくなりますけど、良かったと思います」
申し訳なさそうに言うエリアに対し、ジュリアの反応はさばさばとしたものだった。
一期一会。そういった事に彼女は商売柄慣れているかもしれない。
五年間冒険者をしてきたエリアだってそうである。それでも、ここ半月の間、気落ちしていた頃に親身になってくれた彼女との別れは、ほんの少し寂しいものになりそうだった。
「……これでお別れという訳でもなさそうですし。たまには二人……いえ、ロイドも一緒に連れて食事に来て下さいね」
はにかんで笑うジュリア。エリアは俯きながらゆっくりと頷いた。
◇
昼になり、エリアは久々に一人で出掛けることにした。降伏化は使えない為、ロイドは部屋で留守番である。
今まではジュリアの買い出しに付き添う形で、散歩も兼ねて近場に出掛ける事しかなかったが、今日から歩み始めたスレイと一緒に自分も動き始めなくては。そんな思いが強く芽生え始めていた。
ヘンリーは既に学問に邁進し、図書館籠もりの日々と聞いた。ブリジットも王都で修行を続け、Aランク認定を受けたら報告に来ると言っていた。
皆、動き出し始めている。自分だけこのまま停滞しているわけにはいかない。
快晴に恵まれ、市街地は沢山の賑わいを見せている。
エリアはあてもなく街を歩いていた。ルーンサイドの事はジュリアに付き添った月の輪亭周辺の事しか知らなかったが、今日はもう少し移動範囲を広げてみようと思った。
「……そこのお嬢さん、一人? 可愛いね」
一〇分ほどあてもなく歩くと、見知らぬ男性二人組に声をかけられた。二人して体格が良い若者だがルーンサイドで良く見かけるローブ姿である。術師だろうか。
見知らぬ男性に声をかけられる経験がないわけではないが、ここ最近は出歩く機会も少なかった為、久々の事だった。
エリアは無視して歩き始めたが、男二人はしつこく足早に追いすがってくる。仕方なくエリアは足を止め、二人に顔を向けた。
「……貴方たちは誰ですか」
「おっ、よく聞いてくれました! オレはトーマス。魔法学院生のエリートでぇーす」
「俺、ジョニーって言うんだけど。……昼飯でも一緒にどう? 綺麗な髪だね」
しつこく付きまとってきた男の一人は、無断で艶やかな薄紫の髪に手を触れようとした。
苦手、というよりはっきりと嫌いなタイプである。二人の男は少し軽薄そうな雰囲気を隠そうともしなかった。
トラウマとなっている事が少しずつ心に渦巻き始め、わずかに乱れ始める呼吸と共にエリアは表情を険しくした。しつこいようなら大声で拒絶しなくてはいけない。
「何をしている」
凛とした女性の声が突然響いた。
振り向くと、ヘーゼル色の髪を後ろで結んだ凜々しい顔の女性。品のある装いで腰には剣を下げている。
その視線は鋭く、男たちの方を睨み付けていた。
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