43.遅い朝食の後
スレイとエリアは一階の食堂で朝食を注文した。ロイドはその間、部屋で留守番をしている。
ここ数日はスレイが部屋に着くと、三〇分ほどしたら食堂に向かい、マーロックが用意した朝食を二人で食べる。これが暗黙の了解ともいえるルーチンワークとなっていた。
部屋で十分に会話をした事もあり、食事中は自然と静かで淡々としたものとなった。二人は人目を気にするように黙々と朝食をとる。
食事を終えるとスレイは席を立ち、窓を開けて雨加減をうかがった。
「……スレイさん、この土砂降りの中を帰るんですか?」
食器の片付けをしていたジュリアが、外を眺めるスレイに尋ねた。
本降りの雨である。多少雨足が強い程度ならば覚悟を決める気にもなるが、今から外に出れば傘をさしたとしてもずぶ濡れになるのは明らかだった。
大切にしている、エリアとヘンリーの二人から貰った上質な
「……これは流石にきついな。風が強い。横殴りの雨っていうのはな」
「こんな土砂降りの中、街外れまで足を運ぶ人は居ないんじゃないですか。ここで雨宿りしていった方がいいですよ」
ジュリアの言う通りである。
実の処、雨が降らなくてもアトリエに客が来る見込みは薄いが、この大雨では皆無だろうと思えた。
スレイは格好付けて悩んだふりをしていたが、心の内は決まっている。
「仕方がない。もう少しここで雨が過ぎるのを待つとするかな」
スレイはわざとらしく溜息をつくと元の席に戻った。顔が強風と共に吹き込んだ雨で少し濡れている。それほど強い横殴りの雨だった。
数日間続いたルーチンワークがこれで崩れた事になる。これからの予定は、来る見込みの薄い客をアトリエで待ちつつ、栞を挟んである本の続きを読む事だったが、その本は
これからどうしようかは全く考えていない。食堂は雨宿りの客や、スレイと同じように遅めの朝食を取る客で七割くらいの席が埋まっていた。
「……エリアは部屋に戻るのか?」
スレイはエリアに問いかけた。客席はまだ完全に埋まっていない。
このまま食堂に残っても、今の処はマーロックたちの迷惑になるという事はなさそうではある。
「……はい。部屋に戻りませんか。スレイさんとお話がしたいです」
エリアが小声で囁く。「話ならここでも出来るよ」とスレイは言おうと思ったが、普段より多い食堂の客の視線を感じていた。
(何だよじろじろ見やがって。そんなに珍しいか。……いや、珍しいんだろうな)
客はスレイを見ている訳ではない。何処にでも居そうなブラウンの髪と瞳を持つ術師の存在など何も興味を惹くものではなかった。
地味なローブのワンポイントとなっている、見習い錬金術師のバッジの存在を知っていれば、スレイも多少は稀有な存在である事がわかる者もいるかもしれないが、おそらく誰一人としてそんな些末な物を気に留めたりはしない。
視線を送っているのは間違いなくエリアの方である。彼女は天使のようなその見目あるいは美貌から、昔から何かと視線を集める事が多かった。今はその視線に晒される事を強く敬遠している。
ここ最近も、月の輪亭で冒険者たちの勧誘を受けたらしい。聖痕を持つ聖女の神聖術は持たざる者と比べて二倍近くの効力差がある。少なくとも冒険者にとって聖女という存在は『ヒーラー』として特別な存在である。スレイも何度もその恩恵に預かっていたから、その点はよく理解していた。
「そうするか。……ロイドも待っているだろうからな」
スレイとしては温かい飲み物を注文出来る食堂の方が落ち着けるが、エリアは人目のない部屋に戻り、ロイドの傍に居た方が落ち着く事が出来るだろう。
スレイは席を立つと、財布から銅貨を取り出して精算を終えた。
◇
二階の部屋に戻ると、ロイドは部屋の隅でうずくまるように眠りについていた。
二人が戻ってきた事は当然察しているはずだが、全く反応がない。
「ロイド、戻ったぞ」
ロイドを起こそうとしたスレイに対し、エリアは口元に人さし指をあてて制した。
「無理に起こしたら悪いと思います」
気のせいか、スレイの目にはその仕草がやけに妖艶に映った。
さきほど座っていたベッドに再び腰を掛けるが、どうにも落ち着かない。ロイドという存在は常にスレイがエリアと接する時の緩衝役となっていた。
エリアが救い出したロイドをスレイが使役化し、それからエリアと話をする機会が格段に増えたが、それまではあえて遠ざけていたくらいである。
「日が出ていないせいか今日は少し寒いな。……ロイドを起こした方が」
モフモフしていれば寒くないだろうと判断しての事だったが、エリアはスレイの隣に腰を掛けると、うつむき加減で無言のままスレイに寄り掛かった。
彼女からスレイに対しスキンシップを取る事が稀にある。最近の記憶では追放された時の別れの際。それとローランドが凶行に及んだ後。そう多いわけではないが過去にも何度かあった。
こういった行動を彼女が取るのはおそらく無意識であり、大きく心が揺らいだ時だと思った。そういった迫真な状況では、スレイもそれほど強く意識はしない。
今は強くエリアを意識していた。何となく追放の流れでお別れ出来た頃とは全く状況が違っている。
だが、それでも踏み込んでもよい、加減の程はわからないままだった。この状況は彼女がロイドを愛でて抱きしめる延長上にあるのだろうか。
結局あれこれ邪念の入り混じる思考を巡らせたまま、雨が止むまでの一時間ほどの間、無言のまま寄り添っていた。
ロイドが目を覚まし、何かを訴えかけるような視線を送ったのはその後の帰り際である。
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