44.近況報告

 その日の夜、ヘンリーがスレイのアトリエを訪ねてきた。

 店に用があるわけではなく、彼とは週一回、酒を酌み交わしながら、お互いの近況報告をする事にしている。

 ヘンリーはこの間と同じように赤葡萄酒のボトルと、ルンザの実が入った小さな袋を携えてきた。


「おい……スレイ、寝てるのか?」


 スレイはカウンターに突っ伏すように微睡まどろんでいた。

 玄関の扉が開いた事に気付かず、ヘンリーに間近で声をかけられて肩をゆすられると、ようやくはっきりと意識が覚醒した。


「……よう、ヘンリー。……ああ、今日だったか。一週間って奴はあっという間だな」

 

 スレイは大きくあくびをして、気だるそうに髪の毛を掻きむしった後、糸が切れたようにがっくりと項垂うなだれた。その表情は暗い。

 

「……なんか落胆しているって顔だな。ショックな事でもあったのか」

「ああ」

「さっぱり客がこない事か? 貴族さまに目を付けられるから、商売は程々にしたいと言ってたような」

「……店の事はいい。まあ、ここまで閑古鳥が鳴くとまずいって気もするが」

「……エリアの事で何かあった?」


 ヘンリーの問いかけにスレイは無言で頷くと、今日、雨降りの朝の出来事を思い出し、頭の中で後悔の念が渦巻いていた。


     ◇


「……なんだ。致命的なやらかしをしたのかと。というか今のは自虐を装った、のろけ話じゃないのか」

 

 スレイの話を聞き終えたへンリーの第一声は楽観的なものだった。そして、さらに続ける。

 

「あと、ロイドの主人って理由だけで、君に好意を寄せているわけではないと思うけど。その考え方自体、エリアに失礼な気がするぞ」

「……失礼ってどういう事だ?」 

「彼女がロイド目当てで君に接近していると言っているも同義だろ。……遠回しにロイドを悪者扱している節があるのも気になるな。……なあ、ロイド」


 ヘンリーが近くに居るロイドの身体を撫でると、気持ちよさそうに頭を動かしたロイドが同意したようにも見えた。

 

「好き放題言ってくれるな。……俺は『爆ぜる疾風ブラストウィンド』では立場が低かったからな。卑屈になって何が悪い。凄いヤツだっていうなら、当時からもっと評価して欲しかったぜ」


 スレイはヘンリーの持ってきたルンザの実を鷲掴みにして丸かじりをすると、思いっきり顔をしかめた。

 酸味が強く含まれたハズレの実を選んでしまったからである。


「それについては僕も悪かったと思う。でも『爆ぜる疾風ブラストウィンド』に居た頃は、エリアとは上手くやっていたように見えたけど」

「あれは身の程を知った上で接する事が出来たからだよ。……ふところまで迫られると、てんで駄目って事が露呈しただけだ」


爆ぜる疾風ブラストウィンド』に在籍していた頃、スレイはエリアとは常に一歩引いた距離から接していた。

 その程よい距離感、そしてロイドの存在が上手に作用していた事を、今更ながら実感させられている。


「まあ、スレイが悩んでるって事なら、僕がエリアと仲を取り持つ良い手立てを考えよう。まだ恩返ししていないから」

「……ヘンリーの手立てか。正直不安なんだが。……恩ってなんだ? そんなものがあったか」

「いや、普通にローランドから助けて貰っただろ。エリアが助かったのも君が残した身代わりのネックレスのお陰だし。……自分の功績は全く勘定に入れないんだな」


 スレイは、そんな事かと言わんばかりに溜息をついた。


「それはロイドのお陰だよ。俺は何も気づかずルーンサイドで自分の夢を追っていたし、お前たちの苦境なんて何も知りはしなかった。ネックレスにしても偶然に過ぎないな」

「駆け付けたロイドの手柄が大きいのは事実だろうけど、身を呈してエリアを救った事はもっと自信を持てよ。手を切り飛ばされる覚悟でローランドに挑むっていうのは簡単な事じゃない」


 そう言われてみると、ローランドに挑みかかった時の決死の覚悟は自分のものだったように思えた。

 正直言えば無我夢中であり、はっきりとは覚えていないが、ほんの少しだけ自信が取り戻せたような気がする。

 一人で焦燥としていたら、さらに卑屈になっていただろう。面と向かってお礼は言わなかったが、スレイは目の前にいる五年来の知人に感謝をした。


「……俺の話ばかりして悪いな。ヘンリーは、あれからどうだ? 相変わらず図書館籠りか」

「あと二週間はその予定。興味を惹く本が山程あるのはもちろんだけど、何より人目に付かないのがいい」

「……人目に付かない? 人と会いたくない事情でもあるのか」

「ああ、この間、見知らぬ冒険者に声をかけられて。……あの事件もあったし、しばらくは冒険者稼業の事は忘れたいなって」


 二大魔法に長けたヘンリーは賢者の称号を持っている。

 高レベルの魔術と神聖術を行使出来る彼がフリーであれば、声をかけられるのは当然の事だろう。

 彼が聖王国の術師の少女にサインをせがまれていた事をスレイは思い出していた。


「勧誘か。よくあるのか? ……エリアもあったと言ってたな」

「二回だけだよ。後は魔法学院の教官になって欲しいって話を貰った。大賢者の称号を取れば最終的に学長の地位まで約束するって言ってたけど……教官ってガラでもないから」


 淡々と語るヘンリーは迷惑そうな表情を浮かべていた。優柔不断な彼である。この手の話を断るのが苦手なのだろう。

 引く手あまたである。子爵家に生まれ幼少から高等教育を受け、類まれなる魔法の才を持つ彼は、どのような道に進んでも、輝かしい名声が約束されているように見える。

 辺境育ちのスレイにとっては、それがまぶしくて仕方がなかった。


「断り辛いって事か。羨ましい悩みだな。……ヘンリー、やっぱりお前は凄い奴だよ」


 スレイはルーンサイド滞在中、冒険者から勧誘を受けた事はない。

『サポーター』という特殊な立ち位置だった事もあるが、やはりものが違うのだろう。


「スレイだって変成術というすごい才能があるじゃないか。……あの極光の嵐オーロラストームを黄金の塊にしてしまったのは驚いた」


「あの変成術は俺の力じゃないよ」


 ヘンリーの言葉を否定するように、きっぱりスレイは告げた。

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