42.聖女との逢瀬

「エリア、居るかな」


 スレイが名前を呼びながら扉をノックをすると、部屋の中から物音と共に声がした。


「はい。開いています」

 

 ゆっくりと扉を開けると、部屋にはベッドに腰をかけたエリアの姿。

 天使のような容貌の薄紫がかった髪の少女は、スレイとロイドの姿を見ると、どこか儚げな微笑みを見せた。

 スレイは手に持っていた果物入りのバスケットをテーブルに置き、肩に止まったロイドを床に下ろすと、手を翳す。


『降伏化解除』


 ロイドの姿が、小動物の姿から雄大な大灰色狼ダイアウルフの姿に変え、ゆっくりとエリアの方に近づいていった。

 エリアは待ち望んでいたように、ロイドの身体を心地よさそうに抱きしめる。

 

「おはようございます、スレイさん。ロイドも」

「おはよう、エリア」

「今日は天気が良くないですね。……こんな雨の中、申し訳ないです」


 エリアはロイドのモフモフを堪能しながら、申し訳なさそうにスレイの顔を窺った。

 外から聞こえてくる音で、さっきよりも雨足が強まっているのが伝わっている。

 月の輪亭に来るまではそれ程でもなかったが、この調子だと帰りの道は少しばかりしんどいかもしれない。


「気にするなよ。ここの朝食と夕食を好んで食べに来てるからな。それにいい運動にもなるし。……まあ、あまりに天候が悪すぎると、どうかっていうのはあるが、この程度の雨なら大したことはないな」


 スレイは朝方に月の輪亭まで出向くと、エリアの泊っている部屋にロイドを残し、夕方まで街外れのアトリエで過ごす。それから再びロイドを迎えに月の輪亭に向かい、アトリエに帰った。

 その生活を二週間継続中で、その際に朝食と夕食を月の輪亭の食堂で済ませるのが一応の目的となっている。錬金術師試験の為に宿泊していた時期を含めると、かれこれ二カ月近くお世話になっている計算で、すっかり顔なじみの常連客である。

 スレイのアトリエから月の輪亭までは徒歩で片道三〇分近く。二往復で二時間弱。それなりに距離はあるが、日々行う身体の運動と思えば大した負担ではない。

 ひと気のない街外れに差し掛かるとロイドの降伏化を解除して一緒にアトリエまで歩いた。


 安い賃貸料で借りている街外れのアトリエにエリアを招こうか考えた事もあったが、その事は一度も口にしていない。

 ここならばマーロックが献立を考えた上で上質な料理を提供してくれるし、部屋の掃除やシーツの交換はジュリアが行ってくれる。

 雑多な物を取り扱う商店街も近くにある。必要なものがあれば買い物にも適した場所だった。

 自らが拠点とする街外れのアトリエの生活の利便性の悪さを考えると、この月の輪亭がベストである。

  

 ──そういった事を大義名分にしているスレイは、一歩を踏み込む事が出来ていない。

 あの凄惨な事件からそれほど月日が経っていない事もあり、一つ屋根の下で生活を共にする程の信頼を得ていないと思っている。そして、今もなお特別な存在と思っている聖女エリアを前に自信がなかった。マーロックに以前聞いていた、聖王国での聖女の待遇の事が時おり頭をよぎっている。

 聖王国の二人組、聖騎士ヴァレンティノと術士サンドラの会話内容からして、聖王国ならば聖女が安寧と共に過ごせる立場を与えられるのは間違いないのだろう。


 何よりパーティーを追放された形とはいえ、落胆を隠さなかった彼女の元から去った身である。追放は実の処スレイにとっても都合の悪い話ではなく、むしろ錬金術師を目指す機会を窺っていた自分には好都合ですらあった。

 それからあの事件が起きて、今の生活がある。ロイドが神通力ともいえる力でエリアの危機を察知しなければ、心中を図ろうとしたローランドの凶刃によって、取り返しのつかない事態になっていたのは疑いようもない。

 今更どの面を下げて保護者気取りを。──そんな気持ちがスレイの心の中で渦巻いていた。


(ヘタレか。……その通りだよ。間違いない)

 

 ふとジュリアの台詞を思いだし、反芻した。

 だからこそ、彼女を助けるヒーローとなった、ロイドとだけは毎日会わせてあげたいと思っていた。 


「……スレイさんのお店はどうですか?」

「相変わらず閑古鳥が鳴いているよ。まあ見習い錬金術師の身だし、何よりロクに宣伝もしてないしな。場所も街外れの辺鄙なとこだ。……商売としては、まるで成立していないが、今はそれでいいと思っている」


 エリアはこの往復がなければ、閑古鳥の鳴くアトリエをもっと長時間開ける事を気にしているようだった。

 だが、朝早くと夕方遅くに来る客はまず居ないだろうし、スレイはあえて忙しくしたいとは思っていない。この間『爆ぜる疾風ブラストウィンド』最大の資産であった極光の嵐オーロラストームを変成術により分割し、経済的に余裕が出来たからである。

 手持ちの資産は実に金貨二万枚以上。並みの生活水準であれば一生を暮らせるだけの余裕はあり、忙しく働く必要は全くなかった。スレイは高価な羊皮紙の本を何冊か購入し、来る見込みの薄い客を待ちつつも、アトリエで読書を楽しみながらゆっくり過ごしている。

 こういったスローライフに『爆ぜる疾風ブラストウィンド』に所属していた頃は憧れる事もあったが、まさにそれを実践している形になるかもしれない。


「そういえば、霊銀ミスリルを預かったままになってるが、どうする?」

「……もし出来れば、ずっとスレイさんに預かっていて欲しいです」

「まあ、盗難の可能性があるからな。そういう事ならしばらくは俺が預かるよ」


 ずっと・・・というのは曖昧な表現だなと思いつつ、どのくらいの期間かは確認しなかった。その一歩を踏み込めば何かが変わりそうな気がしたが、そこには大きな壁があるように感じていた。

 エリアの分の霊銀ミスリル400グラムは、換金しないままスレイの亜空間部屋サブスペースルームに保管したままだが、もし換金を行えば金貨換算で二万枚相当に当たる。

 よって彼女も経済的には余裕があった。今のゆっくりした生活を性急に変えようとする必要はない。 


「お店がダメでも錬金術師になれそうですか」

「あー……閑古鳥が続いて商売の実態がないと、その点がまずいかもな。本来見習いなんて一年後に自動的に取れるらしいが、監査役が厳しい人でさ。……まあ、少しは仕事を引き受けられるように手段を考える」


 見習い期間中に錬金術協会の監査が行われる事になっている。スレイは錬金術協会の監査役であるアルバートの鉄面皮を思い浮かべた。

 彼の厳格さからして、おそらく何も実績を残さないまま見習いの解除には至らない。錬金術師の定義とはセントラル王国内において変成術を行使する事による商売、つまりは金銭のやり取りが発生する取引を行う為の資格である。それがきちんと出来るかどうか証明する必要があるはずである。


(ヘンリーの奴に何か頼んでもらうか。……身内頼みっていうのもアレだが、建前として実績を求められている。それに応えればいい)


 ヘンリーは、ルーンサイド大図書館の近くにある宿に滞在中である。

 地上三階、地下一階の大型図書館には、王国内にある多くの書物や巻物が収められている。

 彼は五年間市民税を収めた者に与えられるルーンサイド市民権はない為、本の貸し出しは許可されていないが、月額の利用料を払い読み放題の権利を得たらしい。

 元を取る為、一カ月は図書館で過ごすと、先週スレイのアトリエで家飲みした時に意気込んだ様子を見せていた。

 気落ちしているかと思いきや、割と自由となった生活を謳歌しているらしい。『爆ぜる疾風ブラストウィンド』に居た頃よりも活き活きとしているようにさえ見えた。

 

「朝食は? まだなら一緒に食べないか」

「もうしばらくしたら食堂に向かおうと思っていました」

「じゃあ、それまで俺もここで待とうかな」

「ええ、しばらくスレイさんとお話がしたいです」


 スレイは使われていないベッドの方に腰をかけると身体を倒し、エリアと他愛のない話を始めた。

爆ぜる疾風ブラストウィンド』に関わる昔話の半分くらいはタブーとなってしまっている。どうしても凶行に及んだローランドや、亡くなったレイモンドの話題が出てきてしまうからである。


 それでもエリアと会話を始めると、あっという間に三〇分ほどが過ぎてしまった。後は朝食を終えたら、ロイドを迎えに来る夕方過ぎまではしばしのお別れである。

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