21.錬金術師試験・筆記の部

 しばらくすると集まった受験者たちは縦長に広い教室に誘導された。

 整然と並べられた机の端には受験番号と名前が書かれた小さな紙が貼られ、羽根ペンと黒色のインクも添えられていた。それに従ってスレイは席を探し着席する。

 スレイの席は五列あるうちの右端後方だった。申し込み時期的に締め切りに近かったので、おそらく申し込みの受理順だろうと思った。


(……俺の番号は82番。後ろに三人って事は、今回の申し込みは八五名って事か。少ない気もするが、広大な王国各地からの貴族の集まりと考えると、こんなものか。変成術って魔術と比べたらマイナーだからな) 


 例の金髪ドリルをしたお嬢様は、部屋全体のちょうど真ん中の席だった。

 総勢八五名。一七人が五列、三列目の真ん中だとすると43番。

 この位置からだと後ろ姿しか見えないが、やはり二本のロールした髪が際だって目立っている。


(あの金髪ドリルお嬢様、公爵令嬢って言ってたか……四公爵家の何処の家だろうな)


 王国には四つの公爵家が存在し、いずれも広大な領地を有している。そして公爵家ゆかりの者は、王家に次いで格式の高い者という事になる。

 彼女に万が一でも無礼があったら大ごとになるだろう。ともすれば彼女は錬金術師協会の職員含め、この建物内にいる誰よりも格上の身分という事になるかもしれない。縁があるとは思えないが気をつけなくてはいけないだろう。

 とりあえず今は試験に集中することにした。正面の掛け時計の長針は、既に開始七分前、八時五三分を指していた。 


「今から錬金術師試験、筆記の部の概要説明を行う」


 教壇に立つ、金髪を七三分けにしたスーツの男性は見覚えがあった。スレイが持ち寄った上納金を受領した、そして幹部権限で教本と問題集を貸し出してくれた、錬金術協会幹部のアルバートである。どうやら彼が試験官を務めるらしい。

 もう一人、用紙を二部ずつ配布している制服を着た黒髪の女性は見覚えがなかった。錬金術師のバッジをしているので、正錬金術師である事は間違いない。


「問題用紙と答案用紙を一部ずつ配布する。答案用紙が配られたら、まず名前と受験番号を忘れずに記入するように。制限時間は九時から一〇時半までの九〇分。途中退出は四〇分後から認められるが、退出後の再入室は原則認められないものとする。……何か質問は?」


 アルバートは集まっているのが貴族たちにも関わらず、特に敬った姿勢は見せず、普段と同じ淡々とした口調だった。受験者おのおのの家の爵位がどうであれ、アルバートは上級錬金術師であり協会幹部である。錬金術師界においては上の身分という事になるのだろう。

 問いかけに応じる受験者はいない。試験時間や途中退出のルールはあらかじめ伝えられていた事で、アルバートの発言は再確認に近いからである。

 やがて、用紙は全ての受験者に配られ、長針は九時を指し示した。


「──それでは、錬金術師試験、筆記の部を開始する」


     ◇


 試験開始から六〇分経過し、スレイはようやく答案用紙を埋め終えた。

 既に二割ほどの受験者が前の入り口から退出したのを確認した。

 相当自信があるのか、筆記試験を諦めたのか、あるいは解ける問題だけ解いたのか。

 

 スレイより先に退出した者はおそらく満点は取れていない。

 一つだけ難問があったのである。複雑な理論を用いた計算問題で、これ一問解くだけで、かなりの時間を要する。取れる者は少ないのではないかとスレイは思った。

 そして難問だが、採点は100点満点中4点の配分しかないので無理に取る必要はない。筆記試験は七割以上取れれば合格なのである。


(そういや過去問にも、解くのが難しい問題が混ざってた事があったな。あえて厄介なのを一問入れてるのか)

 

 スレイが再三の答案用紙の見直しを終えると、残りは一五分になっていた。まだ室内には結構受験者が残っている気配を感じる。

 例の難問をこなすならば、このくらいの時間は必要かもしれない。

 左斜め前のドリルのお嬢様もまだ残っていた。あの難問にチャレンジしているのだろうか。


     ◇


 結局スレイは途中退出せず、時間一杯見直しをして教室を退出した。結局半数近くの受験者は途中退出せず教室に残ったようである。

 試験終了後、朝方集合していたロビーでは試験を終えた受験者たちで賑わい、一息ついていた。

 余裕の表情、沈んだ表情、祈るような表情、それぞれがどれくらい取れたかは大まかに予想できそうである。

 スレイが朝方と同じように腕を組んで柱に寄りかかると、近くで例の若者貴族三人組が談笑をしていた。


「……結構難しかったなぁ。落ちるかもしれん……自己採点だと七割ギリギリだな」

「俺は九割は堅い。……ただ、最後の一問は駄目だったな。なんだよあれは」

「あー、あれな。あれは仕方ない。取らせる気がないんだろうな」


 やはり、最後の問題の難易度が高いようだった。


「フレデリカお嬢様、お疲れ様です。試験は如何でしたか?」


 もう少し離れた処、ソファーに腰を掛けて休んでいるフレデリカに対し、護衛と思わしきヘーゼル色の髪の女性が問いかけた。

 体付きと声で女性と分かるが、男性的ともいえる凜々しい容貌をしていた。後ろで束ねた髪をもってしても中性的である。


「余裕。……と、言いたい処ですけど。一問、苦戦を強いられましたわね」

「フレデリカお嬢様も苦戦を。周囲の反応からして、随分と意地の悪い出題だったようで。それでは約束を果たすのは……」

「クロエ。苦戦を強い・・・・・られました・・・・・と言いましたわ。このわたくしに解けない問題ではなくってよ」


 護衛らしき女性はクロエという名前らしい。

 そしてフレデリカは微笑みながら目を閉じたが、何処か不安そうな面持ちをしているように思えた。


     ◇


 しばらくの間待機していると、ロビーに答案用紙の束を手にしたアルバートがようやく姿を現した。


「受験者は全員揃っているかな。今から答案用紙の返却を行う。筆記試験合格者は八五名中、六〇名」


 その発表に対し受験者からざわめきが起きた。単純計算すると七割強が筆記試験合格、そして三割弱が不合格という事になる。

 この合格率が高いのか低いのかは、例年の合格率を知らなかったので何とも言えないが、スレイは低いように感じた。


(こんな遠路はるばる来て筆記不合格というのも切ないだろうな。……確かに一つ難問もあったが、真面目に勉強すれば七割は堅い試験に感じたが)


 だが真面目に打ち込むかは個人の勝手であるし、筆記試験に打ち込めない事情というものもあるかもしれない。あるいは実技に集中する必要があったのかもしれない。各々の受験に取り組む姿勢を考えても仕方がない事である。

 とにかく、スレイは筆記試験の手ごたえから、自らが合格者側にいるという確固たる確信があった。


「先に満点合格者。次に合格者を受験番号順に名前を読み上げる。大変失礼ながら、この試験の場では敬称略とさせて頂きたい。……43番フレデリカ」

「ふっ……まあ、当然ですわね」


 先程から緊張した面持ちをしていたフレデリカが、ほっとした表情でソファーから立ち、優雅な足取りでアルバートの居る位置に向かうと、答案用紙を受け取った。

 そして、直後に受験者から一斉に拍手が起きる。


「フレデリカ様!」

「あの難問を解くなんて流石です!」

「ああ、美しいだけではなく頭脳まで明晰とは……」


 フレデリカは華美な装飾を施した扇を広げると、顔を隠すように微笑を浮かべた。


「……それ程でもなくてよ。それに、あくまでも本番は午後の実技試験ですわ」


 どうも照れているようにも見える。スレイも目立たないように回りに倣って拍手をしていた。


 だが、そんなムードを打ち消す事態が起きた。

 次にアルバートが告げた名前は、集まった者たちをより驚かせるものだった。


「……82番スレイ。以上、二名を筆記試験満点合格者とする」

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