18.爆ぜる疾風その後2-後編<ヘンリー視点>

「ブリジットさん、もう少しだけ我慢してください」

  

 ブリジットに近寄ったエリアは聖杖を掲げ、目を閉じ、祈りの動作に入った。


完全回復パーフェクトヒール


 十数秒の後、エリアの神聖術の詠唱が完成し、聖杖から淡い光がブリジットを包み込む。

 Sランク神聖術『完全回復パーフェクトヒール』は完全な状態で傷を癒す魔法で、身体の欠損さえも元に戻す事が可能である。

 聖女エリアは重傷者どころか死後それほど経過していなければ、死者さえも甦生させる力を備えている。よって、この程度の怪我の治療は容易いものだった。ブリジットの顔の怪我は元通り、綺麗な状態に回復していた。

 だが、仲間のつもりでいた大男に顔面を拳で強打されたのは、想像を絶する恐怖だっただろう。ブリジットの身体は怪我が完治したにも関わらず小刻みに震えていた。


「あ……あああ。酷い。……ガンテツ、アンタよくもやったわね。仲間に手をあげるなんて最低だわ」


 ブリジットは瞳に涙を浮かべながら、恨みがましくガンテツを睨み付けた。

 だが、暴力を振るったガンテツに反省した様子は全くなく、むしろブリジットに対し追い打ちの台詞を吐いた。

 

「おい、聞け。あばずれ。……他の連中もいい機会だから言わせて貰うぜ」


 ガンテツは呆れた様子で、ブリジットを見下ろしながら続けた。 


「この馬鹿女、全然使えねえじゃねえか。自分の身も守れない上に『シーフ』としての技術もBランクのカス。……どうしてSランクパーティーで、こんな無能を抱えているんだ? さっさとクビにするべきだぜ」


 ガンテツの言葉に一同は沈黙していた。

 それは他のパーティーメンバーが言わなかった事を、代弁した形と言えなくもなかった。


 まず『爆ぜる疾風ブラストウィンド』の初期メンバーだった盗賊ロバートが妻帯によって引退し、後釜の腕の良い『シーフ』が見つからなかった処、加入を熱望する(おそらくはローランド目当てだろう)ブリジットを妥協で迎え入れたという経緯がある。

 しばらくすると、彼女より腕の良い盗賊を勧誘できる機会もあったが、その時は誰も彼女をやめさせようとはしなかった。

 確かにブリジットは腕はそれなり止まりだったが、ポジティブなムードメーカーという点で助けられた事もあったし、何より一度迎え入れて代わりが見つかったから捨てるという発想は、一昔前の『爆ぜる疾風ブラストウィンド』ならばあり得なかったからである。

 

 しかし、スレイを追放した事で、そういった事に対する禁忌は既になくなっている。

 ブリジットを抱える必要があるのかというガンテツの問いかけは、『爆ぜる疾風ブラストウィンド』のメンバーに大きな波紋を広げていた。


「……ですが、ブリジットさんだって、頑張っていますから。……私は反対します」

「エリアちゃんよぉ。本音で語ろうや。後衛の守り手が不在なんだ、真面目ちゃんぶっても仕方ねえだろうが。俺様の知人、つーかこの馬鹿女の先輩にあたる、グレゴリーって盗賊が居るんだが、そいつはフリーのAランク『シーフ』だ。……コイツと違って戦闘もそれなりにいける」


 Aランク『シーフ』で戦闘もこなせる。

 それは単純に考えれば、Bランク『シーフ』で戦闘が出来ないブリジットの上位互換の盗賊という事になる。

 ただ、その盗賊がブリジットより性格面で優れているかはわからない。ガンテツの知人である。警戒して然るべきで、せめて面談くらいはするべきだとヘンリーは思った。

 

 だが、その発言を聞いてか、意を決意した者が居た。

 冷やかな目で様子を見ていたローランドが、今更ながら倒れた態勢のブリジットに近寄っていく。


「ブリジット」

「ロ……ローランド様……あ、あたしはクビなの!? これからは戦闘も鍵開けもこなせるように努力するから!」

「もう、そんな事はどうでもいいよ。……さっき、スレイが居・・・・・てくれれば・・・・・って言ったね」

「えっ」


 ローランドの冷たい反応は、ブリジットがスレイの名を口にし、頼れるようなつぶやきをした事だった。


「消えてくれ。二度と下品な顔を見せるな」


 軽蔑の眼差しを向けるローランドと、絶望的な表情で浮かべた涙を流すブリジット。

 彼のスレイに対する逆恨みは相当なものだった。


「う……嘘。ローランド様」

「僕の名前を軽々しく呼ぶな。昔から君は目障りだった。……教養のないストリート上がりが、何を夢見ていたんだい?」


「ローランドさん」


 ブリジットの傍に居たエリアが、吐き捨てるような物言いに腹を立てて、立ち上がるとローランドに詰め寄った。

  

「……今の暴言を取り消してください。今までブリジットさんがどんな思いで貴方の事を」


 その言葉に対し、ローランドは爽やかな笑顔を浮かべた。


「エリア。久々に近くで口をきいてくれたね。どんな思いで、というなら、僕の思いだって知っているだろう? ……君が冷たくなってから、ずっと寂しい思いをしていたんだ」

「え……いや……や、やめてください」


 笑いかけるローランドに対し、青褪めた表情で拒絶を示すエリア。


(──スレイ、僕はもう耐えられないかもしれない)


 地獄のような光景である。ヘンリーはすぐにでもこの場から逃げ出したかった。

 こういう時こそ、スレイに相談をしたかったが、彼はもう居ない。

 ずれてもいない片眼鏡の位置を直し、辺りを見渡すと、レイモンドが腕を組んだまま立っていた。ローランドがエリアに拒絶される様子を見て微笑を浮かべている。

 その様子にぞっとした何かを覚えたが、それでもヘンリーは、この状況を打開する為にレイモンドに小声で話しかける事にした。


「……レイモンド、もし君さえ反対してくれれば、多数決で勝てる。ブリジットは君に対して悪気はなかったはずだ」


 今更ブリジットの追放が撤回された処で、この澱んでしまったパーティーの空気がどうにかなるとは思っていなかったが、それでも問いかけずにはいられなかった。

 このパーティーの最年長の男は、かつては本当に頼りになったのである。こういう状況になれば絶対に悪いようにはしないはずだった。

 

「ブリジット嬢の私への態度が悪くなったのは、おそらくローランドの指示だろう。気にしていない。……そして、ガンテツの言う通り、技術が稚拙という点は間違いないが、それは今更だし責める気はない」


 レイモンドの返答は、まさにヘンリーの欲しかった台詞だった。

 ヘンリーは安心したように溜息をつく。


「よかった。真面目に訓練をすると言っているし、得体の知れない盗賊を迎え入れるよりは……」

「……だが、それよりも、時折エリア嬢を悪く言う様が目に余った」

「は?」


 レイモンドは一拍置き、目をつぶりながら告げた。

 

「追放に賛成だ」


 ヘンリーは憮然とした表情で天を仰いだ。

 そして彼のエリアに対する静かな執着に、ローランドとは違ったおぞましさを感じていた。

 確かにブリジットは、たまにエリアに対する嫉妬心を表に出した。ただ、おそらくは本気でエリアを嫌悪しているわけではない。先程のようにエリアの治療は受けているし、二人で仲良さげに談笑しているのを見かけた事もあった。

 ローランドがエリアに恋慕している事を分かっているので、たまに嫉妬心が漏れ出てしまうくらいのものだと思っている。

 だが、最早、そんな色恋事の人間関係はどうでもいい段階に移っていた。


「へえ、エリアの悪口を。……本当に身の程を知らない女だな。殺してやりたいくらいだ」


 レイモンドの台詞が聞こえていたのか、泣きじゃくるブリジットに、ローランドは追いうちの言葉を吐き捨て、そしてヘンリーの方を振り返った。


「……ヘンリー、君の意見はどうなんだ? ブリジットはこのパーティーに相応しいかい?」


 ローランドが薄笑いを浮かべながらヘンリーに尋ねた。

 既に賛成多数である。このタイミングで反対の意見をしようものなら、今後どうなるかが怖くて仕方がなかった。


「あ、ああ……中立で」

「ヘンリー、どっちつかずは嫌われるよ。では、賛成3、中立1、反対1、ブリジットは追放でいいね。……ガンテツ。新規加入の盗賊、期待している」

「へっ、任せておけ。コイツよりも数倍優秀だからよ。……おい、馬鹿女、明日までに荷物をまとめておけよ」


 ローランドとガンテツが握手をかわした。

 まさか『アタッカー』として対立していた二人が、こんな形で一致団結することになるとは思っていなかったが、この上っ面の仲直りの様子を額面通りに受け止められるはずもなかった。


(スレイに続いてブリジットまで……今のパーティーの空気は危険すぎる。このままだとエリアに災禍が及ぶかもしれない)


 ヘンリーの頭の中には、魔法都市ルーンサイドに居るスレイの事があった。

 だが、夢を追い始めたスレイの下に駆けつけるべきかどうか、迷いが生じていた。

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