15.月の輪亭

「……一カ月半ほど長期滞在したい? ああ、錬金術師試験か。前日、前々日に泊まるっていうのはよくあるんだが、こんな早くからは前例がないな」


 スレイはルーンサイドにある宿を訪れていた。

 この『月の輪亭』と呼ばれる宿屋に決めたのは、錬金術協会から比較的近いからである。

 ただ、この宿を借りるかどうかはまだ決めていない。室内でのロイドの『降伏化』解除の許可が下りるかどうかである。

 無理ならこの宿は諦めて、別を当たるしかない。ロイドをこの姿に留めておくことは出来る限りしたくなかった。


「それはそうとして、二人部屋とは。連れでもいるのかね?」

「ほら、相棒の連れならここにいるぜ。……動物を放し飼いしていいか? 少し、いや結構身体が大きいけど、絶対暴れたりはしないから」


 スレイは『降伏化』で身体が小さくなり、肩に止まっているロイドを示した。

 

「おお……肩に止まっているのは、もしかして『降伏化』した狼か」

「ああ。だが、ただの狼じゃない。大灰色狼ダイアウルフだ。ロイドという」

「……それはとりわけ珍しいな。生まれて初めて見たよ。……確か使役難易度Aだったかな。君は優秀な使役者のようだね」


 月の輪亭主人は、どうやら使役にある程度詳しいようだった。

 冒険者も相手にしているような宿である。もしかしたら知り合いに使役者テイマーがいるのかもしれない。

 

「俺はそこまで優秀じゃないよ。俺の使役ランクはBだ。だからロイドを使役できたのは、仲間のお陰もあったと思う」


 1ランク上の使役に成功したのは、エリアが遭遇時に瀕死の重傷を負っていたロイドを神聖術で治療を施したという点が間違いなく影響している。

 ヘンリーは自分の神聖術では癒せなかったと言っていた。ほとんど死に等しい状態で、エリアの神がかり的な神聖術の力なくしての蘇生は不可能だった。

 ロイドが素の状態だったら、まず使役は成功しなかっただろう。恩を売った形で成功した事になる。

 それもあって、スレイが契約上の主人ではあるが、命の恩人であるエリアの事も、主人であるスレイとほぼ同格に認めている節があった。


「……それで、どうかな? ロイドの『降伏化』を解除する許可が下りないなら、残念だけど他を当たる事にするよ」


 スレイに対し、月の輪亭の主人は少し考え込むと、やがて答えた。


「……大灰色狼ダイアウルフの降伏化を解除した姿を、後で見せて貰ってもいいかね」

「もちろん。部屋の持ち主の意向には、できる限り従う」

「あとは、万が一退去するときに酷い傷みが発生していたら、その修繕費用を払って貰えれば」

「それは当然だな。先に敷金を収めておいてもいい。だが、その心配はないといっておくぜ」

「ふむ。では、ここにサインを。……スレイさんだね。私は月の輪亭主人マーロックだ。一カ月半の間、よろしく頼むよ」


 どうやら宿泊許可が下りたらしい。交渉成立である。

 しばらくは一カ月半後にある錬金術師試験に備え、借りた教本と問題集を手に、宿に缶詰になって受験勉強がベターだろうか。

 もし、勉強の進捗が進むようなら、何か仕事を探すというのも手ではある。

 後は街の郊外まで出かけてロイドを散歩させたい処だった。もちろん自分も運動が必要である。冒険で培ってきた体力を落とさないように維持しなくてはいけない。

 だが、それらの事は後で考えようと思った。とりあえず、今欲しいのは久々のベッドである。


     ◇

 

「……へぇ、スレイさんは冒険者だったんですね。どうりで」


 スレイは宿泊する部屋を案内中の宿屋の娘ジュリアと話をしていた。

 鮮やかな赤毛をロールアップさせた、溌溂はつらつとした若い娘である。


「どうりでなんだ?」

「鋭さを感じます。ズバリ、モテるでしょう?」

「いや、モテた覚えは多分ないな。……鋭さって、それは多分、俺の育ちが悪いせいだよ。俺の故郷はルーンサイドとは違って、辺境のド田舎だったんでな」


 魔法都市ルーンサイドは王都セントラルシティほどではないが、衛星都市なだけあってかなり洗練された印象を受ける街だった。

 中心部を離れれば他の街と同じく、地価が安く治安の悪い地域もあるが、それでも街としては将来的に魔法に携わる者が住む一等地として申し分ないだろう。


(──そういや、合格後の店の事を考えないとなぁ。安く借りられる場所を探さないと)


 その辺りも主人のマーロックに相談してみても良いかもしれない。

 宿屋の主人は何かと顔が利くことも多い。


「そうなんですか。想いに気づかなかったってパターンもあると思います。パーティーの名前は?」

「名前はちょっと言いづらいな。一応Sランクだった」 

「最上位パーティーじゃないですか」


 冒険者パーティーランクには、SSランクという本当の最上位が存在したが、条件が極めて難しく名誉クラス的な意味合いもあり、切り離されて考えられていた。

 一般的には最上位パーティーといえば、Sランクの方を指す。

 最も有名といえるSSランクパーティーの方は、パーティー名で認識されているからである。

 

「……一応だよ。それを自慢出来るかは怪しい。なんせクビになった身だ」


 スレイがバツが悪そうにつぶやくと、ジュリアが申し訳なさそうに口を片手で押さえた。

 

「……それは悪いことを聞きました。錬金術師試験に合わせて抜けたとかではないんですね」

「錬金術師になる為に引退しようっていうのは、うっすら考えてたんだが、先にクビを言い渡されてな。……ある意味では丁度良かったという面もあるが、まあ、それでも悔しいっちゃ悔しいもんだ」

「ですよね。クビなんて。酷いと思います」

「だが、全てを悪くは言いたくはない。最後まで親しかった仲間も居たからな」


 苦い思い出を掘り返されつつも、借りた部屋に到着した。

 案内されたのは二階の端の部屋だった。間に用具室を挟み、他の宿泊部屋から離され孤立した場所にある。

 移動に少し時間がかかるが、騒音とかの面を考えると、気兼ねないというのは良いかもしれない。

 もし、勉強に集中できるような配慮であれば、とてもありがたい事だった。


「なかなか良さそうな部屋だな。ジュリア、ありがとう」

「いえいえ。一カ月半でしたよね。毎日昼前にベッドメイクに訪れますので、どうかよろしくお願いします。……ところで」


 ジュリアは一拍置き、告げた。


大灰色狼ダイアウルフを見るのが楽しみです。マーロックさんがとてもレアな動物だと言っていました。吠えたり噛んだりしませんよね」

「その点は全く心配ない。……ロイド、お前さっきから大人気だな。王都ではここまでじゃなかったが……ルーンサイドだと珍しいのか」


 イライザ、マーロック、ジュリア、この街に来てロイドの興味を惹いたのは三人目である。

 もっとも王都セントラルシティではロイドが落ち着ける『爆ぜる疾風ブラストウィンド』の住処があったので、そこまで人目に晒す機会もなかったかもしれない。

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