10.月への咆哮

 王都セントラルシティを後にしたスレイは、王都から徒歩で三日の距離にある、魔法都市ルーンサイドに向かっていた。

 仲間とは別れたが一人旅ではない。使役獣のロイドが居る。

 スレイは旅のお供として、ロイド以上にうってつけの仲間はいないと知っていたから、旅の不安は全くなかった。

 だが、スレイには一つだけ後ろめたい事があり、その事に心を砕いていた。ロイドはその事を完全には理解していないだろう。


「おい……エリアとはお別れだからな。怒るなよ」


 このスレイの言葉に対して、ロイドの反応はなかったが、非常に賢い狼である。

 徐々に彼女との別れを理解して不機嫌になり、拗ねてしまうかもしれない。

 エリアには神聖術で命を救われた恩人なだけあって、そういう意味では使役者であるスレイより強い感謝と敬意を抱いている相手なのである。

 

(貰ったルンザの実をいくつか残しておくか。……けどな、寂しいのはお前だけじゃないからな)


 もし拗ねられた時に、この大好物でどこまで機嫌を直してくれるかどうか。

 スレイは先が思いやられる気分だった。


     ◇ 


 二日目の夜。スレイは野営の準備を終えた。

 この辺りは手慣れたもので、普段から『サポーター』であるスレイが『爆ぜる疾風ブラストウィンド』のメンバーでは率先して行っていた。

 スレイは辺境育ちなだけあって、子供の頃から野遊びには慣れ親しんでいる。

 他の仲間は都会育ちなので、野営など自然に対する知識と経験が少し乏しい処があり、スレイが意識して役割を受け持っていたのである。だが、こういう形で追放された今、他の仲間にも経験を積ませるべきだったと後悔している。


 万能手オールラウンダーを名乗るからには、パーティーの六人目シックスマンとして、縁の下の力持ちで居たいというのがスレイの信条だった。

 実際ほとんどの事は、それなりに広く器用にこなしてきたつもりである。──自身の追放劇を除いて。


「さて、寝るか。……それにしても良い月だなぁ」


 スレイは『亜空間部屋サブスペースルーム』から取り出した毛布にくるまり、満月、あるいはそれに近い月齢の月を見上げながら横になった。

 月にかかる千切れて霞んだ雲が風流で美しかったが、何処か不吉な予感がした。

 そして風の流れが少しある。こういう日は臭いが遠くまで伝わりやすいのだ。


「……ロイド。いざという時は起こしてくれよ。お前だけが頼りだからな」

「ワゥ」


一人旅で一番危険なのは睡眠時で間違いない。

いつ誰がどのように忍び寄ってくるかもわからないし、見張りがいない環境で野外で安眠をするというのは簡単な事ではない。

 

 だが、スレイにはロイドが居た。

 不穏な気配があれば、人間よりはるかに優れた聴覚と嗅覚をもって察し、知らせてくれる。

 もし現れたのが対処できる敵ならば、二人がかりで応戦する事も出来るし、対処できない程の厄介な手合いならば、ロイドの足ならばスレイを乗せての緊急離脱も可能なのである。


 いくら直感の鋭い熟練の冒険者といえども、嗅覚と聴覚がずば抜けている狼には絶対に敵わない。

 野営時の見張りはロイドが『爆ぜる疾風ブラストウィンド』の影の功労者で間違いなかった。


     ◇


 夜も更けた頃、ロイドの鳴き声で、深い眠りについていたスレイは目を覚ました。


「……なんだ、どうした」


 不吉な予感が当たってしまったのだろうか。

 スレイは毛布を跳ね上げると、映る光景に対し目を大きく見開いた。


「おおお……」


 気がつくと、スレイとロイドの居る焚き火を中心にして、獣の群れに囲まれてしまっていた。

 辺境育ちだったスレイは、その獣に見覚えがあった。ハイイロオオカミである。

 辺りの木々や草に染みついた夕餉の残り香につられて来たのかもしれない。


「……ロイド、どうする? 話は通じないのか」


 と、スレイが問いかけた、その時だった。


「ワオオオオオォォォォォォォォ──」


 ロイドが月を見上げると、ひときわ大きな咆哮をあげた。

 怒っている。震える空気と共に、スレイは身体に鳥肌が浮かぶのを感じていた。


 すると、焚き火を遠巻きに囲っていたハイイロオオカミたちは、平伏するように一斉に倒れこんだ。

 全てが服従の意を示している。つまりは全面降伏。

 だが、ロイドは威嚇したまま、臨戦態勢を解除しようとしない。


「……おい、コイツらはひょっとして、お前の下に来たんじゃないか。だったら。……俺なんかの為に怒らないでくれ」


 スレイが申し訳なさそうになだめると、ようやくロイドは威嚇を止めた。

 だが、相変わらず警戒を怠る様子はない。


(……俺は今、珍しいものを見ているのかもしれない)


 大灰色狼ダイアウルフが、狼の王と呼ばれている事をスレイは思い出したが、実際は生息地が大きく異なる為、御互い関わる事は殆どないはずである。

 だが、今さっき目の当たりにしたのは、種としての明確な上下関係。どうやらその言い伝えは間違いではなかったようだ。


 やがてハイイロオオカミは、恐る恐る立ち上がると、スレイとロイドの下から去っていった。

 来訪者たちが居なくなった野営地に、再び静けさが戻る。すると、気を張っていたロイドもようやく警戒を解き、態勢を楽にさせた。


「すまん。同族の仲間を威嚇させちまったな。……ありがとよ、ロイド」


 同族とはいえ容赦をしなかったのは、主人の安息を妨げる者に対する怒りだったのだろう。

 その事に対する嬉しさもあったが、近づいてきた同族を邪険にさせてしまった事に対する申し訳なさもあった。

 スレイはその仕事を労うように、楽な姿勢を取って身体を休めているロイドの頭を撫でた。

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