第2話 挑むに凡才棋士はどう準備す。

「は~い、注目」

 手を叩いて、陽気に俺は話す。


「父さんね、凛太郎と竜王トーナメントで対戦できるように修行に出ます。ちょっと、金山先生のところに居候させてもらって修行してきます」

「…あっそ」

「この野郎、鬼のような修行して体も心も削ってでもお前を負かしたるから、見とけよ」

「…勝手にすれば。まぁ、俺は一生誰にも負けないけど」

「こいつめ、見てろよ!」


 そう言って、家を出て、金山先生のところにお世話になった。

「すいません。不肖の弟子で」

 和室に通されて、お茶を出される。先生は生け花を生けてあまりこちらを見ない。

「ほんまや、馬鹿タレ。せやけど、吾郎。不肖の弟子なら不肖の弟子で最後ぐらい、わしにタイトル見せてみんか」

「ははっ、才能的にも、体的にも厳しいかなぁ、なんて」

 先生はこちらをちらっと抗がん剤の影響で少し弱々しくなった俺を見て、ふんっ、と言う。


「地獄や、お前を地獄に落としたる。泣き言言っても容赦せんぞ。覚悟は…ええな?」

「はい!よろしくお願いします」

 畳が凹むくらい額を付けた。




 寿命と棋士としての技量を同時に伸ばす。

 死んだら地獄でいいから、今の地獄から逃げたいと何度も思った。

 

 辛い。抗癌剤が。

 

 痛み止めを使うと、頭が回らない。俺は痛み止めなしで抗がん剤の副作用に耐えた。

 そして、先生は修羅の鬼となって、弱音を吐く俺、凡才の俺に叱咤をしてくださった。

 先生を殺したい、殺してでも逃げたいと思ったが、それを押さえつけて将棋を叩きこんだ。

 

 千尋も毎食、食べやすいよう、食べたくなるよう工夫して料理を運んできてくれた。

「嫌です。もう食べたくないです」

「食べな、あかん。体力なくなっとったら、対局まで生きてられんぞ」

「もう…いい、もういいですから。死にたいです」

「いいから、食えや!屑のお前が今死んでも、生ごみが増えるだけや!爪痕残して死んでいけ。それにな、地獄ではな、食いとうなっても二度とお前の大事な母ちゃんのメシ食えんのやぞ」

「うぐぅぅごぉ」

 生きることとはこんなに辛くなくてはいけないのか。

 

 こんなことならもっと健康な時に努力しておくべきだった…




「先生、私は悪人です」

「なんや、どうしたんや」

「息子にも父らしいこともせず、妻が一生懸命作ったものは吐き出し、恩師にひどいことをさせる。こんなの…悪人じゃないですか」

「吾郎、わしがハゲ取るからって、坊主と勘違いしとらんか」

「いいえ」

 先生は薄くなった頭を自分でさする。


「…安心せい、吾郎。お前はいい父親やっとる、いい旦那やっとる。もし、おまえんとこのせがれがあほなことぬかしおったら、げんこつしといたるわ」

「ははっ、…頼もしいです」

「それにな、お前が悪人で地獄落ちるとしても、わしも同罪や。一緒に地獄落ちたる。そしたら、叫びながら目隠し将棋でもしようや」

「…ありがとうございます、師匠」

「…だから、タイトルの一個くらい取って恩返しせい」

「…はい」




「ありません」

「ありがとう…ございました…」

 一番、心が穏やかで入れるときは皮肉にも対局の時だった。

 対局中は痛みも何も忘れられる。そして、約束の日に繋がる道を歩んでいると思うと、元気が出た。


「あなた」

「おっ・・・おう、千尋か」

 対局室を出ようとすると千尋がいた。


「凛太郎は今日も勝ったわよ」

「そうか」

 下駄をはこうとすると、上手くいかず、よろよろするのを千尋に支えらえる。

「すまない」

 千尋に手伝ってもらい、ゆっくり歩いていく。


「私ね、凛太郎に負けてほしいと思ってしまう時があるの」

 ぽつりと、千尋がつぶやく。

「もう、あなたの辛そうな姿を…みたくない」

 千尋は俺の腕を支えながら泣いている。

 俺はぽんっと千尋の頭を撫でる。

「生きるのは辛い。でもな、今が一番一生懸命生きてるんだ、俺。輝いているだろ、俺」

 元気がない顔かもしれない。でも、心の底から笑った。


「…そうね。かっこいいわ、あなた」

「だろ?」

「頭も輝いているしね」

「このやろう~」

 師匠よりも眩しくなった頭をこする千尋。そんな、千尋に頭を近づける俺。

 こうした妻とのじゃれ合いも俺の活力になった。

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