遺手

西東友一

第1話 余命に父は何を想う。

「残念ですが、余命あと半年です」

「えっ」

 耳を疑った。

 今まで不摂生のせいですかね、気を付けます、なんて言ってた自分の顔が強張る。


「えっ、えっ、どういうことですか」

「いっ、痛いです。天堂さん」

 俺は先生の腕を握っていた。俺の腕は震え、血管が浮き出ていた。


「すっ、すいません」

 頭がくらくらする。

「肝臓ガンの…ステージ4です。そして…転移しています」


 その後、抗がん剤治療の話を聞かされて動揺したが、先生の丁寧な説明は頭にすーっと入ってきた。わかっていたのかもしれない、自分の体のことだから———

 

 俺はぼーっと病院の庭のベンチに座り、スマホの待ち受け画面を見る。

 

 スカした顔でぶかぶかのスーツを着ている息子、その息子に笑顔で肩を組んでいる和服の俺、暖かく見守る洋服の妻の写真。


「天堂君、お父さんと同じ棋士になった感想は?」

「父さんはどうでもいいです。弱いし」

「こいつめ~」


 俺の自慢の息子。トンビが鷹を産んだなんてことわざがあるがあいつは龍だ。

 未だに将棋界の無敗の神童、天堂凛太郎。

 細々と棋士をやっている俺なんて比ではない。類稀なる才。

 

 けれど、まだあいつは中学生。

 俺は棋士として伝えられることは少ないかもしれないが、父としてあいつに教えるべきこともある、なにより俺はあいつの1番のファンなんだ。まだ、見ていたい。

 

 パンッと、両頬を叩く。

「やるぞ」



「一手打てばだいたい勝ち負けわかんの」

「お前な、20年早いわ」

「御馳走様」

「おいっ、まだ話がだな、凛太郎!」

 凛太郎は自分の部屋に行ってしまう。そんな俺達を見て妻の千尋が呟く。


「あなた、そんな言い方で凛太郎が聞くわけないじゃない」

 妻の正論に何も言えず、俺はビールをぐびっと飲む。

「はい、おしまい」

「あ~ぁん」

 ビール瓶を取り上げられる。

「そういえば、健康診断の結果どうだったの」

 

 口に運ぼうとしたグラスを止める。

「もう、あなたは腰痛、腰痛だってうるさくて、何にもしないんだから」

 心を落ち着かせ、ゆっくりと話す。

「…癌だ」


「えっ」

 妻が箸を落とす。

「じょ、冗談よね。びっくりさせ…」

「本当だ」

 

 俺の表情をまじまじと見て来る。

「肝臓癌ステージ4。余命半年だそうだ」

 溢れそうになる気持ちを抑えつけて話す。

「うそでしょっ、ねぇ」

「もう仕方ないことはさ、諦めて、残された時間を大事に行きたいと思ってるんだ」

 俺は笑顔でおどけたように話をした。ただ、上げた口角で押された瞳は涙をこぼした。


「本当…なのね?」

「あぁ…それでお願いがある。倫太郎には、伝えないで欲しい。プロなってあいつは大事な時期なんだ。あいつの足を引っ張る真似はしたくない。そして…残された時間を父親として、伝えたいことを伝えきりたいんだ」

「残された時間をなんて、言わないでよ…それに、そんなこと言ったって、伝えないわけにいかないでしょ‼だって、あと半年なんでしょ」

「あぁ、だからあいつの記録が止まるまで喋らないでおいてくれ」

 

 千尋は黙る。顔は千尋の心の中を表しているかのようにくしゃくしゃだ。

「約束して」

 千尋は強い瞳で俺を見て来る。


「凛太郎に私は伝えない。その代わりにあなたが、凛太郎に黒星を付けて伝えて」

 びっくりする。

「あの子不器用だから、壁にぶつかるとなかなか立ち上がれないでしょ?でも、私たち、凛太郎のペースでそこからゆっくり成長すればいいから、暖かく見守ろうって決めてたじゃない?でも、負けた時、あなたがいなかったら立ち上がれないかもしれない」


「そんなことはない、千尋。お前がいれば大丈夫だ」

「逃げないで!母親の私にだけ、押し付けてないでよ!あなたが…あなたが、凛太郎に棋士としての厳しさ、そして父親としての意地を見せなさいよ。立ち直り方を伝えて…?」


 妻のこんなにも真剣で、悲し気な顔を始めてみた。

「あぁ…わかった」

 これが最後の妻の願い。

 こんな役立たずの俺だがいなくなれば、少なからず苦労をかける。

 俺ができる最後のことはこの約束を守ることだろう。


 二人でカレンダーを見る。竜王トーナメント。そこが親子でプロとして対局できる最初で最後の対局。願望だったその日が、辿り着くべき日へと変わった。

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