VR感覚

「原因は、おそらく【VR感覚】です」



 ゲームセンターで遊んでいたところ急に意識を失って、病院に運ばれ、しばらくして目を醒ましたのち医師からの質問に答えたたちばな さくは、診察室で医師からそう診断された。



「それは、どういったものなのでしょうか」



 訊ねたのはさくの父。


 母も隣で聞いている。



「まず〔VR〕ですが、これはVirtualヴァーチャル Realityリアリティの略で、日本語にすると仮想現実となります。ゲームなんかで有名ですが──」


「えっ?」



 父が驚いた声を上げた。



「そ、そのVRでよかったんですか? わたしはてっきり、同じイニシャリズムで違う意味の医学用語かなにかと思いました」


「ええ、そのVRでいいんですよ」



 VR(仮想現実ヴァーチャルリアリティ)──利用者を電脳空間に入りこんだように錯覚させる技術で、HMDヘッドマウントディスプレイ──通称VRゴーグルをかぶる手法が現在では一般的。


 利用者は視界を塞がれて、見えるのはゴーグル内のモニターの映像のみ。その映像は電脳空間での利用者の分身〔アバター〕の視点から見た景色になっている。


 そしてゴーグル内蔵のスピーカーから聞こえる音はアバターが聞いている音。ゴーグル内蔵のマイクが拾う利用者の声は、電脳空間にアバターの声として発信される。


 ここまで来ると。


 利用者はまるで自身がアバターそのものになったかのような、電脳空間──仮想世界への深い没入感を得られる。


 様々な用途があるが、一般人にとって身近なのは臨場感満点のビデオゲーム〔VRゲーム〕としての用法だろう。


 現代社会に浸透した技術だし、浸透する前から〔より進化した未来のVRゲーム〕を題材にした創作物が人気を博している。


 さくも両親も当然、知っていた。


 知らないとおかしい、一般常識。


 そんな常識でも知らない人は知らないので医師は確かめたようだが、こちらの反応を見て説明は不要と判断したのだろう。


 父との話を先に進めた。



「そしてVR感覚ですが、これは利用者がVRを利用中、機器によって与えられていないはずの感覚まで感じてしまう現象、その感覚を言います」


「ないはずの、ですか?」


「はい。通常、VRマシンは利用者に仮想世界の映像を見せて、そこの音を聞かせる……視覚と聴覚にしか働きかけていません」


「そう、ですね」


「他の感覚にも作用するマシンはありますが、そうでない視覚と聴覚のみのマシンを使っていても、仮想世界でアバターが受けた触覚・嗅覚・味覚・温感などへの刺激を利用者が感じる──これがVR感覚です」


「それは、たとえばVRゲーム内でアバターが敵に殴られたら、そのプレイヤー自身が殴られたような痛みを感じ、炎を浴びたら熱さを感じる、といったことでしょうか?」


「そうです。これは機械ではなく人間側に原因があります。脳が思いこみから、実際は受けていないのに『あるはず』と判断した感覚を自ら生みだして補完するんです」


「ま、待ってください」



 父が、ためらいがちに話をとめた。


 医師は頷いて、聞く姿勢になった。



「はい」


「つまり息子はそのVR感覚によって、本当にロボットに乗って戦って撃墜されたのと同じような衝撃を受けて、気絶したと?」


「はい。検査の結果、身体はいたって健康でした。それでもそうなりうる原因としてVR感覚が疑われ、息子さんからうかがったお話とも照らしあわせ、その可能性が最も高いと判断しました」


「ですが、その。息子が遊んでいたゲームはVRゲームではないのですが……?」



 そう。


 気絶した時、さくが遊んでいた【こうゆうアーカディアン】は本物のロボット【アーク】の操縦室コクピットに似せたきょうたいによる業務用アーケードロボット操縦シミュレーションゲーム。


 そこにVRの2文字はない。



「これは推測ですが、かのゲームはVRゴーグルを使わないので〔人々が想像するVRゲーム〕らしくなく、混乱をさけるためにVRとは冠していないのだと思います。ですが実態はVRです」


「どういうことでしょう……?」


「あれはロボットを操縦するゲームですが、プレイヤーの分身はロボットではなく。仮想世界の住人で、そのロボットを操縦している操縦士パイロットのほうですよね? 厳密に言えば」


「え? ……あ、ああ! はい」


「VRゴーグルを使わないアーカディアンでは、そのアバターの視界をプレイヤーに与えません。もし使うなら、コクピット内のパイロットの姿を自分の体のように見れるでしょうが」


「別にそれは見えなくても、筐体の中はロボットのコクピットにそっくりなんですから、充分に仮想世界でロボットに乗っている気にはなれる……なるほど、確かにVRですね」


「はい。それにVR感覚と言っても、同じことはVRの登場以前からありました。肌に当たった冷たいスプーンを熱した金属だと思いこんで、当たった箇所を火傷やけどするなど。他にも数多く」


「や、火傷やけどを⁉」


火傷やけどの水ぶくれは、細胞を構成する物質が焼かれるとそう化学変化するわけではなく、患部を癒すため体が治癒液をそこに集中させて自ら作りあげた状態です。脳が『火傷やけどした』と思いこむと本当は焼かれてなくても作られてしまうんです」


「そこまで体に、直接的な影響が」


「はい。なので〔思いこみ〕を軽視してはいけません。わたしはあのゲームを二度とプレイしないことをお勧めします。このまま息子さんがアーカディアンを続けるなら命の保証はできません」


「「「えっ?」」」



 父だけでなく。それまで黙って聞いていた母も、さく自身も。声を上げ、絶句した。3人とも話はしっかり聞いていても、まだそこまでの危機感は抱いていなかったから。


 医師は重苦しく続けた。



「VR感覚の有無には個人差があり、またその強弱は同じ人でも一定ではありません。ただし息子さんにはそれがあり、またその強さはアーカディアンを続ける内に強くなっているようです」



 それはさくが先ほどの問診で答えたこと。


 視線で問う両親に、さくは無言で頷いた。



「アーカディアンにしろ、他の似たようなゲームにしろ、ゲーム以外のVR体験にしろ。疑似的な〔死〕の体験が本物の〔死〕に直結する──ショック死する危険性が、息子さんの場合は極めて高いということを今後、決して忘れないでください」







 さくは頭の中が、真っ白になった。


 そして目の前は、真っ黒になった。


 思考も感情もグチャグチャで、うつむいて椅子の上でガタガタ震える膝を見ていることしかできないが、父と医師の声は聞こえていた。



「ショック死など都市伝説では」


「いえ。驚いたり怖がったりしただけで死ぬことはありえます。脳が『危機に直面した』と判断すると、その危機から逃れる力を体に与えるため内臓が神経伝達物質のアドレナリンを出し──」


「筋力が増したり、痛覚が麻痺したりする、あの?」


「そうです。しかしアドレナリンは過剰に分泌されると毒となり自らを害するケースも。その症例の1つがストレス心筋症という急性心不全の一種で……心臓がとまって、死にます」



 難しい専門用語は分からなかったが。


 噛み砕かれた最後の言葉は分かった。



「このショック死は些細なきっかけで起きます。軽い交通事故で体には傷1つないのに死んだ人も、ホラー映画を見ていただけで死んだ人もいます」


「なっ」


「驚きも恐怖も人生で何度も味わうもの。現在、生きている人は過去そうしたショックを受けても死んでいないわけですが、次に受けた時ショック死する可能性は誰にもあるのです」


「息子だけでなく、わたしや妻も?」


「ああ、いえ。むしろ『ショック死するのでは』と不安がると、その思いこみがショック死する確率を上げてしまいます。普通の人は気にしないのが一番です」


「と、言われましても……」


「気になりますよね。なので通常ならこんな不安にさせるようなことは申しあげないのですが。VR感覚の鋭い息子さんは他の人よりショック死する可能性が高い。その危機感を持っていただくため、お伝えしました」


「そう、ですか……」


「現に、近年VRゲームを遊んでいた人がVR感覚による衝撃でショック死するケースが増加しています」


「⁉ それは、ゲーム内でアバターが死ぬと、そのプレイヤーも死んでしまうというSF作品のように? あの作中の、利用者の脳を破壊可能なVRマシンなど現実にはないのに」


「じかに利用者を害する機能はなくとも、最近の性能が上がって以前よりリアリティの上がったVRマシンは、比例して利用者にVR感覚を起こさせやすくもなり、死亡率も上がっています」


「なんてことだ……」


「アーカディアンの筐体のリアリティも、それらのVRマシンに劣るものではありません。ご留意ください」


「……分かりました」


「先生」



 父が話を終えると、今度は母が医師に訊ねた。



「息子がアーカディアンを続けても生き続けられる方法は、そのVR感覚をなくす方法などは、ないのでしょうか」


「……そうした方法はまだ確立されていません。ただ息子さんがアーカディアンをやるほど感覚が鋭くなったなら、逆にやらずにいれば鈍くなることは考えられます」


「なら、しばらく休めば」


「ですが問題ないほど鈍くなったかどうかは、また遊んだ時しか確かめられません。その時、鈍くなっておらずショック死してはそれまでです」


「……よく分かりました。ありがとうございます」



 母は医師へと頭を下げた。


 それからこちらを向いた。



さく。アーカディアンを辞められる?」



 自分を見つめる母の顔も、同じように見つめてくる父の顔も、真剣ではあるが厳しくはなく、優しかった。もう、息子がなんと答えるか分かっているように。


 なんて恵まれているんだろう。


 それなのに、自分という奴は。


 さくは自分がVR感覚だと知っていた。さすがに気絶したのは今回が初めてだし、命の危険があるとは思っていなかったが。


 以前からアーカディアンで自機が被弾したり撃墜されたりする度に強いショックを受けており、自分で調べてそれがVR感覚だという結論に達していた。


 それを両親に知られればアーカディアンを辞めさせられるかも知れないと恐れて、黙っていた。だがそれを知った母は、反対に続けられる道はないかと気にしてくれた。


 この理解ある母を、父を。


 もう、誤魔化したくない。


 たとえ、それが両親を安心させるのとは真逆の、とんでもない親不孝なことだとしても、真っすぐに本心を伝えた。



「無理だよ……僕には辞められない」


「遊んでるさいちゅうに死んじゃっても?」


「アーカディアンをやれない……というか、ロボットに乗れないなら、生きてる意味なんてない。そうなったらもう、死んでるも同然だから。アーカディアンやって死ぬよ」


「な⁉」



 医師は仰天したようだが。


 母と父は動ぜず、頷いた。



さくなら、そう言うと思ってたわ」


「なら、続けるといい。でもショックを受けた時は落ちつくまで休むこと。続けながらもVR感覚を鈍くする方法がないか模索していくこと。これだけ約束してくれ。父さんたちも探すから」


「そうね。そうしたらもう、なにも言わないから」


「父さん、母さん……ありがとう、約束するよ!」



「いい感じに話をまとめないでください! 死ぬんですよ⁉」



 雰囲気に流されず、医師が制止した。


 母は彼へと微笑み、穏やかに言った。



「我が子から生きがいを取りあげて、生きる希望を奪って、自殺されるよりマシです。そうして死んだ、わたしの姉のように」


「「⁉」」



 それはさくも初耳だった。


 続いて父が話した過去も。



「わたしも昔、夢を両親に反対されまして。説得するのに多大な時間と労力を浪費しました。同じ想いを、息子にまでしてほしくないんです」



 それを聞くと、医師は深く息を吐いた。



「医者として申しあげるべきことは申しあげました。これ以上は口を挟めません。どうか、くれぐれもお気をつけて。もしなにかあれば、またいつでもいらっしゃってください」


「「「ありがとうございます」」」



 さくは両親と3人で医師に頭を下げて、退院した。


 アーカディアンを続けられなくなる危機は取りあえず去った。とはいえ、なにも解決していない。


 先ほどはああ言ったが、アーカディアンをやって死ぬつもりは毛頭ない。自分は生きて、りっと添いとげるのだから。


 ただ、まだ。


 2人は今も自分を『好き』と言ってくれるものの、自身とだけ恋人になるよう望んでいて、さくが望む『2人ともと恋人に』を受けいれてくれてはいない。


 小5の夏に2人に告白してから始まったその関係は、小学校を卒業してもうすぐ中1になろうとしている今も。


 少しも変わっていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る