食牛之気

 コンコン



 病室のドアがノックされ、いわなが 常磐ときわが応対して中に招きいれたその人物は威風堂々たる白髪の老爺で。たちはな さくには見覚えがなかった。


 和服姿で、杖を持ってはいるが体を預けはせず、背筋は伸びてどっしりしており、表情と眼光には覇気が満ちていてる。一体、どこのお偉いさんだ。



「失礼するよ」



 老爺はさくが上体を起こしているベッドの脇まで来た。常磐ときわゆき りっつきかげ が椅子ごと離れて、さくと老爺の2人で話す体勢に。



「体の調子はどうかね」


「はい、なんともありません。えっと、あなたは……」


「はは、君も昼間に見ているよ。あの工場で君たち社会科見学の生徒の皆さんを案内した、作業服ツナギを着ていたジイさんさ」


じょう りく けん の⁉」



 服装と雰囲気がまるで違うので気づかなかった。さくはバッと掛布団の下から両脚を抜き、ベッドの上で土下座した。



「申しわけございません!」


「どっ、どうしたのかね?」


「僕は御社の製品を、双腕重機ボガバンテを侮辱しました。そのせいで御社が設けてくださった社会科見学の場を乱して、進行を妨げもしてしまいました。重ね重ね、申しわけありません!」


「……ああ、顔を上げなさい。なにも謝ることはない。むしろ、儂のほうがその件で君に謝りに来たんじゃ」


「……?」


「ほら、脚も崩して、楽にして」


「は、はい」



 さくが正座をやめてベッドの上で座りなおすと、老爺はスッと背を伸ばして両手を前にし、腰を90度 近く曲げて頭を下げた。



「誠に申しわけございませんでした」


「えぇ⁉」



 威厳のある人にこうも謙虚な姿勢をされると逆に迫力がある。それにしてもこれは一体。さくは混乱した。



「なぜ謝るんです? 悪いのは僕なのに」


「今のも、昼間のそう ろうくんに対しても。君が自分から非を認めて謝ったことは、とても立派な振るまいです。ですがそれに甘えるわけにはまいりません。悪いのは当方です」


「いえ、僕ですって!」


「ボガバンテの実演中に、大声でその悪口を言ったから? 人を殴っていい理由になるはずもない。いえ、口頭で注意するような場面でさえなかったんです。我が社としては、君の言ったような意見が出るのは予想していましたから」


「そう、なんですか?」


「我が社は様々なロボットを開発しています。双腕重機も、君が乗ったロボット【ブルーム】もその1つ。好みは人それぞれですから、1人に全てを好かれようとは思っていません」



 そうか。


 マスタースレーブで動く双腕重機ボガバンテを見て無意識下に『この企業はこういうロボットしか作らないんだ』と思いこんでいたため、ブルームを見た時は意外だった。


 個人の嗜好に囚われた自分と違い、常陸は多様性を認める広い懐を持っていた。


 さすが世界的大企業だ。



「だから否定的な意見があっても波風を立てず、やりすごすのが我が社の方針です。ですがそうくんにはそれができなかった」



 大人の対応ができなかった。


 実際、彼も小学5年生だし。


 結局、ろうが悪かったという流れになってきて、彼を怒らせ殴られはしたが握手して和解した身としては心配になってきた。


 それが顔に出たらしい。



「もちろん彼も悪くない。社員の息子とはいえ部外者である彼をあの場でボガバンテに乗せた我々、会社の大人たちの監督不行き届きです。社員一同を代表して、深くお詫び申しあげます」


「わ、分かりました。ですからどうか、そんなかしこまらないでください。かえって恐縮しちゃいます」


「ありがとうございます……では、お言葉に甘えようかの♪」



(ふう)



 老爺の口調が元に戻ると同時に、硬かった表情もボガバンテの説明をしていた時の笑顔に戻ったので、さくは緊張が取れた。



「やっぱり、工場長はお茶目ですね」


「工場長?」


「あ、違いました? なんか勝手にそう思いこんでました」


「ふふっ、儂のことを知らなくても、あのように真摯に謝罪しておったのか。君は本当にいい子だ……こほん。申し遅れました、ワタクシこういう者でゴザイマス」


「はぁ」



 さくは老爺から名刺を受けとった。


 そこにはこのように書かれていた。



じょうりくグループそうすい ㈱ じょうりく せい さく じょCEO 常陸ひたち かおる



 総帥?


 ロボットアニメでよく聞くあの?


 CEO……確か最高経営責任者?



じょう りく けん 、の入ってるグループの、トップ……? あの、僕、よく分かってないんですが……とても偉い人なのでは」


「なにが偉いもんか。君と同じ人間じゃよ。まっ、偉そーな役職なのは確かじゃが、君たちは儂の部下でもなんでもないんじゃ。気楽に接してくれたほうが儂も嬉しい」


「は、はぁ……了解しました」



 気さくな人で助かった。自分には礼儀作法の知識なんてない。失礼を働くつもりがなくても大グループの総帥相手にふさわしい接しかたなんて分からない。


 こちらこそお言葉に甘えよう。



「あっ、そうだ。ブルームに勝手に乗って動かして、傷までつけちゃったことも謝らないと。それにれいだいちょくとう、あれも爆発に巻きこまれて」


「よい、よい。弁償も求めんよ、緊急避難じゃったんじゃから。むしろ儂らの作ったモンが君たちの命を救う役に立ったのなら、我が社としても誇らしい限りじゃ。そのための道具じゃからな」


「……ありがとうございます」


「うむ──さて、たちばなくん。儂は席を外すので、着替えて退院の準備をしなさい。下で待っておるので、それが済んだら儂の車でとうきょうのご自宅まで送ろう。もちろん友達も一緒にの」


「え。そんな、いいんですか?」


「もちろんじゃ。そもそも彼らが学校のみんなと一緒に帰らずにここに残れたのは、儂が責任を持って送り届けるとご家族に約束したからじゃし」


「そうだったんですか」



 後ろで常磐ときわりっがうなずいた。考えてみれば子供だけで『残る』と言っても残らせてもらえるものではない。総帥が世話を焼いてくれていたのか。



「ありがとうございます。よろしくお願いします」


「うん、では失礼する──そうそう、もう夕方じゃ。道中、店に寄って飯にしようか。茨城いばらきの名産、常陸牛ひたちぎゅうを御馳走しよう」


「「「「ありがとうございます!」」」」



 牛肉と聞いて目を光らせた、さくたち4人の声が揃った。子供たちには常陸グループ総帥より、常陸牛のほうが権威があった。







 ンモォォォォォォォォッ‼


 ジュゥゥゥゥゥゥゥゥッ‼



 牛のえる声。


 肉の焼ける音。


 炎はごうごうと燃えさかり、火の粉はぱちぱちと爆ぜて飛ぶ、そこは正に地獄のような有様だった。炎上する街を機械仕掛けの巨牛が駆け、ひかれた人間の体が炙られていく。


 すでに日は沈んだが、地上は業火で明るい。


 そこは日本の湖で第2位の広さを持つ【かすみ うら】の北西部、茨城いばらきけんかすみがうら市とつちうらにまたがる一帯の町。この町は今、秘密結社ザナドゥの手によって灰燼に帰そうとしていた。



(大袈裟なことだ)



 この大火災を引きおこした犯人、人面を模した不気味な仮面をかぶったその男は、火中でも平然と駆ける機械の牛【メカオックス】の体内から──安全な操縦室コクピットからその光景を眺めていた。


 その男こそ、いしめんサガルマータ。


 秘密結社ザナドゥの長……大首領。



「フッ……フフッ! アーッハッハッハッハッ‼」



 こらえきれず石仮面サガルマータは笑いだした。一体どれほどの人間が死ぬことか。だが自分個人も組織としても、この町の人間にはなんの恨みもないし、破壊と殺戮が目的なのでもない。



〔火事場泥棒〕



 自分たちの目的は、言ってしまえばそれだけ。町の被害はその巻きぞえに過ぎないのだから笑ってしまう。無論、被害者側には笑いごとではないだろうが。



 ぎゃりぎゃりぎゃりッ‼



 たくましい四肢で火事場を疾駆するメカオックスは、その巨体に見合った荷車を曳いていた。車両運搬車キャリアカーのトレーラーのようなそこにロープで括りつけられられているのは──


 全高4mほどの人型ロボット。


 その全身は黒く塗られている。


 世界的巨大企業、常陸グループが開発した搭乗式人型ロボット【ブルーム】の試作2号機。別動隊が探していた緑色の1号機のほうは奪取に失敗したが、1機でも充分。


 しかと持ち帰らねば。


 秘密結社ザナドゥはこの搭乗式巨大牛型ロボット【メカオックス】や別動隊の用いた巨大虎型ロボット【メカタイガー】のような四足歩行の動物型ロボット兵器【メカビースト】の実用化には成功した。


 だが四足より不安定で制御が難しい、直立二足歩行の巨大人型ロボットの開発は難航している。そこにじょうりくグループが人型機動兵器を極秘開発中との情報が舞いこんだ。


 それがこのブルーム。


 そこに使われている姿勢制御技術は結社のものより高く、また結社が今後のため喉から手が出るほど欲しい水準に達していた。


 なら、その現物をいただいてしまおう。

 

 結社の技術者たちならばブルームを分析することで自分たちに足りなかったものを理解し、模倣することもできるはず。それでいい、独自開発にこだわる意味などない。


 結社の掲げる理想の成就こそ肝要。


 他のことは全て、些事に過ぎない。


 それで石仮面サガルマータが率いる実行部隊が、この町の2ヶ所に隠されたブルームの試作機を強奪すべく、2班に分かれて襲撃した。


 町に大火事を起こし、日本の公共機関は消火と救助に追われ、そこで略奪を働く自分たちを警察も自衛隊も邪魔できない状況を作りあげて。


 情けない話だが、今はまだ雌伏の時。


 いずれ決起した暁には盛大に戦おう。



「その時は相まみえたいものだな。1号機の操縦士パイロットよ」



 石仮面サガルマータは知らない。


 いかにその悪魔的頭脳により秘密結社ザナドゥを1代で巨大に成長させた天才とはいえ、全知の神ならぬ身には知る由もない。


 数々の、数奇な運命を。


 ブルーム試作1号機を操ってメカタイガーを撃破した者が今月7日、今作戦に用いるためそのメカタイガーを輸送していた結社のトラックがある少女をひきそうだったのを阻止したことも。


 その操縦士パイロットが適当につけた仮称【メカタイガー】がその本当の名前と合致していたことも。


 その操縦士パイロット──たちばな さくの名も、彼がブルームの開発に携わる常陸のスタッフなどではなく、たまたま現場にいて巻きこまれただけの、普通の小学5年生だなどということも。







 常陸牛ひたちぎゅうとは。


 茨城いばらきけんで指定された生産者が飼育した黒毛和種の牛の内、日本食肉格付協会枝肉取引規格においてどまりとうきゅう(1頭から食べられる肉がどれだけ取れるか)が3段階評価の最高Aか標準Bで、かつにく しつ とうきゅうしもふりの多さと3種の外見要素の総評)が5段階評価の最高5か次点4に格付けされた牛肉の銘柄である。


 つまりはただ茨城いばらき(=ひたちのくに)で生産された牛肉という意味ではなく、それはそれは厳しい基準を満たした超絶に美味い牛肉ということだ。


 そのステーキをたらふく食べて、さく常磐ときわりっ、小学5年生4人は前後に長い高級車、リムジンの広々とした後部座席のシートでまったりしていた。



「「「「はぁ……」」」」



 その満腹で苦しくはあるが幸せそうな表情に、同じ後部座席に座るじょうりくグループ総帥、常陸ひたち かおるはご満悦だった。若者にたくさん食べさせたがるのは年寄りのさがだ。


 車を運転しているのは当然、お抱えの運転手だ。総帥が4人を連れていった超高級レストランでの夕食が終わり、今は東京へと向かって高速道路を走っているところ。


 なお総帥はもう、若い4人と違って肉のような脂っこい食事は胃が受けつけない年齢でありながらガッツリ食い、それでも4人より平然としている。


 慣れているからだ‼


 政財界の重要人物と会食する機会も多い身、それがただの食事でなく駆けひきの場である以上、食いすぎで苦しいなどと無様な姿をさらせるはずもない。


 よって威厳を損ねることはなく、かといって未成年を威圧してしまわぬよう、総帥はなんでもない世間話のように切りだした。



たちばなくん、ちょっといいかい」


「あっ、はい!」


「他の3人にはもう話したんじゃがね。君が乗ったあのロボット【ブルーム】のことは、他の人には内緒にしてほしいんじゃ」


「分かりました」



 即答だった。素直な子だ。


 だが話が終わっては困る。



「これこれ、対価も確認せずホイホイ他人の言うことを聞くものではないぞ。君は儂の奴隷ではないんじゃから」


「えっ。でも口止め料ならもう牛を……」


「高級ブランドとはいえ子供の胃袋に収まる程度、超大金持ちの儂からすればはしたがねな料金にしかならん。あれしきで口止め料になると思われては困るのう」


「わぁ……」


「それよりブルームのことをもっとよく知りたいと思わんか? 本当は部外秘なことも、総帥パワーで色々と教えちゃうぞ?」


「喜んで‼」



 さくは瞳をキラキラさせて頷いた。


 その反応に総帥は大いに満足した。

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