第33話

「アストラ」


 今までこの部屋での物音や気配を消していてくれていた存在の名前を優しく読んだ。


『御前に、主』


 首を垂れた姿で現れた大きな白金の狼にオルフェは驚いて瞠目していたけれど、味方だと判断したのだろう、視線を私へと戻して沈黙する。


「アストラ。これから出掛けるから偽装工作をお願い。私が未だ寝ている様に装う事は可能?」


 静かに問いを発する私にアストラは心配そうな声音になりながらも肯いてくれたけれど、忠告も忘れない。


『勿論可能だ。主の望みのままに。……だが主。一人で夜に出歩かれる御つもりか? その姿でというのは許容しかねる』


 言われて自らの姿を見てみると……光に包まれているから気が付かなかったけれど裸という状態で頭を抱えたくなった。

 改めて部屋にある鏡で自分を視認。

 ……何だか後光が射した姿で……腰より長い髪は黄金に見事に輝きつつ風も無いのにたなびき、頭以外は更に眩しい光に包まれて身体の輪郭が分かるか分からないかといった風情だ。

 ――――この姿で今までセバスやオルフェの前に……と考えたら埋まりたくなった。



 それを今は時間が無いからとどうにか受け流し、この部屋から行ける衣裳部屋へと歩を進める。

 確か……お忍びで街に出るためのシンプルなワンピースがあったはず。

 合わせて揃えた靴とショート丈のボレロカーディガンもワンピースと一緒に発掘し、急ぎ身に着ける。

 衣裳部屋の鏡の前で一回転してみたが……多分問題は無いと思う。

 思うけれど……かなり前の型になるのだろうし目立つだろうか……

 ラベンダーの淡い程よい長さのワンピースに白いボレロカーディガンと厚底の編み上げブーツ。

 ……背が低いので厚底且つヒール高目ではあるけれど歩きやすい物を私は常に選んでいた。

 衣装を仕立てた頃とそう年齢が変わらないからだろう。

 どれも問題なく身に着ける事が出来た。

 ……衣装が古い型だとは言っても……最初からほぼほぼ姿を特定の一人以外には見せるつもりも無かったから大丈夫……だろう、多分。


 自室に戻り、私が自作した小物類を収納したハイチェストをごそごそ探って目当てのモノを手に取ってから……二回目の人生以来一緒の宝物を起動させてそこに収納。

 確かこの宝物の名前は『隠しの指輪』。

 使い方はあまり良く知らない。

 ある程度しか教わってはいないのだ。

 正式に使い方を習う前に――――里は無くなった。

 ……込み上げる諸々を飲み下す。

 切り替える。


 ふと視線を向けると……オルフェから先程より明確に……花を背負いながら輝く瞳と表情を向けられている。

 いたたまれなくなりながらも、とある体内にある宝物で時間を確認し、今から徒歩で向かえば丁度だろうと目算を立て口を開いた。


「オルフェ。姉様はこれから大事な用で出掛けてくるけれど……部屋に戻らなくて大丈夫……? それともこの部屋で待っている……?」


 彼が裏切るとは微塵も思わなかった。

 ただ……オルフェが自室にいない事を咎められるのだけが心配で。

 私の認識ではこの年齢の大貴族ともなればとても聡明であり、前の世界であれば十代半ばと同等だった認識だからこそ彼の判断に任せる事に。

 未成年と言われればそうだろうけれど、オルフェの意志を無視する精神年齢でもないというのが私の考えだ。

 ……昔からの。


「姉上が必要だと判断されたのですよね。――――分かりました。姉上のお部屋でお戻りまでお待ちしております」


 不安を滲ませた心配そうな表情になりながらも一瞬で切り替えたのだろう、真面目な表情になりしっかりと肯いたオルフェに了承がてら微笑んだ後、アストラへと頼みごとを図々しくもしてしまう事を選択。

 ……心苦しくても……使える手は使うと誓ったのだからと言い聞かせてどうにか口を開いた。


「アストラ。オルフェをお願い。部屋にいない事も偽装してくれると助かるわ。それから……申し訳ないのだけれど私を屋敷の外まで出してくれる……? 出来得るならば裏門の近くの小川沿いにある遊歩道まで運んでくれたら助かるわ」


 あそこは確か夜も更けたこの時間にはそう人通りは無かったはずだ。


『主の願いであれば。……御姿は見つからない様にされるのだろう?』


 そうするだろうと分かってくれているけれど……消えない不安があるのだろう、確認するアストラに安心してくれるように笑みを浮かべる。


「勿論。彼女に知られない為にも人目に付くわけにはいかないもの。それに姿を見せる相手も決まっているから大丈夫よ」


 アストラもオルフェもまた心配そうな表情になっているのが本当に心が痛い。

 彼等が私を案じてくれているのを無下にする様な事をしようとしているのだから。

 ……それを気付かれないように自信に満ちた笑みを貼り付け続ける。


「そろそろ時間だわ。アストラ、お願い」


 どうにか上手くいけば勝算が出てくる程度の分の悪い賭け。

 それでも動かなければ大切な存在を喪うのは決定事項。

 ――――現在解決方法を知っているのは……知り得る限り『定世界』シリーズの知識がある私だけ。

 であれば……何もしないで後悔するより動いて後悔の方が何倍も良い。

 ああしていればこうしていればと後悔し続けるのは――――もう嫌だから。

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