第9話

 アニーは首を傾げながら、おそらく自室と思われるこの部屋のドアを開ける。


「はい、なんでしょうか?」


 陰になっていて誰かは分からないけれど、声から察するに女性の様だった。


「家政婦長がお呼びだそうよ。直ぐ来て欲しいと仰っておられたわ」


 どうやら同僚、同じ従士族らしい。

 従士族は皇族をはじめ、貴族、準貴族、騎士爵に仕える存在だ。

 平民にしてみると、使用人、といった認識らしい。

 家に関わる様々な事柄に主に従事している。

 ……護衛を兼ねる者も多いし、代々裏の仕事を兼ねている者も少なくはない。


「分かりました。直ぐ伺います」


 その言葉をアニーは言い終えると共に、部屋にいるおそらくルーフスの一族だろう少年へと向き直って膝をついた。


「サリオス様、私は直ぐ行かねばなりません。御用――――」


「此処で待っている」


 サリオス少年はアニーの言葉を遮り強く言い切って、私が寝かせられている赤ん坊用のベッドの側に足取りも優雅に移動した。


「御用が済み次第直ぐ戻ってまいります」


 笑顔で告げてアニーは部屋を出て行ったのだが……


 足音が遠ざかって聞こえなくなった頃、サリオス少年は椅子を移動させてその上に上り、私が寝かされているベッドを覗き込んできた。


「お前は、親に捨てられたのか? 望まれない子供なのか? 存在することを拒絶されているのか?」


 幼児と言って良いだろう少年には似つかわしくない程の真剣で熱の籠った眼差しと言動に、思わず目を瞬かせた。

 それからどうやら真摯に案じてくれているらしい色をその瞳に見て取ったから、感謝を込めて微笑んだ。


「……ちゃんと分かっているのか? 笑っている場合じゃないぞ。深刻なんだぞ。……世界に望まれないのは……――――辛いんだからな」


 凍えるあまりにも悲しげな声。

 ……この少年が『彩印』を受け継いでいない事から察せられる一族での立場。

 魔力はとてもとても高いのだろう。

 ルーフスの一族に相応しく。

 だからこそ年齢以上にとても聡明で。

 結果自分がどういう存在か理解してしまう。

 それを思うと、どうにか少しでも彼に心が軽くなって欲しいと、烏滸がましくも思った。

 思ってしまったのだ。


 ――――偽善だ。

 分かっている。


 この少年との繋がりが今後どうなるのかも分からないのに。

 産まれたばかりなうえ現在絶賛攫われている私は、明日の未来さえ分からないのに。


 それでも出会ったばかりの私の境遇を直ぐに察して、心からの心配をしてくれる優しい少年に何か返したかったのだ。


 現在の私に出来る事。

 赤ちゃんの私に出来る事は――――


 考えていたら、ふとサリオス少年が私へと手を伸ばした。

 頬をツンツンと突っついている。


 ……痛くは無い。

 優しい力加減でまったく痛くない。


「ごめん。嫌な事言ったの雰囲気で分かったのかな。そんなしかめっ面するなよ。さっきまでみたいに笑っていた方が良い。少なくともオレは好きだよ」


 サリオス少年の今にも泣きそうな笑顔を見たら、思わず私の頬を突っついている人差し指を握って微笑んでいた。

 彼が目を見開いているのを視界に収め、どうしたら彼の心が少しでも楽になるのかと考えた結果、好きだと言ってくれた笑顔を向けるしか出来なかったのだ。


「……お前、魔力高いのかな……だから産まれたばっかりでも凄く年齢不相応。確かアニーの親類が仕えているのはアルゲンテウス大公家だったと聴いたはず……それに綺麗な混じりけのない金色の髪に澄んだ瑠璃の瞳……まさか……大公……の……? 更に加えて……か。……――――いたましい……お前……悲惨な未来しかないぞ……」


 とても苦いモノを飲み込んだような重い溜息を吐いてから、私を悲し氣に見つめるサリオス少年。


 ――――鏡を見ていなかったので気が付かなかったが、やはり二回目、三回目の人生とまったく同じ髪の色と瞳の色であるらしい。

 ならば容姿も一緒なのは確実かと思い至って思わず苦笑がもれる。

 この容姿である限り、私は様々な事柄で蜘蛛の巣に囚われた蝶さながらに雁字搦めになってしまうのは、それこそ三回目の生で嫌という程分かっていた。


「なんとなく分かってるんだな。碌な未来が無いって……先祖返り、か……」


 しみじみと痛ましそうに呟くサリオス少年に、キュッと一度強く握ってから、安心してもらえる様に微笑んだ。

 込めた気持ちは、大丈夫、分かっているからというもの。


「――――そうか……なあ、まだ名前のない殿。オレの秘密、聴いてくれないか?」


 サリオス少年は、私が握った手にもう片方の手を重ね、底なし沼の様に深く暗い眼差しで見詰めてくるのものだから、思わず首を傾げてしまう。

 けれど否やは無かった私は、握ったサリオス少年の手をもう一度強く握って笑みを浮かべた。

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