僕は望む、他愛もない日常を

 授業は見知ったものだった。一度受けた授業をもう一度、受け直しているのだ。できない方がおかしい。だから、ノートをとりながら、今、自分が置かれている状況を考える。


 おかしいことは、たくさんある。まず初めに、時を遡っていること。これが一番大きな問題だ。でも、原因は分からない。だって、僕は彼女が亡くなってから一度も部屋を出ていない。一度たりとも、何かを願ったりしていない。ただ、現実に負けて、泣いて泣いて、泣き叫んで。そうして眠りにつく。それを何日も何日も繰り返しただけだったのに。


「……おかしいなぁ」


 でも、どれだけ考えても、答えは分からず仕舞いだった。






「お、彩人。飯にしようぜ」


 昼食の時間まで、時が過ぎていき、何時も通り、真翔がこちらに来る。昼食は何時もこいつと一緒だったと思い出しながら、席を立つ。学校に行かずに泣いてばかりいると、ハッとすることも多い。たまには学校に行ったほうが良かったと思った。


「いや、今日は遠慮しとくよ」


「珍しいな、何かあったか?」


 なにもない、だからこそ、僕もみんなも泣かなくていいようにしたい。


「いや? 特に何もないよ?」


「そうか。じゃあな」


 真翔は席を離れる。僕の目的はただ一つ、後悔しないための行動。あんな後悔をもう二度としないために。


「時雨、昼、一緒に食べない?」


 ハッとした顔で僕を見る。僕が時雨を呼ぶ、ただそれだけで、多くの人が、僕に驚愕の視線を向けてくる。


「あれ? どうかした?」


 僕自身、そんな驚かれることをしたはずはない。ただ、名前を呼んだだけ、それ以上でも以下でもない。でも、驚かれている。


「ねぇ、時永君。いつの間に名前で呼ぶぐらい淡島ちゃんと仲良くなったの?」


「え?」


 そう言われて、ハッとした。僕は忘れていた。思い返してみればだが、過去一度も、学園内で彼女に声を掛けたことはない。クラスカーストで上位に君臨する彼女に対して、僕は下の人間。公的には基本的に交わることはない。例外はあるものの、その例外もいじめなどが該当される。それを意識していた僕は、勝手に壁を作り、極力関わらないようにしていた。


「え、えっと、彩人?」


「え、えぇっ! 淡島ちゃん、いつ永君とこんなに親しくなったの!?」


 時雨の友人?は訳も分からず混乱しているんだろう。けど、そんなの、今の僕にはたいしたことではない。


「一応、幼馴染だけど……」


 これも、ずっと黙っていた。クラスカースト上位の時雨が不利になるから。ずっと陰キャ決め込んでいた僕が幼馴染みだと知られたら、きっと、時雨が不幸になってしまう、そう思ってたから、ずっと、隠していた。


 時雨も混乱している。他にとれる行動があったんじゃないかと苦笑しながら、拒絶されづらいように、時雨に聞く。


「嫌だった? たまにはいいかなって思っただけなんだけど」


「わ、わかった。い、行きます!」


 顔を真っ赤にながら微笑み、弁当箱をカバンから取り出している。驚いた、行動してみたものの、玉砕すると思っていた。


「ありがとう」


 ただ単に、うれしかった。昔、小学生だった頃のようにともに食事をする。それが高校生になってもできる事実、そして、僕から誘ったときに見せる、あの顔優しげな顔が変わっていなくて。


「じゃ、行こう?」


 真っ赤な顔のまま、僕の手を引っ張る。昔から変わらない、後先考えない行動力。彼女の行動力に身を任せた。たぶん、行き先は屋上だろう。大体、屋上には人がいない。


「チッ、王子様かよ、くそ陰キャが」


「え、なにあいつ、絞めていいの?」


 教室内の男子から妬みの視線や暴言が聞こえたが、今はそんなの気にしてられない。たぶん、手を引かれている僕も、顔が真っ赤になっているだろうから。






「おい、真翔。お前、あいつが姫と仲良いの知ってたか?」


「いや、知らなかった」


 …違う。本当は知っていた。だって、俺はずっとあいつを見てきたからな。あいつが、あいつであるために。ずっと、あいつに寄り添ってきたからな。でも、姫よりもずっと、ずっと支えてやってたってのに、面白くない。


「あぁ、ずっと、お前は俺を見てくれてはいなかったんだな」


 俺、白鷺真翔は、今日初めて、失恋を知った。そして、俺の中で何か、ドス黒い感情が渦巻くのを感じた。これが何なのか、何をもたらすのか、俺にはわからない。






「ねぇ、彩人」


「どうした?」


「今日の彩人、なんか変だよ。どうしたの?」


「何もないよ。いつもの僕だ」


「本当に?」


 時雨がじっと、僕の瞳を覗き込んでくる。きれいで、透き通るようなその眼差しに、僕の内側を覗かれているようで、くすぐったくってたまらない。


「本当に」


 そう返しながら、僕は唐揚げをほおばる。フェンスで囲われた空間の中で、時雨と二人で。


「そう言えば、幼馴染ってばれちゃったね」


「迷惑じゃない? 僕なんか幼馴染なんて」


「全然。迷惑だって思ってたら、こんなところで二人でご飯食べてないよ」


 考えてみれば、その通り。迷惑なら、あのタイミングでバッサリ否定してくればいい。でもしなかったってことは、迷惑でなかったってことの裏返し。


「確かに……」


「そ。だから気にしないでいいの」


「…わかった。ありがとう、時雨」


 嬉しかった、拒絶されないことが。だって、拒絶さらたら、僕はなにも出来ない。僕は臆病だから、僕個人なんかじゃなくて、狙った相手の幸せを優先する。でなきゃ、朝、あの抱き締めた時に、「僕のものになれ」って、「逃がさないぞ」って詰め寄っている。


「そうよ、感謝しなさい」


 そう言って時雨はパッと笑顔を咲かせる。それが、堪らなく嬉しい。

 ……僕はいつまで、この笑顔を見続けることが出来るだろうか。

 そんなことを考えながら、彼女と笑った。

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