第 9話 新たな主はゴリラ


 やっとの思いで迷宮主を倒し部屋で休んでいると突然床が光りだし白いワンピースを着たゴリラが出現した。


 部屋の中央で腕を組み二本の足でしっかりと立つゴリラが室内をキョロキョロと見回しているのだが、着ているワンピースの胸元には宝玉が五個も散りばめられていた。


 つまり、このワンピースのレア装備を着用しているゴリラが新たな迷宮主って事になる。


 だが、さっき出現した迷宮主のゴブリンファイターを倒してからまだ半日も経過していないのに、何故また新たにゴリラが出現した? 


 ゴリラは首を傾げがら室内を相変わらずキョロキョロと見回している。


 背丈は俺くらいだが腕は太いし胸周りも厚い。そんな見るからに腕力が強そうな新たなゴリラは武器になりそうな物は何も所持していなかった。


 ひょっとすると、さっき倒したゴブリンファイターと同じで殴り合いを得意とする魔物なのかもしれない。


 出現した理由は謎だが襲ってくる気配はまだなさそうだ。


 今のうちにワンピースの胸元に散りばめられた五つの宝玉に意識を集中する。


 【清潔】【快適】【修復】【伸縮】【魅了】といった特に戦いに影響を及ぼすような性能を有する宝玉ではなかったので、少しホッとした。


 ただ、強いて言えば【魅了】の宝玉が怪しいところだが、『相手の心を惹きつけ惑わせ夢中にさせる』ほどの強い魅了効果を有した宝玉ではなく、『相手に警戒心ではなく良い感情を抱かせる』程度の効果しかないので、せいぜい装備者のを良く見せるくらいの性能だ。


 それに、【清潔】は装備品に付着した汚れを落とし【快適】は戸外や室内の気温を装備者にとって快適な温度に調整する宝玉だ。【修復】に至っては装備品に生じた傷やひび割れを損傷前の状態に戻してくれる修繕効果のある宝玉だし、【伸縮】は装備品が伸び縮みして装備者の身体に合った寸法に変化する宝玉なので、やはり直接戦闘に影響はない。


 今回出現した迷宮主ゴリラのレア装備は戦闘向けというよりも日常生活を快適に過ごす事に特化したような性能だ。もし、母さんにお土産として持って帰れば喜ぶかもしれないが、残念ながら今の俺にはあのゴリラを倒す自信は全くない。


 ゴリラは目をつむり何か考え込んでいるようで、まだこちらに危害を加えるような仕草を見せてはいない。


 今のうちにゴブリンファイターのレア装備を収集しておくか。と一瞬頭をよぎるが同時に『迷宮主は迷宮内に出没する魔物の上位種が出現する』はずなのに、今迄でゴリラと戦ったこともなければ目撃した事もなかった。なので、突然ゴリラが出現したのには違和感があって謎だが『主は部屋から出た者を追い掛けては来ない』ので、とにかくこの部屋から脱出し生還する事を考える。


 身体中あちこち痛むし蓄積された疲労が抜けきっていなくて動くのもだるい。それに、足に少しでも力を入れれば膝に激痛が走るので歩くのもままならない。更に厄介なのは、ゴリラの先に部屋の扉がある事だ。


 ゴリラが俺の視線に気づいて後ろを振り向き部屋の扉の方を見ると、俺を見てから床に倒れ息絶えているゴブリンファイターを見て首を傾げる。


 すると、また顎に手を当て何か考えているような仕草をしだした。


 一瞬だけゴリラと目が合ったが俺を見る眼差しには知性のようなものが感じられた。


 まだ戦闘経験が三ヶ月程度しかない俺には相手の強さを見抜けるほどの力量は備わっていない。


 だが、本能的にこのゴリラとは戦ったら絶対に不味いって直感した。


 直ぐにでもこの場から立ち去るべきだ。痛む膝をかばいながら剣を杖代わりにして立ち上がる。すると、ゴリラが顎から手を離し


「ボロボロじゃない。今すぐラクにしてあげるわ」


 優しそうな女性の声で話し掛けて来たゴリラに驚いていると、ゴリラの掌から光る球体が出現した。


 不味い! 魔法攻撃だ! 即座に剣を構える。今の俺に躱す事が出来るのか? 


 すると、思いのほかゆっくりと球体が近づいて来たので少し後ろに下がる。


 球体が床に当たって消滅した。


 ゴリラの目を見て知性のようなものを感じたが、どうやら会話が出来て魔法も使える魔物のようだった。


「なんで逃げるのよ……。ラクにするって言ってるでしょ」


 またゴリラが女性の声で話し掛けて来た。ゴリラはメスなのかもしれない。当たり前だがワンピースを着用している時点でゴリラがメスって分かりそうなもんだが、特殊な状況だったので魔物の性別なんてどうでもよかった。


 また球体がゆっくりと近づいて来たので今度は少し横に移動して躱す。


「あなた。ノームしにては大きいしドワーフにしては華奢だから小人族ではなく人間よね? なのになんで私の言葉が通じないの?」


 メスゴリラが首を傾げ顎に手を当てると


「大戦後は大陸全土で共通語になったはずよね? あなたは共通語が浸透してない辺境の地の出身者だったったりするのかしら?」


 などと言いながら今度は左右の掌に光る球体を出現させた。


 種族や十年戦争の事を知ってる? って事はメスゴリラは半人半獣の獣人族なのか? だが、獣人族は放出系の魔法は扱えないって聞いたことがあるし俺達の事を人間って呼ぶのは魔族かエルフくらいのはずだ。


 もしかして、メスゴリラは魔物じゃない? だとしても何故、迷宮主のように光る床から出現したんだ? 


 メスゴリラが放った二つの球体がまたゆっくりと近づいて来た。横に動いて躱す。


 攻撃を仕掛けてくるのも謎だが、もし迷宮主でないのなら部屋から脱出したとしても追い掛けてくるかもしれない。こちらに敵意はないと話せば部屋から出させてもらえるのだろうか? どうすればこのメスゴリラは攻撃を止めてくれるんだ?


 床で倒れているゴブリンファイターを横目でチラリと見る。もったいないけどレア装備を渡せば見逃してくれるのか? などと考えているとメスゴリラの目つきが鋭くなり低い声で


「ねえ、ちょっと……。ラクにしてあげるって言ってるんだから……」


 ゴリラの左右の掌から光る球体が多数出現した。


 まるで怒っているかのように肩が上がり鼻息も荒くなるメスゴリラ。


 何故メスゴリラが急に苛立ち始めたのかは謎だが、ここでやられる訳にはいかない。


 痛む膝をかばいながら剣を構える。


「ジッとして私の好意を受けなさい!」


 全ての球体がさっきよりも早い速度で一気に迫ってくる。膝の激痛に耐えながら球体を躱そうとするが思い通りに身体が動いてくれない。


 くっそ! 横に身を投げ出し球体を躱そうとするが、間に合わず左足首付近に球体が被弾する。


 不味い! 足をやられた! 


 深刻な事態に陥ってしまった事を察し一気に血の気が引く。メスゴリラから逃げられない! 


 床に倒れたまま追撃に備えメスゴリラを見るが一際大きい球体が俺の目の前まで迫って来ていた。


 うそだろ! 剣で球体をさいぎろうとするが何の抵抗もなくスルリと剣を通過し球体は身体に触れると消滅した。

 

 不味い! 息をのみ自分の身体を見つめる。


 すると、急に身体が軽くなり視界が良くなった。メスゴリラを見ると鼻で笑いながら


「だからラクにしてあげるって言ったでしょ」


 身体中の痛みと倦怠感がなくなり何だか頭もスッキリとしている。


 そして、ゴブリンファイターにぶん殴られて吹っ飛ばされた時に出来た腕のあざや擦り傷が綺麗になくなっていた。


 試しに膝を軽く曲げてみるが全く痛みは発しなかった。


 ズキズキと熱と痛みを発していた目の周りの腫れが引き、塞がりかけていた視界が開けてメスゴリラが良く見える。


 不思議なもので目が合った時は恐怖すら感じていたメスゴリラだったが、傷が治り改めて見てみると全く魔物には見えなかった。


 しかも、ただ部屋の中央で立っているだけなのに何故か気品あふれる育ちの良さそうなメスゴリラに見えた。


 ゆっくりと起き上がり剣を鞘に納め頭を下げる。


「傷を治してくれてありがとう。助かった」


 メスゴリラが腕を組むと


「何度もラクにしてあげるって言ってたのに、何で回復魔法から逃げたのよ」


「俺は今迄魔法を見た事がなかった。だからてっきり攻撃魔法だと思ったんだ」


「なるほどね」


 メスゴリラが床で倒れている迷宮主を見ると


「察するにここは迷宮主の部屋であなたが主を倒したって事なのかしら?」


 俺は頷き


「そろそろ部屋から出ようとしたら突然あなたが現れた。俺は新たな主が出現したと思い部屋から脱出しようとしてたんだが……。傷を治してくれたあなたは迷宮主ではないんだよな?」


 メスゴリラが眉間に皺をよせ少し顎を突き出すと


「何で私を見て迷宮主だと思うのよ。どう見たって普通の魔族でしょうが」


「すまない。俺には魔族には思えなかった。それに、迷宮主と同じ様に部屋の床が光り出してから現れたので真っ先に新たな主が出現したと思ってしまった」


 メスゴリラは俺の話しを聞きながら首を傾げ


「じゃあなに? あなたは今迄ずっと魔族を見た事がないってわけ?」


「いや。この街の魔石屋の主人が魔族なので見た事はある。それに俺を見て人間って言ってたから魔族かエルフなのかと一瞬考えはした」


 メスゴリラが顔を少し横に向けて


「なら、何でこの角を見て魔族って気づかないわけ」


 確かに魔族は魔力を蓄える為の角が耳の後ろから生えてはいる。だが、明らかにこのメスゴリラに角は生えていなかった。


「すまないが俺にはあなたの角が見ない」


 メスゴリラが肩を落とし大きなため息をつくと


「何でこんな立派で可愛らしい角が見えないのよ。おかしいでしょ!」


 と言い、角が生えているであろう場所に手を伸ばすが目を見開き


「角がない! しかもなに!? 腕毛が物凄い事になってるんだけど!!」


 自分の腕を撫でながら足元を見て


「足の毛も凄すぎる!! しかも何で裸足なのよ!!」


 今度は顔をペタペタと触ったり撫でながら頭も擦ったりしている。


 どうやらこのメスゴリラ、実は魔族で本人は見た目が変わっていることに全く気づいていなかったらしい。


 自称魔族のメスゴリラが少し息を切らせながら


「正直に答えてちょうだい……」


 声を震わせながら俺を見ると


「今の私ってどう見えてるの」


 たぶん不安そうな表情を浮かべているんだろうが、俺には睨んでいる様にしか見えないメスゴリラ。


「あなたは魔族だと言っていたが……」


 少し怖かったがしっかりとメスゴリラの目を見つめながら


「今のあなたはゴリラです」


 すると、自称魔族のメスゴリラが膝から崩れて床に手をつき


「ゴリラ……。ゴリラ……。私がゴリラ……」


 消え入りそうな声でずっとゴリラと呟いていた。


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