15. 森の飾り
その日、ディルとロイは、珍しく二人で街へと買い物に出てきていた。大体出かける時はどちらかが用を足す——しかもほとんどロイが済ませてしまう——ことの方が多いから、こうして二人で並んで街へと歩くのは久しぶりだった。
夏の空は、高く澄んでどこまでも青い。遥か彼方に雲が立ち上り、その白さが目に焼きつくように見えた。
「大丈夫か?」
額の汗を拭いながら、穏やかな青紫の瞳が見下ろしてくる。その背の高い影が日差しを遮るように立っているのに気づいて、ディルは思わず吹き出した。どちらかといえば、自分の方が暑そうなのに、そういうところは初めて会った頃から変わらず過保護だ。
「大丈夫だよ。ロイの方が荷物も多いし、暑いんじゃないの?」
「俺は慣れてるからな」
「私もずっと旅をしていたから慣れてるよ。もう忘れたの?」
そう言って笑えば、ロイは少し目を見開いて、自分でも呆れたように笑った。
「……そうだったな。何となく、あんたがうちに引きこもっているのに慣れちまったみたいだ」
まだ一緒に暮らし始めてほんの数ヶ月なのに、と視線を逸らして頭をかく。それが照れ隠しなのだとわかったから、ディルはその腕にそっと触れる。力強い、けれどいつも優しく彼女を包み込んでくれる腕だった。
見上げれば、さらに笑みが深くなってくしゃりと頭を撫でられる。言葉にしなくても伝わる想いを感じて、けれどその眼差しがあまりに甘くて、ディルは思わず目を逸らした。きっと自分も同じような顔をしているのだろうとわかってしまったので。
伸ばされた腕をするりと避けると片眉を上げたが、それ以上は何も言わなかった。もう街の入り口に差し掛かって人目があることを思い出したのだろう。荷を抱え直し、歩みを進める。
こちらの夏は、日差しはじりじりと肌を焼くように強いが、空気がからっとしているせいか、風さえ吹けば日陰は心地よい。いったんロイと別れ、食材といくつかの調味料を馴染みの店で買い込んで一息ついてから、ふと少し離れた木陰に敷物を広げた露店があるのに気づいた。
近づいてみると、並べられていたのは草や木の実、動物の牙や角、それから花の形をあしらった透き通る石などを使った腕飾りや首飾りなどの装飾品だった。どれも草や木の根に似た色の紐を使って作られている。
「お嬢さん、素敵な腕飾りをしているなあ。その繊細な細工は
敷物の奥の端に
「俺の出自が気になるかい? 大したことはないよ、もっと南の方から来ただけさ」
「南……」
この世界にやってきてから三年余り。あちこちを巡ったけれど、何となく足が向いたのは東から西、そして北ばかりで、南へはあまり足を向けたことがなかった。
「あんたは、それだけ白い肌に、色を変える瞳。北の森の精霊の
「……ええ。よくわかりますね」
「あちこち巡ったからな。狭間の住人に見えるが、幸せそうだ。良い星のもとに生まれたか——いや、いい星に見出されたんだな」
「どうして……」
「見りゃあわかる」
そう言って顎をしゃくった先には、何やら苦笑するロイの姿が見えた。
「シェルト、久しぶりだな」
「まだ生きてたか、ロイ」
「そっちこそ」
互いに向ける言葉も笑みも、とても気安い感じがした。視線で問うと、ロイは主の少年に断りもせず、敷物の端に腰を下ろすとディルにも座るように促した。少年に目を向ければ、彼も口の端を上げて頷いたから、素直に隣に腰を下ろす。
「シェルトとは大戦の後、世界各地を薬師として巡っていた時に出会ったんだ。南の森の精霊混じり、だよな?」
「ああ。と言っても大した魔力もありゃしない。寿命だけは飽きるほど長いが、ちょいと占いができる程度に勘がいいくらいだ。ロイとは腐れ縁だな。ふらりふらりと旅しているうちに、何度か出会った。最初はただの偶然かと思ってたが、何しろ俺と同じくらい長生きして、しかも人の世に飽きもせず止まり続けるやつは珍しいから、今じゃ文通までする仲だ」
「文通?」
「ああ」
そう言うと、少年はピュルルと不思議に透き通る声で鳴いた。すると、青い長い尾羽の鳥がどこからともなく現れて、彼の肩に止まる。
「こいつは人探しが得意な鳥でな。手紙を預けておけば、相手が生きている限りは届けてくれる。最近返事を持って戻ってきたから、こうして訪ねてみたというわけだ」
「返事を出したのは五年も前だぞ?」
呆れたように言うロイに、少年はただからからと笑う。
「まあ気の向くまま飛んでいく奴だから、届いただけでもありがたいだろ?」
随分と気の長い話だ。精霊混じりだと時間の流れにずいぶんと無頓着になるらしい。ちらりと視線を向けるとロイも肩を竦めた。一緒にするなと言いたいのかもしれない。
「ともあれせっかく久しぶりに会ったんだ。何か買っていってくれよ」
「そこは贈り物でもしてくれるとこじゃないのか?」
「ああ、確かに、
「誰が朴念仁だ」
苦虫を噛み潰したような顔になったロイに、さらに少年は声を上げて笑う。だが、ディルに向き直ると、敷物の上に並んだ装身具を眺めてから、何かを考え込むように顎を撫でた。それからぽん、と手を打つ。
「せっかくだから、作ってみるかい? お嬢さん、ええと名は?」
「ディルです。作るって?」
「好きな飾りと糸を選んで編み上げるんだ。そう難しくはない」
材料を見繕ってやるから、帰ってやってみな、と少年は明るく言って、いくつかの木の実や石を見繕うと糸と留め具らしきものと一緒に袋に入れて放って寄越した。
「やり方はロイが知ってる。教えてもらってやってごらんよ。礼はいらんが、明日にでも晩飯に呼んでくれ」
「今夜じゃなくていいの?」
「あんたたちが編み上げたそれが見てみたいからな。ついでに追加で祝いの品を用意しておくから、楽しみにしておきな」
そう言って、ひらひらと手を振る。ロイは少し呆れたような顔をしながらも、何を言っても無駄だとわかっているのか、立ち上がるとディルに手を差し伸べた。その手を取って立ち上がりながら振り向くと、シェルトはニッと楽しげに笑う。
「森の飾りは魔除けでもある。互いを想いながら作れば効果も
「何の話をしてるんだよ……」
ロイは呆れながらも手を振って、そうして二人で少年に見送られながら家路についた。
それから諸々の雑事と夕飯を済ませ、一息ついたところでシェルトから渡された袋の中身をテーブルの上に開ける。紐を通せるように穴を開けた赤や緑の木の実、青紫や透明の貴石、それから金の星を撒き散らしたような深い藍色の石。
「あいつらしいな」
ロイが口元で笑いながら、深い栗色、濃緑、それから明るい緑の糸を何本か腕の長さほどに切り、端を結んでから、縒り合わせていく。間にさまざまな色の木の実を一定間隔で通し、最後に青紫の貴石を通して端を銀の留め具で締める。
出来上がったそれは腕に巻くと、二周りほどでちょうどよい長さの緩い腕飾りになった。その縒り上げられた糸と通された貴石の色で、意味するところは明らかだった。
「あなたの色だね」
「それから、あんたの色でもある。遠いあいつの国の風習だな。互いの色や好きなものを組み込んで縒り上げたそれを交換し、生涯を共にすると誓う。たとえ死が二人を分かつとも、いつまでも魂は一つだと」
——たとえ死が二人を分かつとも。
その言葉に、心臓がどきりと大きな音を立てた。シェルトが言うように、長い時を生きる者は少なくないけれど、人に交じって時を過ごすものは意外と少ない。それは、置いていかれることに耐えられなくなっていくからだ、と聞いたことがあった。
ディルは自分の
だとすれば、彼女はどれほどの時を、彼と共に過ごせるだろうか。
ロイに倣って、銀と緑と藍色の糸を選び、ゆっくりと編み上げていく。手が震えて何度もほつれるそれに、ロイが見かねて手を差し伸べてきた。
「あんたがあんまり器用じゃない方なのは、知ってるけどな」
笑う声に顔を上げて、そうしてロイが驚いた顔をしたのを見て、ディルは自分が思ったよりひどい顔をしているのだと気づいた。さらに眉根を寄せた彼女に、ロイは困ったような呆れたような、それでもひどく優しい眼をして、彼女の顎をすくい上げる。
「約束しただろう」
「約束……?」
「あんたを一人にはしないと。だから、あんたが気に病むことなんて何もない。ただ、一日でも長くあんたが笑って過ごしてくれれば、それでいい」
「ロイ……」
それ以上を言葉にする前に、唇が重ねられる。何度も、いつもそうするように優しく、それでも深く、何よりもまっすぐに想いが伝わってくるような。
眼を開くと、青紫の瞳はやはり穏やかに笑んでいて、どうしてだかディルは泣きたくなる。腕に絡められた飾りの、しゃらりと鳴ったその音が、あまりに儚く聞こえて。
そんな彼女の想いなど全てお見通しだとでも言うように、ロイは眉を上げて笑って、そのまま彼女を抱き上げた。
「え……⁉︎ ロイ、まだ仕上がってないよ」
「後でいい。祝いの品をそんな顔で組み上げるわけにはいかねえだろ」
「だからって……!」
彼女の抗議の声など聞こえぬふりで、ロイは寝室に歩み入ると、彼女をそっと寝台に下ろす。それから両手の指を絡めると、間近に顔を近づける。その顔はひどく優しく笑っていて、だから、ディルは結局何も言えなくなってしまった。
「何度でも、必要なだけ言ってやる。ディル、あんたを愛してる。俺の全てを賭けてあんたを守り、慈しむと誓う。だから、何も恐れるな」
どんな運命がこの先待ち受けているとしても。
「今こうしてあんたと共に在ることが、飽きるほど長い時を過ごした俺にとって、何よりも大切なんだ」
だから笑って欲しい、とそう告げてきたその頬に、片手の指を解いて触れる。時に容赦無く彼女を追い詰め、けれど何よりも甘く優しい光を浮かべるその瞳をじっと見つめながら。
「……後で、あの飾り作り、手伝ってね?」
「ああ、任せとけ」
いつもと変わらず笑って頷いたその顔にひどく安堵して、ディルも微笑み返すと、その首に両腕を絡めて唇を重ねたのだった。
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