外伝4 「特技」

 ある日、母さんは山梨旅行の準備と称して、なぜかマジックペンを左手に持ち絵を描く練習をし始めた。


「母さん、何してるの?」


「何って、サイン会の練習よ」


 さも当然と言わんばかりの母さん。

 いや、どう見てもわけがわからないのだけど。


「なんで、サイン会で左手で描く必要があるの。あっ、もしかして右手が疲れたときよう?」


「そんな左手で描いた不完全な絵を渡すことなんてしないわよ。ミト、あんた水森亜土って知らない? サイケな服装の女性で」


「水森亜土?」


 私は聞きなれない名前をスマートフォンですぐさま調べる。


「ああっ! アクリル板に絵を描く人か! 最近も少し話題になってたよね」


「そうなの? それは知らないけど。もう結構な歳のはずだけど、未だに話題になるとはやるわね」


「いや、母さんもその域に片足つっこんでるよ」


 まるで客観視出来ていない母さんに呆れながら、「それで、水森亜土がどう関係するの?」と先を促す。


「そうそう。この人ってアクリルボードに反対から絵を描いたり、両手で絵を描いたりするので有名なんだけど。サイン会会場でやったら盛り上がると思わない?」


 母さんはキメ顔でそう言った。


「いや、盛り上がるとは思うけど、そもそも母さん出来るの?」


「確かに、並みのマンガ家なら出来ないでしょうね」


 ふっと笑みを作ってから母さんは左手でピッパーを描いてみせる。


「どうよ! 誰かに渡すにはちょっと不出来だけど、見世物としては上等じゃない?」


 確かにそこには一見すると右で描いたのと遜色ないピッパーが描かれている。


「それから」


 母さんはアクリルボードの代わりにクリアファイルに絵を描いていく。

 出来た絵を裏返すと。


「おおっ! ピッパーがって、ピッパーはほぼ左右対称じゃん!!」


 ピッパーこんなじゃん。(=^・^=)


「そんなことないわよ! この目とか微妙に違うんだから!」


「んんっ!」


 私は目を細めて普段のピッパーと今描かれたピッパーを見比べる。

 確かに、言われなければ見逃してしまいそうだけど、確かに目に違和感がある。それが反転させると解消される。


「た、確かに! なかなか素人には実感できないけど、すごい」


「そうでしょ。そうでしょ! あたしくらいになると、映像として描きだせるから、反転していようが関係ないのよ。この手法ってセル画のアニメ制作と同じだから、世が世なら、名アニメーターになってたわね!!」


「母さん、世が世じゃなくても大御所マンガ家になってるじゃん……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る