第37話「VSクモ」

 それは季節外れに訪れた。


 すでに11月。奴は現れるはずはないのだった。

 完全に油断していた。

 10月ならば良く出ていたから、こっちも心の準備があったのだけど……。


                ※


 まだ気候も暖かいある日の朝。

 私は母さんと朝食のフレンチトーストを摂っていた。

 母さんがフレンチトーストが好きで、いかに美味しく出来るかを日夜研究しているのだが、今日は少しお高めの食パンを貰ったので、それで試していた。

 市販の食パンよりもしっとりとした食感に仕上がったフレンチトーストに舌鼓を打っていると、母さんの動きが止まった。


 そして、無言で走り去ると、台所と廊下を繋ぐ扉を閉めた。

 いつもは温和な母さんが声を張り上げる。


「ミト、そこに、クモっ!」


 そこにじゃどこに居るのか分からないから、私は周囲に視線を走らせた。

 しかし、私には発見できずにいた。


「母さん、どこ? ちゃんと場所を教えて」


「イマ、カベ、ハリ」


 なぜかカタコトになる母さんの言葉を解読し、私は『居間の壁、梁のところ』を見るべく視線を上げた。


「わかった。居たよ」


「いいから早くっ!!」


 母さんは普段特に声を荒げたりしないのだが、クモになると話は別なのだ。ゴキブリとかムカデなんかでは全く騒がないのに、クモだけはとにかく苦手で、あんまり怒られた記憶がない私だけど、唯一怒られるのがクモ関連のときってくらいクモが苦手なの。

 

 母さんが言うには、とあるマンガ家さんも、自然の中の虫は大丈夫だけど、家の中の虫は苦手と言っているらしいし、海外のホラー小説家もクモが大嫌いでホラーの怪物の姿がクモに似た形態にしている。

 もしかすると作家という生き物はクモというものに何かしら因縁があるのかもしれない。

 母さんはあたしの前世はきっと蝶だったのよ! という解釈をしている。


「ほらっ、これっ!!」


 廊下から、大きな透明のカップと下敷きが台所へ投げ込まれる。


 我が家では意外と縁起などを担いだりするので、これだけ苦手でも朝蜘蛛は殺さない。よってカップで捕獲し、外へ放逐しなくてはならないのだ。


 私は慣れた手つきでカップと下敷きを掴むと、息を殺しながらクモへと近づく。


「デカイ……」


 私の住む地域では、クモといえば、アシダカグモのことなのだけど、奴らはとにかく大きくなる。

 目の前にいるクモも、梁から足がはみ出しており、私の手のひらより大きい。

 普通の女の子ならこの不気味さと巨大さに泣き出すまではいかなくても恐怖を感じることだろう。


 でも、母さんの方がもっと怖いからねっ!!


 背後にプレッシャーを感じながら精神を研ぎ澄ます。

 よく、アニメとかで、このプレッシャーは誰々だっ! っていうシーンがあるけど、あれって特殊な力なくても分かるのよ!


 私はさらに、クモへと近づく。

 手を伸ばせば届く距離。


「すぅー、はぁー」


 ゆっくりと深呼吸する。

 ここで逃がしては元も子もない。

 というか逃がすと母さんに監禁されるのよね。

 この居間が、クモを捕らないと出られない部屋と化すのだ。


 クモに悟られないよう影を落とさず、カップを構える。狙いはクモの鼻先だ。

 アシダカグモは巣を張らず、そのフィジカルだけでゴキブリなどを狩ることで有名なクモ。人間のスピード程度では簡単に避けられてしまう。だから、動く先を予想して、カップを少し前へ落とすのだ。


 素早く動けるよう体を脱力させ、今だと思えるタイミングまでクモを注視しながらタイミングを計る。


 ここで逃がしたら私は怒られるし、クモも夕方になれば殺すしかなくなる。お互いの為にここで逃がしちゃダメだ。


 逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。逃がしちゃダメだ。


「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ、すぅっ!!」


 今だ!!


 瞬時に繰り出されたカップはしかし、ギリギリで回避される。


「なんのっ! そこだっ!!」


 瞬時にカップをあげ、クモの進行方向へ落とす。今度こそ見事にその中へクモを捕らえた。


 マンガやアニメだったら今の私には「キュイイィーン!」とか「パリィン!」みたいな覚醒の効果音がついたところね。


 僅かに隙間を開けてそこから下敷きを入れ完全にクモの逃げ場を無くし捕獲すると、私は緊張から解き放たれ、一息ついた。


「母さん、捕まえたよ。今から外に離しに行くね」


「良くやったわね! 玄関はあたしが開けるわね」


 上機嫌に母さんはドアボーイのように玄関を開ける。私は少し先の茂みにクモを離し、一仕事終えた。

 

「ふぅ、人間って奴は誰しも意味も分からず怖いものっていうのがあるのよね。きっと妖や怪物たちはそういったところから生れるのよ。イマジネーション豊かな作家業の人はそれを感じとってしまうのね」


 なぜか母さんは一番の功労者のように締めのセルフをのたまう。

 色々と言いたいけれど、いつものことなので、1つだけ。


「いや、だから母さん、ホラーマンガ家じゃなくて、少女マンガ家だよね?」

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