第35話「アテレコ」

 私と母さんは子猫のポスターを張らせてもらいつつ、その合間にささっと食べられる牛丼屋に寄っていた。


 牛肉がそこまで好きではない私と母さんは牛丼屋にも関わらず、トリそぼろ丼と豚丼を頼んだ。牛丼屋は流石の速さなので、マンガや小説のネタを考える時間もなく、僅かな待ち時間はぼぉ~と外を眺めて費やす。


 すると、そこに見知った人物が。


「あれ、ヤナエ先輩だ。どうしたんだろ」


 ヤナエ先輩はキョロキョロとしながら牛丼屋へと入ってくる。

 そして、店員さんと何やら話しているなぁと思うと、


『あの~、すみません。さっき、ここでお財布失くしたんですけど届いてませんか?』


 不意に母さんがヤナエ先輩のセリフをアテレコしだす。


『どのようなお財布ですか?』


『オレンジ色で、これくらいのサイズでなんですけど』


 たまたまなのかヤナエ先輩は手で大きさを示すような動きをする。

 その動作を見たあと、店員さんは奥へと引っ込み、ヤナエ先輩だけが残される。


「おおっ! すごい。母さんのアテレコ完璧じゃん!」


「まぁね。あたしくらいになると、細かな挙動から先の展開を想像するくらい余裕なのよって、ウソ、ウソ! あたしも驚いてる」


「あっ、店員さん戻って来た」


 さらに母さんは続ける。


『そういったものは届いていないですね。もしかしたらまだ座席に残っているかもしれませんが、どのあたりに居たか分かりますか?』


『はい。確か、窓際の……』


 そこで丁度、ヤナエ先輩と目が合う。


 私と母さんは軽く手を振り、笑顔で返す。


「あれ、ミトちゃんとミツバさん。お昼ですか?」


「はい。先輩はもしかして、お財布でも失くしました?」


「なんで、わかったのっ!?」


「「ぶっふっ!!」」


 私と母さんはまさかの展開に噴き出す。


「本当に当たってたわね。ついでにここにお財布は無いわね」


「あっ、席は1つ手前のここなんですが……」


 ヤナエ先輩は椅子の背もたれを見てから、床を覗き込む。

 

「頭ぶつけそうね」


 母さんがぽつりと言ったのを聞いて、私は完全にそれフラグだなぁ~と思っていると、


「あった!!」


 という先輩の声のすぐあとに、ガンッ!! という鈍い音が響いた。


「あ~、ヤナエ先輩は期待を裏切らないですし、母さんのその先読み能力みたいな観察力かな、は怖いわ~」


 と、他人事のように豚丼を一口含んだ。


 その後、ヤナエ先輩にアテレコしていた事、それがズバリ正解だったことを伝えると、


「何それ、こわっ!! 挙動で思ってること読まれるの! マンガの能力者じゃん!」


 ヤナエ先輩の中で、母さんの扱いが、絶対逆らっちゃマズイ、ドSの人という扱いになり、どんどん大御所マンガ家という評価からかけ離れていった。

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