適応と鈍ること
拓海との旅行の二日目の行程も問題なく終わり、私はいつもの日常に戻ってきた。帰ってきたらすぐにお店をやめようと思ったのに、気が付けば私はまたいつも通り出勤してしまっていた。
「まいさん、指名入りました~。五番の部屋よろしくね」
旅行前に連勤した甲斐もあって、私は安定して指名を取れるようになってきていた。いつも通り笑顔で返事をして、私は五番の部屋に向かう。五番のお客さんはヤクザな身なりをした人で、背中に龍の入れ墨が入っていた。
「わあ、カッコいい龍」
「せやろ、お姉ちゃんやっぱ分かっとるな」
得意気な顔をするヤクザ男。正直かなり怖かったが、必死で平常心を保った。やたら香水の匂いがする身体を舐めると、男は気持ちよさそうに呻く。拓海だったら、と思いそうになるのを必死でこらえた。そんなこと考えたら、余計気分が悪くなるだけだ。
「下も頼むわ」
男が自身のイチモツを出すと、何やら表面がボコボコしているのが見えた。ちょっと待って、これ病気かな。私が少しためらっていると、それを察したのか男が言った。
「あぁそれな、病気ちゃうで。真珠入れてるんや。ええやろ、真珠やぞ」
「あ、そうなんですね!すごい、かっこいい」
待って、真珠って何?ちんこに真珠入れるって、どういうこと?病気じゃなくて?正直恐ろしかったが、ここで躊躇っていると何をされるか分からないので、私は思い切ってその真珠が入っているというブツを口で含んだ。ボコボコとした気味の悪い感触を舌に感じる。怖いなぁこの人。真珠ちんこの謎は解けぬまま、私はなんとか九十分を乗り切った。
待機室に戻ると、茶髪ギャルのりんさんが声をかけてくれた。
「まいちゃんお疲れ様~!」
「あ、りんさんお疲れ様です」
りんさんはいつも気さくに私に話しかけてくれる。ちゃらんぽらんそうにも見えるけれど、意外と頼りになる姉御肌だ。
「あの、りんさん」
「ん?」
「ちんこに真珠入ってるって言ってる人が来たんですけど……」
私が言うと、りんさんはワハハと笑った。
「あぁ~、たまにいるよね、そういう人」
「あれって本当に真珠入ってるんですか?」
「本当に真珠なのかは分からないけど、なんか玉みたいなのを手術で入れてるらしいよ」
男の考えることは分からないよね~とりんさんは笑う。真珠を入れるメリット、私もよく分からない。私はうーんと悩んでいたが、りんさんが急に真剣な顔つきで言った。
「ねぇ、まいちゃん。今悩んでたりする?」
突然そう指摘されて、私の心臓は跳ね上がった。そんなに私は悩まし気な顔をしていただろうか。りんさんは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「全然!大丈夫ですよ」
笑顔を作るが、りんさんはまだ心配そうな顔をしていた。
「もし、本当に辛かったら誰かに相談してね。特に仕事関連なら。この仕事で抱える悩みって、みんな一度は通ってることが多いから。きっと力になれると思う」
りんさんの言葉に思わず涙ぐみそうになった。私は正直、他の子たちを少し下していた。こんな仕事をしているから、と勝手に思っていたけれど、この仕事をしているからこそ気づくことや分かる痛みがあるのかもしれない。自分のことをとても恥ずかしいと思った。私はりんさんにお礼を言い、今はまだ大丈夫なことを伝えたが、その数時間後に畑中さんにも同じことを言われることになる。
「まいさん、今日ちょっと元気ないね」
「さっきりんさんにも同じこと言われました。私そんなに顔に出やすいんですかね」
畑中さんは、りんはなあと笑った。
「僕もだけど、りんもこのお店長いから。いろんな子のこと見てるんだよ。別にまいさんが分かりやすいってわけじゃないと思うよ」
「そうなんですね……」
「もし何か悩みがあるなら聞くよ。お仕事の事でも、プライベートの事でも。僕に話しづらかったら、今日は三浦もいるし」
私は女性スタッフの三浦さんに少しだけ苦手意識を持っていた。話すなら、男性だけど畑中さんの方が良い。私はごまかすように少し笑いながら、洗いざらい話した。彼氏とセックスが出来なかったこと、仕事を続ける自信が無いこと、彼氏とも上手くやっていけるか分からないということ。私が話し終えると、畑中さんはそうか、と静かに頷いた。
「辛かったね」
本当に自分でも単純だとは思うのだけれど、その一言で私はポロポロと涙を流してしまった。誰にも相談できないと思っていた。それなのにこんなに寄り添ってもらえた。そのことだけで、心がすっと軽くなるのを感じた。
「大丈夫、彼氏さんとお客さんは全然違う人だよ。君はここでは『まい』かもしれないけど、彼氏さんの前でもそうなる必要はないよ。仕事も始めたてだから、まだ分からないかもしれないけれど、彼氏さんとするのとお客さんとするのは本当に、全然違うことだよ」
私が泣きじゃくっている隣で、畑中さんはずっと私に優しい言葉をかけてくれた。大丈夫、大丈夫と、そう言ってくれた。
「もし嫌じゃなかったら、りんにも話してごらん。あの子は、昔まいさんと同じことで悩んでいた時期があったから」
「りんさんが?」
私がりんさんに事情を話すと、りんさんは深刻な顔をしたりせずに、ニコニコしながら言った。
「そうかあ。まいちゃんは多分、一人一人のお客さんにすごく丁寧に接してるんだね」
りんさんは、私の背中を優しく撫でながら続けた。
「こんな言い方するのは違うかもだけど、あのね、ちゃんと慣れるよ。たくさんしているうちに、違いがちゃーんと分かるようになる。もちろん、人によるけどね。実は私はまだ慣れてなくて」
「え、そうなんですか」
私も慣れなかったらどうしよう、と恐ろしくなっていると、りんさんはそれを察したかのように大丈夫、と言った。
「私はもう、彼氏のことすっごい良い客くらいに思ってる。自分でもどうかと思うけど。でも、ちゃんと彼氏のことは好きだよ。大好きだし、それで何とかなってる。みんなそれぞれやり方は違うけど、自分の中でどうにか折り合いつけてやっていくんだ。動物が環境に適応して進化していくのと一緒かも。環境に慣れようとして、少しずつ変わっていく。そりゃ、辛くなったり悩んだりすることは今でもあるよ。でも、その度にまたちょっと自分が進化していくんだ」
それはどんどん感覚がバグってきているのでは?と少し思ったが、りんさんの言っていることは分からなくもなかった。動物が環境に適応しようと進化していくように、私たちも変わっていく。一年前の悩みと今の悩みは違う。私たちはどんどん変わっていく。自分が楽になるなら、バグでもなんでも変化していけば良いのかもしれない。りんさんは私のことを優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ、風俗嬢にも愛はある」
りんさんの腕はとても優しかった。
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