抵抗感と嫌悪

「今度サイト用の写真撮ろうか。いつなら空いてるかな?」

出勤して早々にボーイの畑中さんにこう言われた時、ついに来たと思った。今まで私はサイトに名前とスリーサイズと年齢と特徴くらいしか載っていない無名の新人だった。新人だし、まだ大丈夫、いつでも辞められる、と思っていたけれど、きちんとスタジオで写真を撮られてしまってはもう逃れられないような気がした。

「予定が分からないので次までに確認しますね。ごめんなさい」

 わかった、と爽やかな笑顔を向けてくれる畑中さんは、この店では女の子たちにとってオアシスのような存在だった。恐らく三十代半ばほどで、害のないツルンとした顔をしている。いつもお店の女の子たちの様子を気にかけており、体調や精神面での変化に敏感だった。

「あっ!そうだ!まいさん指名入ったよ!初指名おめでとうじゃーん」

 いえーい、と畑中さんは陽気にハイタッチを求めてくる。私が控えめにそれに応じると、周りにいた女の子たちが反応した。

「えっ、まいちゃんおめでと~!」

 人形のような顔立ちをした黒髪美人のななこさんと茶髪ギャルのりんさんが笑顔で拍手をする。うわ、めちゃくちゃ恥ずかしい。運動会のかけっこで三位入賞したのを親にべた褒めされるくらいの微妙なこっぱずかしさがある。私は曖昧な笑みを浮かべてお礼を述べた。皮肉なことに、アルバイトでこんなに褒められたのは生まれて初めてだった。前回やっていたイタリアンレストランのホールのアルバイトの時は、先輩に「もうそれ私やるから、ホールの掃除してて」と幾度となく言われた。その前にやっていたドラッグストアのアルバイトでは、品出しであまりにも商品落とすからと(特に卵を落とした時は悲惨だった)商品を触らせてもらえなくなった。その前のコンビニのアルバイトでは、担当したレジの金額が毎回合わなくて何度も怒られた。どこのアルバイトでも冷たい視線を浴び続けてきたのに、こんなに温かく拍手してもらえるなんて。

「じゃあまいさん。十番さんだから、お願いね」

 畑中さんが言うと、ななこさんとりんさんは行ってらっしゃいとにこやかに言った。ここのお店は本当に穏やかな女の子が多く、女の子同士もギスギスしていなかった。お互いに仕事の不満や悩みを気軽に話し合える雰囲気が出来ている。ただ、私はここの女の子たちのことが少し苦手だった。一人で過ごしていると話しかけてきて、なんの発展性もないような会話をするところとか、親切そうな感じや人懐っこい感じを前面に押し出してきているところとかが、なんだか好きになれなかった。多分、私は内心で少し彼女たちのことをバカにしているのだと思う。風俗で働く学の無い人たち、愚かな人たち。自分もご多分に漏れずその一員なのに、自分だけは彼女たちとは違うと思っていた。きっと、そんな風に勝手に一人でやさぐれて嫌々と風俗をやっている私よりも、彼女たちの方がずっとずっと大人だ。

 十番の部屋に入ると、ポロシャツを着た白髪交じりのおじさんがベッドに座っていた。

「指名してくれてありがとう、本当に嬉しい」

「まいちゃーん、待ってたよ」

 私が近づくや否やおじさんはブチュッと私にキスをした。

「もう今日はおじさん疲れちゃったよ~」

「お仕事だったの?」

「そうそう。だから今日はパーッと遊ぼうと思ってね」

 そう言っておじさんは私を対面させる形で太ももの上に乗せた。おじさんの手がするりと衣服の中に入ってくるのを感じると、いよいよ始まるぞ、と身が引き締まる。おじさんの手は私の胸の突起に直行して、それ以外に触れることはしなかった。たったそれだけで私は気持ちよさげに身をよじる。AV女優かって。

「気持ちいいの?」

 吐息混じりに頷いて、私はおじさんの首に顔を埋めた。声を作るくらいならいいけど、表情まで作るのはちょっと面倒くさい。けど、おじさんはそれを許してくれなかった。

「まい、こっち見て」

 グイッと強引におじさんの方を向かされる。おじさんの垂れた頬が目と鼻の先にある。最悪だ。

「やだ、恥ずかしい……」

「もっと顔見せろ」

 おじさん、それおじさんがやっちゃダメなやつです。おじさんの目が私をじっと見据えてくる。私が少しでも目を逸らすと「こっちを見ろ」と睨まれる。私はおじさんとずっと見つめ合わなくてはいけなかった。必死で表情を作って演技をするが、頭の中ではいつまでこれが続くのか考えたり、おじさんの目尻の皴の数を数えて気を紛らわせたりしていた。

「もうこんなに濡れてる、そんなに気持ちよかったの?」

 いや、そんなに濡れてないって。マジで。おじさんは悦に浸った様子でずっと私のことを見つめ続けた。無理無理無理、勘弁して。口を開いたら「キモイ」という言葉がついて出てきそうだった。私が必死でそれを抑え、

「ねえ、舐めてもいい?」

 と尋ねると、おじさんは私の事をスケベだとか淫乱だとか言って罵った。いや、ただ単にお前に触られたくないだけだから。私が責める側にジョブチェンジをすることでおじさんと見つめあい続ける地獄から逃れることが出来たが、おじさんの傲慢はそれだけでは終わらなかった。

「ねえ、いれさせてよ」

 よくある要求なので、私はいつものように断った。

「だめ。お店の決まりだから。怒られちゃう」

「じゃあお店の外でならいい?」

「それもダメ~」

「セフレになってよ。もっと気持ちいいことしてあげるから」

 なにが嬉しくておじさんの無料便所にならなくてはいけないのだろう。もっと気持ちよくなるって何?ゼロに何をかけてもゼロなんですけど。とはもちろん言う訳にはいかないので、私はダメだよと笑って誤魔化した。

「お店に聞かれたらもう会えなくなっちゃう。それは寂しいから、我慢してほしいなぁ」

「まいちゃんがいうなら、我慢してあげる」

 最後まで偉そうなおじさんは、そう言って私の頭を撫でた。

待機室に戻ってソファに座ると、ドッと疲れが出てきた。私は別におじさんと何をしても平気だと思っていたけれど、今のは結構きつかった。見つめあうのはちょっとやっぱりダメみたいだ。自分の髪の毛から、かすかにさっきのおじさんの匂いがして泣きそうになった。スマホを開いてみると、二件のメッセージが来ていた。一件は大学の友人から。残りの一件は彼氏からで、旅行の計画を立てるために会いたいという連絡だった。私は二つのメッセージに返信をすると、ソファに寝そべった。待機室には他に一人女の子がいたが、その子もスマホを見て静かに休憩していた。

「まいさん」

 少し寝ようと目を閉じると、上から声が聞こえた。目を開くと畑中さんだった。

「お疲れのところごめんね、ちょっとだけいいかな?」

「あ、はい。大丈夫です」

 私が慌てて身体を起こして座りなおすと、畑中さんは私の隣に腰を下ろした。

「写メ日記のことなんだけど」

 写メ日記、というのはお店の女の子たちが出勤するたびに更新する日記の事だ。大体の場合、顔を隠したり体の一部を撮影した自撮りを添えて更新する。エンジェル学園では出勤のたびに最低二回は写メ日記を更新することになっていた。

「まいさんもそろそろ写メ日記にちょっと変化が必要かなって。女性スタッフの人が今日来てるし、撮り方とか教えてもらったらどうかなって思ってるんだけど、どう?」

 どう?とは言っても断る余地などないだろう。私は承諾した。

「よかった。そしたらあっちの部屋にスタッフいるし、ちょっと行ってもらっても良い?」

 そう言って畑中さんは、面接のときに使った別室の方に私を案内した。別室にいたのは、畑中さんより少し年下くらいの女性で、ものすごくおっぱいが大きかった。

「初めまして!三浦です。まいさんよろしくね」

「よろしくお願いします……」

 快活な笑顔を向けた三浦さんに圧倒され、私の挨拶は尻すぼみになった。

「じゃあちょっと早速なんだけど、さっきまいさんの写メ日記見させてもらいました」

 語尾のすべてにビックリマークのついていそうなハキハキ具合だ。私は黙って頷いた。

「それでね、すっごく良かったんだけど、ただちょっと最近ワンパターンになっちゃってるかな~って。まいさんは出勤してから写真撮ってることが多いよね?」

「はい」

「それでね、お客さんって女の子のプライベートとかを知りたがっているから、できればお家で撮った写真も載せてほしくて。例えば、お風呂場の鏡で撮ってみるとか、あとは下乳!これはお客さんがすっごく喜んでくれる!」

 快活な美人の言う「下乳」はかなり迫力があった。私が下乳、と復唱すると三浦さんはそうそうと笑顔で頷いた。

「Tシャツを着てちょっと下乳チラ見せするとか。あとはね~」

 三浦さんは自分のスマホを取り出して壁に立てかけた。

「こうやって壁に立てかけて、タイマーをセットして、ちょっと立膝でポーズとか撮ると、全身写った良い写真が撮れるの」

 はぁ、と私は曖昧な返事をする。

「どうかな、できそう?」

「はい、次からやってみます」

 口ではそういったものの、私は内心で少し引いていた。どうして見知らぬ男を喜ばせる写真一枚のために、創意工夫を凝らして努力しなければいけないんだろう。指名してもらうためだと分かってはいるけれど、そのために自分の身体を使って精一杯アピールするなんて、本当に馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい。多分、その一言に尽きる。「あとはパーカーとかYシャツを使うと良いよ」という三浦さんの声をどこか遠くに感じながら、早く風俗をやめようという思いを私は固めつつあった

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