第19話 疑念

 湊斗とヴェルナーは休憩を挟みながら歩き続けた。湊斗にはどこをどう歩いているのか、どこに向かっているのか全く分からなかった。時間が経つにつれ、疲労がどんどん溜まり、進める距離が短くなっていく。

「少し休もう」

 再び二人は休憩をする事にした。建物の陰に湊斗を座らせると、ヴェルナーが、

「水を探して来る」と言って去って行った。

 湊斗はそこで待とうと思ったが、王宮を出てからヴェルナーと離れるのは初めてだ。湊斗は心配になり、ヴェルナーが向かった方向に歩いて行った。

 少し進むと、ヴェルナーの声が聞こえた。誰と話しているのだろうと、湊斗はそちらに近付いた。

 建物の陰から声がする方を覗くと、ヴェルナーともう一人見知らぬ男の姿が見えた。湊斗は慌てて身を隠し、息を潜めた。

 男がヴェルナーに、

「こちらに着くのが遅かったので、心配致しました。こちらを通過した旨、報告をしておきます」と言った。

「準備はできているのか?」

「はい。すべて完了しております」

「そうか。こちらも予定どおりだとご報告しろ」

「はい。かしこまりました」

 湊斗は青ざめた。体から血の気が引いていく。ヴェルナーは誰かと結託している。今の会話でそれが明らかになった。そして、その相手は間違いなくフローラだろう。

《やっぱりヴェルナーは俺を騙してたのか?》

 湊斗は気付かれないよう、そっとその場を離れた。

 このままヴェルナーに連れて行かれれば、湊斗は殺されるかもしれない。湊斗は走り出した。どこへ行けば良いのかなんて分からない。ただ今は、ここから離れなければならない。

 胸が苦しかった。騙されたからとか、命を狙われているからとか、そういう事ではない。ただただ、ヴェルナーの気持ちが湊斗には向いていなかったのだという事が悲しかった。

 歩き続けていたから、既に足が限界だった。湊斗は、走り続ける事ができずに足を止め、建物の陰に座り込んだ。

《これからどうしたらいいんだろう……。王宮に戻るしかないのか?》

 しかし、湊斗は、どちらが王宮の方向か分からなくなっていた。

《もう、どうだっていい……》

 湊斗は壁を背にして膝を抱え、膝に顔をうずめた。

 しばらくして、

「ミナト!」と声を掛けられ、湊斗はビクリとして顔を上げた。

 声がした方を見ると、ヴェルナーが息を切らしながら湊斗を見つめている。

 湊斗は立ち上がり、走りだそうとした。するとヴェルナーが、

「待って!」と湊斗を制した。

 湊斗は足を止め、振り返った。

 ヴェルナーは湊斗に駆け寄ると、湊斗の腕を掴んだ。

 ヴェルナーの姿を見て、湊斗は胸がえぐられそうな思いだった。

「ミナト、私の話を聞いて欲しい。全部話すから」

「…………」

「頼む……」

 湊斗はヴェルナーに向き直った。

「話して」

 ヴェルナーが湊斗の腕を引き、建物と建物の間に連れて行った。

 ヴェルナーは辺りを見渡してから、湊斗の耳元に顔を寄せ、声を潜めた。

「私がミナトと外海に逃げようとしているのは本気だ。信じて欲しい。私はミナトと王宮の外に出るために、フローラ様を欺いたのだ。私がミナトを王宮から連れ出し、そこでミナトを始末するとフローラ様には言ってある。約束の場所はここから西だ。ここで一度、状況を報告する事になっていた。しかし、それはすべて、フローラ様を欺くためだ。私たちは西へは行かない。ここから先、私たちは北東へ向かう」

「え?」

「次にアクスラントが外海とつながる場所は、ここから北東の場所だ。フローラ様の手の者は西に配置されている。そこに張り付かせておけば、私たちに手を出す事はできない。だから、フローラ様には、私たちが西に向かっていると思わせなければならなかった。だから、遠回りだが敢えてここを通ったんだ。ミナトを不安にさせてすまなかった。だけど、信じて欲しい。私がミナトに話した事はすべて真実だ」

「…………」

 湊斗は茫然とヴェルナーを見つめた。信じては疑い、疑っては信じる。それを何度繰り返しただろうか。それでも、何度でもヴェルナーを信じたいと思ってしまうのは、心がヴェルナーに捕らわれているからだ。自分ではどうしようもできない。

「私はすべてを捨ててミナトと共に行く。どうか信じて欲しい」

「本当に、信じていい? ヴェルナーは本当に俺の事、好き?」

「好きだ。私にはミナトだけだ」

「……分かった。俺はヴェルナーを信じるよ」

 湊斗が答えると、ヴェルナーが安堵の表情を浮かべた。しかし、すぐに真顔になり、

「急がなければ。時間が押している。すぐに向かわないと間に合わない」と言って、湊斗の手を引き、歩き出した。

 それから二人は、休憩なしで歩き続けた。体力的に限界が近付いていたが、歩みを止める事はできなかった。本当に北東へ向かっているのか、湊斗には分からない。ひょっとしたら西へ向かっているのかもしれない。そう思いながらも、今はヴェルナーの手のぬくもりを信じるしかなかった。

 日が落ちて、辺りが薄暗くなってきた。

 ヴェルナーと湊斗は、アクスラントを囲むドーム型の透明な壁に近付いて来ていた。この壁を間近で見るのは、アクスラントに来た時以来だ。

 建物の角を曲がると、水路の近くへ出た。それから、水路に沿って透明な壁の方へ歩いて行こうとしたが、ヴェルナーが急に足を止めた。

 二人の行く先に人影が二つ見える。

 ヴェルナーが湊斗の手を握る力が強まった。緊張が伝わってくる。

 水路のそばに立っているのはフロレンツとカールだった。

 フロレンツがこちらに近付いて来た。

「やはり、ここに来たね」

 フロレンツの声は落ち着いていたが、ヴェルナーに対する怒りと敵意を感じた。

 ヴェルナーは湊斗を後ろにかばい、一歩後ずさった。

 フロレンツがさらに近づき、

「国家機密に無断で触れ、議政官という立場でありながら国外逃亡を謀ろうとした罪、国にとって重要な存在である外海人を連れ去った罪、それらの計画のために王族の命を危険にさらした罪、これらはすべて国を揺るがす重罪だ」と言った。

 ヴェルナーが湊斗の手を引いて動こうとすると、フロレンツが腰の剣を抜き、ヴェルナーに向けて構えた。

「動いたら斬る」

 場の張りつめた空気に、湊斗は身動き一つできなかった。

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