第18話 逃避行
園遊会当日となった。
フロレンツの部屋から出るのは久しぶりだ。湊斗は、うれしい気持ちよりも緊張の方が大きかった。
園遊会は、王族と官僚たちが屋外で歓談する催しらしい。
フロレンツは湊斗から離れたがらなかったが、王太子という立場上、どうしても湊斗から離れなければならない場面が多かった。しかし、湊斗には護衛が数人付けられていて、身の回りの安全確保は完璧だった。
たくさんの人がいる中、湊斗は辺りを見渡し、ヴェルナーの姿を探した。しかし、どこにも見当たらない。久しぶりに会えるのではと思っていたので、湊斗は落胆した。
湊斗の方に飲み物を配る人がやってきて、
「いかがですか?」と尋ねてきた。
湊斗はその人が持つ盆の上からグラスを一つ取った。その時、盆を持つ人が湊斗に小さな紙片を差し出してきた。
湊斗はそれを受け取り、護衛に気付かれないようにそれを開いた。紙片には文字が書かれている。
《護衛がいなくなったら議政庁へ来い》
湊斗は驚いた。これはきっとヴェルナーからの伝言だ。しかし、護衛がいなくなる事などあるわけがない。議政庁に行くのは難しいだろうと湊斗は思った。
しかし、しばらくして大変な事が起きた。
突然、王族のいる場所の近くの地面から大量の水が噴き出したのだ。会場は騒然となり、軍務官たちが王族を守ろうと動き出した。湊斗の護衛についていた者たちも、ほぼ本能的に、王族の元へ向かった。
《まさか、これはヴェルナーの仕業なのか?》
あまりの大事件に湊斗は青ざめつつ、混乱に乗じて園遊会の会場から抜け出した。そして、後ろを警戒しつつ、議政庁の方へと向かった。
湊斗が建物の角を曲がると、そこにフード付きのマントを着たヴェルナーが立っていた。
「ヴェルナー!」
久しぶりの再会を喜ぶ間もなく、ヴェルナーは湊斗にマントを差し出した。
「着て」
「なんで? 何するつもりだ?」
「一緒に王宮を出よう」
湊斗は驚いて固まった。
「王宮を出るって……。まさか、逃げるつもり?」
「そうだ。もうこれしか、私たちが一緒にいられる術はない」
湊斗は、渡されたマントを見つめ絶句した。まさか、そんな大それた事を考えているとは思ってもみなかった。
果たしてこれは、ヴェルナーが一人で計画したものなのだろうか。ここまで大掛かりな事を一人でできるのか。これは、フローラとヴェルナーが結託して仕掛けた罠なのではないだろうか。様々な考えが頭をよぎる。
湊斗が迷っていると、ヴェルナーが、
「王太子に心変わりしたのか? それなら断ってくれて構わない」と言った。
湊斗はどきりとし、首を横に振った。
「心変わりなんてしてないよ」
「それなら、私と行こう」
「でも……」
「ミナトは一生王太子に囲われて生きるのか?」
ヴェルナーの言うとおり、戻れば再びフロレンツの部屋に閉じ込められ、自由を奪われるだろう。事を動かすには、進むしかない。
「分かった。行くよ」
湊斗は覚悟を決めて、マントを羽織った。
ヴェルナーと湊斗は、議政庁と会計庁の間の敷地を通り、西の方向へと進んで行った。その先に西の門がある。
門に辿り着くと、ヴェルナーが門番に何かを掲げて見せた。すると、門番は二人をすんなりと通した。
門を潜り王宮を出ると、ヴェルナーが湊斗の右手を握った。
「行こう」
「どこへ行くんだ?」
「船を使うと足が付く。街に紛れながら王宮から離れるしかない」
「ずっと逃げ続ける気か?」
「とにかく今は王宮から離れよう」
二人は街に入り、路地を歩き続けた。街の中心地を離れると、景色が変わっていく。王宮の周りは小さな建物が多く、商店が多いが、王宮から離れると大きな建物が増え、密集もしていない。商圏や生活圏は王宮の周りに集中し、それ以外の場所は、工場や発電所、浄水場などの施設が中心となっているのだ。
二人はほとんど休まずに歩き続けたが、さすがに疲れてきた。そう思った頃、ヴェルナーが湊斗に、
「少し休もう」と言った。
二人は建物の陰に身を隠し、並んで座った。
「これからどうするんだ?」
湊斗はヴェルナーに尋ねた。アクスラントは閉じられた空間だ。逃げるのには限界がある。
「私たちが逃げられる場所は一つしかない」
「どこ?」
「外海だ」
思いがけない言葉に、湊斗は驚いた。
「外海? だって、外海に出るなんて、無理だろ?」
「方法はある」
「ある……のか?」
湊斗はこれまで、アクスラントから出る方法はないと思っていたから、唖然とした。
「アクスラントは外海と定期的につながっている。だから外海からアクスラントに外海人が入って来る事があるんだ。つながる場所と時間を把握すれば、アクスラントから外海に出る事ができる」
「本当に? 本当にアクスラントから出る事ができるの?」
「ああ。但し、つながる場所や時間は不規則で、その時によって変わる」
「じゃあ、やっぱり無理って事?」
「唯一、王族だけはその場所と時間を知る事ができる」
「え? 王族が?」
「王室は研究所を設けて、外海とつながる時間と場所を予測しているんだ。これは国家機密だ。だから、その情報に触れる事ができるのは王族だけだ。もし、アクスラントから外海に出る者が現れれば、外海にアクスラントの存在が洩れる事になり兼ねないからな」
湊斗はショックを受けた。王族はアクスラントと外海が定期的につながる事を知っている。という事は、フロレンツは湊斗が外海に帰る方法があるという事を知っていたのだろうか。知っていて黙っていたのだろうか。
「王族って事は、フロレンツも知ってたって事?」
「ああ。王太子は知っていてミナトに黙っていた」
「……でも、国家機密なら、仕方ないよな。俺に言っちゃいけなかったんだろ?」
湊斗が言うと、ヴェルナーが鋭い目で湊斗を睨んだ。
「王太子をかばうな」
「――――!」
湊斗は身を強張らせた。
「王太子は外海人であるミナトを手放したくなかったから黙っていたんだ。本当にミナトを想うなら、ミナトに帰る術がある事を教えていただろう」
「そんな……」
「私は王太子を許さない。絶対に」
フロレンツに限って、自分のためだけに湊斗を外海に返すまいとしていたとは思えなかった。しかし、これ以上フロレンツの肩を持つとヴェルナーの機嫌を損ねるのは火を見るよりも明らかだ。湊斗は言うのを止めた。
「でも、王族しかその情報を知れないんじゃ、俺たちが外海とつながる時間や場所を知るのは不可能だろ?」
湊斗が話を戻すと、ヴェルナーが落ち着きを取り戻して言った。
「王族以外で一番王族に近しいのは私だ。私は秘密裏にその情報を手に入れた。だから、次にアクスラントと外海がつながる時間も場所も把握している」
湊斗は驚いてヴェルナーを見つめた。
「本当に?」
「ああ。だから、そこへ行けば外海に出る事ができる」
外海に戻る事ができると聞いても、湊斗はまだ実感が湧かなかった。
ヴェルナーが深刻な表情を浮かべた。
「しかし、チャンスは一度しかない。私の真意に気付かれれば間違いなく阻止される。失敗すれば命はない」
「ヴェルナーは俺と一緒に外海へ出るつもりなのか?」
「そうだ」
それはとてつもなく重大な決意だ。
「ここに戻って来ることはできるの?」
ヴェルナーは目を伏せた。
「これまで、アクスラントから外に出た者はいない。だから、出てどうなるのかは誰にも分からない。生きて出られるのかどうかさえも。ミナトがここへ来たのも偶然だっただろう? だから、十中八九、一度出たら二度とアクスラントには戻れない」
湊斗はヴェルナーを沈痛な面持ちで見つめた。
「いいのか? 戻れなくなっても。ここはヴェルナーのふるさとだろう? ずっとここで暮らしてきたのに。それに、ヴェルナーは宰相の息子で跡取りなんだろう? フローラとも婚約してるし、ここでのすべてを捨てる事になるじゃないか」
「そうだ。だから、やめるなら今だ」
ヴェルナーの言葉に、湊斗は頷いた。
「そうだよ。だめだよ。俺のために、ヴェルナーにそんな事させられないよ」
「ミナト、選ぶ判断基準は一つしかない。それは、ミナトが私といたいか、いたくないかそれだけだ。どうなのだ? ミナト」
「え……?」
ヴェルナーは怖いぐらいに真剣な目を湊斗に向けた。
「但し、生半可な気持ちでは答えるな。私はすべてを賭けている。ミナトが私との道を選ぶなら、私はすべてを捨ててミナトと共に行く。私は絶対にミナトを離さない。何があっても、私から離れる事は許さないから、覚悟して答えろ」
あまりにも重たい選択を迫られ、湊斗は全身から汗が噴き出した。
湊斗は考えた。ヴェルナーの言葉が本心なら、心の底から湊斗は愛されている。それなら、身が震えるほどうれしい。それなのに、すぐに答えられないのは、ヴェルナーの事を信じ切れていないからだ。もし、ヴェルナーに裏切られたら、とてつもなく心を傷つけられるだろう。それが怖い。
《でも、俺は、既にここまで来たんだ》
怖くても、湊斗の心にある答えは一つだった。ただ、覚悟が必要なだけだ。
湊斗はまっすぐにヴェルナーを見据えた。
「俺はヴェルナーと一緒にいたい」
その瞬間、ヴェルナーが湊斗を抱きしめた。
「ミナト……」
湊斗もヴェルナーの背に手を回し、ヴェルナーを抱きしめ返した。そして、心を支配しようとする不安を必死で消し去ろうとした。
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