第17話 気持ちの変化

 翌朝、湊斗が目を覚ますと、ベッドのそばにフロレンツが立っていて湊斗を見つめていた。

「おはよう」

「おはよう」

「良く眠れた?」

「うん」

「朝食の準備をさせるから、ミナトはまだ寝てていいよ」

 フロレンツはそう言って、寝室を出て行った。

 居間に朝食が準備され、湊斗とフロレンツは向かい合わせにソファーに座って食事をした。

 フロレンツは穏やかな笑みを浮かべて湊斗を見つめている。その目からは湊斗への愛情が感じられた。湊斗は照れくさくなって、フロレンツから目をそらした。

「こんな風にミナトと朝食が摂れるなんて、幸せだよ。これからずっと毎日、こうしていたい」

「大げさだよ」

 湊斗は、友人としてのやり取りに軌道修正したかったが、フロレンツはそれを許してはくれなかった。

「本当だよ。僕はミナトと一緒にいられれば幸せなんだ。僕はミナトを大切にするよ。約束する。だから、僕から離れないで。ずっと一緒にいよう」

 湊斗は、食事の手を止め、フロレンツに恐る恐る尋ねた。

「フロレンツは、俺とどうなりたいの?」

「僕はミナトを恋人にしたい」

 ついにはっきりと口にされた言葉に、湊斗は動揺し、頭が真っ白になった。

「本当に?」

「本気だよ」

「…………」

 湊斗は何と答えれば良いのか分からなかった。

 フロレンツは自嘲しているような、複雑な表情を浮かべた。

「急にこんな事を言ってびっくりしただろう? 言ったらミナトが困るって分かってたんだ。だけど、もう、言わずにはいられなかった。ごめん」

「いや……」

「何度も言うけど、僕はミナトを大切にするよ。絶対に裏切らない。だから、僕のものになって」

「僕のものって……」

 湊斗はドキドキして顔が熱くなった。自分がそういう対象として見られていると思うと、体が勝手に火照ってしまう。湊斗は、理性を保たなければと思った。それでわざと、

「そうは言っても、フロレンツは将来王様になる人なんだから、男で、しかも外海人の俺となんて無理だろ?」と常識的な言葉を返した。

「確かに、僕は近い将来結婚させられるよ。だけど、僕が愛するのはミナトだけだ。それは信じて欲しい」

《やばい……》

 これまで湊斗への気持ちを全く口にしてこなかったのに、一度口にしたら強烈に押してくるのだなと湊斗は思った。

 正直、湊斗の心は揺れていた。フロレンツの事は嫌いじゃないどころかむしろ好きだ。そのフロレンツがここまで自分を想ってくれるなら、応えてあげても良いのではないかと思えてきてしまう。

 その時、湊斗の脳裏に、ヴェルナーの顔がよぎった。湊斗がヴェルナーを好きだと言った時の表情だ。あれが本心からの表情だったならどんなにか良いだろうと思ってしまう。そういう希望を抱いてしまう自分は、やはりヴェルナーの事が好きなのだとつくづく思った。

 フロレンツが、

「ゆっくりでいいよ。ゆっくりでいいんだ」と、まるで自分に言い聞かせるように言った。それから、気を取り直したように、

「今日から、学者たちはここに来させるから」と言った。

「ここに?」

「うん。ミナトの身の安全を確保するために、早く外海の書を完成させてしまわなければならないと思ってる。傷が良くなってきたばかりなのにミナトには負担を掛けてしまうけど、協力して欲しいんだ」

「分かったよ」

 湊斗は頷いた。

 フロレンツがいない時、学者たちと食事の出入り以外は、部屋には鍵が掛けられていて、湊斗は外に出る事ができなかった。バルコニーの下にも見張りがいる。

 閉じ込められて数日が経ち、そろそろフローラは、湊斗がフロレンツの部屋にいる事に気付いたのではないかと湊斗は考えた。だとしたら、ヴェルナーも状況を知っただろう。

《どう思うかな……》

 湊斗に手が出しづらくなったから、フローラは悔しがっているだろうか。他の手段で、フロレンツの邪魔をしようとしてくるのだろうか。ヴェルナーもフローラと同じ気持ちなのだろうか。それとも、湊斗への想いが本物なら、湊斗を心配してくれているだろうか。

 ある日、フロレンツが深刻な表情を浮かべて部屋に戻って来た。

「ミナト。今度園遊会があるんだけど、そこにミナトも出席する事になった」

「え? 俺が?」

「うん。フローラが王様に、ミナトも出席させてはどうかって進言したんだ。なんだか嫌な予感がする」

 湊斗は青ざめた。

「また俺を襲う気かな?」

「まさか、王宮内で無茶な事はしないだろうけど、何か企みがあるのかもしれない」

 以前はフローラを悪く言う事はなかったフロレンツだが、湊斗が刺されて以降、あからさまにフローラを警戒するようになった。

「何なんだろう……」

「分からない。だけど警備はしっかりするから心配しないで。僕がそばにいるし」

「うん」

 そう言われても、湊斗は不安を拭いきれなかった。

 その日の夜はなかなか寝付けなかった。眠っても眠りが浅く、すぐに目が覚めてしまう。明け方まで、寝たり起きたりを繰り返した。

 そうして、部屋に光が差し、朝になった。湊斗は寝不足を感じつつ、薄っすらと目を開けた。

 目を開けると、目の前にフロレンツの顔があった。湊斗は状況がつかめずにぼんやりとした。

 フロレンツはベッド脇に屈んでいたが、湊斗が目を開けると同時に立ち上がった。こういう風にフロレンツがベッドの横に立っていた事はこれまでにも何度もある。

 湊斗はだんだんと頭がはっきりしてきた。先ほどの顔の距離は近すぎる。湊斗はまさかと思い、フロレンツを見上げた。

「ミナト、おはよう」

 フロレンツは何事もなかったように、いつも通りの挨拶を口にした。

「フロレンツ、さっき何してた?」

 湊斗が尋ねると、フロレンツが気まずそうな表情を浮かべた。

「気付いてた?」

 その言葉に、湊斗は心臓の鼓動が速くなった。

 湊斗は起き上がってフロレンツを見つめた。

「俺に何かしたのか?」

「……気付いてはなかったのか」

「だから、何したんだよ」

「キスした」

 湊斗は頭が沸騰しそうだった。まさか寝ている間にそんな事をされているとは思ってもみなかった。

「指一本触れないって言ってたくせに、うそつき!」

「ごめん」

 湊斗はキスの経験がない。知らぬ間にファーストキスを奪われていたのだ。いや、記憶が無いのだから、これはしたうちに入らないのだろうか。湊斗の頭は混乱し、茫然とした。

 その隙に、フロレンツが身をかがめて湊斗の唇に軽く口づけをして離れた。湊斗は頭が真っ白になった。

「何するんだ! 馬鹿!」

「かわいくてつい……」

「信じられない! 俺が寝てる間にこんなことして!」

 湊斗が抗議すると、フロレンツが湊斗の両腕をつかんだ。そして、再び湊斗に顔を近づけると、湊斗の唇に優しく唇を重ねた。

 フロレンツは、今度はすぐに離れなかった。柔らかい唇の感触に湊斗の胸が高鳴った。

《キスってこんな感じなんだ》

 フロレンツは湊斗から離れると、愛おしそうな目で湊斗を見つめ、

「好きだよ。ミナト」と言った。

 湊斗は顔から火が出そうな思いだった。

「何するんだよ……」

 先ほどより、湊斗の口調は弱かった。胸がどきどきして心臓が飛び出してしまいそうだ。恥ずかしくてフロレンツの顔をまともに見られない。

「朝食にしようか」

 フロレンツが何事もなかったかのように去ろうとしたので、湊斗は、

「ちょっと待って」とフロレンツを呼び止めた。

「何?」

「もしかして、毎朝してた?」

 湊斗が尋ねると、フロレンツがほほ笑んだ。

「毎朝ではないよ」

「毎朝じゃないけど、何度もしてた?」

「うん。何度か」

 湊斗はショックだった。

「まさか、キス以外してないよな?」

「大丈夫。してないよ」

 フロレンツはそう言って、寝室を出て行った。

 朝食を摂っている間も、湊斗はフロレンツの顔を見られなかった。

《フロレンツとキスして、ちょっといいかもと思っちゃうなんて……》

 湊斗は自己嫌悪の気持ちでいっぱいだった。それと同時に、フロレンツとなら恋人同士になれるかもしれないという思いが、心に芽生えたのは確かだった。

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