第16話 軟禁

 ヴェルナーの執務室を後にした湊斗は、ぼんやりとしながら議政庁を出た。一体どうすれば良かったのか、何が正解なのか、これからどうすればいいのか、全く分からない。

 議政庁から居殿までどうやって帰ったのか記憶にないまま、湊斗は自室に辿り着いた。

 部屋に入ると、ソファーにフロレンツがいて、湊斗を見て立ち上がり駆け寄ってきた。

「ミナト! どこへ行ってたんだ!」

「ちょっと歩いてた」

「どこへ?」

「この近くだよ」

 フロレンツは、今までにない険しい表情を浮かべていた。

「議政庁じゃないのか?」

「――――!」

 湊斗は目を見開いた。

「やっぱり。こんな目に遭ったのに、どうしてヴェルナーに会いに行ったりするんだ?」

「…………」

 湊斗は何も言う事ができずに目を伏せた。

「信じたくはないけど、今回の事はフローラの仕業かもしれない。だとしたら、裏で手を引いているのは間違いなくヴェルナーだ。ミナトは、ヴェルナーに利用されているだけなんだ」

 フロレンツの言葉が湊斗の心を突き刺した。分かっている事でも、人から言われるとショックが大きい。

 フロレンツが訴えかけるような目で湊斗を見つめた。

「僕は、ミナトが傷付く姿を見たくない」

 湊斗は胸が締め付けられた。

 少しの間、部屋は重たい沈黙に包まれた。

 不意に、フロレンツが湊斗の右手を掴み、湊斗を引っ張って歩き出した。

「え? フロレンツ、どこへ行くの?」

 フロレンツは湊斗を引いて部屋を出ると、廊下をどんどん歩いて行った。

 湊斗は慌てて、

「フロレンツ! 待って! どこへ行くんだよ?」と呼び掛けたが、フロレンツは答えてはくれなかった。

 廊下の先に両開きの大きな扉があり、両側に護衛が控えていた。フロレンツが近付くと、護衛たちが一礼して扉を開けた。

 その先にも廊下は続いている。壁紙の模様が細かく、柱に彫刻が施された豪奢な造りの廊下だった。廊下の右側には扉がいくつもある。廊下の中央付近にある扉は一段と豪華な造りで、その扉の前には護衛が付いていた。

《ここは王様の寝室だ》

 湊斗はそう思いつつ、廊下を進んで行った。

 またその先に両開きの扉があり、フロレンツが扉を開けると、反対側に護衛が控えていた。護衛たちは両側から扉を押さえると、フロレンツに一礼した。

 フロレンツはその先の廊下を進んで行き、やがて一室のドアを開けると、湊斗の手を引いたままその部屋の中に入った。部屋の造りは湊斗の部屋と似ているが、調度品などがより高級に見える。

 湊斗は部屋を見渡し、

「ここは?」と尋ねた。

「僕の部屋だよ」

 フロレンツの答えに、湊斗は驚いた。フロレンツの部屋に入るのは初めてだ。

「なんで俺を連れて来たの?」

「今日からミナトにはここにいてもらう」

「え?」

 湊斗はフロレンツの真意が分からず、

「どういうこと?」と尋ねた。

「今日から、ミナトには僕の部屋で寝泊まりしてもらう」

「なんで?」

「それが一番安全だから」

 確かに、王太子の部屋なら警備も充分で安全だろう。しかし、これには別の意図があるような気がしてならなかった。

「出入りは自由だよね?」

 湊斗は恐る恐るフロレンツに尋ねた。フロレンツの表情は硬い。

「僕が一緒の時ならいいよ」

 湊斗はやはりと思った。フロレンツは、湊斗をヴェルナーに会わせないつもりだ。

「それじゃ、フロレンツがいない時はこの部屋にずっといろって事?」

 フロレンツが悲しそうな表情を浮かべた。

「ごめん、ミナト。本当はミナトの自由を奪うような事はしたくないんだ。だけど、ミナトを守るにはこれしか方法がないから」

「やだよ。閉じ込めれるなんて。俺はフローラの味方になったりしないから、だから元の部屋に戻してよ」

「だめだよ。分かってくれ、ミナト」

「…………」

 湊斗はどうしたら良いのか分からずに途方に暮れた。まさか、フロレンツがこんな強行に出て来るとは思ってもみなかった。

「僕はこれから会議に出なくちゃならないけど、終わったらすぐに戻るから、それまで待ってて」

 フロレンツはそう言って、湊斗を部屋に残し出て行った。

 フロレンツが出てすぐに、湊斗は部屋のドアを開けようとした。しかし、ドアはびくともしない。湊斗は青ざめた。フロレンツは本気で湊斗をここに閉じ込めるつもりなのだ。

 湊斗はフロレンツが戻って来るまで、部屋のソファーに座って茫然とした。

 フロレンツはなかなか部屋に戻って来なかった。その間に、部屋に夕食が運ばれてきた。食事が運ばれる間も、ドアの外には護衛が控えていて、湊斗を見張っていた。

 夜になって、フロレンツがやっと部屋に戻って来た。

「遅くなってごめん。どうしても晩餐は家族で摂らないとならなくて」

「ねえ、本当に俺をここから出さないつもり?」

「僕の目の届かないところはだめだ。これからは、僕のそばから離さない」

 湊斗はフロレンツからこれまでと違う雰囲気を感じた。ただ単に、湊斗を守ろうとしているのとは違う気がする。

《まさか、フロレンツ……》

 湊斗の頭の中に、以前そう考えかけて打ち消した思いが再び頭をもたげた。フロレンツが湊斗を恋愛対象として好きなのではないかという思いだ。

 フロレンツが湊斗に、

「お風呂入ったら?」と言って、湊斗の手を引いて歩き出した。

 部屋の間取りは湊斗の部屋とほとんど一緒だ。手前に居間があり、奥が寝室になっている。浴室は寝室から入る事ができる造りだ。

 湊斗は寝室に入り、ふと気づいた。この部屋に寝室は一つしかない。そして、寝室にはベッドが一つしかない。

《一緒には寝ないよな》

 湊斗は横目でベッドを見ながらそう思った。

 湊斗の後にフロレンツも風呂に入った。湊斗は居間に戻り、ソファーに座った。湊斗が寝る場所はここしかないだろう。

 しばらくして、風呂から出て来たフロレンツが湊斗の元にやってきた。

「まだ寝ないの?」

「うん。もう少ししたら寝るよ。フロレンツは寝て大丈夫だよ」

 フロレンツが湊斗を見つめた。

「まさか、ここで寝るつもりじゃないよね?」

「そのつもりだけど」

 フロレンツが首を振った。

「だめだよ。ソファーでなんか寝たら疲れるだろう? 傷もまだ治ってないのに」

 フロレンツは、湊斗の両腕をつかんで立ち上がらせると、手を引いて寝室の方へ歩き出した。

「待って。ベッド、一つしかないだろ?」

 湊斗が言うと、フロレンツが動きを止めた。

「大きいから大丈夫だよ。二人で寝ても狭くないだろ」

「いや、でも、やっぱり二人では窮屈だろ?」

 湊斗が何とか断ろうとすると、フロレンツが振り返った。

「もしかして、僕の事意識してるの?」

 直球な言葉に、湊斗は顔を赤らめた。

「いや、そういうわけじゃ……」

 フロレンツは気分を害するだろうかと思ったが、予想外に湊斗にほほ笑み掛けてきた。

「意識してくれてるなら、僕はうれしいけど」

「え?」

 その言葉に、湊斗は固まった。

「安心して。僕は湊斗が嫌がるような事はしないから。もちろん、湊斗が嫌じゃないなら話は別だけど」

 湊斗はめまいを覚えた。胸の鼓動が速まる。今の言葉で確信した。フロレンツは湊斗に恋愛感情を抱いているのだ。それが分かっている相手と同じベッドで寝る事などできない。

「やっぱり俺はこっちで……」

 湊斗がソファーの方に戻ろうとすると、フロレンツが湊斗の手を握る力を強めた。

「ダメだよ。ソファーで寝るのは絶対に許さない」

 フロレンツの目には強い力が宿っていた。今まで見た事がない表情だ。

「頼むからこっちで寝させてよ」

「前に一緒に寝ようかって言ってたじゃないか」

 湊斗はそういえばそんな事もあったと思った。しかし、あの時とは状況が違う。あの時はフロレンツの気持ちに気付いていなかった。

 あの時、フロレンツは湊斗と一緒に寝るなんてとんでもないと言っていた。

《あの時既に、フロレンツは俺の事を恋愛対象として意識してたのか? 一体、いつからなんだろう?》

 湊斗がぼんやりしていると、フロレンツが湊斗の手を引いた。

「行こう」

 フロレンツに引かれ、湊斗は寝室に入った。ベッドはシングルサイズ二台分ぐらいの幅がある。なるべく離れれば、フロレンツに触れる事はなさそうだ。

 フロレンツが湊斗に、

「ミナトには指一本触れない。約束する」と言った。

 これまでもフロレンツは常に湊斗を尊重してくれた。ここまで言われたのだから、フロレンツを信じるしかない。

「分かったよ」

 二人はベッドに横になった。湊斗はできるだけフロレンツから離れ、

「おやすみ」と言うと、フロレンツに背を向けた。

 しばらくは、フロレンツの方から布が擦れる音がする度にドキリとして、なかなか寝付けなかった。湊斗が眠りに就けたのはだいぶ経ってからだった。

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