第15話 計略

 湊斗はゆっくりと目を開けた。

 どうして眠っていたのだろうと、ぼんやりと思った。

「ミナト! 気付いたのか⁈」

 大きな声で呼びかけられて、湊斗はそちらに目をやった。ベッドの横にフロレンツがいて、今にも泣き出しそうな顔で湊斗を見つめている。

 湊斗は記憶を辿り、自分は街の中で刺され、倒れたのだと思い出した。

「ミナト! よかった!」

 フロレンツが湊斗のベッドに顔をうずめた。

 医師が湊斗の手首を手に取り、脈を診た。

「もう大丈夫でしょう。後は傷の回復を待つだけです」

 フロレンツが顔を上げ、湊斗を見つめて、湊斗の額に手を置いた。

「大丈夫か? 痛かっただろう? もう大丈夫だから」

 壁際に立っていたカールが湊斗の方に近付いて来て、深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。私が付いていながら、このような事に……」

 湊斗は首を振った。

「カールのせいじゃないよ」

「いえ、私の落ち度です。これを企てた者は必ず見つけ出しますので」

「犯人は見つかってないの?」

「申し訳ございません。あなたの救命に必死で、賊を取り逃がしてしまったのです。しかし、黒幕は分かっています。絶対に証拠を見つけますので」

「そっか……」

 湊斗は、自分を刺した犯人がまだ街の中にいると思うと身震いがした。

 フロレンツが湊斗の手を握った。

「前も襲われたのに、怖い思いをさせてごめん。もうこんな事は絶対にないようにするから。ミナトを傷つける者は絶対に許さない。もう絶対に容赦はしない」

 フロレンツとカールの表情は険しかった。それを見て、湊斗は心臓が凍り付くような思いがした。

《まさか、俺の命を狙ったのは、フローラなのか?》

 そして、湊斗の脳裏に最悪な考えが浮かんできた。背後には、フローラだけではなくヴェルナーもいるのではないだろうか。

 湊斗はヴェルナーと話がしたいと思ったが、この状況でそれを叶えるのは難しい。湊斗は動けないし、ヴェルナーがこの部屋に来る事はできない。

《もし、ここに来る事ができたとしても、ヴェルナーは来ないかもしれないな》

 ヴェルナーが今回の事に加担しているなら、湊斗を心配しているはずがない。

 考えれば考えるほど、湊斗は悲しさに胸をふさがれた。

 数日後、フローラが見舞いにやってきたから、湊斗は驚いた。

 部屋には医師の助手が控えていたが、フロレンツやカールはいなかった。正直、疑惑の人物が部屋にいるのは怖かったが、湊斗は平静を装った。

「怪我の具合はどう?」

「だいぶ良くなったよ」

「大変な目に遭ったわね。怖かったでしょう」

「うん」

 もしこれが、フローラの仕業なのだとしたら、恐ろしい人だと湊斗は思った。

「私なら、ミナトを守ってあげられるわ」

 フローラの予想外な言葉に、湊斗は「え?」と訊き返した。

「ミナトが私の味方になってくれるなら、こんな目に二度と遭わないようにしてあげる」

 湊斗は全身の血が一気に凍り付くような思いだった。それと同時に、激しい怒りを覚えた。フローラは湊斗を脅迫しているのだ。間違いなく、今回の事はフローラが企てた事だと湊斗は悟った。

「俺は誰の味方でもないよ。だけど、フロレンツにはいつも感謝してる。俺を大事にしてくれるから。自分を傷つけてくるような人だったら、信用できないだろ?」

「そうね。ミナトの言うとおりだと思うわ。ミナトの考えは良く分かった」

 フローラはそう言うと、冷たい笑みを浮かべた。

 そして、

「考えが変わったらいつでも言って」と言った。

 それから、湊斗の体は順調に回復していった。十日ほど経って、だいぶ痛みが和らぎ、ゆっくりなら歩けるようになった。

 動けるようになったら、真っ先に行きたいのは議政庁だった。どうしても、ヴェルナーに直接真相を訊きたい。

 湊斗は、誰もいない時を見計らって、こっそりと部屋を抜け出した。そして、まっすぐに議政庁へと向かった。

 ヴェルナーの執務室の前に着くと、湊斗は緊張しながらドアをノックした。中から「はい」と返事があった。

「俺だよ。ミナトだよ」

 湊斗が呼びかけると、少しして、ドアが勢いよく開いた。

 ヴェルナーはかなり驚いた表情で湊斗を見つめた。

「ミナト……」

「話がしたいんだ」

「入って」

 ヴェルナーは湊斗を部屋に通し、ドアを閉めた。

 二人は長椅子に横並びで座った。

「傷はもういいのか? 歩いて大丈夫なのか?」

「まだ少し痛むけど、だいぶ良くなったよ」

「そうか。よかった」

 ヴェルナーは安堵している様子だ。それを見た湊斗は、これが演技だとしたら、相当な演技力だと思った。

「ヴェルナー、俺の事心配してくれてた?」

「ああ。もちろんだ。ミナトが心配で仕方がなかった。様子を見に行きたかったが、私の立場では難しくて……」

「そうだったのか……。ヴェルナー」

「なんだ?」

「実は……。今回の事、フローラが関係してるんじゃないかと思ってるんだ」

 湊斗はそう言って、ヴェルナーの様子をうかがった。ヴェルナーは目を伏せ、表情を暗くした。

「もしそうだとしたら、ミナトがフローラ様に味方してくれれば、今後ミナトが襲われる事はなくなるだろうな」

 湊斗はショックで頭が真っ白になった。やはりヴェルナーは、湊斗を襲わせた黒幕がフローラである事を知っている。いや、知っているだけではなく、首謀しているのかもしれない。

「逆だよ。もしそうだとしたら、こんな事をする人の味方になんか絶対なれない」

「ミナト……」

 ヴェルナーが湊斗を抱きしめてきた。湊斗の傷をいたわってか、その力加減は優しい。

 湊斗は複雑な思いだった。

 湊斗を抱きしめたまま、ヴェルナーが言った。

「私は、ミナトを危ない目に遭わせたくない。王太子殿下の側にいる限り、ミナトはフローラ様にとって排除の対象だ。だから、頼む。フローラ様の側についてくれ」

 湊斗は、ヴェルナーを引き離した。

「どうしてそんな事言うんだ」

 ヴェルナーは湊斗の両腕をつかみ、真剣な眼差しを向けた。

「ミナトが好きだからだ」

 その瞬間、湊斗の体に電流のような衝撃が走った。うれしい言葉のはずなのに、その言葉を真に信じる事ができない。

 湊斗が黙っていると、ヴェルナーが、

「ミナトは……違うのか?」と言った。

 ヴェルナーは、苦しそうな、悲しそうな、何とも言えない表情を浮かべた。基本的に感情をあまり表に出さないヴェルナーがこんな顔をするのを初めて見た。ヴェルナーに対する愛しさが一気に溢れて、抑える事ができなくなる。

「俺は……」

「…………」

 客観的に見れば、湊斗を仲間に引き入れるための計略である確率の方が高いだろう。しかし、当事者である湊斗には、例えそうだとしてもヴェルナーを突き放す事はできなかった。湊斗は、自分が抜け出せない深い沼に落ちていくような、そんな気持ちになった。

「俺は、ヴェルナーが好きだよ」

「ミナト……」

 ヴェルナーが何かから解き放たれたような、安堵した表情を浮かべた。

《その表情はずるい……》

 湊斗はヴェルナーを抱きしめた。ヴェルナーも湊斗の背中に両腕を回し、二人は長い時間そのまま抱き合った。

 しばらくして離れると、ヴェルナーが湊斗に言った。

「私はフローラ様に逆らう事はできない。逆らえば、私は間違いなく消されるだろう。私たちが共に生きるためには、ミナトにフローラ様側についてもらうしかない」

「…………」

 湊斗にはその決断は難しかった。

「頼む。ミナト」

 ヴェルナーが湊斗の右手を両手で握った。

「ヴェルナーの事は好きだよ。だけど、それはできない」

「ミナト!」

「フロレンツは俺の命の恩人なんだ。俺はフロレンツに何度も助けてもらってる。そんなフロレンツを裏切れないよ。それに、フローラが俺を殺そうとした犯人なら、やっぱり許す事ができない」

 ヴェルナーが湊斗の手を握る力を強めた。

「ダメだ! それではフローラ様はまたミナトを狙う。頼むから、ミナト」

「ごめん。やっぱり、できない」

 湊斗が答えると、ヴェルナーが苦し気な表情を浮かべて湊斗の手を離した。

 湊斗は立ち上がり、

「今日は帰るよ」と言って、執務室を後にした。

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