第14話 再びの危機

 議会の後、フロレンツは落胆しているだろうと思ったが、いつもと変わりない様子だった。湊斗にかっこ悪いところを見せてしまったと笑っていた。それを見て、湊斗の心はより痛んだ。きっといつもこうなのだろう。フロレンツはあんな風に貶められても、明るく振舞っているのだ。それが分かるから、湊斗の方からあの日の議会の事を深掘りして尋ねる事はできなかった。

 そして、フロレンツへの気遣いから議政庁へ行くのはためらわれ、足を運ばなくなった。思えば、フローラの誕生パーティー以降、ヴェルナーとは話せていない。

 そんなある日、湊斗の部屋にフローラの使いがやってきた。フローラが湊斗と話がしたいので来て欲しいと言うのだ。

 湊斗は、フローラが自分に一体何の用だろうと思いつつ、使いについて行った。

 居殿の一階にある応接室に通されると、ソファーには既にフローラが座っている。

 フローラは湊斗に、

「座って」と言った。

 湊斗はフローラの正面のソファーに座った。部屋には二人きりだ。

「急にどうしたの?」

 湊斗はフローラに尋ねた。

「一度ミナトとゆっくり話してみたいと思っていたの。私たち、全然話せていないでしょう?」

「そうだね」

「外海の書はどれぐらい進んでいるの?」

「学者たちの質問は続いてるよ。あとどれぐらいかは分からないけど、一つ一つ掘り下げると時間が掛かるから、まだまだじゃないかな」

「そう……。お兄様が一人でまとめられるのは大変よね。それで、ミナトに相談があるんだけど、私も外海の書を作れないかって考えているのよ」

「え?」

 湊斗は驚いてフローラを見つめた。

「別に外海の書は必ず一つじゃなきゃいけないってわけじゃないわ。二つ作れば、違った視点のものができるでしょうし、アクスラントにとっては有益だと思うの。ミナトは両方から訊かれて大変だと思うけど、できない事はないでしょう?」

 湊斗は息を呑んだ。フローラは、外海の書を編纂する手柄を、フロレンツから奪うつもりなのだ。

「できない事はないかもしれないけど、それはやっぱり大変だよ」

 湊斗は、フローラの申し出を何とかかわそうとした。フローラはすがるような目で湊斗を見た。

「お願い。そこを何とか頑張ってくれない? 編纂はヴェルナーに指揮を取ってもらうわ。彼は優秀だから、ミナトへの聴取も効率的にやってくれるし、編纂期間も短くできると思うの。お願い」

「でも……」

「ミナトもヴェルナーの優秀さは知っているでしょう? 彼も外海の書を作る事には意欲を見せているわ。きっと良いものを作ってくれるはずよ」

 フローラの目は、湊斗の心を見透かそうとしているかのようだった。その目を見て、湊斗は血の気が引いた。ひょっとすると、フローラは、湊斗のヴェルナーに対する気持ちに気付いているのではないだろうか。

 いや、気付いているのではない。初めから、フローラが仕組んでいる事だとしたら。フローラが意図的に、ヴェルナーに湊斗の気を引くよう命令して仕向けているのだとしたら。そう考えて、湊斗は寒気を覚えた。

「……やっぱり、無理だよ。今でさえ大変なんだ。フロレンツの方が終わってからなら話は別だけど」

 湊斗が答えると、フローラの目が鋭くなった。

「そう。それは残念だわ。本当に無理?」

「うん……」

「そう。それじゃあ仕方ないわね」

 フローラは怒っているわけではないが、声色は冷たかった。

「ごめん」

「いえ、いいのよ」

 湊斗はなんとも言えない気まずい空気に押しつぶされそうだった。

 それから、フローラと湊斗はとって付けたような雑談を交わしたが、何を話したか覚えていないほど、湊斗の緊張は解けなかった。

 その翌日。

 湊斗は学者たちの聴取を終え、部屋のソファーに座ってぼんやりと物思いに耽った。

《フローラ、かなり不機嫌だったけど大丈夫かな。また何か言ってこなきゃいいけど……。ヴェルナーは、やっぱりフローラの命令で動いているんだよな……》

 しばらくして、バルコニーの方で何か物音がしたので、湊斗は立ち上がり、窓を開けてバルコニーに出た。下を覗き込むと、そこにヴェルナーがいたので、湊斗は驚いた。

「ヴェルナー!」

「ミナト」

 ヴェルナーが何かを言おうとした時、

「ローレンツ議政官!」と、ヴェルナーを呼ぶ声がした。

 ヴェルナーが声の方を振り返った。湊斗も声のした方を見た。遠くから、カールがヴェルナーの方に足早に近づいて来る。

 カールはヴェルナーに一礼し、

「このようなところでどうなされましたか?」とヴェルナーに尋ねた。それから、視線を一瞬湊斗の方へ向けた。

 ヴェルナーはカールに、

「ここを通り掛かりましたら、ミナトの姿が見えましたので、挨拶をしようとしていたところです。私がミナトと懇意にしている事をご存じありませんでしたか?」と答えた。

「存じ上げておりますが、まさか外から二階に話し掛けるほどとは思っておりませんでした」

 カールの口調には皮肉が込められていたが、ヴェルナーは涼しい顔をしていた。

「デリンガー殿こそ、そんなに慌てて、何か私にご用でしたか?」

「特に用というわけではありませんが、お姿が見えたので何をなさっているのかと思いまして」

「居殿の周りで不用意でしたね。見てのとおり、ご心配には及びません。それでは、私は失礼致します」

 ヴェルナーはそう言って、議政庁の方へ去って行った。

 カールはヴェルナーが去るのを見届けると、湊斗の方に視線を向け、一礼して去って行った。

 久しぶりにヴェルナーと会話ができると思ったが、それが叶わず、湊斗はため息をついた。

 それから、ヴェルナーとは会えずに日々が過ぎていった。

 ある日、部屋にやってきたフロレンツが、

「来週、建国祭があるんだ。ミナトも出席して欲しいんだけど、大丈夫?」と尋ねてきた。

「うん。いいけど、建国祭って何?」

「建国記念日の行事だよ。王様が国民の前にお姿を見せる機会なんだ。船でアクスラントの市内を一周するパレードがあるんだよ。それから、宮廷内でパーティーも催される」

「へえ」

 湊斗は内心、またパーティーかと辟易したが、仕方がないと思い直した。

 それを察してか、フロレンツが、

「少し顔を出してくれれば、あとは部屋に戻って大丈夫だよ」と言った。

 それを聞いて、湊斗は安心した。

「そっか。それじゃ、そうするよ」

「今度はなるべく僕がそばにいるから」

「ありがとう」

 そうして、建国祭当日を迎えた。

 王を始めとする王族たちは、数艘の船に乗り込み、王宮を出発した。王族たちが出発した後の王宮はいつもよりがらんとしているように感じる。王の警護と、市中の警護のため、軍務官がほとんど出払ったせいだろう。

 官僚たちもみな、王宮の外にパレードを見に出掛けて行く。

 カールが湊斗に、

「私たちも観に行きますか?」と尋ねてきた。

「そうだね。せっかくだし、観に行こう」

 湊斗はカールと共に王宮を出た。

 街に出るのは、フロレンツと買い物に出た時、ヴェルナーの家に遊びに行った時、そして今回で三度目だ。

 市中はたくさんの人で賑わい、特に水路の周りはすごい人だった。

「これじゃ、見えそうにないね」

「そうですね。あちらの方へ行ってみますか」

 湊斗とカールは、どこかパレードが見えそうな場所はないかと歩き始めた。

 人を避けながら歩いていたが、湊斗はすれ違いざまに誰かとぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい」

 湊斗はそう言ってその人を見たが、その人は湊斗の方には目もくれず、去って行ってしまった。

 次の瞬間、突然わき腹に違和感を覚え、湊斗はわき腹に手をやった。触れた部分が濡れている。湊斗は恐る恐る右手を自分の顔の前にかざした。湊斗の右手は真っ赤に染まっている。

「あ……」

 湊斗は青ざめた。そして、次の瞬間、目の前が真っ暗になり、意識を失った。

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