第13話 議会
フローラの誕生パーティから一夜が明けた。
湊斗はその晩ほとんど眠れず、学者たちが来ている間も上の空だった。
学者たちが帰ると、湊斗はソファーに座ったまま、ため息をついた。脳裏に、昨晩ヴェルナーに抱きしめられた時の記憶が蘇り、頭から離れない。
《もし、ヴェルナーが俺の心を弄ぼうとしてるなら、完全に思惑どおりだよな》
しばらくして、部屋のドアをノックされた。
湊斗が、「はい」と答えると、「僕だよ」とフロレンツの声がした。
「どうぞ」
ドアが開き、フロレンツが入って来た。フロレンツは湊斗の隣に座った。
「昨日はお疲れ様」
「うん」
フロレンツが湊斗の顔を覗き込んだ。
「顔色が良くない」
「そんな事ないよ」
「ごめん。結局全く構えなくて。カールから、途中で帰ったって聞いたよ。疲れただろ?」
「ううん。大丈夫だよ」
「今日は学者たちを来させなければ良かったね。疲れたなら、今日はこれから寝ていても大丈夫だよ」
「そんな、大丈夫だよ」
「それじゃ、ここで横になってればいいよ」
「大丈夫だって」
「大丈夫な顔じゃない」
どうやら、寝不足が顔に出てしまっているようだ。
フロレンツが、
「ほら」
と言って、湊斗の肩に手を掛けると、湊斗の体をソファーに倒した。フロレンツに膝枕をする体勢となり、湊斗は慌てた。
「ちょっと、大丈夫だって!」
湊斗は慌てて体を起こそうとしたが、フロレンツが湊斗の肩を押さえ込んだ。
「だめだ。いいから横になってて」
「…………」
王太子に膝枕をしてもらっているだなんて、他の人が見たら卒倒するだろう。湊斗は罪悪感を抱きつつも、これ以上フロレンツに抵抗する事はできないと思い、観念した。
「だけど、ミナトは良くやってたよ。王様への挨拶も、官僚たちの相手も卒なくこなしてたし」
「そうかな」
「うん。完璧だったよ」
「それならよかった」
湊斗はフロレンツを見上げた。
「何?」
「なんか今日、いい事あった?」
湊斗が尋ねると、フロレンツがほほ笑んだ。
「そんな風に見える?」
「うん」
いつものフロレンツだったら、さっきみたいな強引な事をしては来ない。どこか今日のフロレンツは元気で自信に満ち溢れているような、そんな気がした。
「ちょっといい事があって。実は、僕が立案した制度が実現しそうなんだ。これまで何度か挑戦してきたけど、僕の立案が通った事はなかったから。うれしくて」
「へえ。そうなんだ。良かったね」
フロレンツが仕事の事を湊斗に話すのは初めてだった。きっとよっぽどうれしかったのだろう。
「これで少しは周りに認めてもらえるかなって思って」
この言い方は、これまでは認めてもらえていなかったという事だ。王太子という立場でありながら、周りの評価が低いという事なのだろうか。フロレンツは、人のためになる事を積極的にしようとする人柄だから、評価が低いというのなら腑に落ちなかった。
「これまでは認められていなかったって事?」
フロレンツが少し悲しそうな目をした。
「残念ながらそうなんだ。僕は政治は苦手で。どうしてもうまく立ち回れなくて。正直なところ、僕が将来王位を継ぐ事を不安に思っている人もいると思う」
「そんな……。俺はフロレンツみたいな人が王様になったら、アクスラントが平和になると思うけど」
「ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいよ」
湊斗はフロレンツの事をまだきちんと理解できていない。それでふと、湊斗は思いついた。
「あの、フロレンツが仕事してるところ、見学できないかな?」
フロレンツが目を丸くした。
「え? 僕が働いているところを?」
「うん。邪魔にならないような場所からでいいから」
フロレンツは少し考えて、
「いいよ」と答えた。
「本当に? ありがとう」
「議会なら会場も広いし、遠くで見てても誰も気付かないと思う。ちょうど明日議会があるから、その時に見学させてあげるよ」
「じゃあ、明日見に行くよ」
「ミナトが見ていてくれるなら、いつもよりがんばれそうだ」
「ハハ。それはよかった」
フロレンツが湊斗の頭を優しく撫でた。まるで、小さい子を寝かしつける母親のようだ。昨晩眠れなかったせいもあり、湊斗は急激に眠くなってきた。瞼が勝手に閉じてきてしまう。
湊斗の様子に気付いたフロレンツが、
「眠いなら寝たらいいよ」と言った。
「ごめん……。俺、眠いかも……」
湊斗はそのまま眠ってしまった。
次に目を覚ました時、湊斗は眠りに落ちる前と全く同じ体勢だった。横向きでソファーに横になり、フロレンツの膝の上に頭を乗せている。
湊斗ははっとしてフロレンツを見上げた。
フロレンツは穏やかな表情で湊斗を見下ろしている。
「目が覚めた?」
「ごめん!」
湊斗は慌てて起き上がった。
そして、
「重かっただろ? 俺、どれぐらい寝てた?」と言った。
「一時間ぐらいかな」
「そんなに……。足、痺れてない?」
湊斗が心配して尋ねると、フロレンツが笑った。
「大丈夫。もっと寝てても良かったぐらいだよ」
湊斗が起きるまで身動きできず、辛かったはずなのに、フロレンツは嫌な顔ひとつしないどころか、笑顔だった。
《優しすぎるよ……》
湊斗はありがたいと思うと同時に、申し訳なさでいっぱいだった。
その日は予定がなかったのか、フロレンツはずっと湊斗の部屋にいた。フロレンツが帰ったのは日暮れ頃だった。
フロレンツを送り出し一人になった湊斗は、今日は議政庁に行けなかったなと思った。昨日行くと言ったから、ヴェルナーは待っていたかもしれない。次に会った時に謝らなければと、湊斗は思った。
翌日、湊斗はフロレンツがよこした使いに連れられ、議事堂に入った。
議事堂の中に扇形の大きな部屋がある。そこが議場だった。扇の要に当たる場所に発言者が立つ演壇があり、演壇の後ろに議長が座っている。議長のさらに後ろが一段高い壇になっていて、そこに豪華な椅子が置かれ、王が座っていた。演壇を囲むように席が配置され、奥に向かって階段状に高さが付けられている。
湊斗は一番高さのある奥の席の後ろの扉からそっと議場に入り、目立たないように屈んで議場の様子を見つめた。席はほとんどが埋まっている。
演壇ではちょうどフロレンツが何か説明をしている最中だった。
「これが実現されれば、民が負担する医療費を削減できる。本議会での可決を願いたい。私からの説明は以上だ」
フロレンツの説明が終わると、議長が、
「では、これから質疑応答に入ります。質疑のある方は挙手願います」と言った。
しばらくの間、議場はざわついていたが、みなフロレンツの議案を好意的に受け止めている様子だった。
そんな中、一人の手が上がった。
議長がその人の方を見て、
「ヴェルナー・ローレンツくん」と指名した。
湊斗は驚いてそちらに注目した。立ち上がったのはヴェルナーだった。
ヴェルナーは演壇の正面にある質問席に立った。
「前回の議会で配布された資料を拝見致しました。砂糖の税率を上げ、増えた税収分で民の医療費負担を減らすという案自体は非常に良い案かと存じます。しかしながら、本案については、数字的な検証が不十分ではないかと考えます」
ヴェルナーの発言に議場がざわついた。
フロレンツは落ち着いた様子で、
「聞かせてくれないか?」と言った。
「これをお配りください」
フロレンツが手に持った書類の束を示した。
その書類が議場に行き渡ると、ヴェルナーが口を開いた。
「砂糖を多く消費する富裕層は限られています。普段砂糖を口にする富裕層に対し、現在の価格より十パーセント価格が上がった場合、砂糖の購入量に変化があるかを聞き取り調査しました。その結果がお配りした資料の一です。結果、八割の消費者が現在よりも買い控えると回答しました。頂いた資料の試算では、増税による消費量の減少幅を五パーセントと見積もっていますが、実際には十パーセント、いえ、それ以上になるかもしれません。その場合、砂糖の卸売り業者からの税収の減り幅で、増税した分の税収は吹き飛んでしまいます。資料の二をご覧下さい」
資料を見つめる人々が納得したようにうなずき始めた。
「この試算によると、今回の増税による効果は全く見込まれないという事になります。次の三をご覧下さい。これは増税幅と消費の減少幅の損益分岐点を示したものです。このとおり、増税率の適正値は三パーセントという事になります。よって、本法案は、今一度見直す必要があると考えます」
議場の空気は一変した。先ほどまでフロレンツに好意的であったはずが、今は完全にヴェルナーの味方だ。ヴェルナーに感心し、フロレンツに失望する人々の心が痛いほどに伝わって来る。
《いつもこうなのか?》
こういう空気は一朝一夕でできるものではない。これまでの積み重ねがあっての事のはずだ。人々がヴェルナーを評価し、フロレンツはだめだと、常日頃から思っているというのがありありと分かる。
距離があるからフロレンツの表情はよく分からないが、この中に身を置くのは辛いだろう。
ヴェルナーが言っている事は正しいし、国の事を思って意見しているとすれば立派な事だ。しかし、この質疑からは別の意図を感じた。ヴェルナーの言う事なら間違いがないという先入観を抱いていれば、全く気付く事はないだろう。しかし、湊斗は、この質疑に込められた悪意を感じた。この質疑は、フロレンツを貶めるためにされているものだ。フロレンツに恥をかかせないようしようとするなら、事前にフロレンツに相談をするだろう。それをこの場で晒すように指摘したのは、フロレンツに敵意があるからに違いない。
《絶対にわざとだ……》
湊斗は、質問席に立つヴェルナーの後姿を見つめた。
議長がフロレンツに、
「王太子殿下、ご回答を」と促した。
フロレンツは俯きがちに、
「指摘を受け止め、再検討する」と答えた。
ヴェルナーが一礼して振り返り、質問席から自席に戻った。その途中で、一瞬、湊斗はヴェルナーと目が合ったような気がした。
《気付いたのか? でも、こんな遠くにいるのに分かったかな……》
ヴェルナーが席に着くと、議長が、
「他に質疑のある方は挙手を願います」と呼び掛けた。
ヴェルナー以外の議員からは手は上がらなかった。
議長はその様子を見渡して、
「では、本法案の採決に入ります。本法案に賛成の方は拍手をお願いします」と呼び掛けた。しかし、議場は水を打ったように静かだった。フロレンツの立場なら、とても居たたまれない空気だ。
議長が後ろを振り返り、王に一礼した。
「王様、お考えをお願い致します」
王は静かに、
「再検討致せ」と言った。
フロレンツが落胆しているのは遠くからでも分かった。
《フロレンツ……》
湊斗はすぐにでもフロレンツを慰めてあげたかったが、今はどうする事もできない。そして、他の議員に隠れて姿は見えないが、ヴェルナーがいる方に目をやった。
以前カールがヴェルナーの事を「狡猾」と言っていたが、本当にそのとおりなのだなと湊斗は実感した。実際に目の当たりにすると、ショックが大きい。
湊斗はこれ以上この場にいるのが辛くなって、そっと議場を出た。外に出ると、扉のそばにカールがいたので、湊斗は驚いた。
「カール! いたんだ」
カールは深刻な表情をしていた。
「いかがでしたか? これが今、王太子殿下が置かれている状況です」
湊斗は目を伏せた。
「よく分かったよ」
「あなたは王太子殿下再起の鍵を握るお方です。どうか、王太子殿下の味方でいらして下さい」
カールが湊斗に頭を下げた。
湊斗の心中は複雑だった。優しくて、いつも湊斗をいたわってくれるフロレンツの力になってあげたい。一方、湊斗の心は既にヴェルナーに惹かれてしまっている。あの光景を見ても、今湊斗が会いたいと思うのはヴェルナーだった。ヴェルナーに会って、真意を訊きたい。
《俺はどうしたらいいんだろう……》
湊斗はそう思い、途方に暮れた。
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