第12話 自覚
二月の中旬になったある日、湊斗の部屋に突然フローラが訪ねて来た。フローラが部屋に来たのは初めてだったから、湊斗は驚いた。
フローラは、湊斗に封筒を渡しながら言った。
「私の誕生パーティーが開かれるから、ミナトを招待するわ。来てくれるでしょう?」
湊斗は封筒を受け取った。
「うん。行くよ。それでわざわざ来てくれたの?」
「ええ。ミナトには直接渡したかったの」
フローラはほほ笑んだ。フローラと面と向かって話すのは、フロレンツと共にお茶を飲んで以来だ。その後、カールからフローラはフロレンツの敵だと聞いたから、フローラの見方がだいぶ変わった。その話を聞いた影響だと思うが、フローラは笑顔でも目が笑っていないような気がする。
湊斗はそんな感情を押し殺して、
「ありがとう」と言った。
「あまり話ができなくて、気になってたのよ。最近はどうしてるの? 相変わらず、学者たちから色々訊かれているの?」
「うん。それは毎日だよ」
「ミナトも大変ね。突然知らない国に来ただけでも大変なのに、毎日質問責めなんて」
「いや、俺にも役に立てる事があって良かったと思ってるよ」
「ミナトは偉いわね」
そんな話をしていると、部屋のドアがノックされた。
湊斗が「はい」と答えると、外から「カールです」と声がした。
それを聞いたフローラが顔をしかめた。
「きっと、私がここにいると知って来たんだわ」
それから、フローラが湊斗を見て言った。
「カールは私を良く思ってないのよ。ミナトにもそんな事を言ってない?」
「いや……」
湊斗は、直感で、本当の事は言わない方が良いだろうと思った。
「カールは、私がお兄様の座を危うくしようとしていると誤解しているの。お兄様を心配しての事だとは分かっているけど、困るわ」
湊斗は何と答えれば良いのか、困惑した。
フローラは、
「私がここにいると良く思われないでしょうから、私は帰るわね」と言って、ドアを開けた。
フローラとドアの前にいたカールが対峙した。
「フローラ様、いらしたのですか」
カールがフローラに頭を下げた。
「知っていて来たのではないのか?」
「いえ、存じ上げませんでした。お邪魔をしたのなら申し訳ございません」
「もう用は済んだからいい」
フローラはそう言って去って行った。フローラのカールに対する態度の冷たさに、湊斗は背筋が寒くなった。
カールが湊斗を見た。
「フローラ様は何の要件で?」
「誕生日の招待状を持ってきたよ」
「そうですか」
カールはため息をついて言った。
「なるべくこちらに近付けないようにしていたのですが、そういう口実でいらしたのですね」
湊斗は、カールがフローラを意図的に遠ざけていたと知って驚いた。
「近付けないようにしてたの?」
「はい。フローラ様は本当に油断ならない方ですので」
時折、フローラに怖さを感じる事もあるが、そこまで警戒しなければならない程だとは、湊斗には実感が湧かなかった。
カールが念を押すように、
「とにかく、今後もフローラ様にはお気を付け下さい」と言った。
そうして、フローラの誕生パーティー当日がやってきた。
居殿の一階にある大広間にたくさんの人々が集まった。おそらく高官とその家族なのだろう。皆、華やかに着飾っている。
湊斗もいつもより飾りの多い服を着ていた。
数日前の事だ。
フロレンツが湊斗の部屋に大きな箱を持って現れた。フロレンツは、箱から服を取り出し、湊斗に当てがった。
「いいね。似合うよ」
「これ、何?」
「フローラの誕生パーティー用の服だよ」
「わざわざ作ったの?」
「そうだよ。当日は皆着飾ってくるし、湊斗は注目されるだろうから、良い服を着ていないとおかしいだろ?」
「そういうものなのか……」
「残念なのは、当日僕はきっと、ほとんどミナトのそばにいられないって事だよ。ミナトには、居心地の悪い思いをさせてしまうかもしれない」
「それは仕方ないよ」
「本当にごめん」
そして、今。
フロレンツが言っていたとおり、湊斗にとって、この場はかなり居心地が悪い場所だった。
フロレンツは遠い上座にいて、周りは知らない人ばかりだ。知らない人ばかりなのに、湊斗の方はその外見で外海人である事が一目瞭然だから、皆が湊斗に興味津々といった様子で話し掛けて来る。
初対面の人と立て続けに会話をするのは骨が折れる事だった。
湊斗は話しながら、ふと上座に目をやった。そこには、主役のフローラと、その隣にヴェルナーがいる。ああして並んでいると、既に夫婦のようだ。今まで実感が湧かなかったが、二人は確かに婚約していて、湊斗からは遠い存在なのだと思い知らされた。
高官たちは次々に王族たちのいる上座へ赴き、挨拶をしている。きっと順番や作法があるのだろうが、湊斗は自分も祝いの言葉を述べに行くべきなのか、判断がつかなかった。
そんな折、湊斗の方にカールが近付いてきた。それに気づいた湊斗は安堵の表情を浮かべた。
湊斗の様子を見て、湊斗に話し掛けてきていた高官が一礼し、「それでは」と言って去って行った。
「カール! 良かった。どうしていいか、分からなかったんだ」
「申し訳ありません。来るのが遅くなってしまって」
「俺、どうしたらいいんだ?」
「とりあえず、私と共に挨拶に参りましょう」
「うん」
湊斗は、カールに連れられて王族がいる上座に近付いて行った。
上座の中央に王、その右手に王妃、左手にフロレンツ、フローラ、ヴェルナーがいる。
湊斗は緊張しつつも、頭を下げた。
「本日はおめでとうございます」
王は、「うむ」と頷き、
「ここでの生活はだいぶ慣れたか?」と尋ねてきた。
「はい。だいぶ慣れてきました」
「それは良かった。色々協力してもらう事もあるが、その分生活に不自由ないように取り計らうゆえ、承知して欲しい」
「はい」
湊斗はもう一度一礼し、その場を去った。去り際に、ヴェルナーの方をちらりと見たが、ヴェルナーと目は合わなかった。湊斗は少し寂しく思いつつも、上座に背を向けた。
それからまた、様々な人たちに声を掛けられ、対応に追われた。
疲れたと思い始めた頃、カールが湊斗に、
「お疲れでしたら、お部屋に戻られても大丈夫ですよ。誰も気づきませんし、咎めもしませんので」と言った。
湊斗は、それはありがたいと思った。
「良かった。ありがとう。それじゃ、俺は部屋に戻るよ」
「はい。フロレンツ様にはお伝えしておきます」
湊斗はそっと、大広間を出た。廊下はあまり人気が無く静かだ。湊斗は廊下を進み、階段を上ろうとした。その時、背後から、
「ミナト」と声を掛けられた。
振り返ると、そこにヴェルナーがいた。
「ヴェルナー!」
湊斗は驚いてヴェルナーを見つめた。
「もう帰るのか?」
「うん。なんか、疲れちゃって」
「そうか。もし、もう少しだけ動けるなら、外の空気を吸いに行かないか?」
ヴェルナーの申し出に、湊斗はうれしさを隠し切れなかった。
「気疲れしただけだから、まだ全然大丈夫だよ」
「そうか。では、行こう」
そう言って、ヴェルナーは湊斗を先導して歩き出し、二人は居殿の外へ出た。
外は暗いが、王宮内はあちこちに外灯があるから、夜でも歩けない事はない。
歩きながら、湊斗はヴェルナーに、
「だけど、ヴェルナーが出て来ちゃって大丈夫? フローラの誕生パーティーなのに」と尋ねた。
「もうほとんど挨拶は終わったから問題ない」
二人は王宮の敷地を北に向かって歩いて行った。しばらく行くと、外灯が少ない暗い場所に辿り着いた。そこの水路はプールのように少し広くなっている。近づくと、そのプールのような場所の水がぼんやりと光っていた。
「うわあ。光ってる」
湊斗は近づいて水路の中を覗き込んだ。水の中にぼんやりと光る光の玉が無数にある。
ヴェルナーが、
「海ほたるだ」と言った。
「アクスラントにも海ほたるがいるんだ」
「外海にもいたのか?」
「うん。いたよ。でも、こんな風に見るのは初めてだ。すごくきれいだね」
外灯が少ないのは、海ほたるがきれいに見られるようにするためなのだろう。
湊斗はしばらく、美しい光に目を奪われた。湊斗は、意識を水路に集中させていたが、不意にヴェルナーに右手を握られ、心臓の鼓動が跳ね上がった。ヴェルナーが湊斗の手首に手を移動させた。
「今日は流石にしてるんだな」
そう言って、ヴェルナーは湊斗の手首から腕輪を抜き取った。例のフロレンツからプレゼントされた腕輪だ。今日は晴れの日だから、していないとフロレンツが気を落とすかと思い、はめてきていた。
湊斗はヴェルナーを見つめたが、暗くて表情はうかがえない。
ヴェルナーは腕輪を手にしたまま、
「気に食わないな」とつぶやいた。
「え?」
「ミナトがこれをしているのは気に食わない」
「どういうこと?」
ヴェルナーが水路に一歩近づいた。
湊斗は嫌な予感がして、腕輪を持つヴェルナーの手を両手で掴んだ。
「何しようとしてるんだ?」
「…………」
ヴェルナーは答えなかった。湊斗は、ヴェルナーが腕輪を水路に捨てるつもりではないかと思った。
「ヴェルナー、返して」
湊斗は、ヴェルナーの手から腕輪を奪い返そうと、腕輪をつかんだ。
すると、ヴェルナーがあっさりと腕輪を離したので、湊斗は拍子抜けした。湊斗が動きを止めた次の瞬間、突然ヴェルナーが湊斗を抱きしめてきた。湊斗はあまりに予想外で突然の事に、頭が真っ白になった。
ヴェルナーは黙っている。
湊斗は徐々に落ち着いてきたが、胸の鼓動は早いままだった。触れているヴェルナーの体温が心地よく、ずっとこうしていたくなる。
どうしてヴェルナーはこんな事をするのだろうと湊斗は思った。素直に解釈するなら、湊斗に好意を持っているから、という事になるだろう。しかし、ヴェルナーの背後には政治的な利権が絡んでいる。ヴェルナーは湊斗を自分たちの側に引き入れたいはずだ。そのためには、湊斗の心を奪うのが一番効果的だろう。
ヴェルナーがこんな事をするのは、湊斗を味方にするためなのかもしれない。そう思うと、こうして抱き合っているのはうれしいのに、胸が苦しくなった。
《うれしい……? そうだ。俺はヴェルナーとこうしているとうれしい……》
湊斗はさらにせつない気持ちになった。
《俺、ヴェルナーの事が好きなんだな》
もうとっくに気付いていた事だった。ただ、認めたくなかっただけだ。見事に術中にはまってしまったような、そんな気がしたからだ。でも、どうしようもない。ヴェルナーと一緒にいると楽しくて、時間があっという間に過ぎる。ずっと一緒にいたくて仕方がない。他の男友達とはあきらかに違う。
やがて、ヴェルナーが湊斗を離した。
何か言ってくれるのだろうかと思ったが、ヴェルナーは何事もなかったかのように、
「そろそろ戻らなければ」と言った。
それを聞いて、湊斗は落胆した。嘘でも好きだと言ってくれるのではないかと思ったからだ。
ヴェルナーが、
「明日、議政庁に来られるか?」と湊斗に尋ねてきた。
「うん。行けるよ」
「そうか。ではまた明日会おう」
「うん」
「では、戻ろう」
ヴェルナーは居殿の方に歩き出した。湊斗もヴェルナーについて歩き出した。
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