第11話 ローレンツ邸

 湊斗とヴェルナーは議政庁の地階から船に乗り、王宮を出た。ヴェルナーはいつも船で出勤しているらしい。地階には船頭が控えていたから湊斗は驚いた。船頭は船の持ち主である家に雇われていて、一日中ここで主人を待っているらしい。大変ではないかと湊斗が尋ねると、ヴェルナーは、朝晩船を出すだけでそこそこの給金をもらえるのだから良い仕事だと返した。

 船は王宮を出て少し進むと、壁に囲まれた大きな屋敷に辿り着いた。大きな門をくぐると立派な建物が見える。

「すごい。ここがヴェルナーの家?」

「ああ」

 船は屋敷の中へと入って行った。

 アクスラントの水路は低い位置にあるから、建物に入る場合は建物の地階部分に船着き場があるのが普通のようだ。

 湊斗とヴェルナーは屋敷の中の船着き場で船を降りると、階段を上って屋敷の一階へ出た。

 屋敷は王宮のように派手な内装ではないが、それでも柱に細かな細工が施されているところや、掃除が行き届いているところに、家門の位が高い事を伺わせた。

 ヴェルナーはさらに階段を上り、二階の廊下を進んだ。そして、ある一室の前まで来ると、ドアを開けて、

「入って」と湊斗を促した。

 中に入り、湊斗の心臓の鼓動は大きく跳ね上がった。奥の窓際に机と椅子があり、その左手の壁際には本棚とチェストが置かれている。右手の壁際にはベッドがあった。ここは間違いなくヴェルナーの部屋だ。応接室ではなく、自室に案内されるとは思っていなかったから、湊斗は動揺した。

《いや、普通じゃないか。地上だったら、友だちの家に遊びに行ったらこうだったろう? 大地の部屋にだって、何度も入ったじゃないか》

 湊斗はそう自分に言い聞かせたが、胸の鼓動は収まらなかった。どうしてこんなに緊張するのか、自分でもよく分からない。

 ヴェルナーが椅子を移動させて、

「座って」と言った。

 湊斗は言われたとおり、椅子に座った。

 ヴェルナーはベッドの上に座った。

「ここ、ヴェルナーの部屋?」

 分かってはいるが、湊斗は敢えてそう尋ねた。

「ああ」

「そっか……。へえ……」

 湊斗は部屋を見渡したが、心は上の空だった。

「外出したいと言ってたのに、結局屋内ではつまらないか。街に出るのは怖いだろうから、家なら安心かと思ったんだ」

 ヴェルナーなりの気遣いがあったのだと知り、湊斗はうれしかった。

「いや、大丈夫だよ。王宮以外の場所に来られてうれしいよ」

「それならいいが……。外海では誕生日はどう過ごしてたんだ?」

「家族が祝ってくれたよ。みんなでケーキを食べて、プレゼントをもらって」

「ケーキというのはなんだ?」

「お菓子だよ」

「お菓子か……。プレゼントは、何をもらってたんだ?」

「最近は靴とか、あと音楽が買えるカードとか」

「音楽が買えるカード?」

「外海では、音楽を出せる機械があって、その機械に入れる音楽をお金で買ってたんだよ」

「なるほど。ミナトは音楽が好きなのか?」

「うん。好きなバンド……音楽を演奏する人がいて」

「そうか。外海とここでは生活様式がまるで違うから、参考にならないな」

 湊斗ははっとした。ヴェルナーは湊斗に何かプレゼントしてくれようとしているのだろうか。

 湊斗が気付いたという事を悟ったヴェルナーが、

「何か用意しようと思ったのだが、何をあげればミナトが喜ぶのか分からなくて、用意できなかったんだ」と言った。

 湊斗は胸が熱くなった。

「ありがとう。その気持ちだけで充分うれしいよ。だいたい、こうして一緒に外に出て、家に来て、しかも部屋に入れてくれた事がすごくうれしい」

「……そんな事を言われたら、なおさら何かあげたくなるな」

 ヴェルナーはそう言うと立ち上がり、チェストの方へ歩いて行った。そして、チェストから何かを取り出して戻って来ると、湊斗の前に立ち、湊斗の右手を手に取った。ヴェルナーは湊斗の掌に何かを乗せた。それは、透明感のある黒い石が付いたカフスボタンだった。

「これは……?」

「カフスボタンだ。今ミナトが来ているシャツには付けられないから、今度仕立ててあげよう」

 湊斗は驚いてヴェルナーを見上げた。

「いや、そんな、いいよ」

「私があげたいんだ」

 そう言いながら、ヴェルナーは湊斗の背後に回り込んだ。

「肩幅は私と同じくらいか」

 ヴェルナーが湊斗の両肩に両手を添えた。ヴェルナーに触れられて、少し落ち着いてきた湊斗の胸の鼓動は再び激しくなった。

 ヴェルナーは湊斗の肩から手を離して、今度は腕を湊斗の腕に付けてきた。

「腕も大体同じぐらいの長さだから、私と同じ寸法で作れば良いかな」

「ヴェルナー、ほんとに、いいから」

「だめだ。せっかくのボタンを付けられなければ意味がない」

「それならさ、ヴェルナーが着なくなったシャツをくれればいいよ」

 湊斗は遠慮して言ったのだが、ヴェルナーの動きが一瞬止まり、微かに笑みを浮かべたような、不思議な表情をした。

 それから、「分かった」と言って、再びチェストの方へ歩いて行った。

 戻って来たヴェルナーは白いシャツを広げ、湊斗に当てがった。そして、湊斗を眺めまわして、

「良さそうだな。着てみてくれ」と言った。

 湊斗は目を見開いた。

「今、ここで?」

「ああ」

 湊斗は立ち上がり、カフスボタンを椅子の上に置いて、ヴェルナーからシャツを受け取った。ヴェルナーは湊斗のすぐそばに立ち、腕を組んだ体勢でじっと湊斗を見つめている。

《そんなに見られたら着替えづらいんだけど……》

 湊斗はさりげなくヴェルナーから離れると、ヴェルナーに背を向けてベストとシャツのボタンを外し始めた。

 ボタンを外し終えると、ベストとシャツを一気に脱ぎ捨て、ヴェルナーのシャツに素早く袖を通した。

 ヴェルナーが近づいてきて、湊斗の足元に落ちたシャツとベストを拾い上げた。

 湊斗は、シャツのボタンを留めると、ヴェルナーを振り返り、

「ちょうど良さそうだよ」と言った。

 ヴェルナーが、湊斗の姿を見てふっと吹き出した。それから、湊斗に近づくと、

「掛け違っている」

と言って、湊斗のボタンを上から外し、直し始めた。

 湊斗は、顔から火が出そうな思いだった。恥ずかしくて、ヴェルナーの方をまともに見られない。シャツを伝って、自分の心臓の鼓動がヴェルナーの手に伝わってしまうのではないかと思った。

 ボタンをすべて直し終えると、ヴェルナーが湊斗の手を引いてベッドの上に座らせた。そして、椅子の上のカフスボタンを手に取り、湊斗の袖口に付け始めた。

 湊斗は、されるがままにぼんやりと座っていた。俯くヴェルナーの顔を見つめながら、

《まつげ長いな》と思ったりした。

「どう?」

 ヴェルナーが上目遣いに湊斗を見て尋ねてきたが、湊斗はぼんやりとしたままだった。

 ヴェルナーが湊斗の腕に手を添え、

「ミナト?」と湊斗の顔を覗き込んだ。

 湊斗は、やっと我に帰り、

「うん。すごく良いよ。ありがとう」と、なるべく平静を装って言った。

「似合ってるよ」

 ヴェルナーが湊斗の服に触れ、整えようとし出したので、湊斗は慌てて立ち上がり、

「自分でやるから、大丈夫」と言って、シャツの裾をズボンに入れた。

「着て帰るのか?」

 ヴェルナーが尋ねてきたので、湊斗は「うん」と答えた。もう一度ヴェルナーの前で着替えるのは恥ずかしすぎる。

 ヴェルナーが湊斗のベストを差し出した。

 湊斗はそれを受け取ってシャツの上に着た。ヴェルナーは元々湊斗が来ていたシャツを簡単に畳んでベッドの上に置いた。

「帰りに忘れないようにな」

「うん。そうだね」

 それから二人は、ベッドに並んで座ったまま談笑をした。そして気が付くと、正午を回り午後になっていた。

 湊斗は、ローレンツ邸で昼食をごちそうになった。

 食事を終えるとヴェルナーが、

「少し家の中を案内しようか?」と言った。

「うん」

 湊斗は頷いた。

 それから二人は、屋敷の中を歩き回った。そうしているうちに、あっという間に夕方近くになってしまった。

 湊斗は名残惜しかったが、そろそろ王宮に帰らなければと思った。いや、本当はもっと早くに帰らなければならなかったのだが、楽しくて、ここまで引き延ばしてしまった。

「そろそろ帰らないと」

「そうか。いっそ泊められればいいが、そういうわけにもいかないからな」

 湊斗とヴェルナーは地下から再び船に乗り、王宮へと戻った。

 議政庁の地下で船を降りると、ヴェルナーが湊斗に風呂敷包みのような物を手渡した。湊斗が来ていたシャツを包んでくれたのだ。

「送ってくれてありがとう」

「いや。外まで一緒に行こう」

 ヴェルナーは議政庁の外まで湊斗を見送り、戻って行った。

 湊斗は居殿に戻った。フロレンツは既に湊斗の部屋に来ただろうか。まだ来ていなければ良いのにと思いつつ、今更ながら急いで部屋に戻った。

 部屋のドアを開けると、ソファーに座っていたフロレンツが立ち上がった。

「ミナト!」

 フロレンツが待っているとは思わなかったから、湊斗は驚いた。そして、フロレンツのうれしそうな顔を見て、罪悪感を覚えた。

 テーブルの上には食事が用意されている。

「待っててくれたんだね。ごめん」

 フロレンツは嫌な顔一つせず、ほほ笑んで、

「大丈夫だよ。お誕生日おめでとう」と言った。

「ありがとう」

 フロレンツが、

「スープを新しいのに変えてもらうから、ミナトは座ってて」と言った。

「もしかして……。昼から待ってた?」

 この食事は昼食用だったのではないかと思い、湊斗の背中を冷たい汗が伝った。

「大して待ってないよ」

 フロレンツの答えを聞いて、間違いなく、フロレンツは昼からここで湊斗を待っていて、恐らく食事もしていないのだと悟った。

「本当にごめん。フロレンツ」

「いいから、座って」

 フロレンツがそう言いながら、ドアに向かうため、湊斗の方へ歩いて来た。そして、湊斗のそばまで来て動きを止めた。その顔は青ざめている。

 湊斗がどうしたのかと尋ねる前に、フロレンツが、

「頼んでくるから、少し待ってて」と言って、部屋を出て行ってしまった。

 湊斗は何だったのだろうと考えを巡らせ、思い当たって自らの服を見た。フロレンツは、湊斗がヴェルナーのシャツを着ている事に気付いたのではないだろうか。いや、きっとそうに違いない。

《まずい……》

 湊斗は急いで寝室へ行き、持っていた包みを解いて、シャツを着替えた。

 おそらく自分はフロレンツをいたく傷つけてしまったに違いない。フロレンツが祝ってくれるつもりだという事を知っていたのにヴェルナーと出掛け、フロレンツを長時間待たせてしまった。

《ごめん。フロレンツ……》

 先ほどまでの楽しい気分から一転、フロレンツへの申し訳なさで、湊斗は胸が押し潰されそうだった。

 しばらくして部屋に戻って来たフロレンツはいつもどおりの様子だったが、それがさらに湊斗の罪悪感を増幅させた。

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