第10話 十七歳の誕生日
十二月二十七日。
湊斗は目覚めると、十七歳になったのだとしみじみ思った。地上にいたら、家族が祝ってくれただろう。家族はきっと湊斗が死んだと思っているはずだ。悲しい思いをしているに違いない。考えてしまうと気分が落ち込むので、普段はあまり考えないようにしていたが、誕生日の今日はどうしても家族を思い出してしまう。家族の事を思うと、湊斗の胸は痛んだ。
着替えて朝食を摂り、いつものように学者たちが来るのを待っていると、部屋のドアがノックされた。
「はい」
湊斗が答えると、
「カールです。入ってもよろしいですか?」と声がした。
「いいよ」
ドアが開き、カールが部屋の中に入って来た。
「おはようございます」
「おはよう」
「王太子殿下に申し付けられて参りました」
「どうしたの?」
「今日は学者たちの聞き取りはお休みにするので、ゆっくり過ごされて欲しいとの事です」
「え? どうして?」
「今日、お誕生日だそうですね」
「うん。あ、それで、気を遣ってくれたのか?」
「はい」
フロレンツが湊斗の誕生日を覚えていてくれたのは驚きであり、また、本当に心遣いが細やかな人だと思った。
「王太子殿下は今日の業務が片付いたら、誕生日を祝いたいとの事でした」
「そっか……。ありがたいな」
「ですので、王太子殿下がいらっしゃるまでの間、お部屋でお待ち下さい」
「うん。分かったよ」
湊斗は答えたが、カールが何か言いたげに湊斗の顔を見つめてきた。湊斗がなんだろうと思っていると、カールが口を開いた。
「議政庁には行かないで下さい」
湊斗はどきりとした。薄々そうではないかと思っていたが、やはりカールは、湊斗が頻繁に議政庁に行っている事に気付いていたのだ。そしてきっと、フロレンツも気付いているのだろう。
湊斗が黙っていると、カールが厳しい視線を湊斗に向けた。
「前にも申し上げましたが、王太子殿下にとってローレンツ議政官は政敵です。あなたが議政庁に足しげく通う事によって、王太子殿下は傷ついておられます」
「フロレンツが傷ついている……?」
湊斗はそこまでとは思っていなかったから、フロレンツに申し訳ない気がした。
「はい。王太子殿下はあなたの恩人です。ですから、王太子殿下が傷つくような事はなさらないで下さい」
湊斗は目を伏せた。
「俺は、ヴェルナーの味方をしてフロレンツを困らせようとは思ってないよ」
「あなたがローレンツ議政官と親しくなさる事自体が、王太子殿下を困らせる事になるのです」
「…………」
「とにかく、ローレンツ議政官に会われるのは控えて下さい」
カールはそう言って、部屋を出て行った。
湊斗はソファーに座り、大きく息を吐いた。ヴェルナーとはせっかく仲良くなれたのに、今更距離を置く事などできない。
湊斗は、ヴェルナーの事をあれこれ考えだした。最初にくらべ、最近はだいぶ打ち解けて、緊張感は全くなくなった。ヴェルナーも湊斗といる時は、自然体でいてくれているような気がする。ヴェルナーはあまり感情を表に出さないタイプだが、それでも時々笑顔が見えると、湊斗はそれだけでうれしかった。
《もう出勤してるのかな》
湊斗は立ち上がり、バルコニーに出た。議政庁のある方に目をやると、真下から、
「ミナト!」と声がしたので、湊斗は下に視線を移した。バルコニーの下にヴェルナーが立っていて、こちらを見つめている。
「ヴェルナー!」
思っていた人が目の前にいたので、湊斗は驚いた。
「おはよう」
「おはよう。そこにいたんだね」
湊斗は笑顔で身を乗り出した。
湊斗は、先ほどカールに釘を刺されたばかりで気が引けたが、少しだけヴェルナーと話がしたいと思った。
「ちょっと待ってて。そっちへ行くから」
湊斗はそう言って、ヴェルナーの元へ向かった。
ヴェルナーはバルコニーの下で湊斗を待っていてくれた。
湊斗は息を切らしながら、
「これから出勤なのに、ごめん」と言った。
「いや、ミナトに会いたいと思ってここにいたんだ。声を掛けるか迷っていた」
その言葉に、湊斗の心は撃ち抜かれた。
「会いたいとか、すごいうれしい」
湊斗は一瞬で浮かれたが、ヴェルナーは言葉とは裏腹に冷静な表情だった。
「今日はミナトの誕生日だと聞いたから」
「そうなんだ」
ヴェルナーが誕生日を知っていてくれたのはうれしかったが、それはフローラからの情報に違いないから、フローラとヴェルナーの情報交換の密さを思い知らされて複雑な気分になった。
「おめでとう」
「ありがとう」
「今日もこれから聴取があるんだろう?」
「それが、フロレンツが気を遣ってくれて、今日は休みなんだ」
「そうなのか……」
「うん」
ヴェルナーは少し考える素振りを見せ、それから湊斗に、
「では、これから一緒に出掛けるか?」と言った。
湊斗は驚いて目を丸めた。
「出掛ける?」
「ああ。前に言っていただろう? 私と一緒に出掛けたいと」
「言ったけど……。仕事は? これから仕事じゃないの?」
「今日は大した仕事はないからどうにでもなる」
湊斗は、ヴェルナーと一緒に出掛けるという誘惑に勝てなかった。
「じゃあ、行くよ」
「そうか。では、行こう」
湊斗はヴェルナーと並んで歩き出した。
二人は議政庁の建物に入った。ヴェルナーは、いつもの執務室を通り過ぎて廊下を進んで行った。すると、途中で官吏に呼び止められた。
「ローレンツ様」
「何でしょうか?」
ヴェルナーは足を止めて官吏を振り返った。
「どちらへ行かれるのですか?」
「少し家に戻るつもりです」
湊斗はそれを聞いて、ヴェルナーは自宅へ湊斗を連れて行こうとしているのだと思った。
「先ほど、宰相がお見えになって、執務室でお待ちです」
「宰相が?」
「はい」
「分かりました。ありがとうございます」
官吏は一礼して去って行った。
ヴェルナーが湊斗を見た。
「少しだけ、ここで待っていてくれるか?」
「うん。いいよ」
ヴェルナーは引き返し、執務室へ入って行った。
湊斗は、何かあったのだろうかと心配になった。宰相というのはヴェルナーの父親の事だ。何かあったからヴェルナーを待っていたのではないだろうか。このまま、ヴェルナーとの外出がなくなりそうな気がして、湊斗は胸騒ぎを覚えた。そして、良くない事とは思いつつも、そっと執務室のドアに近付き、聞き耳を立てた。
部屋の中から男性の声が聞こえる。
「……は、前文に書くより本文に書くべきであったろう。次の資料はできているのか? できているなら事前に持ってきなさい。それから、二十日の議事録だが、三ページ目のベルツ行政官の発言は要約しすぎだ。肝心の、現行体制に対する発言が抜けている。おまえは目を通したのか? 無能な者たちに任せていては、仕事の質が落ちるぞ。それから、今度の法令案は、軍務長官に提出する前に、刑法長官に意見を伺うように。それから……」
聞いていて、湊斗は辟易した。それは、詳しい内容を知らない湊斗にも分かる、とても細かい小言だった。
《いつもこんななのかな……?》
父親がこんな人だったら嫌だなと湊斗は思った。上から物を言いたいがために、無理やりあら探しをしているようにしか思えない。
宰相は一通りの小言を終えると、執務室から出て来た。
湊斗は慌てて執務室のドアから離れた。
出て来たのは四十代と思しき男性で、やせ型で神経質そうな顔をしていた。あれが宰相で、ヴェルナーの父親だ。鼻筋が通っているところはヴェルナーと少し似ているが、ヴェルナーのような美形ではない。ヴェルナーは母親似なのか、両親の良いとこ取りなのかな、と湊斗は思った。
それから少し遅れて、ヴェルナーが出て来て、湊斗の方へ歩いてきた。
「ミナト、待たせてすまなかった」
「いや、全然大丈夫だよ」
「行こう」
「うん」
歩きながら、湊斗はヴェルナーの横顔を伺った。その表情はいつもと全く変わりない。
湊斗は、
「さっき出て行ったのが、ヴェルナーのお父さん?」と尋ねた。
「ああ。私の父だ」
「そうなんだ。お父さんって、どんな人?」
湊斗が尋ねると、ヴェルナーが湊斗を見た。
「とても優秀な方だ」
「そうなんだ……」
なんだか、自分の父親の紹介とは思えない台詞だと湊斗は思った。ヴェルナーの日常を垣間見た気がして、湊斗はヴェルナーの事を増々知りたくなった。
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