第8話 軍務庁の訓練
翌日、学者たちからの聴取を終えた湊斗は、自室に戻るとバルコニーに出て下を覗き込んだ。歩いている人は誰もいない。
《今日はもう通り過ぎちゃったかな……》
湊斗はしばらくの間、バルコニーから下の様子を伺った。
しばらくして、部屋のドアをノックされた。
「はい」
湊斗は答えながら部屋の中に戻った。
ドアが開き、顔をのぞかせたのはフロレンツだった。
「お茶を飲もう」
フロレンツの後ろに茶器を持った男性が控えていて、フロレンツと共に部屋に入ると、テーブルにお茶を用意して部屋を出て行った。
湊斗とフロレンツはテーブルを挟んで座った。
「もうそろそろ、学者たちも訊きたい事がなくなってきてるんじゃないのか?」
フロレンツが湊斗に尋ねた。
「そうでもないよ。何か一つ話すとそこから色々派生して、いつの間にか時間が過ぎちゃって。まだまだ訊きたい事がいっぱいありそうだよ」
「そうか。じゃあまだまだ終わりそうにないな」
「そうだね」
「でも、一人でいるよりは質問されている方がいい?」
「それはそうかな。どうせやる事なくて暇だし。あ、昨日、ヴェルナーに会ったよ」
「ヴェルナーに? どこで会ったんだ?」
「バルコニーにいたらちょうど下を歩いてたんだ。フロレンツが言っていたとおり、すごい美形でびっくりしたよ」
「話をしたのか?」
「うん」
「どうだった?」
「頭がいい人なんだろうなって思ったよ」
「そうか。やっぱり、少し話せば分かるものなんだな」
「ヴェルナーってどんな人なのかな?」
「優秀で礼儀正しくて、非の打ちどころのない人だよ」
フロレンツの答えは以前と同じだった。
「フロレンツは、ヴェルナーと親しくはないの?」
その質問に、フロレンツは複雑な表情を浮かべた。
「親しいという事はないかな。僕の立場だと、向こうも気軽には話せないだろうし」
「そっか。それはそうだよな。ヴェルナーは王宮に住んでるの?」
「王宮には住んでいないよ。宰相は王宮の近くに邸宅を構えている」
「そうなんだ。じゃあ、通ってきてるんだ。議政庁って、優秀な人が配属される部署なの?」
「そうだな。王宮の官吏は皆優秀だけど、議政庁は特に優秀な官吏が多いよ。その中でもヴェルナーは一番若い官吏なんだ」
「へえ。やっぱりすごいんだな」
フロレンツが湊斗をじっと見つめた。
「ヴェルナーに興味があるの?」
湊斗は、はっとして顔を赤らめた。
「うん。どういう人なのか気になって。なんかミステリアスな雰囲気だったから」
「ミナトは、そういう人が好きなのか?」
「好きっていうか、気になっただけだよ」
「ふうん」
フロレンツは少しむっとしたような表情を浮かべている。フロレンツがこういう顔をするのを湊斗は初めて見た。
《まるで嫉妬してるみたい……》
湊斗は、ひょっとするとフロレンツとヴェルナーはライバル関係にあるのかもしれないと思った。二人の王宮での関係性は湊斗の知るところではない。
「フロレンツは相変わらず忙しい?」
湊斗は話題を変えた。
「そうだね。色々と予定が詰まっているよ。今日もこれから軍務庁の訓練に参加するんだ」
「そうなんだ」
「暇だったら見学してみる?」
フロレンツの申し出に、湊斗は、
「見学してもいいの?」と訊き返した。
「うん。遠くから見ている分には構わないよ。飽きたら途中で帰ってもいいし」
「じゃあ、見に行くよ」
湊斗が答えると、フロレンツがうれしそうにほほ笑んだ。
軍務庁というのは、アクスラントの治安を守るための部署で、警察と自衛隊を掛け合わせたような役割を果たす部署らしい。
軍務庁の訓練は、隊列を組む練習や、体術や剣術の実践練習だった。剣術の練習にはフロレンツも自ら参加し、剣を振るった。フロレンツの剣術は相当な腕前で、軍務庁には誰も敵う者がいなかった。普段穏やかで優しいフロレンツが真剣な表情で剣を振る姿にはギャップがある。
《かっこいいな》
湊斗はフロレンツの雄姿に見とれた。
しばらく剣術の訓練を見つめていると、湊斗の視界の端にヴェルナーの姿が映った。ヴェルナーは、軍務庁の建物から出て来て、訓練が行われている広場を回り込むように歩いて行く。
ヴェルナーがこちらの方に少し顔を向けたので、湊斗は気付いてもらおうと右手を振った。ヴェルナーは湊斗に気付いて、少しだけ立ち止まり、軽く右手を上げると、視線を逸らして再び歩き出した。
湊斗はヴェルナーの方に駆け寄っていった。
「ヴェルナー、ここに用があったの?」
「ああ。ミナトは見学か?」
「うん。訓練を見せてもらってたんだ」
その時、不意に背後の広場から人々が驚くような声が上がった。
湊斗が広場の方に目を向けると、フロレンツが剣を落としており、周りの官吏たちが驚いた様子でフロレンツを見つめていた。
一体どうしたのだろうと、湊斗はその様子を見つめた。
すると、
「ミナト」と、ヴェルナーに呼びかけられたので、湊斗はヴェルナーの方に向き直った。
「私はもう行く」
「うん。そっか」
「今度、議政庁に来るといい」
意外な言葉に、湊斗は驚いた。
「え? 行っていいの?」
「ああ」
「じゃあ、今度行くよ」
「ああ。それでは」
ヴェルナーはそう言って去って行った。湊斗はその後姿を見送った。
それから、湊斗は訓練の見学に戻った。先ほど剣を落としていたフロレンツは、復活して剣を振るっていた。
訓練が終わると、フロレンツが湊斗の元へやってきた。
「どうだった?」
「迫力があってすごかったよ」
「疲れただろ? 部屋まで送りたいけど、僕はまだ総括があるから、帰れないんだ」
「大丈夫だよ。もう居殿の場所は分かるから、一人で帰れるよ」
すると、少し離れて話を聞いていたカールが近付いてきた。
「私が送りましょう」
フロレンツがカールに、
「じゃあ、頼む」と言った。
湊斗はカールと共に居殿に戻った。
湊斗の部屋に着くと、カールが、
「少しお話があるのですが、中に入ってもよろしいですか?」と言った。
湊斗はなんだろうと思いつつ、
「いいよ」と答えた。
二人は湊斗の部屋に入り、ドアを閉めた。
「先ほど、ローレンツ議政官とお話されていましたね?」
ローレンツ議政官とは、ヴェルナーの事だ。
「うん。話してたよ」
「親しいのですか?」
「親しいってほどじゃないよ。昨日会ったばかりだし」
カールの表情は浮かなかった。
「ご存じないかと思いますが、ローレンツ議政官は王太子殿下の政敵なのです」
フロレンツの様子から、もしかしたらそうなのではないかという予感がしていたが、当たっていたのだと湊斗は思った。
カールは、
「ですから、ローレンツ議政官とはあまり親しくなさらないで頂きたいのです」と言った。
「前に言ってた、フロレンツと対立している勢力っていうのが、ヴェルナーって事?」
「はい。ですが、正確には、ローレンツ議政官の父である宰相の支持を受けているフローラ様です」
湊斗は驚いた。
「フローラ? フローラって、フロレンツの妹の?」
「はい」
「でも、フロレンツと俺とフローラでお茶飲んだばかりだけど?」
「表立って対立しているわけではないのです。王様がご健在のうちは、この状態が続くでしょう。表向きは無難に取り繕っていますが、フローラ様の派閥は着々と支持の地盤を固め、王太子殿下の支持力を弱めようと画策しています。お気をつけ下さい。フローラ様も宰相もローレンツ議政官も、大変狡猾な方です。あなたに取り入ろうとして来るかもしれませんし、あなたに危害を加えてくるおそれもあります」
「フローラが王位を狙ってるって事?」
「はい。そうです」
湊斗は口を開けて唖然とした。兄妹で、しかも女の子のフローラがそんな大それた事を考えるなんて信じられない。しかし、お茶会の時に感じた違和感はこのせいだったのかと、納得できる部分もあった。
「フロレンツも認識してるの?」
「はい。ですが、王太子殿下はお優しい方ですので、実の妹であるフローラ様の事を排除しようとはなさりません。ローレンツ議政官に対しても争う素振りを見せませんし、それどころか、ローレンツ議政官の才能をお認めになってしまっていて、自ら譲位する事すら有り得るのではないかと思えてしまうほどです。ですが、次の王には必ず、慈悲深い王太子殿下が就かれるべきです。もし、冷酷なフローラ様とローレンツ議政官が王位を手にすれば、アクスラントの民に不幸をもたらす事でしょう。国のために、それは絶対に避けなければなりません。ですから、あなたには王太子殿下の味方でいて頂きたいのです。どうか、お願いです」
カールが湊斗に頭を下げた。
湊斗は、「分かったよ」と答えたが、内心は複雑な想いだった。
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