第7話 宰相の息子

 お茶会の翌日、いつものように学者たちの相手をした後、湊斗はバルコニーへ出た。城の周りは高い塀で囲まれているから、外の様子は見えないが、日の光をそのまま取り入れている天蓋の下にいる方が、気分が晴れる気がする。城の庭は、植物がないから色味は寂しいが、あちこちに水路が張り巡らされていて美しい景色だ。

 湊斗はふと、右手首に目をやった。フロレンツからもらった腕輪が天蓋の光を受けて光っている。昨日、フローラから聞いた話を思い出し、湊斗は腕輪を外した。

《親愛の気持ちってことなのかな》

 湊斗は、天蓋に向けて腕輪をかざしてみた。そうすると、石の色が薄く見えて、また違った雰囲気になる。

「きれいだな」

 その時、湊斗はふと視線を感じて、下に目をやった。湊斗の部屋の真下に誰かがいてこちらを見ている。人に見られているとは思っていなかったから湊斗は動揺した。そして、注意がそれた瞬間、手にしていた腕輪を下に落としてしまった。

「あ!」

 腕輪は、下の人の足元に落ちた。

「すみません! すぐ行きます!」

 湊斗はその人に向かって叫ぶと、部屋の中に急いで戻り、部屋を出て廊下を走ると、階段を駆け下りた。

 先ほど上から見た人は、その場に留まっていた。手には湊斗の腕輪を持っている。

 湊斗はその人に駆け寄り、

「すみませんでした。びっくりしましたよね?」と謝りながら、その人の顔を見た。そして、思わず息を呑んだ。

 目の前にいるのは、自分より少し年上と思われる年頃の少年だ。栗色の髪に栗色の目をしている。顔が小さく、目は大きいがどこか涼し気な印象で、鼻筋が通っている。思わず見とれてしまうほどの、とんでもない美少年だった。

 少年が湊斗に、

「大丈夫です。当たりはしませんでしたから」と言って腕輪を差し出した。所作がどことなく上品だ。

「ありがとうございます」

 湊斗は少年から腕輪を受け取って頭を下げた。

「あなたが外海から来た方ですね?」

 この人も湊斗の存在を知っていたのかと湊斗は思った。

「はい。外海から来ました、氷川湊斗と言います」

「はじめまして。私はヴェルナー・ローレンツと申します」

 その名を聞いて、湊斗は驚いた。昨日フロレンツとフローラから話を聞いた、宰相の息子で、フローラの婚約者だ。

「あの、フロレンツ……様とフローラ様からお話は伺ってました」

「そうなのですか。王太子殿下と王女様に話題にして頂けたとは光栄です。お二人は私の事を何とおっしゃられていたのですか?」

「宰相の息子さんで、とても優秀な方だと」

「それは、増々光栄です」

 ヴェルナーはそう言ったが、湊斗にはなぜかその言葉が本心ではないような、そんな気がした。

 ヴェルナーが、

「王太子殿下と、とても親しくなさっているそうですね」と言った。

「はい。とても親切にしてくれています」

 ヴェルナーが、湊斗が持つ腕輪に視線を向け、

「それは、どうしたのですか?」と尋ねてきた。

 湊斗は少し戸惑ったが、正直に、

「フロレンツ様から頂いたんです」と答えた。

 案の定、それを聞いたヴェルナーが少し驚いた様子で目を見開いた。

「フロレンツ様からですか」

「はい」

「それは……。とても好かれているのですね」

 湊斗は、ヴェルナーが誤解をしているような気がして、慌てて両手を振った。

「あの、これはフロレンツが俺に気を遣ってくれて、それでくれたもので、変な意味はないんです」

「そんなに必死にならなくても大丈夫です。その様子を見ると、アクスラントで腕輪を贈る意味はご存じのようですね」

「はい。まあ……」

「アクスラントでは、本当に好きな人にしか腕輪はプレゼントしないのです。ですから、王太子殿下があなたを特別に好きだという事は間違いありませんね」

 湊斗は思わず顔を赤らめた。

「まさか、それって、フロレンツが俺を好きって事?」

「どういう意味での好きかは分かりませんが、そういう事です」

 湊斗は、フロレンツが湊斗に特別な感情を抱いているとしたら、と想像した。これまでのフロレンツの湊斗に対する言動を思い返すと、そういう想像も難しくはない。そこまで思って、湊斗は慌ててその考えを打ち消した。

《まさか、そんなはずないよな。そんな事想像したら、フロレンツに失礼だ》

 湊斗は、腕輪を付けずにポケットの中にしまった。それから、話題を自分の事からそらそうと考えた。

「あの、えっと……、ヴェルナーって呼んでも大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ」

「あと、敬語やめてもいいですか?」

「構いません」

「できれば、そっちも敬語やめて欲しいんだけど……」

 ヴェルナーの方が年上だと知っていて、ヴェルナーが敬語を使っているのに、自分だけため口で話すことはできない。

 ヴェルナーは頷いた。

「分かった。私は何と呼んだらいい?」

「湊斗でいいよ。良かった。実は俺、フロレンツやフローラにも敬語使ってなくて。それなのにヴェルナーに敬語なのはおかしいだろ?」

「王太子殿下と王女様にそういう風に話せるのはこの王宮でミナトだけだろうな」

「失礼かな?」

「いや、王太子殿下と王女様が許されているのなら問題ないのではないか? ミナトはアクスラントの貴賓で、アクスラントの身分には縛られていないのだから」

「そっか」

 湊斗はほっとした。

 そして、本題とばかりに、ヴェルナーに尋ねた。

「ヴェルナーはフローラと婚約してるんだろ?」

「ああ。それも聞いていたのか」

「うん。あのさ、フローラには聞きにくかったんだけど、そういうのって、正直どうなの?」

「どうとは?」

「人に結婚相手を決められて、本当は嫌じゃないのかなって」

 すると、ヴェルナーが目を丸めた。

「訊きにくい事を随分はっきりと訊いてくるのだな」

「だって、外海では、俺たちぐらいの歳で婚約者がいる人なんて、ほとんどいないから」

「アクスラントの者からは絶対にない質問だ。嫌かどうかという事なら、嫌ではない」

「そうなんだ。じゃあ、フローラの事好きなの?」

「そういう風に語るのは畏れ多い存在だ。私にとって光栄な事であるのは間違いない」

 つまり、恋愛感情はないという事だなと湊斗は悟った。

「腕輪のプレゼントはできなさそうだね」

 婉曲的に、そして、多少皮肉を込めて湊斗が言うと、ヴェルナーが湊斗をなるほどといった目つきで見た。

「将来的には分からないが、少なくとも今は贈る事はないだろう」

 ヴェルナーはうまい言いまわしで湊斗の言う事を肯定した。フロレンツがヴェルナーの事をとても賢い人だと言っていたが、本当にそのとおりだと湊斗は思った。湊斗はヴェルナーに興味を持った。

「ヴェルナーは働いてるの?」

「ああ。私は議政庁の官吏だ」

「議政庁って何をする所?」

「法律を作る所だ」

「へえ。その歳で、そんな難しそうな仕事してるんだ」

「私の歳も知っているのだな」

「うん」

「ミナトはいくつだ?」

「俺は十六だよ。フローラと同い年」

「そうか。ではあまり変わらないな。外海では我々の歳で私のような仕事をするのは珍しい事か?」

「そりゃ、もう。外海では同じぐらいの歳の人は、ほとんど学生だよ。俺も学生だったし。働いている人もいるけど、法律作る仕事なんて、そんな仕事をしている人はいないよ」

「そうか。アクスラントでも実は一般的なわけではない。一般庶民は学生か、働いていても家業を継いでいる形だ。私の場合、家業を継いだ結果がこの仕事という事だが」

 ヴェルナーのような人は特殊だと知り、湊斗は安心した。そして、ヴェルナーはよっぽど優秀なのだろうと思った。

「お父さん、宰相なんだよね? 王族の次に偉い人なんだろ?」

「位は高いな」

「ヴェルナーは跡取りなの?」

「家の後は継ぐが、父と同じく宰相となるかどうかは分からない」

「そっか」

 湊斗は、なんだか大変そうだと思った。ヴェルナーは表情も所作もどこか大人びていて、同年代とは思えない。きっと、子供の頃から宰相の息子として、厳しい教育を受けてきたのだろう。

 湊斗はヴェルナーに、

「息抜きとかしてるの?」と尋ねた。

「息抜き?」

「たまには遊びに行ったりするだろ?」

 湊斗はそう言いつつ、アクスラントで「遊ぶ」とはどういう事だろうと思った。アクスラントにどういう娯楽があるのか、湊斗はまだよく知らない。映画館や遊園地があるとは思えなかった。

「遊びに行くというのは、例えばどういう事だ?」

 ヴェルナーに逆に訊かれて、湊斗は確かに、と思った。

「外海では色々娯楽があって、友だちと出掛けたりしてたけど。友だちと出掛けたりしないの?」

「私には共に出掛けるような友人はいない」

 ヴェルナーは淡々と答えた。友だちがいないというのはなかなか言いにくい事のように思えるが、ヴェルナーは特に気にしていないようだ。少しハードルが高いようにも思えるが、湊斗は、自分が友だちになりたいと考えだした。

「じゃあ、そのうち俺と一緒に出掛けようよ。アクスラントに遊ぶ場所があるのか分からないけど、訊いておくよ」

 ヴェルナーが唖然とした様子で、

「私と? 出掛けるのか?」と尋ねてきた。

「うん」

 湊斗はそこまで言って、街で襲われた時の事を思い出して黙った。

「どうした?」

「いや、出掛けたいけど、俺、外に出ると襲われるかも」

「それは、どういう事だ?」

「フロレンツと一緒に出掛けた時、外で剣を持った人に襲われたんだ。アクスラントには、外海人を良く思わない人がいるんだろ?」

「…………」

 ヴェルナーは一瞬何かを考えるようなそぶりを見せ、そして口を開いた。

「そういう者も一部にはいるが、そう多くいるわけではない。怖かったか?」

「そりゃもちろん、怖かったよ。殺されかけるなんて、生まれて初めてだったから」

「そうか。それなら、無理に出掛ける必要はない。第一、私と共に出掛ける事に意味などないだろう?」

 湊斗は、《冷たい》と内心思いつつ、一緒に出掛けるのは無理かと思った。

「そうだな。……ヴェルナーは、よくここを通るの?」

「たまに通る。あれが議政庁だから」

 ヴェルナーが居殿の北西方向に建つ建物を指差した。

「じゃあ、見かけたら声を掛けるよ。あそこが俺の部屋だから」

 湊斗は頭上のバルコニーを指差した。

「そうか」

「部屋に遊びに来てもいいよ」

 ヴェルナーが少し呆れたような表情を浮かべた。

「私は王族の居所に入る事はできない」

「そうなんだ……」

「そろそろ行かねばならない。失礼する」

「うん。それじゃ、またね」

 ヴェルナーは議政庁の方へ去って行った。湊斗はその後姿を見送った。

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