第5話 初めての外出

 毎日部屋に学者たちが来て、様々な質問に答え、その後はフロレンツが来る日もあれば来ない日もある。そんな日々が続いた。

 ある日、フロレンツが部屋にやってきて、街に行こうと誘ってきた。久しぶりに王宮の外に出られるのはうれしい。

 湊斗とフロレンツはカールと従者二人を従えて、船に乗って王宮を出た。王宮に初めて来た時と全く同じ面子だ。

 船は二人の船頭に操られ、水路を優雅に進んでいく。

 隣に座るフロレンツはいつもより軽装だ。街になじむ恰好をしているのだろう。

「本当はもっと早くに出掛けたかったけど、なかなか時間が作れなくて。今日は絶対に予定を入れないって決めてたんだ」

 フロレンツは王太子だけあって毎日忙しいようだ。湊斗の様子は頻繁に見に来たが、それも短い時間だったし、来られない日も多かった。

「フロレンツはいつも忙しそうだよね。仕事がいっぱいあるの?」

「目を通さなきゃならない書類がたくさんあるし、会議や講義もあるから、なかなかまとまった時間が作れないんだ」

「大変だな」

「そんな事を言ってくれるのはミナトだけだよ。他の人は、王太子だからこなして当然だと思っているから。僕はまだまだだけどね。僕なんかより、ずっと王に向いてる人がいると思うよ」

 フロレンツの言葉に、カールが顔をしかめた。

「そのような事をおっしゃらないで下さい」

「冗談だよ」

 フロレンツは笑顔でそう言ったが、さっきの言葉は本気のような気がした。フロレンツは穏やかな性格で、表情にはいつも笑顔を湛えているが、どこか自信のなさを伺わせるところがある。

「フロレンツが向いてないとか思わないけどな。俺はフロレンツみたいな人が王様だったらいいと思うし」

 フロレンツが顔を輝かせた。

「本当に? ミナト、ありがとう。誰に言われるより、ミナトにそう言われるのがうれしいよ」

 フロレンツのこういうところは、素直で何だかかわいい。

 フロレンツが湊斗に、

「ミナトは何色が好き?」と尋ねてきた。

 唐突な質問だと思ったが、

「青かな」と答えた。

 幼い頃から慣れ親しんだ海の色は心を落ち着かせてくれる。

「青か。そうだね。ミナトは青が似合うと思うよ」

 フロレンツは浮かれた様子だった。湊斗はなんだろうと首を傾げたが、その謎は後で明らかとなった。

 街の中に入ると、船着き場のある地点で船が止まり、一同は船を降りた。アクスラントには水路がところどころ広くなっている場所があり、そこが船着き場となっている。水路の途中で長時間船を止める事は禁止されているらしい。そうでないと、船の行き来の邪魔になるからだ。駐車禁止ってことだなと、湊斗は思った。

 街には人々が行き交い、様々な商店が軒を連ねている。建物はすべて石造りで、道もすべて石畳だった。

「この近くに美味しいスープを出す店があるから、そこで食事にしよう」

 フロレンツはそう言って歩き出した。

 アクスラントには植物がない。動物もいない。食料は魚介類か海藻だ。栄養が偏らないのだろうかと湊斗はかねがね思っていた。そんな食生活だからか、アクスラントには肥満の人が少ない。そういうわけで、美味しいスープというのも例にもれず魚介スープだった。

 レストランを出て一行は歩き出した。行く場所が決まっているのか、フロレンツはどんどん進んで行く。

 やがて、一軒の店の前に辿り着くと、フロレンツが湊斗に、

「少しだけここで待ってて」と言って、カールと従者たちを従えて店の中に入って行った。

 湊斗は、なぜここで待たされたのだろうと不思議に思いつつ、店の外でフロレンツを待った。

 湊斗は髪の色が目立たないように帽子をかぶって来ていた。だから、行き交う人たちは、湊斗が外海人である事には気付いていないようだ。

 湊斗がぼんやりと街の様子を見つめていると、頭からフード付きのマントを被った人が湊斗に近付いて来た。そして、その人が不意に腰の剣を抜き、湊斗に斬り掛かってきた。

「うわあ!」

 湊斗は大声を上げて、とっさに身をかわした。寸でのところで剣を避けたが、体勢を崩して地面に倒れ込んだ。

 マントの人物が再び剣を振り上げた時、異変に気付いたフロレンツと従者たちが店から飛び出してきた。

 フロレンツが腰の剣を抜き、マントの人物の剣をはじいた。それはものすごいスピードで、剣術の事など全く分からない湊斗にすら、相当な腕前である事が分かった。

 マントの人物は、敵わないと見たのか、身をひるがえし、一目散に逃げだした。

 フロレンツは従者たちに、

「追え!」と命じた。

 従者たちは、フロレンツのそばを離れる事に戸惑う様子を見せたが、フロレンツが、

「早く!」と言うと、一人がマントの人物を追って行った。

 フロレンツは残った従者にも、

「おまえも行け」と命じた。

「ですが……」

「僕は大丈夫だ。早く! 必ず捕まえて来い」

「かしこまりました」

 そうして、もう一人も後を追って走っていった。

 カールが警戒した様子で周りに目を配った。

「まさか、フローラ様の仕業では?」

 カールの言葉に、フロレンツがカールに厳しい視線を向けた。

「滅多な事を言うな」

 フロレンツは剣を腰の鞘にしまうと、湊斗のそばに座り込んだ。

「怪我しなかった?」

「うん……。大丈夫」

「立てる?」

「うん」

 湊斗は立ち上がった。まだ胸がどきどきしている。こんなに怖い目に遭うのは遭難して以来だ。いや、今の方があの時よりも怖かったかもしれない。

「ごめん。危ない目に遭わせて」

 湊斗は首を振った。

「なんで謝るんだよ? 全然フロレンツのせいじゃないだろ?」

「でも、僕がミナトを一人にしてしまったから」

「そんなの関係ないよ」

「少しの間だと思って油断してしまった。もう絶対一人にしないから」

 しばらくして、従者たちが先ほどのマントの人の両腕をつかんで連行してきた。フードがはずれ、顔が見える。痩せていて顎髭の生えた中年の男だった。

 従者たちは男をフロレンツの前に跪かせた。

 フロレンツが男に、

「なぜミナトを襲った?」と尋ねた。

 男は答えなかった。

 すると、カールが強い口調で、

「黙っていればただでは済まないぞ」と男を脅した。

 男は顔を上げ、湊斗を睨みつけてきた。

「そいつは外海人だろ? 外海人は不吉の象徴だ。きっと良くない事が起きる」

 男の言葉を聞いて、湊斗は青ざめた。そんな事は知らなかった。アクスラントでは、外海人は不吉だと思われているのだろうか。

 フロレンツが男に、

「そんなのは一部の人間が信じる迷信だ。とにかく、王室が貴賓として扱う人物に危害を加えようとした罪は重い。覚悟しておけ」と言った。

 それから、従者たちに向かって、

「刑法官に引き渡せ」と命じた。

 従者たちは男をどこかへ連れて行った。

 湊斗はフロレンツに、

「さっきのは本当? 外海人って不吉だと思われてるの?」と尋ねた。

 フロレンツが湊斗の方に向き直った。先ほどまでの厳しい口調から一転、いつもの穏やかな表情だ。

「心配しなくて大丈夫だよ。そういう迷信を信じているのはごくわずかな人たちだ。外海人は滅多に来ないものだから、来ると不吉な事が起きるって信じてる人がいるんだ。だけど、そういう人は滅多にいないから、大丈夫だよ」

 湊斗は血の気が引く思いだった。それは怖すぎる事実だ。強盗なら偶然だが、あの人は湊斗を殺す事が目的だったと言う事になる。それに、他にも同じような考え方の人がいるなら、常に身の危険があるということだ。

「そうだったんだ……」

「外海人を快く思わない人はいても、あそこまで過激な事をする輩はそうそういないよ。それに、僕が絶対にミナトを守るから、だから怖がらなくて大丈夫だよ」

 従者たちが戻ると、一行は王宮へ戻る事にした。こんな状況ではとても街の散策は続けられない。

 船に乗ると、湊斗の頭の中に先ほどの襲撃の様子が何度も繰り返し蘇ってきた。とても頭から消し去る事ができない。

 フロレンツはそんな湊斗を心配そうに見つめていた。

「大丈夫?」

「うん」

「本当にごめん」

「だから、フロレンツのせいじゃないって」

「ミナト、ちょっと腕を出してもらえる?」

 湊斗は、不思議に思いつつもフロレンツの方に右腕を差し出した。

 すると、フロレンツが傍らの小さな箱を開けた。箱には、青い宝石が付いた金色の腕輪が入っている。フロレンツは、湊斗の手を取り、その腕輪を湊斗の手首にはめた。湊斗は、フロレンツの意図が分からずに、されるがまま、それをぼんやりと見つめていた。

「やっぱり、ミナトには青が似合うね」

 フロレンツがうれしそうに笑みを浮かべて湊斗の腕を見つめた。

 湊斗は、はっとした。

「もしかして、これ俺にくれるの?」

「うん。これをあげたくて今日は街に来たんだ。そのせいでミナトを危ない目に遭わせてしまったから、かえって申し訳なかったけど」

「どうして、これを俺に?」

「何か、ミナトにあげたくて」

 男性からアクセサリーをプレゼントされるとは思ってもみなかった。湊斗は複雑な気持ちだったが、フロレンツの厚意は充分に伝わってきたから、

「ありがとう」と素直に礼を言った。

「これからは、この腕輪に誓って、僕がミナトを守るよ」

 フロレンツは、そう言って優しく微笑んだ。

 王宮に戻ってからも、命を狙われたショックから湊斗はずっと上の空だった。

 そして、そのまま夜になった。辺りが暗くなると、今度は怖くて仕方がなくなってきた。部屋に刺客がやって来るような、そんな気がして、眠りに就く事ができない。

 湊斗はいつでも逃げられるようにしなければならないという気持ちになり、横になる事もできず、ベッドの上に座っていた。

 しばらくして、部屋のドアがノックされた。それだけでも、ドキリとしてしまう。

 湊斗は寝室を出て、

「誰?」とドアに向かって問いかけた。すると、

「フロレンツだよ」と返事があった。

 湊斗はドアを開けた。

「どうしたの?」

「心配になって様子を見に来たんだ。昼間、すごくショックを受けていたみたいだから、もしかして眠れないんじゃないかと思って」

 図星すぎて、湊斗は苦笑した。

「そのとおりだよ」

「やっぱり。入っていい?」

「うん」

 湊斗はフロレンツを部屋に通した。

 湊斗がソファーに座ると、フロレンツが湊斗の隣に座った。

「王宮の中は警備がしっかりしているから安全だよ。安心して」

「そっか。よかった」

「そうは言っても、昼間あんな事があると怖いだろ?」

「うん」

「今日は僕がここにいてあげるよ」

「え?」

 湊斗は驚いてフロレンツを見つめた。

「いや、それじゃフロレンツは? まさか、眠らない気?」

「一日ぐらい眠らなくても大丈夫だよ」

 湊斗は首を振った。

「なんで俺が寝て、フロレンツが起きてなきゃならないんだよ」

「ミナトにはちゃんと休んでもらいたいんだ」

 先ほどまで実際に怖くて眠れなかったから、フロレンツがいてくれるというのは正直うれしい。しかし、フロレンツに番をしてもらって自分だけ寝るというのは気が引けた。

「じゃあ、あっちで一緒に寝る?」

 湊斗が言うと、フロレンツが唖然とした様子で一瞬固まり、それから、大きく首を振った。

「それはだめだ! そんな、とんでもない!」

 フロレンツが必死な様子だったので、湊斗は失礼な事を言ってしまったのだと反省した。一国の王子が誰かと一緒に寝るはずがない。フロレンツが親し気にしてくれるから、つい友だち相手のような提案をしてしまった。

「ごめん。それはそうだよな。俺は大丈夫だから。だから、フロレンツは戻って大丈夫だよ」

「でも……」

「本当に大丈夫だから」

 フロレンツと話をしているうちに、湊斗の心はだいぶ落ち着いた。今なら眠れるような気がする。

「そうか。じゃあ、戻るよ」

「うん。ありがとう」

 フロレンツはそれでも心配そうな様子を見せつつ、湊斗の部屋を出て行った。

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