第3話 王宮へ

 翌日の朝、湊斗はフロレンツと従者たちと共に、西の宮の地階へ下りた。

 地階には水路が通っていて、十人ぐらい乗れそうな大きさの船が浮かんでいる。船には屋根が付いていて、彫刻が施された優雅な造りだ。まるでテーマパークの乗り物のようで現実味がないと、湊斗は思った。

 一同が乗り込むと前後にいる船頭が長いオールで船を漕ぎ出した。水路を進むと門があり、船が近づくと門が開く。門を抜けると、建物を出て敷地内を進み、塀に設けられた門をくぐって西の宮を出た。船は水路を進んで行く。

 西の宮を離れると、先の方に建物が見えてきた。石造りの建物が並ぶ様はヨーロッパの古い町並みのようで美しい。

「すごい」

 湊斗がつぶやくと、隣に座っていたフロレンツがほほ笑んだ。

「アクスラントは王宮を取り囲むように街が広がっているんだ。ここは王宮から離れているから、工場とかが多いけど」

「アクスラントってどれぐらいの広さなんだ?」

「だいたい四千キロ平方メートルぐらいだと言われてるよ」

 聞いてはみたものの、それがどれぐらいの広さなのか湊斗にはぴんとこなかった。

「人はどれぐらいいるの?」

「十五万人ぐらいだよ」

「そんなにいるんだ」

 湊斗は目を丸めた。地上の人が存在すら知らない人間が、海の底にそんなにたくさんいるなんて信じられない。

 湊斗は頭上に目をやった。天蓋と呼ばれるそこは光に満ちており、たまにゆらめく。見慣れた空とは全く違う光景だ。不思議な事に、天蓋は地上の光をそのまま取り込んでいるようで、海の底にあるはずのアクスラントだが、昼間は地上と同じぐらいの明るさがあった。

 船が進むにつれ、景色が賑わいを見せてきた。街に入ると、水路は四方八方に枝分かれし、街の中に複雑に入り組んでいる。水路を沢山の船が行き来していた。水路は地面よりも低くなっているから、船の上だと街を見上げる形になる。

「アクスラントの人は船で移動するの?」

 湊斗はフロレンツに尋ねた。

「そうだよ。だから街中に水路がある」

 行ったことはないが、水の都と呼ばれているイタリアのベネチアはこんな感じなのかもしれないと湊斗は思った。

 湊斗が辺りを見回していると、フロレンツが、

「気に入った?」と尋ねてきた。

「うん。すごくきれいな街」

 フロレンツがうれしそうに顔をほころばせた。

「アクスラントはすごく良いところだよ。だから、住んでもきっと悪い思いはしないと思う」

「そっか。俺、これからここで暮らすんだよな」

「心配しなくても大丈夫。ミナトには何も不自由がないようにするから」

「ありがとう」

 西の宮を出てから三時間から四時間ぐらいが経過していた。やがて、建物の合間から高い石塀が見えてきた。

「あれが王宮?」

「うん。そうだよ」

「かなり広そうだね」

 塀の先にはたくさんの建物が建っているように見受けられる。

 塀には大きな門があり、湊斗たちの乗った船が近づくと門が開いた。門をくぐると、外から見えていたとおり、たくさんの建物がある。すべて石造りの大きな建物だ。敷地内には水路が四方八方に張り巡らされている。

 その中の一つの建物の中に水路は続いていた。建物の入り口には門があり、船が近づくとその門が開いた。門の先は窓がないトンネルのような空間で、外の光は差さないが、灯りがともされているので明るい。

 少し進むと、広い空間に出た。水路は行き止まりで、プールのように広くなっている。船はそのプールのような場所の端で停まった。

 そこで一同は船を降り、ドアを開けてその場所を出た。ドアの先には階段があり、階段を上り切ってドアを開けると、その先は廊下になっていた。船を停めた場所は質素な造りだったが、廊下の様子はまるで違っている。美しい形の柱が等間隔に並び、天井やいくつか見えるドアにも彫刻が施されていて、きらびやかな内装だ。西の宮も美しかったが、こちらの建物の方がより豪華だった。

 フロレンツが先導し、一同は廊下を進んだ。

 やがて、ある部屋の前にたどり着くと、フロレンツがドアを開け、中に湊斗を促した。部屋の中は、西の宮で初めて通された部屋と似た雰囲気だった。部屋の中央にテーブルがあり、それを挟むようにソファーが置かれている。

 フロレンツが湊斗に、

「疲れただろう? ここで休んでて。僕は王様に話をしてくるから」と言った。

 湊斗は「うん」と頷いた。

 フロレンツが出て行き一人きりになった湊斗はソファーに座った。少しするとお茶と軽食が運ばれてきた。

 静かな部屋に一人でいると、色々な考えが頭をよぎる。一体これからどうなってしまうのか。地上へ戻る事はきっとできないのだろう。何も分からないこの世界で生きて行かなければならない。外の世界から来た自分はアクスラントの人たちに快く受け入れてもらえるのだろうか。フロレンツは親切にしてくれたが、王様がどんな判断を下すのかは分からない。ひょっとしたら、命の危険にさらされる事もあるのではないだろうか。

 不吉な考えも浮かび、湊斗は心配で仕方がなかった。

 しばらくして部屋のドアが開き、フロレンツが入ってきた。

「ミナト、王様に事情を話して来たよ。王様がミナトに会いたいそうだから、来てくれる?」

「うん」

 湊斗は立ち上がり、フロレンツについて行った。

 湊斗が連れていかれたのは広い部屋で、部屋の奥の高くなった壇の上に立派な椅子が置かれ、そこに中年の男性が座っていた。刺繍の施された裾の長い服とマントを身に纏っている。一目で王様だと分かる姿だ。

「王様。外海人のミナトを連れて参りました」

 フロレンツに紹介され、湊斗は王に頭を下げた。

「本当に髪も目も黒いのだな」

 王は感慨深げに言うと、湊斗に、

「海で遭難してアクスラントにたどり着いたそうだな。驚いたであろう?」と尋ねてきた。

「はい。とても驚きました」

「ここは外海とは全く違うか?」

「似ているところもありますが、かなり違います」

「そうか。外海人がアクスラントにやって来ることは稀にあるが、前回はもう百年以上前になる。我々が外海の事を知る機会は外海人が来た時にしかない。だから、そなたは貴重な存在だ。これから、我々に外海の事を色々教えてもらいたい。その代わり、ここでの生活は不自由がないように取り計らおう」

「分かりました」

 湊斗はほっとした。どうやら、外海の情報を提供する代わりに、アクスラントでの生活は保証してもらえそうだ。

 フロレンツが王に、

「ミナトの事は私にお任せ下さい」と言った。

 王は頷いた。

「分かった。では、この件は太子に任せよう」

「ありがとうございます」

 フロレンツは王に頭を下げた。

 王との面会を終えて広間を出ると、フロレンツが湊斗に満面の笑みを向け、

「来て」と、湊斗を先導して歩き出した。

 フロレンツは廊下を進むと、階段を上り二階へ上がった。そして、湊斗を一室に通した。

 部屋には中央に大きなテーブルが置かれ、奥に布張りの三人掛けぐらいの大きさのソファーが置かれていた。テーブルを挟んで手前側には椅子が三脚置かれている。部屋の奥の壁にはバルコニーに出られる大きな窓があり、その窓の脇にはチェストが置かれていた。部屋の右手にはドアがあり、他にも部屋があるようだ。

「ここをミナトの部屋にするから、自由に使っていいよ。奥が寝室になっているから」

 フロレンツの言葉に、湊斗は驚いた。フロレンツは湊斗を王宮に住まわせようとしているのだろうか。

「あの、俺はこれからここに住むって事?」

 フロレンツは頷いた。

「そうだよ」

「王宮に住んでいいのか?」

「ミナトは貴賓だから。さっき王様もおっしゃっていたけど、外海人は貴重な存在なんだよ。だから、ここに住むのは当然なんだ。一つだけ。明日から学者たちがここに来て、色々ミナトに訊きに来る。それに答える事に協力して欲しいんだ」

 王宮に住むというのは恐縮するが、不自由なく暮らせるのならありがたい話だ。

「分かったよ」

 湊斗は答えた。

「何か不自由な事があったら遠慮なく言って。すぐに対応するから」

「うん」

 それから、部屋の事を一通り説明すると、フロレンツは部屋を出て行った。

 改めて湊斗は部屋を見渡した。一人の部屋にしては椅子が多めにあるのは、学者たちが来るからなのだろう。家具はどれも装飾が施されていて豪華な造りだ。

 湊斗は、右手のドアを開けた。その先は寝室で、それほど広くはない。セミダブルぐらいの大きさのベッドと、チェストが置かれている。寝室にもドアがあり、その先には風呂とトイレがあった。

《もしかして、どの部屋にもお風呂とトイレがあるのかな?》

 まるでホテルのようだと湊斗は思った。

 湊斗が部屋をあれこれ探索していると、しばらくして部屋のドアをノックされた。

「はい」

 湊斗は答えてドアを開けた。ドアの前にいたのは、西の宮からフロレンツに従っていた青年だった。髪の色も目の色も、フロレンツよりは濃い色をしているが薄い色だ。湊斗よりもだいぶ背が高い。常に表情が硬く、まじめで厳格そうな人物だった。

「少しお話しておきたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」

「はい。どうぞ」

 湊斗は青年を中へ通した。

 青年は一礼して部屋に入るとドアを閉めた。

「私は王太子殿下にお仕えしておりますカール・デリンガーと申します。あなたにお願いしたい事があって参りました。王太子殿下からお聞き及びかと存じますが、これからあなたの元には学者たちが訪れ、色々と外海の事を尋ねられるかと存じます。それでですが、王太子殿下の命を受けた学者たち以外には、外海の事を極力お話されないで頂きたいのです」

「え? どうして?」

 湊斗は驚いて目を丸めた。

「実は、アクスラントでは外海の情報はとても貴重なのです。この五百年で、外海人はあなたを含めて三人しか来ておりません。外海の事を我々が知る機会は外海人が来た時にしかございません。ですから、外海人はとても貴重な存在なのです。過去に訪れた二人から聴取した記録は、『外界の書第一』、『外界の書第二』として後世に伝えられております。あなたから伺った情報は、王太子殿下が『外界の書第三』として取りまとめられます。その書は国宝です。後世にまで、その編纂者として、王太子殿下のお名前が伝えられていく事でしょう。ですから、『外界の書第三』が完成すれば、王太子殿下は大きな功績を残す事になります」

 つまり、手柄をフロレンツが独り占めしたいという事だろうか。

 カールが続けた。

「王太子殿下はそうはおっしゃられないと思いますが、これは王太子殿下にとってチャンスなのです。実は、王太子殿下には対立する勢力があります」

「対立する勢力?」

「はい。その勢力がとても強く、王太子殿下は王太子という地位にありながら、支持も弱く、大変不安定なお立場にいらっしゃるのです。ですから、今回の事は王太子殿下にとって追い風になります。あなたに協力頂ければ、王太子殿下にとって大きな力となる事でしょう。ですから、是非協力して頂きたいのです」

 事情を知り、湊斗は合点がいった。

「そういう事ならもちろん、フロレンツは命の恩人だし、俺にできる事なら協力するよ。俺は、他の人に外海の事を黙ってればいいの?」

「はい。もちろん、挨拶程度の話なら問題ありません。ですが、学者たちが訊くような深いお話はされないで頂きたいのです」

「分かったよ」

 湊斗は頷きつつ、権力争いというのは海の底であっても存在するのだなと思った。

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