第3話 彼女の誤解

「今日は、カウンターにお座りになりませんか?」

枝垂しだれは、ここ数日考えていた彼女との会話方法を試してみた。帰り際では、そのままドアの向こうに逃げられてしまうが、だれかを1時間待つためだけに店に来ているのであれば、来店時ならどうだと考えたのだ。


「外の道が見える席に座らせてもらえないでしょうか?」

少し戸惑いながらも彼女は自分の意向を通すかのように冷たい声でこたえてきた。

彼女と会話できそうなら、どんな形でも構わない。なんとか会話を続けてやる。

「どなたかをお待ちなのであれば、カウンターでマスターと僕と会話しながら、お待ちになりませんか?あいにく外は雨が降っていて眺めていても楽しいものじゃないですよ?」

枝垂の言葉を聞いた途端、彼女の顔は険しくなった。

「あなたにとって楽しいかどうかなんて私には関係ありません。窓際の席は使用禁止なのですか!」

「あ、、、いいえ、どうぞお使いください。」

「では、使わせていただきます。それと、ブレンドを1つ。」

「かしこまりました。」


その日の1時間、彼女はいつも以上に強い眼光で外の道を眺め、いつもの気落ちした姿とは違い、来店時の険しさそのままに会計を済ませて店を去っていくかと思ったが、去り際に彼女が振り返った。

「なんで私に声をかけたんですか?」

てっきりそのまま帰られるかと思ったので、枝垂は少し返答に窮した。

「なんでって、言われるとあれですが、、、いつもいつも来るかどうかもわからない誰かを待つだけの時間って退屈かなっと思ったのと、あなたがいつも外を眺めているときの姿がその、、、美しかったから、、、つい、、、。」

入店時以上に怒らしてしまったのではないかと思い枝垂は、彼女の顔を見ることができず、少し視線を外してしまっているが、どうやら彼女は帰ろうとせず、次の言葉を待っているようだ。

もうこうなったら、いっそ今日全部聞きたいこと言ってしまうか、、、。意を決して枝垂は言葉をつづけた。

「どうしていつも金曜のこの時間に来られるんですか?相手の人は、どうしていつも来ないんですか?あなたが欠かさず来ているのにひどいですよ。」

ついつい、見もしたことがない相手をなじってしまったが、今日を逃すと彼女と話をするチャンスは来ないかもしれないと思った。


彼女は少し沈黙した後に語りだした。


「あの人を待っていたんです。10年前、まだ私が会社に入社したての頃のことです。学生時代から付き合っていた3つ年上の彼から、金曜の8時に大事な話をしたいから、この店に来てくれって言われたんです。当時、私は初めての会社勤めということもあり、彼から連絡が来ていても学生時代のようにすぎに返事ができていませんでした。そんなときに彼から呼び出されたものですから、もしかしたら別れ話なのではないかと思って当日、私は少し悩みましたが、この店に来ることにしました。」

「続けてください、話ならいくらでも聞きますから。」

「私は、5分ほど前に着きましたが、彼は約束の時間になっても現れませんでした。もしかしたら仕事で急に来れなくなったのではないかと思って携帯に連絡をしましたが、彼は出ませんでした。普段から予定が変わるようなら連絡をくれる人だったので、電車の中なのかもしれないと思って、私は待ち続けることにしました。でも、、、10分、20分、30分待っても彼はお店に現れず連絡もなかったんです、、、。帰ってしまおうかとも思ったのですが、彼の言う大事な話というのも気になって、結局その後も待ち続けることにしたんです。そしたら、、、。」

彼女は、当時を思い出しているのか目を閉じて、その後をつづけた。

「9時に私の携帯が鳴ったんです。彼からだと思い電話を取ったら、、、病院からでした、、、。彼は会社を出た後に予定通りお店に向かっていたそうです。でも、途中で階段を踏み外してしまい、頭を打ってしまったそうなんです。近くにいた人が救急車を呼んでくれたそうなんですが、病院に着くころには彼の心臓は何度も止まりそうになっていて、緊急手術を行ったそうなんですが、そのまま逝ってしまったという病院からの連絡でした。彼の携帯電話を見たら、ちょうど私にメールをしようとしているところだったらしく、それで病院は私に連絡をしてきたとのことでした。」

彼女の目からは、何度も大粒の涙が流れていた。まるで、その粒の1粒1粒に彼との大切な思い出の場面1つ1つが詰まっているかのようだ。

「そして、彼の持ち物の中にこれがあったんです。」

そう言って、彼女は左手を出し、薬指の指を見せてくれた。

「じゃあ、あなたの予想と違って彼は別れ話ではなくプロポーズをしようとしていたんですね。」

「はい、彼のカバンの中にはいくつか式場のカタログもありました、、、。」

「でも、彼はお亡くなりになられたんですよね?じゃあ、この店に来てどれだけ待ったとしても意味がないんじゃないですか?」

「そうかもしれません、、、。今日、最初にあなたに雨だから外を見ていても楽しくないと言われて、カッとなってしまったのは、1週間に1度、この指輪をつけてここに来て、あの席に座るのは、私にとってはせめても罪滅ぼしのつもりだったんです。」

「なぜ、あなたが罪滅ぼしを?彼は階段から落ちたってことは事故ですよね?」

「えぇ、確かに事故でした。でも私は、彼の気も知らずに別れ話かもしれないと思って、このお店に来ていたんです。彼の気持ちを知った時、私の頭の中は彼への罪悪感でぐちゃぐちゃになってしまいました。」

これまで見たことのないほどの苦悩に満ちた顔になりながらも彼女は言葉を続けてくれている。

「少し連絡が取れていなかったから別れられてしまうと思っていた私に比べて、彼の私への気持ちがどれだけしっかりしたものだったかと思うと、、、。プロポーズをしてくれるつもりだったかと思うと、、、。どれだけ私は薄情だったのかと、、、。だから、何度もこのお店に来ているんです。本当に私でよかったのか、連絡の取れていなかった間、彼はどんな気持ちだったのか知りたくて、、、。」

「それで、彼の気持ちはわかったんですか?」

死者の声などわかるはずがない、そう思いながらも枝垂は聞かずにはいられなかった。


「残念ですが、わからないままです。毎年、待ち合わせをしていた春先から死者が戻ってくると言われているお盆まで来ているのですが、いっこうに彼は私の前に姿を現わしてくれません。向こうでいい人に会ってしまったのかもしれませんね、、、。それでもいいんです。私なんかと違って、彼を思い続けれるような人が相手なら、、、。」

「それでいいんですか?」

「いいも何も、彼は死に私は彼の真意もわからなかった女なんですから。もうここにも来ません。今日は、怒ってしまい申し訳ございませんでした。」

彼女は、頭を深く下げ、枝垂に謝罪をした。顔を上げた時、彼女の目からはすでに涙は止まっていたが、それでも寂し気な顔であることに違いはなかった。きっと、彼女のなかでは、まだ終わっていないのだ。

「そんな顔されたら、このままお別れなんてできませんね。そのまま店を出られたとこを誰かに見られたら、まるでこの店が最悪な店だと思われるじゃないですか。納得されていないんでしょ?いいじゃないですか、来週も彼を待ちましょうよ。あなたが納得されるまで、あの席は毎週金曜の8時は誰にも使わせませんよ。あなたのみの特等席にします!いいですよねマスター?」

急に枝垂から話を振られ、マスターは驚いたようだが、年長者特有の余裕からか相手を安心させるような優しい笑顔で首を縦に振ってくれた。

「ほら、マスターの許可もおりましたから来週も待ちましょう。」

「なんでそんなことまで、、、。」

さすがに彼女もこの提案には驚いたような。

「私の話きいてましたよね。彼は死んでしまっているんです。死者を待つなんて、そんなのおかしいことだってやってる私だって本当はわかってるんです。もう終わりにするんです。」

断ろうとする彼女とは逆に枝垂は冷静に答えた。

「あなたが納得していない。僕にとってはそれで充分です。あなたはさっき、自分のことを薄情な女だと言いましたよね?そして、死者を待つなんておかしいと。おかしいと思っている行為を10年間もやってきたんですよ。そんなあなたを薄情だと思う人なんていませんよ。いたら、僕が同じことできるのかと説教してやりますよ。あなたは薄情なんかではない、彼の気持ちと比べて心を痛める必要なんてないんです。立派に彼の気持ちを10年前に受け取って問題ない女性なんですよ。今日事情を聞いた僕だってそのくらいわかる。だって、、、。」

枝垂は胸がいっぱいになったのか急に言葉を切った。

「だって?」

彼女も枝垂が言わんとすることが気になるようだ。

「あなたがこの店にいるとき、最初こそデートをすっぽかされたのかと思っていたけど、途中からあなたの表情は遠くの誰かをずっと想っているようにしか見えなかったから、、、。」

枝垂が言葉を止めた時、彼女の顔は再び涙で崩れていた。

「うぅ、、、。そう言ってくれて、ありがとうございます。」

耐えきれなくなったのか、彼女は両手で顔を覆い、レジ前に崩れ落ちた、、、。

「リンドウという花を知っていますか?この店の店名にもなっている花です。」

彼女の返事を待たずに、枝垂はつづけた。

「日本原産の花で『正義感』などの力強い言葉がよくあげられますが、実は西洋では『悲しんでいるあなたを愛する』という意味があるそうです。あなたの心が完全に晴れるまで、私たちに寄り添わせてくれませんか?」

「ありがとうございます。」

弱弱しくではあるが、今まで店内では見せたことのない明るい笑顔で彼女は返事をしてくれた。


数年後、カウンターを挟んで枝垂が彼女と楽しく語らうところを何人かの常連が見かけたそうだが、二人の関係が店員とお客の関係から変わっているのかどうかは定かではないそうだ。











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