07話.[心の底から嫌だ]

「うん、僕は大丈夫だよ」


 ちょうどお昼休み中に母から電話がかかってきた。

 1ヶ月ぶりぐらいの会話だから、なんだか懐かしさがすごい。

 ただ確認したかっただけらしく通話はすぐに終えたが、母の声が聞けて良かったと思う、ここに逃げてきている以外は。

 南校舎前というわけでもなし、寧ろ少し薄暗い校舎裏。

 結局のところ三島君が絡んでくるから教室には居づらいんだ。

 そのために未だに複雑さを捨てられないままでいる。


「テトラがいてくれればなあ……」


 メンタル回復に繋がるのに最近は会えていなかった。

 元気に生きてくれているだけでいい、あとはたまには顔を見せてくれればなんて贅沢だろうか。結局こちらがしてあげられるのは撫でてあげるぐらいだから愛想を尽かした可能性があるのもね……。


「にゃ~」

「テトラっ!? ――って、悪趣味ですよ……」

「ふふ、あなたを探していたのよ」


 僕を探してくれたところでなにができるというわけでもない。

 やはり僕はひとりでいるのが1番なんだ、日陰者なんだ。


「まだ駄目なようね」

「はい、僕は駄目駄目なんです」

「それで教室から逃げてきているのね」


 会話しただけでいちいちぐちぐち言われていたら精神が保たない。

 しかも次の授業○○だよねなんてあくまで確認作業だぞ。

 そもそも好きならいままでなにやってたんだよ。


「図書室に行きましょう」

「分かりました」


 大体、絡まれると分かっていて津郷さんも話しかけてくるんだ。

 あのふたりを素直に応援したいとは思えなかった。

 手を繋いだのがそんなに嫌だったのなら直接言葉でぶつけてこいよ!


「ここ、人気がありませんね」

「ええ、最近はみんな携帯を弄っているもの」


 仮に携帯を弄っていなくても友達とお金を使って遊ぶことを好むと、若者の本離れって実際は深刻な問題なのかもしれないな。


「なのによくここにいますね」

「私は読書が大好きだから」

「でしょうね、それは先輩といると分かりますよ」


 本を読み始めてしまったから喋ることすら不可能になった。

 こうなってくるとわざわざ誘われた意味が分からない。

 それでもぼうっとしているのは違うから本を適当に見ていた。

 生ぬるい風がカーテンを揺らす。

 ひとつだけいい点はここが教室ではないということだ。

 南校舎だというのもいい点と言えるかもしれない。


「こら」

「あれ、読書中だったんじゃ?」

「話しかけなさいよ、なんのために呼んだと思っているの」

「でも、先輩は読書中に邪魔されるのは嫌いだって言ってましたし」

「ああして引っ張られたりするのが嫌なだけで、これまで本を読んでいても反応していたじゃない」


 そういえばそうか、南校舎前に座ってよく会話していたもんな。

 先輩もよく分からないんだよな、来てくれるなら名字ぐらい教えてくれればいいのにさ。それすらする価値がないということならあれだけど。

 なんで来てくれるんだろうか、意外と世話好きなところがあるから放っておけない対象だったりしてね、ありそう、逆にそれしかなさそう。


「あなたのせいでお昼休みのほとんどを探すことに費やしてしまったわ」

「そんなに必死に探してくれなくても放課後になれば残っていますよ」

「お昼に会いたかったの、もう、みなまで言わせるんじゃないわよ」

「なんでですか? 名字だって教えてくれないのに」


 曖昧な態度で近づかれるのはもう嫌だった。

 それに、会ったってなにをしてあげられるというわけではない、だから僕がこうして不思議に感じてもおかしくないはずなんだ。


梛月なづきよ」

「偽名ですか?」

「いえ、私の名前よ」


 先輩の方を見てみたら「これで名字を知らなくてもいいでしょう?」なんて口にして笑っていた。……綺麗だとか思ってしまったのは内緒だ。


「教室に居づらいならここか南校舎前に来なさい、私に探させないで」

「わ、分かりました」

「どっちか分からないときもあるわよね、連絡先を交換しましょう」


 連絡先交換はいいんだけど……今日の先輩はぐいぐいくるなあ!?


「それと、どうしてこっちを見てくれないの?」

「え、見ましたよ? 先程名前を教えられたとき」

「けれどいまは外へ向いているじゃない」

「そりゃ、なんかほのぼのとしていていいですからね」


 教室に戻ればまた始まるんだ、地獄の時間が。

 頼むから席替えをしてくれ! そうすれば津郷さんだって話しかけてこないだろうから。ついでにあのふたりがまた隣同士に戻れたらもっといいね、そんなね、お互いに好きになっているような子を取ろうとするわけがないのにね、慌てなくても大丈夫なのになに心配になっているんだろう。

 しかも相手は嫌われ王の自分だ、寧ろ違う意味で近づかないでくれと願うのが普通な気がする。それとも仲良くしてほしくないってそういう意味でもあるのだろうか? もしそうなら正しい判断だよちくしょう!


「先輩がいてくれて良かったです。ひとりに慣れているはずなのに、ひとりでいるとマイナスな方に偏ってしまいますからね」

「私もひとりは嫌よ、だからあなた達を求めているの」

「その割には先輩、出会ってからも基本的にここか外にいたじゃないですか、特にこちらに声をかけるわけでもなくですよ?」

「あなた達が来てくれると分かっていたから分かりやすい同じ場所で待っていたんじゃない」


 読書を始めるとこちらの声に反応しなくなったりするぐらいなのによく言うよ。そもそも、そういうことを口にするのなら一緒にいるときに本なんか読んでほしくない。どうせならこちらに集中していてほしい、こちらだって疎かになんかしないから。

 いまの世の中は間違っている気がするのだ。だって友達と一緒にいるのにお互いが携帯を弄っているんだよ? だったら一緒にいる意味なんかない、携帯のアプリでも使って別々の場所で会話をすればいい――って、ちょっと話が逸れちゃったかな?

 とにかく、どうせ一緒にいるなら仲良くしたいわけだ、津郷さん達とはそれが叶わなくなってしまったからせめて先輩とは。残念ながら先輩以外でもう関われる人がいないからね。


「本当にそう思ってくれていますか?」

「ええ」

「それなら仲良くしてください」

「いいわよ? それなら私にもなんでもしてくれるのよね?」

「常識的な範囲で、ですけどね」


 頼んでいるのはこちらだ、ある程度は我慢しなければならない。

 こういう形は歪としか言えないが、それぐらいしないと残ってくれないのだから仕方がない。


「とりあえず、こっちを向きなさい」

「どれだけ見てほしいんですか……」

「あのままだと本に話そうとしているやばい人間じゃない」

「でも、先輩はたまに独り言を言ってますよ、『これいいわね』とか」

「ええ、買って良かったと思える作品が多いんだもの」


 戻そうとしたら「話を逸らさないの」と怒られてしまった。

 それどころか無理やり両頬を掴まれて見ないということができず。


「やっとまともに正面から見られたわ」

「そんなに僕の顔が好きなんですか?」

「ええ、嫌われようとするくせに柔らかい表情だから好きなの」


 嫌われようとするのはもう津郷さんや三島君以外にはやめている。

 そもそも嫌われてしまっているわけだからやる意味ないだけだけど。


「あと、少し幼いところもいいわね、可愛いわ」

「えぇ、これでも一応男なんですけど」

「分かっているわ、だからこそ渚沙さんに離れられて気になっているのでしょう? 残念ね、仲良くなれなくて」

「いや、僕が気にしているのは三島君が無駄に絡んでくるからですよ。そりゃまあ……そういう欲望はあったのかもしれないですけどね」


 先輩には作らせないでなんて言われたら誰だってそういう意味で捉えてしまうんじゃないのかなと。ただ、自分に経験がなかったからというだけなのも当然あるが。


「少し嫉妬してしまうわ、私に興味を持ちなさいよ」

「大丈夫です、もう先輩しか味方はいませんから」

「ふぅん」


 毎時間教室で絡まれているのを真横で見ているのにそれでも津郷さんが話しかけてくるのはそういうことだ。むかついていたんだ、怒鳴ったこととか手を握ったこととかに。だからやられている僕を見て内心では喜んでいるに違いない! そういうものだ、人間というのはいつまでも根に持つものだから。


「っと、予鈴ね、もう戻りましょうか」

「そうですね、それではまた――って、どうしたんですか?」


 こちらの頭を撫でてきたってトゥンクとはならないよ?


「あなたともっと一緒にいたいわ」

「え、それはこっちのセリフですけどね」

「ならサボりましょう」

「駄目ですよ、放課後によろしくお願いします」


 珍しく残念そうな表情を浮かべていたが、先輩も「それはそうね」と呟いて歩いていった。

 対する僕は一緒には戻らないのね……と少しだけ複雑な気持ちだった。




「おい山口、お前渚沙といちゃいちゃしてないだろうな!?」

「し、してないよ」


 というかいままで授業だったのにどうすればできるんだよ。

 ふっ、でもいいんだ、僕には先輩がいてくれるから!

 で、待っていたんだけど、残念ながら18時を過ぎても来ませんでした。

 なんだよ言えよぉ、なんのために連絡先を交換したんだ。

 ひとり寂しく帰っていたら久しぶりにテトラと会えたから良かった。


「君はいつでも僕に癒やしを与えてくれるね」

「にゃ」


 元気でいてくれたというだけで嬉しい、涙が出そうだ。

 人には優しくされないからなあ、余計に沁みてしまうのだ。


「遅いわよ、なにしてたの」

「え、一緒に帰る約束じゃあ……」

「違うわ、あなたが放課後によろしくって言ったんじゃない」


 どうやらご飯を作ってくれる気でいたらしい。

 それならそうと連絡してよ、というか付き合ったし、荷物だって持ったのに。こういう細かいところは抜けているというか、まあ……可愛くないこともないんだけど。

 開けてとぴしゃりと言われてしまったから思考はやめてふたりで中に入る、何故かテトラも入りたそうにしていたから入れてあげた。

 こちらは食事後にすぐ入浴できるようにお湯を溜めたり、やたらとハイテンションなテトラを撫でたりして時間をつぶしていた。


「どうせなら一緒に帰りたかったんですけど」

「いいじゃない、こうして一緒にいるんだから」

「あのですね! こっちは先輩が来てくれると思ってずっとあの教室で乙女みたいに待っていたんですよ!?」


 でも、来てもらえなかった。

 そのせいで三島君に散々絡まれたというのにさ。


「私だって待っていたわ、あなたの家の前で乙女みたいにね」

「……先輩のどこが乙女だよ」

「なにか言ったかしら?」

「いえ、なんでもないです!」


 ご飯を食べるときになったらテトラを放出。


「元気に生きるんだぞー」

「にゃ~」


 いつまでもその真っ白な体毛をもふらせておくれ。

 今度猫用のご飯でも買っておくことにしよう。


「あ!」

「はぁ……なによ、大声を出して」

「いやあの、前回の分、お金を渡していなかったなって」


 今回の分も聞き出して返そうとしたら首を振られてしまった。


「私の言うことを聞きなさい」

「……先輩がいいなら」

「それと、梛月って言ったじゃない」

「梛月先輩がいいなら分かりましたよ!」


 冷めてしまってはもったいないから勝手に食べさせてもらう。

 ああ、美味しいなあ、最後の方は津郷さんも美味しく仕上げることができていたけど、先輩のはもう食べる前から分かっているみたいな、本当に安定性が高くて安心できる。

 あとなんか凄く優しいんだ、食べるとそういう意味でも暖かくなる。

 基本的に本しか興味がない人なのにどうしてこういういいものを作れるんだろうか、表情豊かというわけでもないのにさ。


「美味しいです、梛月先輩が作ってくれるご飯が好きです」

「ええ、愛情を込めているもの」


 先輩が結婚したりとかは想像できないなあ。

 仮にひとりっ子じゃないとしたらいつまで経っても嫁に行かないのを文句を言われてそう。で、先輩はどこ吹く風、冷静に躱してしまうのだ。


「もう、落ち着いて食べなさい」

「そうした方がいいのは分かっているんですけどねっ、これがまた止まらないんですよっ」


 だからいつもあっという間に食べて終えてしまう。

 なんだ、満足できたはずなのに感じるこの寂しさは。

 もしかしたらこれで母が作ってくれたご飯を思い出しているのかも。


「ほら、食べ終えたのならお風呂に行ってきなさい」

「はい……」


 寂しいから、お風呂から出たら先輩がいないなんてことにはならないでほしかった。頼んでみたら呆れたような表情を浮かべられてしまったけどさ、こういうのは言わないと伝わらないからね。


「ふぅ……」


 なんで僕も連絡しなかったんだろう。

 先輩なら来てくれるって信頼していたということだろうか。


「山口君」

「なんですか?」

「もう今日は帰るわ、また明日もよろしく」

「え……あ、送りますよ」

「いいわ、ひとりで帰れるから、それじゃ」


 結局、駄目なのかもしれない。

 期待すると必ずこうなる、好かれようとすること自体が間違っていたのかもしれない。……なのに、こう考えているのに期待してしまう醜い心が心の底から嫌だった。

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