06話.[ひとりでいたい]

「こんなのでどうかな?」

「うーん、僕的にはもう少し醤油を足してもいいかも」

「そっか、それならそうしようかな」


 土曜日。

 僕らは朝から料理研究家みたいなことをしていた。

 ひたすら少量ずつ作っては、いまみたいに醤油を足した方がいいとか、もう少し味が濃くてもいいとか言い合っている。


「でも、いいの? これじゃ僕の好みの味になっちゃうけど」

「うん、だって食べてもらうのは山口君ぐらいだからね」

「なんかもっと公平な、先輩とか呼んだらどうかな?」


 あの人は美味しいご飯を作れるからコツとかを教えてくれるはずだ。

 この際だから自分が学んでみるのも悪くないかもしれない。

 そろそろ面倒くさがらずにやっていく必要があると思うんだ。


「別にいいよ、ほらこれ食べて」

「うん、あ、美味しいよこれ」


 何故かそこで複雑そうな表情を浮かべて黙ってしまった。

 彼女が作ってくれたやつで初めて心から美味しいと言えるものが出来たというのに、なにか不満があるのだろうか。


「そういえば先輩にも作ってもらったって言っていたよね?」

「うん、出会った初日にね、断ったんだけど気づいたら家の中にいてさ」

「美味しかった?」

「うん、中華丼を作ってくれたんだけど美味しかったよ。この前も作ってくれたんだけどさ、やっぱり安定しているというか、流石と言うべきって感じでさ」


 何度も言うが、彼女が作ってくれたやつは食べられないほどではなかった。不味くもない、本当にどうしてこんな味になるのかって困惑することは多かったけど。

 だからここまで熱心にやる必要は一切ないのだ。作っているところを見ていてちょいと指摘してあげることですぐに僕にとってはいい味になる、それぐらいの腕だからね。


「私が作るからもう先輩からは作ってもらわないで」

「大丈夫だよ、最後に迫ったせいで多分嫌われているし」

「迫った?」

「うん、名字だけでも教えてほしいって腕を掴んでね」


 あのとき分かったことは先輩の腕が細いということと、体温が低いということだった。夏なんかに抱きしめていたら気持ち良さそうだ。


「こういう風に?」

「ほ、包丁は置いてほしいなあ」

「先輩にまた同じようなことをしたらどうなるのか分かるよね?」

「し、しないって」

「ふふ、なんてねっ、へえ、山口君がそんなことをねえ」


 先輩に指摘されたことでいつまでも恐れて逃避している場合じゃないと気づけたからだ。が、その頑張った結果があれで、簡単にやめようだなんて考えたくせに津郷さんにも同じことをして、いまに繋がっている。

 仮にもしそれすら拒絶されていたらこの先変わることは一生ないんだろうなーなんて妄想しているが、どうだったのだろうか。


「あれ、いいの?」

「うん、ちょっと休憩」


 それなら紅茶でも用意しよう。

 お菓子は残念ながらないから単体での提供となった。

 ソファに座って彼女がのんびりしているところを見ると、なんか同棲しているみたいでちょっと気恥ずかしくなってくる。


「横にきてよ、君の家のソファなんだから」

「うん、分かった」


 少し距離を空けて座ったらすぐに詰められてしまった。

 そういえばあんなことをした理由は僕に頼ってほしかったからだっけ。

 どんなことをすれば津郷さんが満足できるだろうかと考えて、勝手に手を握ってみることにした。


「どうしたの?」

「こういうのが理想だったんだよね、ほら、この家は広くないけどひとりでいたら寂しかったからさ」

「寂しいと感じていたくせに人から嫌われようとしてたの?」

「うん、好かれることは凄く難しいからね」


 もちろんすぐに離したけど。

 いつかそういう意味で好きな人ができたらこういうことがしたい。

 あくまで健全なことでいい、いつまでもピュアな感じでいたいんだ。


「つまり、怖かったんだ?」

「そうだね、頑張ったのに拒絶されたら全否定されたような気分になってしまうからね。勇気がないんだよ、弱いんだよ僕は」


 その割に嫌われることは多かったからやけくそになっていたというのもある。寧ろ全員から嫌われてやろうと頑張っていたぐらいだ。

 でも、彼女から禁止と言われているからもうできない、弱くてもこういう風に相手にぶつかっていくしかなくなった。


「でもさ、悪口を言われてもなんてことはないんでしょ?」

「……ひとついいかな?」

「いいよ、なに?」

「多分この先、君と仲良くなっていったら駄目になるかもしれない」


 ただの友達レベルならいいかもだけど、自分がそれ以上を望み始めているときにぶつけられたら恐らく悪い意味で大きく影響する。本当に女々しいとしか言いようがないものの、人間とは本来そういうものだと思うから。


「つまり?」

「だ、だからさ、君と仲良くなった後に悪く言われたら多分……」


 裏切られた気分になって、だから良くないんだって考えて2度と人と仲良くしようとはしない、かもしれない。

 かなり痛い奴だということは分かっている、たったこの短期間で彼女と仲良くできると考えていること自体がだ。


「それは分からないよ、だってまだ嫌いじゃないってところだもん」

「うん……まあ、それは分かっているんだけどね」


 そんな知り合いレベルなのにご飯を作りに来るとか乙女心が分からない。

 これもまた理解しようとしてこなかった弊害だろう。

 ただ、この先も理解できなさそうな雰囲気がぷんぷんとしているんだ。

 あとはそう、仲良くなることも不可能そうな感じ。

 あれでも、仲良くするという約束でいまこうしているんだよね?


「ふぁぁ……」


 いちいち言うと嫌がられるだろうから口にしなかったけど。

 この距離感が物凄く複雑だった。

 だから僕のしてきたことは正しかったんだ、0か100、そういう極端な生き方が僕には合っている。それも嫌われるか興味なしでいられるかといった感じで、好かれることよりも簡単だしね。


「眠たいなら送るけど」

「……今日は早起きしたからね、ここで寝てもいい?」

「あ……まあ」


 めったに使わないひざ掛けを渡してこちらは移動。

 そんなに寝たいなら帰ってからの方が集中してできるのに。

 よく分からない、異性の家だろうが最近の子はこんななの?


「早起きすることでもないのにな」


 それでも寝てしまったのなら起こすようなことはしないけどさ。

 三島君とか先輩にそういうものなのかって聞きたかった。




 20時を過ぎても起きない。

 どれだけ眠たかったのかと聞きたくなるぐらいには爆睡中だ。

 いびきとかはかいていないから静かだけど、それが逆にちょっとだけ不安になる。確認してみたら生きてたけどね。

 どうしようかと考えて三島君を呼ぶことにした。


「なにやってんだこいつ」

「はは、なんか眠たかったみたいでさ」

「悪いな、連れ帰るから安心してくれ」

「うん、ありがとう」


 と言った割にすぐに背負って帰る気はないらしい。


「なあ、お前って先輩のことどう思ってんだ?」

「え? 名字すら教えてくれないから仲悪いと思ってるけど」


 そりゃ嫌だよね、気になる人が他の男と一緒にいたら。

 安心してほしい、嫌われているだろうからとも説明しておいた。

 しかし、それを言ったらまたあの難しい顔でこちらを見てくるだけという結果に終わる。


「飯、作ってもらったんだろ?」

「うん、津郷さんにもだけど」

「渚沙といるのはそういう理由なのか?」

「仲良くしてほしいとは頼んだけど……」


 まだ友達レベルでもないことが分かった。

 なのに手なんか繋いで、……先に後悔できないのが困るところだ。

 これから先、何度もこういう思いを味わうことになるんだと思う。

 選択を誤って、自分から立場を不利にしていくみたいな。


「なあ、渚沙といるのやめてくれないか?」

「は、え、なんで?」

「ちょっと外に出よう、こいつに聞かれたくないからな」


 従うしかないか。

 遠くに行きたかったわけではないらしく、玄関前での会話となった。


「お前が渚沙を好きって言うなら告白するまでは邪魔しねえけどさ」

「ちょ、え、先輩のことが気になっているんじゃ……」

「誰が言ったんだそれ」

「え、津郷さんからだけど」

「ふっ、勘違いだよそれは」


 つまりこれはその、津郷さんのことが好きだってことだよね。

 じゃあ先輩のところに連れて行っていたのは無意味だったということ?

 というか、嘘つきじゃんか、津郷さんのことをそういう風に見ていないって確かに言ったのを聞いたのに。


「そうなんだ。でも、いまはなんでもするって契約中だから本人に言ってくれないと困るかな」

「そうか、なら言ってもいいんだな?」

「うん、津郷さん次第だしね」


 いや、お似合いだと考えたのはこちらだからおかしくもないか。

 ふたりで中に戻ったらちょうど津郷さんは起きたところだった。

 三島君がいたことに驚いたのか、ただ固まっているだけだったけど。


「渚沙、山口といないでくれ」

「へ……? なんで?」

「俺が好きなのはお前だからだ」

「え……」


 そりゃ困惑するよなあと。

 彼女はこちらを見てきたものの、なにも言うことができないから首を振るのが精一杯だった。


「ちょ、嘘でしょ?」

「嘘じゃない」

「いや、私は山口君と仲良く――」

「しないでくれ、頼むっ」


 複雑ぅ! ここで言わないでくれっ。

 せっかく頑張ったのに、きっかけを作れたと思ったのに。

 結局無駄だったということなのか? やっぱりひとりでいるのがベストなんだろうか。こういうことがあると嫌になるね。


「約束を破るわけにはいかないよ、仲良くするって決めたもん」

「それならせめて彼氏にはしないでくれ」

「そういうつもりはなかったけど……」

「で、真剣に考えてくれないか?」


 三島君を呼んだのが良くなかったな。

 普通に起こして送っておけば良かったんだ。

 それならここまで複雑な気持ちにならなくて済んだと。


「というか、先輩はどうするの?」

「どうもしない、いままで通りの関係を続けるだけだ」

「うーん……」

「ねえ、やるなら違うところでやってくれないかな」


 こんなのが見たくて仲良くしようとしていたわけじゃない。

 そりゃ分かってるよ、仲良くしようとしたって恋仲にはなれないことぐらいは。でも、多分期待したんだろうなあ、だからこそここまで複雑な気持ちになってしまっているというわけだ。

 だけどさ、それとはこれとは別なんだ、純粋に見たくないんだ。


「こんなこと聞くのはあれだけどさ、もしかして山口君、私とそういう意味で仲良くなりたかったの?」

「いや、単純に仲良くなりたかっただけだけど」


 もしその先の関係に進めるならって考えもあった。

 だけどこれはつまり駄目だったってことだ、かなり残念だな。


「そっか、ならいいかな」

「帰るぞ渚沙、これ以上山口の家にいてほしくない」

「そういうつもりじゃなかったんだけど、分かったよ」


 ふたりはすぐに出ていった。

 なんだよこれ、結局三島君が必死になるように焦らせただけか。

 美味しいご飯が作りたかったのも彼のためだったとしたら、健気で彼からすればいいのかもしれないけれども。

 まあいいや、お風呂に入って寝よう。

 寝ればきっとこの複雑さもなくなっているはずだから。

 で、そこそこだったけど複雑さは実際になくなってくれた。

 問題だったのは席を戻したことだ、そのせいで三島君から毎回毎回言われる、過度に仲良くするなってしつこいぐらいに。

 それがたまらなく嫌で教室から逃げ出ていた。


「こんにちは」

「どうも……」


 別にこのタイミングじゃなくてもいいのに。

 寧ろもっと前からアピールしてくれていればそんなこと言わなかった。

 ま、応援するとか言っておきながら結果はこれだ、やっぱり僕みたいな人間でもそういうことに興味があったんだろうな。

 いかんいかん、ため息しか出てこない。三島君も意地悪だよなあ。


「先輩はいいんですか、三島君は津郷さんに集中してしまっていますが」

「いいじゃない、それに元々あの子は渚沙さんが好きだったんだから」

「え、知っていたんですか?」


 くそ、なら先輩にちゃんと聞いておけば良かった。

 こう言ったらなんだけど、津郷さんといるといいことがなにもないな。

 なんでもするなんて言っていた自分はもういない。


「そもそも渚沙さんからも聞いていたわよ、三島君が好きだって」

「なんだそりゃ……」


 じゃあ私が作るから先輩には作らせないでってなんで言ったんだ。


「はぁ……」

「渚沙さんを狙っていたの?」

「でも、仲良くするって、で、それを受け入れてくれたんですけどね」


 こうなると席を戻したことが気になってくる。

 契約無効だということならわざと津郷さんに悪口を言って嫌われようと考えていた。そうすればまた三島君が味方をしてプラスになるから。


「なんでもするなんて気軽に言うのはやめなさい」

「そうですね、いま物凄く後悔しています」

「そもそも分かりきっていることじゃない、渚沙さんと三島君がお互いに惹かれ合っていることなんて」


 だって本人達からそういうつもりはないって聞いていたから……。

 うんまあ、これまで他人を分かろうとしなかったから悪いんだけどさ。


「もういいですよ、馬鹿らしいですね悩むのなんて」

「ならそんな顔はやめなさい」

「とりあえず先輩は戻ってください、ひとりでいたいので」

「分かったわ」


 それでもこの複雑さを捨てきることはできなくて、1週間ぐらいはため息ばかりの生活を送ることになった。

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